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異形の魔道士  作者: IOTA
33/60

30 炎




 少年は立ち尽くしていた。

 彼の足許には、数十秒前まで住み慣れた家の壁だったはずの場所が瓦礫と成り果て無数に散乱し、数十秒前まで彼を強く抱いていたはずの父と母がおかしな形に身体を潰し、あらぬ方向に手足を曲げて瓦礫に半ば埋もれていた。

 少年の全身は粉塵塗れ、大きな目の中心の瞳は点を穿ったように小さくなり、ちろちろと忙しなく揺れていた。その覚束ない視線の先では、真っ黒い煙と薄靄のような塵が斑に混じり合い、その中で三人の男達が何かを探していた。

 一人が咳き込み、悪態を吐く。

「畜生。量が多過ぎだ。通りを挟んで向こうの家まで吹っ飛んだ酒場のマスターの下半身を見たか?」

「ああ、壁の染みになってたな。あの野郎も跡形もなく吹き飛んだんじゃねえか?」

「おい、あの硬さだぞ。死んだにしても残骸ぐらい残ってるだろ。もっとよく探せよ」

 ヒルドンの市街、山麓に抱かれる形の町並みは全体的にやや傾斜し、町の入り口から延びる大通りを中心にした主だった道は碁盤の目状に理路整然と奔っている。だが家屋一棟一棟の隙間といった路地は複雑に入り組み、毛細血管のように町中を這っていた。その無数の血管の内の一つ、入り口からほど近い手狭い路地で、血栓が起きていた。

 路地を形成する二つの家屋の壁面が抉られたようにごっそりと崩壊し、細かく粉砕された岩や瓦礫がうずたかく積もっているのだ。夜であり、更に煙で視界が悪いという環境を差し引いても、埋もれているであろう特定の何かを探し当てられるような状況ではなく、そもそも堅牢な石造りの家屋を紙細工のように粉砕した爆風に撒かれ、更にその瓦礫の下敷きになっているであろう何かが無事であるとは到底思えない。

 瓦礫の隙間に銃口を突っ込み、おざなりに確認している傭兵の一人が、身を屈めた拍子に全壊した家屋の中で呆然と佇む少年の姿を見つけた。

「へい、ぼうず」孔から敷居を跨ぎ、家の中に踏み入った傭兵は少年に尋ねる。「奇妙な格好をした男、見てないか?」

「………」

 少年は応じない。無反応だ。一向に焦点が定まらない視線は、見下ろす傭兵を通り越し、中空の何かを捜し求めているようだった。

 傭兵は鼻を鳴らしその場を離れかけるが、少年の口が微かに動いているのに気が付いた。小さな唇は粉塵に因るものだけではなく、血色を欠いた蒼白で、ぱくぱくと小刻みに開閉している。傭兵は耳を近付ける。

「……ごめんなさい、ごめんなさい。本当だったんだ。お母さんが言ってたこと、本当だったんだ。……早く寝ないと、悪魔がやってくるって、本当だったんだよぉ……」

「あん? 悪魔って俺のことか。このクソガキ」

 罵り、殴りつけようと手を振り上げる傭兵だが、背後から別の一人に制止される。

「おい、やめろよ! 何をやってるんだ」

「いや、このガキが生意気言うもんだからよ」

「ふざけるな。ガキはどっちだよ、大人げない」苛立たしげに家に這入った傭兵。少年を打とうとした傭兵に較べて彼は年若く、頬にそばかすの散る顔付きにはまだあどけなさが残っていた。少年の両親であろう足許の二つの遺体を見遣り、顔を顰める。「くそ……。だから人間爆弾は反対だって言ったんだ。こんな密集した市街で発破をかければ、他の民間人だって無事で済むわけがないだろ」

 へっ、と唇を歪める壮年の傭兵。年若い傭兵は鋭く睨め付けた。

「……なんだよ」

「べっつにぃ。ただよ、若造が腑抜けたこと言ってんなあと思ってさ。そういえばお前、昨日の王国兵殺す時も、半年前駐屯団殺す時も、最後まで反対してたもんな」

「だからどうした」

「ぶーぶー文句垂れといて、その癖ちゃっかり作戦には参加してるもんな、半年前も今も」

「だからどうしたんだよ。何が言いたい!」

 壮年の傭兵は嘲笑顔を改め、剣呑な目付きで睨み返した。

「良心に苛まれる振りをしてる内は、まだまだひよっこだって、そう言ってるんだよ。半年前だって、もし俺らが傍観して王都に垂れ込まれてたら、どうなってたと思う。駐屯団員だけを殺して、もしその遺族が徒党を組んだら、どうなってたと思う。お前、考えたことあるのか? もっと大勢の人死が出て、俺らだって全滅してたかもな。今回だって同じだ。王国軍の犬の混じった旅人を町に入れて、しかもそいつらは裏切り者のじじいと通じてたんだぞ。生きて帰すわけにはいかんだろ」

「……でも、他にも手は」

「ねえよ。お前さ、根本的に勘違いしてるみてえだけどさ、これは戦争なんだぞ。俺達だって、生き残るために、生き長らえるためにやってるんだよ。遠慮だとか容赦だとか、してる場合じゃない。善だとか悪だとか、んなことぬかしてる時点でお門違いなんだよ」

 沈黙し、頭を垂れる年若い傭兵。壮年の傭兵はもう一度鼻を鳴らし、踵を返すが、少年の声に足を止めた。

「あ、悪魔……。悪魔が出たよう!」突然、膝をつき、両親の遺体を揺り動かす少年。「お父さん、お母さん! 起きてよ! 悪魔だ。悪魔がいるよう!」

「このガキ。まだ言うか」

「ほら見てよ! 悪魔があそこに、隠れているよう!」

 少年は淀みなく持ち上げた人差し指を、天井に向けた。

 壮年の傭兵は少年が指し示す上方に首を回す。胡乱げだった面持ちが、戦慄に固まる。天井の梁、深い射影の中で二つの赤い双眸が不気味に灯り、傭兵を凝視していた。一瞬、時を取り戻した壮年の傭兵は口を開きかけるが、二瞬目には、梁から一直線に跳躍した異形の戦士の不気味な貌が目前に広がっていた。潜み、待ち伏せしていた悪魔の貌、獲物を前にして狂喜するかのように膨張する異様に太い脚。それが彼の見た最後の光景となった。

 三瞬、バシャッ、と壮年の傭兵の頭部は破裂した。自身の死を気付けない身体はのたうつように痙攣し、下半身はありとあらゆる体液を放出、ズボンの股座が黒く染まる。頭部があるはずの部分、石造りの床には深々と穴が穿たれ、そこには異形の戦士の赤く染まった右脚だけがあった。急転直下の飛び蹴り、いや、踏み潰しと言った方が相応しい。

『ひひ、良いこと言うわね。でもあなた達は悪よ』

 こいつらは敵よ、と。

 アーシャの声を受け、僅かに横顔を振り向かせたケイル。マスクの無機質な視線を向けられた年若い傭兵は小さな悲鳴を発し、身体の正面に吊っていたAK47に手を奔らせるが、ヘカトンケイルの運動能力と反射神経の前ではあまりに遅過ぎた。対峙するには、あまりに近過ぎた。

 ようやく木製の銃把と前部銃床に諸手が達した時、すでにケイルは距離を詰め、握り締めた拳を振り被り、銃口が動き始めた頃、振り下ろしていた。

「がフッ」

 強大な人工筋肉を以ってして放たれる強固な装甲板で固められた拳は、さながら大型トラックの衝突を局所に限定したような外力を生む。AK47諸共両腕の骨を粉々に砕かれた傭兵は、軽々と吹き飛び、壁面に叩きつけられた。

 右腕を振り切ったケイルはその捻りを利用するように身体の向きを転じ、同時に脳波コントロールで背にレイピアを戒めていたマグネットプレートのロックを解き、自由落下しかけたレイピアの銃身を左手で突き上げる。強化外骨格の背を滑り、頭上を舞ったレイピアは、すでに据銃の姿勢をとっていたケイルの両の手に刹那の挙動の締め括りであるかのようにすとんと、自ずから収まった。

 ケイルの強化外骨格同様、全体的に黒く煤け無数の引っ掻き疵が奔るレイピアABR2だが、疵だけではなく、機関部上面の中心付近に見慣れぬ光が灯っていた。立体投射型照準器だ。ただし、マスクを介したケイルの視界にのみ映る投影ではなく、実際に空間に投射されていた。ホログラフィックサイトという、機械の内部に照準点を投射する照準器は嘗てから存在したが、言うなればこれはその究極系、照準器そのものを立体的に投射している。軍に正式採用されたレイピアABRシリーズに搭載される一般的な照準器だった。兵士にとっては一般的でも、マスクの視野とリンクするセンサーを備えたヘカトンケイル専用のABR2は本来、外部照準器を必要としないはずであり、これは緊急時用である。先の爆発により、センサーが故障してしまったのだ。

 マスクが壊れたのか、レイピアのセンサーが異常をきたしたのか、わからない。ケイルにとってはどうでもよかった。まだ身体が動き、銃を撃て、敵が殺せる。ただそれだけが重要だった。己の存在理由に則り、己の内で喚き立てるどす黒い欲求に腐心し、敵対勢力の殺傷、ただその激情にのみ、衝き動かされていた。

 マスクの双眸と立体投射型照準器、三つの赤い光点の矛先は壁の孔を通じて家屋の外へ向かっており、瓦礫の上にはRPG‐7を構えた傭兵が立っていた。金属照準器を覗く表情は険しく、大きく開いた口は単音の怒声を迸らせている。先ほど浴びた血飛沫がまだ拭い切れず、紋様のように顔面を覆い、歪んだ顔と相まって彼の心理を如実に顕してるようだった。ケイルを撃退しようと動いてた分隊の最後の一人だ。

 先の殴打により粉砕されたAK47の部品が軽い音をたてて地に落ち、壁に弾き飛ばされた年若い傭兵がずり落ち始めた頃、両者は同時に引き金を切った。

 後方噴射の閃光の塊が後端部で膨らみ、解き放たれたPG‐7VL対戦車榴弾が寸分違わずケイルの胸元に信管を据え、迫る。メタルジェットの圧により装甲板を穿つ対戦車成形炸薬弾の前では概して装甲の強度は問題にならず、単純な厚みのみが生死を分かつ。五百ミリの装甲を穿孔する能力を有するPG‐7VLを被弾してしまえば、ヘカトンケイルの強化外骨格でも一溜まりもない。注ぎ込まれた弾片と爆風により、中身のバイオロイドはほとんど身体を残さずに圧壊することになるだろう。

 しかし、弾頭が彼我の中間に達した瞬間、慣性飛行の最中、まだ安定翼が開き始める前、それは砕け散った。

 ケイルは弾頭付近に照準を重ね、弾幕を張っていたのだ。放たれた弾頭が空中で被弾するという設計上ありえない事象では、ドラマチックな爆発が起きることもなく、鋭い火花を伴って外殻が四散し、あらぬ方向に向けてロケットモーターが点火、削り損ねた鉛筆のようになった弾頭はねずみ花火よろしく回転しながらケイルの脇を素通りし、壁面にぶつかり、転がった。

 RPG射手は六ミリアバドン用通常弾の弾幕のほとんどをその身に浴びることになり、肩付けした発射器を中心に、右肩の根元から顔面の右半分にかけてぼろぼろの飛沫に変えながら吹き飛んだ。瓦礫から崩れ落ちる遺体。毟り取ったような断面からは滝のように内容部が溢れ出す。

『ひひひ。皆殺し、いいわねえ。私は生きてるやつが大嫌いなのよ。だけどまだ虫の息が約一名』

「………」

 据銃を解いたケイルは淀みなかった。レイピアを背に固定しながら、部屋の隅に向き直り、歩み寄る。

 殴りつけ吹き飛ばされた年若い傭兵はまだ生きていた。複雑骨折、折れて鋭利になった尺骨や上腕骨が皮膚を内側から破り、飛び出している。紫色に鬱血し脹れ上がった両腕をぶらんぶらんと振り回しながら泣き喚いていたが、ケイルの姿を認めると金切り声で絶叫し、何とか這って逃れようとする。当然逃れられるわけもなく、ケイルは首根っこを掴まえると、外へ引き摺っていく。

 いやだ、放せと、嗚咽混じりの懇願を意に介さず、ケイルはふとあるものに注目し、それに青年の頭を突っ込んだ。

 炎だった。先の爆発の火炎が家財道具を包み、火を付けたのだろう。瓦礫の上で燃え盛る炎を使って、青年の頭部を鷲掴みにし、炙り始めた。まずは頭髪が燃え落ちる。ぱちぱちと音をたてて真っ赤に芯から燃え、即座に炭化し上昇気流により黒い綿埃のように舞い散る。悲鳴は思いの外たいして聴こえない。火の中は酸素がなく、声を出せないだけに過ぎない。

 不意にアーシャから指摘を受け、炎から離す。煤により顔面を真っ黒に染め、酸素を求め喘ぐ青年に向かって淡々と告げる。

「死にたくないなら火の中で息を吸おうとするな。酸欠で即死するぞ」

 極端に低い酸素濃度は、速やかに人間を死に到らしめる。通常大気の酸素濃度は二十一パーセントなのだが、それが六パーセントにもなれば数秒で人間の意識を混濁させ、十数秒で失神、数十秒で死に向かう。酸素欠乏症とは酸素が薄いから呼吸が苦しくなるという捉え方は基本的に間違いだ。酸欠空気は人体にとって猛毒なのである。

 青年の呼吸が落ち着いたのを見て、躊躇なく再び己の腕ごと炎の中に突っ込んだ。

 煤けるばかりだった皮膚が、次第に爛れ、収縮し、ぷつぷつと気泡状に脹らむ。ぷすぅと間の抜けた音を発して薄膜が破れると、その部分はくり貫かれたように円形に穴が開き、筋組織が露わになる。即死すると脅されても、そのような状況で呼吸を止めていられるわけもなく、青年の咽は呻き声を漏らし続けていた。

 炎から離す。硬化しかけた青年の唇が痙攣するように動き、ひり出すように言葉を紡ぐ。

「やめて、やめてくれ……。俺は、違う。……あいつらとは、違うんだ……。こんなこと、本当はしたくなかったんだ……」

 ケイルは意に介さず、火焔に突っ込んだ。

 やがてぱちゅん、と瑞々しい音が鳴った。眼球の内部の大半を占める硝子体と呼ばれるゼリー状の物質が沸騰し、眼球が爆ぜたのだ。瞑られた目蓋から灰色の液体が滴り落ちる。皮膚の消えた顔面は壊死し炭化し、真っ黒に焦げ、皮下組織にまで達した火傷は神経をも破壊し尽し、ほとんど痛みを感じることはない。痛みこそが生の証とはよく言われるが、それでも青年は死ねない。頭部の皮膚の消失だけでは、人間は死ねない。地獄の業火に身を焼かれる苦しみを、生きたままに味わうことになる。

 ふと背後の家屋の中、少年の存在を思い出したケイルは、青年を放り投げた。無造作に放擲された青年は抵抗らしい抵抗を見せず、人形のように四肢を振り回しながら、両親の遺体を前に佇む少年の脇に転がった。

 家の中に戻ったケイルは、最初に処理した傭兵のAK47を拾い上げると、少年に向かって銃把を差し出した。

「それを握って小さなレバーを人差し指で引けば、こいつを殺せる」

 少年は蒼白の面持ちでケイルを見上げていたが、ケイルがくいっと更に差し出すと、肩を揺らしてそれを握った。取り落としそうになりながらも、傭兵達の姿を見て記憶していたのか、見よう見まねという風に銃把に右手を巻き付け、前部銃床を左手で支えた。

 重そうに銃を携えた少年だが、小刻みに震えるばかりでそれ以上動こうとしない。青年へと両親へとケイルへと、どうしたらいいのかわからない、そんな様子で視線を忙しなく転じていた。

「どうしたんだ? 町の人達を殺して、親も殺されて、何を躊躇う。こいつらは敵だろう」

 本当に不思議そうに、小首を傾げながら、ケイルは訊ねた。

 憎くないのか、と。

 その言葉に、少年は弾かれたように銃口を持ち上げた。ケイルに向けて。

「出て行け……。家から出て行け! 悪魔!」

 揺れる銃口が見えたのは刹那、ケイルは片手で銃身を掴み射線を逸らすと、レッグホルスターから引き抜いたM7H拳銃を少年の鼻先に突き付けた。

 よせッ――。

 いつかの兵士のような声が、どこかから聴こえた気がした。深淵の底に巣食うH09、彼よりも更に奥深い闇に幽閉された誰かが、必死に叫んでいる気がした。

 だがその声は遠過ぎた。そしてヘカトンケイルの挙動を抑制するには、やはり遅過ぎた。

 ――鋭い炸裂音。小さな鼻梁の中心に孔が穿たれ、顔面のパーツが孔を中心にぎゅっと醜く顰められ、後頭部が花弁のように破裂。幼い体躯は射出口から噴出した自身の脳漿の中へ沈んでいくように、仰向けに卒倒する――。

 そんな描写が展開することは、しかしなかった。

「………」

 強化外骨格に被われた伸び切った腕、握られたM7H拳銃の無骨な機関部、向こう側では、少年の怯えきった瞳がケイルを見上げていた。

 少年は敵ではない。だから撃たなかった。撃たなければ同行者の命が危なかったあの少年と少女とは違い、無辜の人々を一方的に蹂躙した兵士や盗賊とは違い、武器を手に確固たる敵意を向けてきた三人の少年とは違い、敵の武器と化してしまった酒場の主人とも違う。少年は恐慌し、錯乱し、思わずケイルに銃を向けてしまった民間人でしかない。憎しみの矛先の対象外だった。銃を取り上げ、拳銃を突き付けるだけで無力化できる刹那的な脅威でしかなかった

 どこかから聴こえた声。その声はか細く曖昧で、制止としても遅いものだったが、果たして本当に聴こえたのかも定かでないものだったが、そんなものがなくても、ケイルは撃たなかった。ヘカトンケイルとしては至極合理的で、人としては酷く歪な判断の篩にかけ、その決断に従ったまでだ。そこにあったのは思考や思慮が関与する余地のない、設計上の仕様。ただそれだけだった。

 拳銃を収め、ケイルは踵を返す。喘ぐように浅い呼吸を繰り返している青年、合間に囁かれるうわ言を、ケイルの聴覚は拾う。

「……家に、帰りたい……。なんで俺は、こんなところに……。母さん、家に帰りたいよぅ……」

 退場がてら、本当についでのように、蟻を踏み潰すほどの感傷もなく、頭を踏み砕いた。焼け焦げた頭部は熟れ過ぎたトマトのように簡単に潰れ、放射状に飛び散った血と脳漿が床に広がる。無力であれ、虫の息であれ、どうであろうとも彼は傭兵だった。ケイルにとって決定的に敵だった。

 瓦礫の上へと踏み出しながら、AK47を真っ二つに折り、廃棄した。RPG?7も同様に破壊したところで、先ほど利用した炎が目に留まる。

 炎。

 いつかの野営の際のゼロットの言葉が脳裏を過ぎった。あなたの眼と似てる、彼女はそう口にした。瞠られた漆黒の瞳は鏡のように確かにケイルの双眸を映していたが、本当に彼女が視ていたのは胸の奥底に巣食う何か、どこまでも暗い深淵を覗いているようでもあった。

 背後から少年の啜り泣きが聞こえてきた。AK47の銃口越しに見えた激情の貌。錯乱していたのだとしても、仇である傭兵を差し置いてケイルを視るあの貌には、確かな憎しみが宿っていた。ゼロットが墓地で見せた貌と酷似していた。

「なぜだ……」

 アーシャが久しく姿を現し、口を開きかけるが、ケイルは目もくれずに館へ向かって歩を進める。振り返れば、自身の現実拡張された視野にのみ映るアーシャが切なげな顔で項垂れているのは容易に推測できた。

 サイバネティック・モジュールが脳内に形成した別人格であるアーシャが、如何に別人の相棒を目指そうとも結局はヘカトンケイルの一部に過ぎない彼女が、オーシリーズの根底に在る精神の歪みに抵触するようなその疑問に対する的確な答えを有していないことは、文字通り自分のことであるように、ケイルは痛感していた。





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