27 ガタガタ言う資格
光の祭典。
さながら小型の太陽か、あるいは異様に近い明星が幾つか闇夜の中天に現れ、その直下、雑木林の斜面という局所を、けれども広大な範囲を白く染め上げていた。
時折、ヒルドンの方角でオレンジ色の閃光が瞬き、そこから延長されるように光の筋が飛び出し、弓形に撓りながら照らされた斜面へと向かう。遅れて、遠くで落雷が連続するような重い破裂音が僅かに肌を震わせる。
時間軸が前後してしまうが、ケイルが未だ雑木林で進退谷まっていた頃、その東側、疎らに生い茂る草叢の中、身を低くし早足で移動するサイ達一同は、西側の遠方で展開するその光景に目を奪われていた。
規模の違い。サイはそれをはっきりと目前に突き付けられているような気分だった。
闇に閉ざされた地表を真昼に変えてしまうような空を漂う光の球も、遥か遠い距離に恐ろしく速く到達する光の線も、これだけの距離を置きながらびりびりと肌を打つ音響も、あまりにこちらの世界の現実感覚と懸け離れていた。光球を放ち光源を得たり、音を発して対象を威圧する魔術ならこちらにも存在するが、今目にしているものとは、体感しているものとは、比較するもの馬鹿馬鹿しくなるくらい著しくスケールが異なっていた。
そして何より、発現した魔術に仄かに宿る、魔術士が往々にして“匂い”と表現する術者の思念のようなもの、あれからはそういった感情的な印象を微塵も感じ取ることができなかった。あれは、酷く無機質で無感情な、人間味など入り込む余地がない、そもそもそんな感傷を抱くことさえ見当違いであるような、極めて攻撃的で物理的で、そして大規模な、ただの現象、そんな風に感じた。
サイの脳裏に連想されるのは、一人佇むケイルの姿。王都の南門での戦闘やカボル村での虐殺、先のシェパドの家での態度など、戦闘の最中ないし気配を感じ取った時に彼が帯びる張り詰めたような雰囲気と近いものを感じる。
「ケイル……」
誰にも聞き取られない音量で、サイは確認するように小さく呟いた。
あそこで行われているのが戦闘だと知らなければ、いや、知っている今現在でも、ケイルが戦い、今まさに危険に曝されているのだと、しっかり理解しているというのに、それでも魅入って、場違いにも見蕩れてしまうほどに、それは幻想的で綺麗な光景でもあった。
「恐くなったか? 今ならまだ引き返せるぞ」
先頭を往くシェパドは屈んだ姿勢のままで立ち止まり、後ろを振り返って言った。
見蕩れている一同といったが、それはサイ、ゼロット、リルド、アカリ、つまりこちらの世界の住人に限った話であり、異邦人である彼だけは、見慣れているであろうシェパドだけは西の戦闘には目もくれずに、ひた進んでいた。
ケイルと別れた後、雑木林を東側へ大きく迂回し、斜面を下りた一同。そこは更地を遠望する疎らな草叢が茂る草原だった。それでも草木は疎らでしかなく、目立った起伏がないという点では西の平地と同様、夜であるという条件を加味しても、それこそ匍匐前進で一晩中かけて這い進もうという実に地道な胸積りでもないかぎり、ケイルが敵の注目を一手に引き受けてくれている今でなければ横断しようなどとはとても思えない程度の遮蔽でしかない。
降り続く雨により半湿地帯と化した草原、茂みの薄い地帯では膝や手をついての移動に迫られる。当然のように全身泥だらけになり、疲労する。兵士として研鑽し、相応の体力を有するリルドはともかく、非戦闘員であるところのサイとゼロットは長時間に渡る無理な姿勢での移動に息を上げ、殿を務めるアカリに急かされながら何とか付いていっているという体だったが、それでもシェパドの問いには首を横に振った。
雨粒によるものではない水滴、汗を額に滲ませながらも、へん、と突っぱねるように鼻を鳴らすサイ。
「恐くなったからって、なんで逃げ出さなくちゃならないんだよ。こちとらケイルに付いてくって決めた時から、恐怖も危険も覚悟の上さね」
こくこくと二度首を上下させるいつもの動作で同意するゼロット。
「足手纏いだってんなら、置いて行ってくれていいよ。それでもあたし達は町に這入るからね。案外、あたし達の方が先にライアスぼっちゃんをあっさり救出しちまうかもよ」
「そうですか。では置いて行きましょう。頑張ってください」
冷酷に言い放ち、シェパドに出発を促すリルド。
「うっわ。あんたもいい加減KYだね。ここは苦笑して無言で頷く場面だろうがっ」
「知りませんよ、そんな場面」
サイはおとがいを持ち上げ、リルドの身体を見下すようにする。
「いいよなぁ女装の剣士様は、身体が軽そうで。主に胸の辺りが」
「そうですね。何ならその二つの重り、ここで切り落としてあげましょうか? 四つん這いの姿勢で強調されるのが堪らなく目障りです、足手纏いならぬ、乳で纏いです」
リルドは剣の柄に手を掛け、抜刀姿勢を取る。
すっかり鎮火していたと思われたが、やはり地下火災。根深くいつまでも消えないのか。二人は対峙し、中腰のままじりじりと距離を取り合う。KYというのならば、二人とも大概KYだった。ゼロットは我関せずと二人の脇を素通りする。
先頭と殿から、ぽかんと、そんな三人の遣り取りを見ていたシェパドとアカリは、悶着を挟むように視線を重ね、毒気を抜かれたように失笑し合う。今日の日中までは当たり前だったはずの日常的な笑顔だが、随分と久しく感じた。
「俺が悪かった。あんたらは魔物や野盗が跋扈する土地を旅してきたんだもんな。多少の危険は馴れっこか。……進もうぜ」
ほどなくすると周囲は草叢から灌木の茂みへと姿を変え、やがてそれが北の斜面と似通った雑木林となり、樹木の密度が薄くなるのに比例して登り勾配が急になっていき、地表がごつごつとした岩肌へと変化する。ヒルドンを抱く山脈の裾野へと達したのだ。
「足許が悪いから気を付けろよ。滑ったら岩に全身を刻まれながら転げ落ちることになる」
比較的登り易いルートを選択し、肩に背負った二つの銃器を物ともせずにするすると器用によじ登っていくシェパド。ここまで来れば地形の高低差や岩に阻まれ、ヒルドンのシルエットは影も形も見受けられない。逆説的にヒルドン側からも目視されることはなく、大きな動きをしたところで見咎められる心配はない。
屈んだ姿勢から解放されたサイは腰を伸ばすが、目前に脈々と聳える岩山に憂鬱げに顔を顰めた。
「ほら、早く進んでよ」
後ろから前進を促すアカリ。見ようによっては銃を持つ彼女に脅されているように見えなくもない。サイは嘆息混じりに生返事をしながらリルド、ゼロットの後に続く。
「あんたら、随分とこの経路に慣れてるみたいだけど、そんなに頻繁に使ってるのかい?」
「頻繁ってほどじゃないけど、あたしやあにきはたまにここを通って町を偵察してたんだ。……エバやククルはまだ一人で偵察に出れるほどじゃなかったんだけど……。今日の昼、いや、もう昨日になるのかな。王都の兵士が町に向かった時も、あたしはここを通って様子を見に行った」
人間同士の戦争の時代、ヒルドンを狙う軍勢を阻んだのは彼方からその姿を発見できる平野だけではなく、町の背を囲むこの山脈も自然の防衛装置として機能していた。多勢の人馬ではこの岩山を踏破するなど、不可能だったのだ。馬を乗り捨て、一列となり登っていったとしても、当時はヒルドンにも少なくない軍勢が配備されており当然背後の山脈方面にも監視人員が配置されていただろうから、早期に発見され、不安定な地形では戦闘にさえならず、矢や投石で各個撃破されるだけなのは目に見えていた。故に、消去法で平地の突撃という単純な戦法しか採ることができなかった。
一方、端から大規模な戦闘など想定していない少数の部隊ならば、隠密を重視した今の彼らのような身軽さならばこそ、山脈からの町への接近は十分に可能なのだろう。
「ほんとはもっとずっと、町が見えなくなるまで一時間ぐらいかけて東に迂回してから山に這入るんだけど、……ほら、今はあの人が連中の注意を引いてるから。……人でいいんだよね? あれ」
ケイルのことを言っているのだろう。先の家での遣り取りから、ケイルに感じた徒ならぬ不審を払拭できていないアカリは、不安げにサイを見遣った。
「ああ、大丈夫、人で合ってるよ。それだけは間違いない」
言葉とは裏腹に、自分自身にも言い聞かせるようにサイは頷いた。
全身を使わなければ登れない傾斜や、かに歩きでなければ通れない断崖を経て、一同は洞窟の前にまで達した。岩肌にぽっかりとくり貫かれた人工的な洞窟だった。
「ここは?」
「秘密の抜け道さ」
リルドの問いに冗談めいた答えを返したシェパドは、アカリが使っていたものと同様の灯火の魔蓄鉱のペンライトを取り出し、足許を照らしながら僅かに踏み入ったところで、はたと振り返った。
洞窟に這入ろうとせず、如何に眼を凝らそうとも見えるわけがないというのに、町の方角を心配そうに見下ろすサイとゼロット。しばらく前の一際間断のない連射音を最後に、平地からの音は途絶えていた。
シェパドは嘆息する。
「気持ちはわかるがね、また同じ問答を繰り返さなけりゃダメか?」
「いや」サイは未練を払うように勢いよく振り返り、ゼロットの手を牽きながら一同に続いて洞窟に踏み入った。「進もう」
雨雲に遮られてはいたが、それでも移動が叶う程度には辛うじて月光による明度が保たれていた外界。洞窟の中では望むべくもなく、ペンライトの淡く揺れる光の範囲の外は、一寸先もわからない深淵のような闇だった。
まるで彼らの行く末を暗示しているようだなどといえば、些か抽象的に過ぎるが、暗闇は現実問題、精神に不安を喚起させる。雑木林でシェパドが語った理屈は理解している。如何に心配しようとも何もできないのなら意味がない、と。それでもケイルへの憂慮を拭い切れないサイは険しい面持ちで前を往くリルドの足許を見つめていた。その隣のゼロットは一見、彼女の常態である無表情だが、これまでのケイルへの思慕の態度から察するに、その心痛はサイ以上かもしれない。
極端に口数の減った彼らの雰囲気から汲み取ったのか、先頭を歩むシェパドが唐突に口を開く。
「俺があのあんちゃん一人にキツイ役割を推し付けたこと、無茶だと思ってるか?」
いや、とサイは頭を振った。
違う世界の常識で執り行われる戦闘。そこに自分達の世界の常識を持ち込むのは浅慮でしかなく、シェパドなりの理に叶った考えがあって、ケイルを一人残したのだろうと、そう考えていた。
「別に責める気はないし、無茶だとは思ってないよ」
しかし、その返答にシェパドは意外そうな声を上げる。
「へえ、ほんとか? 俺は無茶だと思ってるよ」
そんな言葉こそが、一同にとっては意外だった。心外と言い換えてもいい。指示した本人でさえ無謀だと思う案に他人の命を巻き込むとは、随分と無責任な話だ。
ただ、とシェパドは続ける。
「俺が思うに、あのあんちゃんは一人の方がいい」
「どういう意味だい?」
「彼は誰かと共闘するとか、誰かを護りながら戦うとか、正義の英雄様よろしくその方が力を発揮できるような、そうだな、言うなれば人情的な戦闘を是とする存在じゃあ、全然ないって意味さ」
「ああ、それは何となくわかる気がするけどね……。でも見ただろう? さっきのケイルの怪我を」
サイは先のケイルの姿を思い返し、非難するようにシェパドに言う。
全身の甲冑に無数の疵を作り、幾つかの箇所からは出血まで見受けられたケイル。命に別状はなさそうだったが、それでも負傷したという事実は揺るがない。死という最悪の可能性も考えていたというのに、彼ほどの強者ならどんな状況でも事も無げに無傷で生還せしめるのではないかと、僅かながらもどこかで希望視していたサイは、最初にその姿を見た時に絶句してしまった。彼とて無敵ではないということを痛感させられた。
「そうだな。だから無茶だとは思っていると言っただろ? こう言っちゃ悪いが平気のへいさで俺の元同僚と渡り合えるとは、元より期待していないさ。だがな、あんちゃんは一人の方が戦い易いであろうことも、きっと間違いない。あえてにべもない言い方をするとだ、たぶん俺達は邪魔になる。戦力を減衰させることになる。それ故の別行動さ」
シェパドは歩きながら顔だけを振り向かせる。殿のアカリのライトの明りが、意地の悪そうな笑みを浮かび上がらせた。
「ついでに俺の素朴な疑問を呈させてもらうなら、あんちゃんがあんたらと行動を供にしてること、それが不思議でしょうがない。古都ニューカを目指してるってことは、目的は反逆者とかいう連中なんだろ? どんな経緯があったのか知らないが、彼なら終始単独行動に努めそうなもんなのにな」
「いや、それはわかり易いよ」
はっきりと口を開くサイだが、口調に反してその音量は遠慮がちに囁かれるようだった。
「ケイルは、あたしらの身を按じてるんだよ。だから一緒に旅に出てその道中がここみたいに危険に溢れてる以上、離れるに離れられない。だからライアスぼっちゃんを助けることにだって、躊躇なく名乗りを上げた。あんた達は知らないだろうけど、ケイルはあれで優しいんだよ……」
無辜の人々や友好的なものに対しては過度に手厚く、それらに害を為すものには過剰なまでに手厳しい。その両面の間に隔たれる差異は、異常なほどに、どうしようもないほどに、全容がまるでわからないほどに高く、長く、深い。彼は果たしてどのような存在なのか。彼のいたという元の世界はどれほど想像を絶する場所なのか。
そんな自身の心中は口にせず、歪なほどに優し過ぎるんだよ、とだけ繰り返し、サイは言葉を結んだ。
シェパドとアカリはサイを見つめるが、言及しようとはしなかった。
「反逆者の名が出ましたが」唐突にリルドが口を開く。「別の世界から来たという貴方は、反逆者についてどう考えているのですか?」
「どうって言われてもな。そういう連中がいると情報としては知っているが、会ったことねえし」
どこか歯切れ悪く言って、進行方向の深い闇に向き直り肩を竦めるシェパド。その後頭部を見据えながら、やや間を置いて、リルドは続ける。
「家で語り聞かせてくれた無数の世界が存在しているという理論。あの理屈と口振りから考えて、貴方がた傭兵達や、ケイル氏や、そして魔物、それらは違う世界から送り込まれていると、そう考えているのでしょう?」
「まぁ、な……。根拠も何もねえけど」
「ならば当然、魔物を出現させている反逆者と結び付けて考えたこともあるでしょう」
「出現させていると目される、だろ?」
あくまでも容疑に過ぎないということを強調するように怒気を孕んだ声音で注釈するサイ。リルドはちらりと見遣るが、訂正しようとはしなかった。
シェパドは大仰に鼻息を吐き、肩に吊っていた負い紐をたくし上げるようにし位置を正す。
「そう、反逆者に関しては情報が曖昧なんだよな。元よりこの世界情勢に精通したあんたらでさえ漠然とした状況証拠しか持ち合わせちゃいないのに、新参者で異邦人の俺らが地方都市で収集できる情報なんて、どう頑張ったって高が知れてる」
「だとしても、その情報に何の興味も示さなかったなんてことはないでしょう。反逆者の元へ、向かってみようとは思わなかったのですか?」
「俺が部隊を離れる前、確かに何度かそういう話は出たよ。けど、実際にニューカに向かったことは一度もない」
「なぜです?」
「忘れたのかよ。現れた先がそのニューカを囲う森だったんだぞ。あんたも言ってただろ。あそこはヤバイ。そこで散々な目に遭ったんだ。現実問題、俺らの戦力でも突破は難しいだろう。もう一度あそこに戻りたいと思うのは自殺志願者だけさ」
だとしても、とリルドは食い下がる。
「情報が曖昧で危険に溢れた道則だとしても、それだけの理由で気後れし、何も行動を起こさないでいられるものなのですか? 貴方がたは、元の世界に帰りたいとは思わないのですか? 無論、反逆者と相対しても帰れる保証などないのでしょうが、それでも、一縷の希望に縋ってみようとか、そういった風には思わないのですか?」
そこでリルドが言わんとしているところを察したのか、あぁあ、とシェパドは得心いったように呻った。
「あんた、俺らを買い被ってるよ。そりゃあちらりとそういう風に願う奴も部隊内にちっとは居ただろうけど、それでもちらり程度の願いさ。愛する者を残してきた善良なる一般市民とか、そんなおセンチな人種じゃあ全然ない。基本的に場当たり的で刹那的な、成らず者なのさ、俺達は。……普通じゃないという意味じゃあ、あのあんちゃんについてガタガタ言う資格、俺にはないな」
「………」
「つーか、そういう普通じゃない俺達だからこそ、この世界に送られたのかもしれないしな」
ぼそりと発されたその言葉に、リルドは柳眉を持ち上げる。
「それはどういう意味ですか? 貴方がたや魔物やケイル氏……。貴方はそこに何か共通点を見出しているのですか?」
「あんたよぉ、意外とがつがつくるよな」シェパドは呆れたように鼻を鳴らす。「もっとクールビューティー然としてた方がキャラに合ってるぜ」
「茶化さないでください」
「茶化してるわけじゃない、はぐらかしてるのさ。その辺りの事情に関しちゃ曖昧な推測をあれやこれやとなんとなく夢想してるだけで、確信的なことは何も言えないんだよ。確かに俺らはここと較べたらちょっとばかし科学が発展してる世界から来たわけだが、だからって頭脳明晰ってわけじゃない。それにこっちに来てから五年でしかないんだぜ。その五年にしたって、世界の不思議を紐解こうとか、そんな余裕は全然なくて、この町に囚われていたみたいなもんさ」
特に俺の場合はな、とシェパドは独白のように付け足した。
最後尾のアカリはそんなシェパドの背中に向け、何かを言いかけたが、そっと口を噤み、神妙に俯いた。
洞窟は一本道ではなく、すでに幾度も別れ道を折れており、時折見かける打ち捨てられたようなツルハシやシャベル、一輪車などから、ここがどういった場所なのか、サイ達は察した。
坑道。鉄鉱石を初め、王国内でも指折りの魔蓄鉱採掘場であるヒルドン。過去の歴史を紐解くと、ヒルドンを建てた後、偶然にも鉱物資源に富んだ山脈が近くにあったわけでは当然なく、鉱山にアプローチが容易いようにその裾野にヒルドンという町が造られた。鉱山ありきのヒルドンなのである。
資源が発見されてから代を移り変えても延々と続いてきた発掘作業により、ヒルドンを抱く山脈の地中には蟻の巣の如く複雑多岐に入り組んだ坑道が縦横に奔っている。秘密の抜け道とシェパドは嘯いたが、ある意味その表現は正鵠を射ているだろう。鉱山へのアプローチが容易になるようにヒルドンという町が在るのならば、裏を返せば、鉱山からヒルドンへの接近もまた然り。
ただし、険しい山の中腹に在る入り口の発見と到達、入り組んだ坑道を町へ向かうルートを違えずに進み続けるには、それ相応の事前調査が必要であることは想像に難くなく、シェパドが、そしてアカリが、この町の偵察にどれだけ苦心し執着していたのか、推し量るには十分だった。
直角の曲がり角に達し、シェパドとアカリはペンライトの照明を同時に消した。途端、黒く塗り潰したような闇に包まれるが、曲がり角の先からの冷たい風が頬を撫で、微かな自然の光が薄く壁面を照らしている。月光だ。出口なのだろう。
角からちらりと坑道の先を窺い見たシェパドは、しかし足を踏み出そうとはせず、固唾を呑んで硬直していた。すぐ背後に続いていたリルドが怪訝げに小首を傾げ先を窺おうとするが、シェパドはそれを手で制し、嘆息を一つ、踵を返し一同に密集するように促した。顔を寄せ合い、小声で囁き合う。
「アカリ、少し引き返してルートBを目指せ。みんなと一緒にな」
「どうしたんだい? あにき」
「この先、連中が待ち伏せしてる」
「――!」
事も無げに告げられるその言葉に、一同は口を押さえて感嘆符を発する。
「まあ、連中だって馬鹿じゃない。いくらあんちゃんの陽動がうまくいったとしても、当然俺の存在だって気取ってるだろうから、侵入が考えられるルートに歩哨ぐらいは立てるだろうな」
「あ、あにきはどうするんだよ?」
「俺は――」
シェパドが言いさした時、不意に重い銃声が聴こえた。遠方、町の方向からだ。出口から入った発砲音が坑内で絶えることなく幾重にも反響している。
「よかったな」シェパドはサイを見て、にやりと笑う。「あんちゃん、無事に町に這入ったようだぜ」
「無事かどうかなんてわかんないっつーの」サイは不満げに眉根を寄せる。そもそも無音だと不安になり、戦闘音が聴こえたら安心するというのも無理な話だった。生存の証明にはなるが、危険に曝されているのは間違いないのだから。「それにあたしらはどうするんだよ」
「だから、アカリと一緒に別のルートで町に這入れ。ルートBはおそらく手隙だろう。郊外に出ることになるがね」
「だからっ、それはいいけど、あにきはっ?」
「俺はここから出る。第二段階の陽動だよ」
「そんな……ッ、いくらなんでも無茶だよ」
「大丈夫さ。俺がここに現れてやっと陽動は完成する。連中がマークしてんのは俺とあんちゃんぐらいだろ。お前らはノーマークだ。だからこそお前らが本命だ。町に這入ったら路地を通って館を目指せ。たぶん、囚われてるとしたらそこの地下だろう。居なかったとしても領主に俺の名を出せば、まあ、居場所ぐらいは教えてくれると思う」
淡々と話を詰めていくシェパド。そうじゃなくてっ、とアカリは泣きそうな顔をしてその腕に縋り付いた。
「あたし達のことじゃなくて、お兄ちゃんが一人で戦うのが無茶だって言ってるんだよっ」
「あにきと呼べ、アカリ」シェパドはぴしゃりと言って、アカリの手をそっと振り払う。「そもそも町に這入ったら別行動を取るつもりだったんだ。予定が早まっただけさ。あんちゃんの話を混ぜっ返す気はないが、無茶だろうが無謀だろうが、俺だって一人の方が戦い易いんだよ」
「……でも」
「でもじゃない。お前は彼らを護って、仲間を助け出すんだ。それがお前の役割だ。容易じゃない仕事だぞ。俺の心配をしてる場合じゃない、違えるなよ」
アカリはしばらく俯いていたが、きゅっと唇を結び、闇の中へと消えていった。最後尾、サイに手を牽かれるようにして連れて行かれたゼロット、彼女が去り際に見せた見透かしたような無表情が、妙にシェパドの印象に残った。
「あの嬢ちゃん、何か気取ったか……。まさかな。こんな馬鹿げた真似、誰が想像できるか」
こんな汚れ仕事、あいつらに片棒を担がせるかよ、と。
シェパドは唾棄するように忌々しげに独白するが、それは刹那、ゼロットのものとは違う、努めて外界の情報を遮断した壁のような鬼気迫る無表情へと面持ちを改め、AK47を手繰り寄せ、安全装置を解除した。
壁面に半身と体重を預け、据銃する。坑道の出口付近、雨宿りするように所在なさげに座り込んでいる者達は、AK47の銃口が向かう仄かな月光に照らされた標的は、戦うべき相手、傭兵達ではなかった。
「フライ……。やっぱりお前のほうが俺より遥かにクソだよ」
待ち伏せしている連中や歩哨と、シェパドは称したが、それは嘘だった。
「いや、それを躊躇なく撃とうとしてる俺もやっぱりクソだな」
用心金の上に乗せていた人差し指を引き金に落とし、すまない、と半年前のように心から胸の内で謝罪して、絞り切る。
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