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異形の魔道士  作者: IOTA
31/60

28 半身



 薄暗い闇夜を切り裂くマズルフラッシュ。

 白濁した硝煙を伴ったオレンジ色の閃光が銃口から迸る度に、重機関銃を携えた異形の戦士の姿が浮かび上がる。無数の疵が奔り、流れ落ちる水滴が不気味な光沢を放つその様は、海原に打ち捨てられた巨船の竜骨のようだった。しかし、その挙動は外的印象を真っ向から否定するかのように流れるように円滑で、速い。

 重量にして小柄の成人女性一人分に相当するはずの重機関銃を、棒切れか何かのように軽々と振り回し、身を翻し、身を隠す。

 銃身の根元に設けられた放熱カバーの孔からは淡い蒸気がたちのぼり、かんかんかんかん、と風雨に冷やされた金属の収縮音が微かに鳴っていた。

 町の入り口付近の家屋の路地、硝煙が燻るM2を携えたケイルは壁面に背を預け、首を左右に倒す。関節が湿った音をたてて軋む。

「アーシャ、熱源は?」

『探知範囲内には……約十三』

「十三?」その数の多さに怪訝げな声を発したケイルだが、すぐに悟り、ヘルメットの後頭部でごんごんと背後の壁面を叩く。「住人か」

 ヘカトンケイルの熱源探知機能の有効範囲は、障害物の有無やその材質などにも多分に左右されるのだが、装置本体、即ちケイルから球径に二十メートル。対象が発する熱をレーダー状に捕捉するものであり、そこに敵味方識別機能はない。そしてヒルドンに存在するのは敵対勢力だけではない。ケイルの背後の家の中や、周囲の家屋には逃げ場のない住人が息を殺して潜んでいるのだろう。

『そう、単独で瓦礫の中を彷徨っている時なら熱源はイコールでアバドンだったけど、今は違うのよ。熱源のオンパレードで、どうにももやもやとした感じで捕捉し切れたもんじゃないの。明らかにおかしな動きをする熱源があったら報せる努力はするけれど、期待しないでね。熱を発するのは生物だけとは限らないのよ』

「ああ、だな」ケイルは路地の先、大通りを挟んだ向こう側の路上に目を遣り、頷いた。

 石畳の上で、何かが燃えていた。木製の箪笥や椅子や机、それに衣服などが無造作に積まれ、油をかけて火を放ったのだろう。一向に止む気配のない雨などお構いなしに、ごうごうと燃え盛っている。

 町に這入ってからは照明弾の発射こそ止まっていたが、その代わりなのだろう、要所要所に家財道具が積まれ、火をかけられ、町中を不気味な赤色に染め上げていた。要所要所とは主に家屋の入り口付近で、さながら粗大ゴミのように詰まれた家財道具ではあるが、ゴミというわけではなく、実際に住民が使っているものを家の中から引っ張り出してきたのだろう。

 照明弾ほど煌々としたものではないにしても、それでも光源に溢れたここではやはり暗視装置は役に立たず、炎という常に形を変える大きな熱が散在する現状では、熱源探知機能もまた非常に曖昧で頼りないものになってしまう。傭兵達は自分達の視界の確保とケイルの暗視装置潰しを目的にし、このような行為に及んだのだろうが、きっと熱源探知という機能の存在までは察していないだろうから、無意識下の一挙両得、ケイルからしたら泣きっ面に蜂だった。住民からしたら、迷惑千万である。

 石造りの家屋が大半を占めるヒルドンでは、幸いにして路上の焚火が家屋に燃え移り火災に繋がる心配こそないだろう。だが、もし燃えやすい木造の家屋が立ち並ぶ町並みだったとしても、傭兵達はこれ幸いとばかりに躊躇なく家に火を放つことは想像に難くない。

 町に攻め入るように這入ったケイル、そしてそれを退けようとする傭兵達。一見、ケイルが外敵であり、傭兵達は町を護ろうとしているような構図が成り立つように思えるが、断じてそれは間違いだ。

 あくまでも彼らは利己的に市街という環境を利用し、ケイルを撃退しようとしているだけだ。ヒルドンという町は悲運に選ばれただけだ。

 そのように解釈しているケイルだが、――その認識はやや甘かったと言わざるを得ない。

 ケイルは壁から背を離し、通りに飛び出した。標的が現れたことにより、一時の静寂は掻き消える。前方の三叉路、路地の角から上半身を覗かせた一人がAK47を発砲してくる。宿屋であろう建物のバルコニーに二人、据えられたM2がやや遅れて火を噴く。

 獰猛な風切り音を伴って飛来する無数の銃弾。石畳は削岩され、咽返るほどに破片が弾け回る中、ケイルは向かいの路地へと横走りで通りを横断しながら、M2を応射する。無論、でたらめな牽制射撃だ。鹵獲したM2には当然、ヘカトンケイルの視聴システムに同調するセンサーは搭載されておらず、レイピアのように視界に照準点が表示されることもなく、更に駆けながらの腰だめ射撃に精確性など望むべくもない。ただ、銃身の放熱カバーの上に装着された運搬用持手キャリングハンドルが前部銃床の代わりとして左手で制銃するに、ありがたいといえばありがたかった。

 余談だが、第二次大戦で主にアメリカ軍で使用されたM1919、M2重機関銃の親類とも言えるその,30口径機関銃には大戦末期に緊急時には一人で立射できるように似たようなアタッチメントが開発されたと云うが、約三倍の重量を有するM2のこれはあくまで運搬用であり、このような使用は想定されていない。

 偏に陽動のため、盛大な銃声を放つM2を使用しているだけで、弾が切れたら破棄するつもりだった。見え透いているかもしれないが、だからといってこうも存在を主張すれば、敵とて手を割かないわけにはいかないだろう。現に三名がこうして手荒い歓迎に追われている。雑木林でのシェパドの話では、傭兵の残りの数は十二だった。先ほどM2の三名を殺したので、残りは多くても九人。

『RPG!』

 アーシャの金切り声。

 路地から膝射の姿勢で突撃銃を発砲してきている傭兵、その背後、禍々しい筒を肩に担いだ傭兵が姿を現した。どうやら歓迎要員は四名だったようだ。銃身部から涙滴るいてき状に飛び出した弾頭が目を引いた。

『対戦車弾頭――ッ! ヤツが最優先よ! 絶っ対喰らったら駄目!』

 さながら影のように付き纏い、時折強化外骨格を掠める着弾に追いかけられながらも、ケイルは咄嗟に銃口を振り、,50口径弾を送り込む。網膜に焼き付くような発射炎の眩しさ、腹の底を振るわせるような重い発砲音、手中だけには収まらず体幹を貫き抜けるような鋭い反動、排莢と装填に伴う金属同士の硬質な手応え、どれもレイピアでは体感できない、火薬式銃火器特有のこれぞ発砲という感覚。陽動だけではなく、牽制や威圧という意味でも、無音無光のレイピアよりも有効かもしれない。威しはわかり易い方が脅威になる。

 至近の壁面で連続する小規模な爆発のような弾着に、路地の二人が顔を背けるように怯んだ。その隙に、ケイルは唐突に足を止めた。スパイクを利かせた急停止。摩擦により石畳の水が一瞬で蒸発、表面が削れ、火花が散る。

 銃火の只中で停止するという常識的には愚の骨頂ともいえるその思いがけない緩急に、虚を衝かれたのだろう、追い縋っていたはずの宿屋からのM2の銃撃はケイルを追い抜いた。紙一重だった銃撃が僅かながらに遠退いたその一瞬、大股で腰を据えた堅牢な立射でケイルはM2を発砲する。

 それでもその間に放てたのは四発程度だった。成果を横目で確認しながら、ケイルは銃撃を縫うように再び疾走を始める。運よく、一発がAK47射手の頚部を捉えていた。 

 軽装甲を貫くように設計されたAP弾は人間の体躯などボール紙か何かのようにいとも簡単に貫通するが、体内に突入した弾丸はその進路を不規則に変える。射入口の正反対の位置に射出口が生じるわけではない。よって貫通弾によりすぐ背後のRPG射手も射抜くことは叶わなかったが、咽笛を根こそぎにした爆発的な血肉の飛沫が目潰しにはなったようだ。

 錐揉みしながらもんどりうつ傭兵の後ろ、コールタールを浴びたように顔面を真っ黒に染めたRPG射手は目元を顰め、僅かに照準が振られ、引き金が落とされた。

 後方噴射の黄色い閃光が、ぽうっ、と膨らみ、辛うじてヘカトンケイルの動体視力で捉えられる巨大な光弾は、ケイルの進行方向、路地手前の家財道具の焚火に飛び込み、炸裂した。

 紅蓮の業火が散大、刹那、世界が橙色に染まり、瓦礫と粉塵と火花が一緒くたになり渦を巻く。ケイルはいつかその身を炙った魔方陣による火炎魔術を思い出した。あれが生易しく思えるほどに――いや、実際ケイルからしたら生温かったのだが――それは遥かに強力で、劇的だった。

 吹き荒ぶ爆風に煽られながら、黒煙のベールに身を隠すようにケイルは路地に飛び込んだ。

 息を吐きながらM2を持ち上げ、機関部左側面を見遣る。垂れ下がる弾帯は短い、残り数発程度だった。弾切れになるまでといったが、そこに拘る必要はなく、逡巡もなかった。人工筋肉をフル活用し、弾帯を引き千切り、フィードカバーをもぎ取り、銃身を直角に折り曲げる。ダメ押しとばかりに、機関部を踏み潰し、徹底的に破壊した。

 背のプレートからレイピアを取り外し、手早く目視で身体を点検する。すでに疵だらけではあるが、新たな目立った外傷は見受けられなかった。多少の被弾は覚悟し、とにかく緩急をつけて動き回ること。ケイルは傭兵達との戦闘でそのような心掛けを念頭に置くようになっていた。装甲の間隙や頭部といった急所を狙い撃たれないように駆け回り、敵が見せた好機や隙はすかさず見咎め、物にする。

 ヘカトンケイルの機動能力と反射神経、強化外骨格の装甲強度、銃撃に怯えない自身の精神構造さえも鑑みて、敵より秀でた点、敵が思いもつかない点であるそれらを最大限に利用して、傭兵達と戦闘を行う。武装集団との戦闘を前提に造られていないはずのケイルだが、敵の連携と慣れない集団戦法に翻弄された雑木林での最初の交戦、あの時とは比較にならない練度へと成長していた。この小一時間でステージの違う戦闘を学習し吸収し、適応しつつあった。

『残り八人ね。ま、いいんじゃない? この戦法』

 悪くないと思うわよ、とアーシャは喜色を孕んだ声で評価を述べる。

『どんなに素早く動こうとも運悪く急所に被弾することだってないとは言い切れないんだから、僥倖に頼った綱渡りという意味では決して楽観はできないけれど』

「僥倖に頼った綱渡りか……ふん」ケイルは苦笑混じりに鼻を鳴らす。「よくよく考えれば、そんなの向こうの世界では慣れっこだっただろ」

 戦場には個々人の技量ではどうにもならない運という要素が存在し、時にはそれが生死や作戦の合否をも分かつということは、ケイルも予ねてから知るところだった。神出のアバドンを前に、嫌と言うほど思い知らされていた。何時如何なる時も油断はできず、それが日常、いや、もはや常態となってしまい、ほとんど無意識のような諦観により特に取り沙汰されることがなくなってしまっていただけだ。

 幸運を祈る。シェパドから贈られたあの抽象的で有り触れている言葉が、その実は酷く現実的なものなのだと、感じ入る。

『あら。そういえばそうね』はたと気付いたようなアーシャの声。『その理屈で言えば運頼みの世界から来た私達の方にアドバンテージがあるわけね。それなら、その幸運が続く限り私達だけで連中をぶっ殺せるかも』

 楽観できないと言った側から楽観したようなことを嘯くアーシャ。そこに深い考慮はなく、ケイルをリラックスさせるために言っただけなのだろうが、ただ――やはりその認識は甘かった。

 民間軍事請負企業ダンシング・サイクロプス、怒れる単眼の巨人を甘くみていた。町を戦場に選んだ彼らは市街地という環境条件だけを利用するのだろうと、そんな風にしか考えていなかった。平野で足止めをくっていた間に、精々人員を配置し家財道具を燃やして照明にするぐらいしか迎撃準備を整えていなかったのだろうと、それ以上深慮しようとはしなかった。ケイルがヘカトンケイルとして人間との差異点を武器にするのと同様、傭兵達も装備と環境を利用した奇を衒った手法で攻撃を仕掛けてくるとは、連想しなかった。

 ネクタイのような処刑方法は知識としてケイルも、データベースの記録としてアーシャも事前に知っていたのだから、自分達の世界の旧時代でもそれ・・が戦場では日常茶飯事に行われていたのだと、シェパドから傭兵の装備について明言を受けた時点でここでもそれ・・が行われるかもしれないと、警戒して然るべきだったのかもしれないが、やはり、ことが武装集団との銃撃戦という限定された範囲になると、知識も感覚も思考も、ちぐはぐで、肝心な部位が抜け落ち、鈍っていた。

 もっとも、それを浅はかだとケイルとアーシャを責めるのは酷に過ぎるかもしれない。互いに騙し合い、裏をかき合い、いかに肉体的にも精神的にも相手を追い詰めるか、そんな念頭の元に執り行われる狡猾で冷酷な人間同士の戦闘を生業にしている傭兵達でさえも常軌であれば実行を躊躇してしまうような、そんな所業、想像しろという方が土台無理な話だった。

「あ、あんた。なあ、あんた……」

 そのまま路地を進んで大通りから離れようとしたケイルは、突然背後からそんな風に声を掛けられて、振り向いて、硬直した。

「あんた、人間なんだろ? た、頼む。助けてくれ」

 そこに立つのは、一人の町民。中年の男だった。RPGに粉砕された焚火、未だ燻るその残骸の中に佇んでいるので、アーシャの熱源探知機能でも捕捉できなかったのだろう。いや、そんなことより、大通りの隅というその立ち位置にこそ留意すべきだ。隅ではあるが、それでも通りに身体を晒しているのだ。三叉路に面した宿屋のM2重機関銃は、路地のRPG射手は、なぜ沈黙しているのだろう。なぜ接近を許したのだろう。敵ではないにしても、無力であるにしても、民間人においそれと接触を許すとは思えない。

 中年の男はケイルに正対しながらも、気が気でない様子で左方、三叉路の方向を頻りに窺っている。

「なあ、助けてくれ」

 言いながら、一歩、路地に踏み入ろうとする男。

「動くな」

 ケイルは鋭く制止した。男は肩を揺すって怯むが、それでも下がろうとはせず、懇願を続ける。

「頼む、頼むよ。れ、連中に連れて行かれたんだ。娘が、館に連れて行かれたんだ。人質だって、言うことを聞かないと酷い殺し方をするって……」

 禿頭にくたびれた前掛け。幾度となく打擲ちょうちゃくを受けたのだろう、顔は切り傷と青痣で歪んでいたが、それでもケイルはその男に見覚えがあった。酒場の主人である。連れて行かれた娘というのは、あの給仕の女性なのかもしれない。

「それで俺はっ、引っ張ってこられて、そしたらいきなり行けって、あんたと話せって、あんたに近付けって……」

「おい、動くなッ」

 じり、と一歩近付く男。ケイルの制止よりも、三叉路からの視線の方が恐いようだった。一刻も早く路地に這入ってその射線から逃れたいという風だった。ケイルははち切れんばかりであろう男の緊張を慮り、左手をゆっくり持ち上げ、手の平を向ける。右手ではそっとレイピアの引き金に指を掛けていた。

「そのまま、そのまま動くなよ」

 宥めるように手で示しながら、ケイルは摺り足で後退しようとする。

「お、おい、おい! 待ってくれ! あんたと話さなくちゃ、あんたに近付かなくちゃ娘が殺されるんだ!」

「駄目だ! 来るな。そこで止まれと言っている」

 接近を頑なに拒むケイルの態度から何かを気取ったのか。悲痛に歪んでいた男の顔から、さっと血の気が引き、驚倒と放心が混じったような絶望の面持ちへと変わる。

「なあ、なんでだ……? なんで俺はあんたに近付かなくちゃならないんだ? 話せならわかるけど、近付けってどういう意味だ?」

「落ち着け」

「俺はどうなるんだ? 知ってるのか、あんた。教えてくれ」

「落ち着くんだ」

「れ、連中は俺に、何を着せたんだ・・・・・・・?」

 ケイルの注視は前掛けの不自然な膨らみに注がれていた。男は前掛けを持ち上げ、それ・・を晒す。

 ベストに、長方形の黒い塊が五つ、ガムテープでぐるぐる巻きに括り付けられていた。塊の上下からコードが二本ずつ伸び、縦横に這っている。釘や針金など、鋭利な寸鉄が詰め込まれたであろういがいがの麻袋がその上に巻き付けられていた。

 それは人間爆弾、否、歩く対人地雷だった。

「これ、なんだ? なあ、あんた、教えてくれよ。俺、おれ――」

 緊張、恐怖、混乱、絶望。入り乱れる感情の波に半狂乱となり、男は零れ落ちんばかりに目を剥いて痙攣するように震えながら、一歩、二歩と覚束ない足取りで路地の奥へ、ケイルへと向かって歩み寄る。

「俺は、死ぬのか? うわ、うわわわわ。あぁあぁあぁあぁあぁ」

 自ら口にすることにより意図せず実感を得てしまった男は、縋るように両手を突き出して、咽の奥からサイレンのような絶叫を発しながらケイルへと駆け寄ってきた。己が助からないのなら、せめて命令に従い娘だけでもと、そのような殊勝な意図は、恐慌に支配された男の思考にはきっと含まれていない。

「そこで止まれ。止まれェ!」

 同様にその声はパニック状態の男にはもう届かない。ケイルは已む無く、けれども淀みなくレイピアの引き金を切っていた。

 断末魔の雄叫びを発する口の中に飛び込んだ二発の弾丸は、脊椎と小脳を粉砕し、男の生命は体躯が崩れ落ちるその前に予断なく絶たれた。

 だがそこで爆発が起こった。

 突如として発生した炭素の微粒子が放射熱によって鮮やかな橙色の光を放出。その眩い光の中心、ぼろぼろに四散する男の上半身、細かな飛沫は途端に蒸発し、無数の残滓が赤黒い糸屑のように舞っていた。膨張した空気の波が陽炎のような無色透明の歪みとなり爆心点を中心にした光暈こううんの如く全周に斑なく吹き抜け、それに追従するかのように数多の鉄片がその一粒、一欠片を鋭利で俊敏な暴力に変えて飛散。最後には灰煙と業火が進路上のありとあらゆるものを呑み込み、貪りながら押し寄せる。

「――――」

 豪速に移ろい、震動し、混濁し、暗転する視界の片隅で、燃え滓のようになって彼方に吹き飛んで往く男の下半身を捉えたケイルは、H03でもこれは未経験だろうと、そんな風に思っていた。




 H09は他のヘカトンケイルの姿を見たことがない。だが、死体なら見たことがある。

 一見、矛盾しているように思えるかもしれない。生命が消失した死体とて、姿形という概念は有しているだろうと、一般的には考えられるからだ。だが、その実は必ずしも矛盾しない。死体イコール姿形という方程式は成り立たない。

 H09が見た死体は、下半身だけだった。

 デスペー17。そのシェルターから救援要請があったのは、H09が偶然最寄のシェルター、オプリ56に居合わせた時だった。アバドンの内部出現により、壊滅的な被害を受けたという。内部出現とはそのままの意味で、シェルター内にアバドンが出現するという事態を指していた。最も忌諱される絶望的なケースである。

 オプリ56からH09も含めた救援部隊が編成され、実際に出発したのは報せを受けた翌日だった。大規模なシェルターならいざしらず、その他多数の小規模なシェルターには駐屯部隊がいるだけであり、調整にはどうしても時間がかかる。即応というにはあまりに時間が経ち過ぎていた。

 それでもH09は僅かな期待に胸を膨らませていた。デスペー17にも偶然、一体のヘカトンケイル、H03が居合わせていたと知らされていたのだ。初めて他のヘカトンケイルと逢うことができるかもしれない。

 出発からほどなくして、デスペー17との無線通信の不審にH09は気が付いた。基本的に単独行動を旨とするヘカトンケイルには個人装備として相互通信用長距離無線機が組み込まれており、H09は一人、車外銃座で周囲の警戒を務めながら通信の内容に耳を傾けていたのだが、それが忽然と途絶えたのだ。通信が自体が途絶えたわけではなく、H09だけがデスペー17との通信回線から締め出されたのである。

 徒ならぬ不審を覚えながらも、到着すると、すでに事は終わってしまっていた。

 シェルター内のアバドンは殲滅されたらしい。民間人は全滅してしまったらしい。生き残った兵士は二個小隊ほどらしい。らしい、らしい、らしいだ。到着しながらも、H09はシェルター内に一歩も入れてもらえなかったのである。シェルターの放棄が決定し、H09はシェルター入り口周辺の策敵を命じられた。

 アバドンの殲滅後、H03は単身で外周警戒へと赴き、ほどなくして音信を絶ち、生命反応も消えたらしい。つまりすでに死亡していた。

 生き残った兵士と物資の運搬作業が行われるシェルター入り口を背に、周囲を散策していたH09、遠方で蠢く一体の無人陸上戦闘兵器が目に留まった。ヘカトンケイルが配備される以前から大量生産され、主にシェルター周囲の警戒や外界での策敵などで多用途される無人陸上戦闘兵器それ自体は何も物珍しくなかったが、それは何かを喰っていた。

 ヘカトンケイルのポリマー合成代用組織で構成される人工筋肉とは異なり、半有機生体の培養人工筋肉と機械的な外骨格から形成される無人陸上戦闘兵器。その活動エネルギーはナノマシンの電力供給だけでは賄えず、定期的な有機素材の摂取が必要とされる。有機素材とはつまり肉であり、アバドンの死体を指す。忽然と現れるが消えることのないアバドン、それは死体となっても然りで、累積する死体の処理問題への解答も兼ねて開発されたのが無人陸上戦闘兵器だった。その特性から死体を漁る者、即ちスカベンジャーと揶揄される。

 そしてその時スカベンジャーが喰らっていたのは、邪魔な外殻を退けるように器用に貪っていたのは、遠目ではあったがどう見てもアバドンの死体ではなく、強化外骨格を纏った者の腰から下、度重なる銃撃により無数の銃創を穿たれ、腰斬ようざんされたヘカトンケイルH03の下半身のように、H09には見えた。

 マスクの中で目を剥き、一歩、そちらに歩み出そうとしたが、ガチリと、背後の物音に足を止めた。振り返らなかった。振り返らずとも音の正体を理解できた。背後の兵士達が銃の安全装置を解除する音だった。

 H09は、視線を切り、何事もなかったように、何も見なかったように外周の警戒に戻った。

 デスペー17で何が起こったのか。H09は真実を知らない。アーカーシャ・ガルバのマザーデータサーバにも単にアバドン内部出現による壊滅としか示されていなかった。だが、予想はできた。そして人の口にまで戸は立てられない。あの事件以降、明らかにH09に寄越す視線の色合いが険悪に変わった兵士達の会話の端々から、予想を確信に変えるには十分だった。

 アバドンの内部出現が起きたのは本当なのだろう。それで甚大な被害を受けたのも本当だ。だが、その時点では民間人は全滅していなかった。どのぐらいかはわからないが、相当な数が生存していた。そしてH03も生きていた。

 そこで何かが起きた。だがそれが何かは重要ではない。きっと普段から鬱積していた兵士への不満が恐慌状態により行動を伴い露見したとか、混乱のどさくさが兵士の利欲を刺激したとか、そのようなものなのだろう。切欠は些細な、一人か二人の蛮行なのだろう。重要なのは結果だ。その結果、兵士と民間人の衝突が生じた。銃器が使われ、血が流れる戦闘が起きた。

 そしてH03は民間人を味方した。彼、もしくは彼女はきっと最初は止めようとした。けれども叶わず、戦うしかなかった。慣れない戦闘、容認されない戦闘を、望まぬとも戦うより他になかった。終には力尽き、斃れた。生き残ったデスペー17の駐屯兵達は、本来であれば人間は喰らわないはずのスカベンジャーを操作し、死体を処理させた。アバドンに食い尽くされたことにし、民間人の死体も処理させた。

 だが、当然死体を処理するだけでは足りない。人間同士の戦闘の跡を現場が克明に物語るだろう。だからH09はシェルターに立ち入らせてもらえなかった。オプリ56の救援部隊には向かう道中、通信で真実が明かされ、一丸で隠匿を決め込んだ。アバドン被害による有り触れた悲劇として片付けられた。

 最初はオプリ56駐屯部隊とデスペー17の生き残り兵士だけでの秘密だったのだろうが、兵士同士の繋がりは横に広い。真相が適度にぼかされ、兵士みかたを殺したという箇所のみが誇張され噂として浅く知れ渡り、いつかの待ち伏せ作戦の折、たった一人連れ帰った兵士がH09への嫌悪感を顕にするという出来事も手伝ってか、いつしかH09はほぼ全ての兵士から白眼視されるようになっていた。聴こうと努めなくても、強化された聴覚は通りの角で屯する兵士達の囁きを克明に拾った。精神衛生の観点から情報規制が敷かれ、知ることのできなかった自身の、ヘカトンケイルに纏わる様々な諸事情まで、おぼろげながらも耳にすることになった。

 ――他国から戦争準備ととられないように人間とは戦えないはずの奴らだが、躊躇なく普通に人間を殺す。

 それは半分、建前のようなものだ。シェルターから退場された罪人が武装してないとも限らない。そんな連中に簡単に殺されるようでは採算が合わないのだろう。

 ――敵味方識別機能で兵士だけを例外にすることはできないのか。最悪、戦闘になっても安全装置のようなもので固縛できないのか。

 兵士だって罪人にならないとは限らない。野に下り蛮行に及ぶ兵士だって認めたくはないが存在する。

 機械的に身体を固縛できるほど、あれは機械的じゃない。中に入っているのは人造ではあるが人間だ。ただ、戦い難いように、もし奴らと戦うはめになっても圧倒されることがない程度に、集団銃撃戦闘に関する知識や思考回路が改悪されているらしい。正確には戦えないではなく、戦っても兵士には勝てないように作られている。

 ――奴らは全部そんなに歪なのか。

 デスペー17で暴れたのはH03。あれはH09。奴らは初期の試験運用型プロトタイプだ。

 初期配備の九体、“オーシリーズ”。奴らは例外だ。精神的に特別歪に造られているらしい。

 信用できない味方なんて、アバドンよりも達が悪い。あんなもの、早く破棄するべきなんだ――。




 ヒルドンが陥る状況は、デスペー17のそれと似通っていた。

 閉ざされた環境。住まう二者を隔てる深い確執。諍いが起き、人が死ぬ。

 だがある点において、決定的に異なっていた。

 デスペー17では兵士と民間人、どちらが悪かったのか、わからない。おそらく、想像でしかないのだが最初の一手は、最初の凶弾は民間人によって放たれた。そうでなければそこまで大規模な抗争には発展すまい。兵士からであるならば、少ない被害で威圧し、収拾がついたはずだ。全員を巻き込んだおぞましい事件が起きた時、生き残りに非が求められる場合が多いが、それは結果論でしかない。片や漏れなく命を絶たれているので非を求められないだけでしかない。経緯もわからないのに結果から是非を問うのは浅慮でしかない。

 幸いにして、ヒルドンは違う。無辜の人々が利己的に無惨に無造作に無感情に殺されている。誰が悪いのか、誰が敵なのか、はっきりしていた。

 何の罪もなく無抵抗の酒場の店主が乱暴され、娘をさらわれ、爆薬を撒かれて、攻撃の手段として利用された。

 きっと迷いと逡巡に支配されていたであろうH03とは違い、憎むべき相手が、討つべき敵が、明確だった。たった今、目の前で一人の男が理不尽の只中で非業に爆殺され、より明確になった。

 ――敵は処理しましょう。

 朗らかな女の声が聴こえた。

 ――無辜の人々を害する敵は、例外なく容赦なく呵責もなく、みんな排除しましょう。

 声はどこまでも軽やかで、底抜けに明るかった。

 ――それが、あなた達の役割です。それだけが、あなた達の存在理由です。

 深淵の闇の底、普段は遥か彼方で膝を抱えて蹲っている男が、気付くと、目前にいた。ゆっくりと顔を起こし、目が合う。男の顔は、しかし見えない。それは甲虫のようなマスクに覆われていた。端部からは無数の血管が這い、溶け合うように肌と一体化している。丸い覗き窓のような二つの眼、ひだ状のホースが伸びた口許。それでも眉間に皺を刻んでいるとわかる。口角を三日月のように吊り上げているとわかる。

 男は、H09は、酷く不出来な貌で、怒り、同時に、喜んでいた。

『ねえ』

 今度は聴き慣れた少女の声。

 ふつふつと、腹の底から黒い靄が充満し、躯を満たしていく。頭痛とは違う疼きが、頭蓋の中で暴れまわっていた。胎動するかのように全身の人工筋肉が伸縮を繰り返す。どくん、どくん、と、覚醒を急くように、欲求の満潮を焦るように。

 オーシリーズ特有の精神の歪み。ちらりと、どこかの兵士の声が脳裏を過ぎる。どうでもいい。今はとにかく――

『思ったんだけどさ、奴らは銃器武装した人間じゃないわ。銃器武装した魔物よ』

 少女、アーシャのせがむような声が、狂気を孕んだ唄うような声が遠くから聴こえる。

『だからさ、ねえ、殺してよ。今すぐ起きて、ぶっ殺してよ。私に奴らの血を見せて』

 厚い粉塵が展張する中、瓦礫から一本の腕が突き出される。

 その根元、深い深い暗渠の中で、丸く貫かれた双眸が不気味に赤く灯っていた。

 ――憎い。





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