26 合理的な思考の取捨選択
約五年前、正確には千八百四十一日前、ダンシング・サイクロプスの三十六名のオペレーターは、空にいた。
空の上、正確には地上十五メートル、ビル五階分に相当する高度、そのほど高い空中に、忽然と現れた。
目の前にはどこまでも続く暗雲。眼下には青々と広がる森林。地としていた足許には空気しか存在しない空間。
刹那前までの殺風景な砂漠を伸びる一本の街道、そこは肌が痛むほどに日差しが強く、縮小していた瞳孔は、明度に因るものだけではなく、驚嘆により散大する。
果然、落ちる。
一定以上の質量を有した物質がすべからくそうであるように、彼らは乗っていた車輛ごと、地表に向けて落下した。
最初の反応は写したように皆が同一、ぽかんと口を半開きにしていた。唐突に見知らぬ土地に現れるなどという不可思議極まる事態に見舞われ、誰しもが呆ける以外に出力すべき感情を持ち合わせてはいなかった。しかし、地表が急激に迫ってくるという残酷なほどにわかり易い危機を目の当たりにする段になって、ようやく反応に個性が顕れる。咽から絶叫を迸らせる者、只管に単音の疑問符を繰り返す者、引き攣った笑みを浮かべる者。もっとも、どのような反応を示したところで、重力からは逃れられない。
彼らはコンボイだった。八輛の大型トレーラーを六輛の簡易戦闘車輛が囲んで併走する、中規模な護送部隊である。帯びていた任務は、基地の移設に伴う陸路による物資の搬送。殺風景な砂漠の戦場は、世界各地の戦場の中でもとりわけ治安が悪く、そのため物資を運ぶにも護衛が必要であり、彼らが扱っていた物資とは、ことさら厳重な警戒を要求される類の代物だった。
その代物を満載したトレーラーが、それを護衛していたテクニカルが、無造作に、ばら撒かれるように落ちていく。踏みっ放しにしていたアクセルペダル。タイヤが空転し、一際大きなエンジン音が断末魔のように鳴っていた。いや、ようにではなく、それが実際に断末魔になる。地上十五メートルの高さから落下し、地表に叩きつけられた車輛はその半数が大破した。運よく破壊をまぬがれたもう半数にしたところで、鬱蒼と樹々の茂る整備も何もされていない森林の只中では、もう生涯走行は叶わないだろう。
車輛群の大破と同時、六名が死亡した。障害物との衝突で動作するエアバッグだが、底からの突き上げるような衝撃からは護ってはくれない。天井に頭部をぶつけ頚椎を折る者、自身の舌を噛み切って顎を砕いてしまう者、エアバッグ云々以前の問題、外へと投げ出され、生身で叩きつけられる者、死に様も様々だったが、手の施しようがない死傷であったという意味では共通している。
不運に見舞われず生き残った者達は、何もかもが不可解な混乱の極致にありながらも、当時の指揮官の冷静な判断により可能な限り物資を回収し、そこで各々が自問することになる。素直に墜落死した方が果たして幸運だったのではないか、自分達はもう死んでいて文字通り地獄に落とされたのではないか、と。気がつけば、凶暴かつ強力、尚且つ腹を空かせた怪物の群れに取り囲まれていたのだ。
経験したことのない、想定されたことさえない、異形の化け物との接近戦。多数の死者と負傷者、行方不明者を出しつつも、彼らは命辛々、怪物が跋扈する森を踏破し、最終的にヒルドンという町に身を寄せるに至る。
その当時、回収された物資の一つ、テクニカルから取り外され、こんなもの何に使うんだ、と散々悪態を吐きながら二人がかりで運搬され、魔物との戦闘でも、ヒルドン駐屯団との諍いでも一度も使われることのなかった、ブローニングM2重機関銃が、今現在、元の世界で使用されて以来、実に五年と六ヶ月ぶりに、実戦で火を噴いている。
彼らが護送していた物資とは、武器だった。彼らは放棄された基地から新設の基地へと、武器弾薬を運ぶための護送部隊だったのだ。
運悪く発砲地点の近くに家を構えていたヒルドン町民は、ただでさえ震えていた身をびくりと硬直させ、顔色を蒼白にさせることになる。この非常時に外を出歩く者、つまりは傭兵達が家の扉を乱暴にノックしているのではないかと勘違いしたのだ。それほどにその銃声は重く、鈍く、大きい。
闇夜で瞬く発射炎、弾帯に五発に一発の割合で編み込まれた曳光弾が光の鞭となり、なだらかな弧を描くように撓りながら約一キロ先、雑木林の斜面へと矢継ぎ早に突き刺さる。
最大射程が二キロをオーバーするその恐るべき銃弾は、当然のように一キロの射程では存分に破壊力を有しており、幾重もの枝を圧し折り、決して細くはない立木を薙ぎ倒し、腐葉土を噴き上げた。
『おぉっと。近いわね』
ケイルは数メートル先の弾着から、斜面を駆け上がることにより距離を取り、レイピアABR2の銃口を持ち上げる。
しかし、拡大された視野の先、発射炎の元、標的に重なりかけた十字線が自動照準補助システムの着弾地点割り出しに伴う微動を止めるその前に、家屋の屋上の縁でM2を発砲してきていた三人組みの傭兵は、M2ごと身を低くし、縁の内側へと引っ込んでしまう。
『ああ、もうっ。生産性のないモグラ叩きって感じ』
「……ああ、どうしたもんか」
ケイルは嘆息し、据銃を解いた。
南にヒルドンを遠望する平野。ケイルはその北側、雑木林の斜面の縁にいた。遮蔽が皆無で起伏も乏しい夜の平地は海か、あるいは河のようであり、その比喩表現に倣って形容するならば、ヒルドンを対岸にした手前側の岸に潜んでいる格好である。
『あんな大時代的な照準方法で、よくもまあここまで着弾を寄せられるもんね。感心するわ』
今は夜中である。傭兵達は暗視装置を装備していないようであり、M2にも暗視照準眼鏡の類は装着されていない。にも関わらず標的であるところのケイルに対して近接着弾を送り込める理由は、単純明快。夜中だというのに、ケイルの潜む斜面の付近だけ、煌々と明るいのだ。
頭上、放射状に白い光線を放ちながらゆっくりと落下してくる物体を樹冠の間隙越しに仰ぎ、ケイルはマスクの中で眩しげに目元を顰める。
照明弾。ヒルドンから迫撃砲により曲射された二、三発の照明弾が、斜面の広い範囲を白く染めていた。
そこに込められた意図は、単に標的を目視するという意味合いだけではない。先の追撃戦でケイルが暗視装置を備えていることを傭兵達は察したのだろう。そしてその読み通り、この状態では暗視装置は役に立たない。安全装置により目が潰れるような危険こそないが、さしもの第五世代とはいえ僅かな光を増幅させるという基本的なシステムは元来のものと相違なく、光源に溢れた場所では使えないのだ。つまり、敵が発砲しその発射炎を認めるまで、ケイルには標的が視認できない。この距離では熱源探知も音源強調表示も有効範囲外であり、そもそも音源強調表示にいたっては、仮に有効範囲内であったとしても、銃声よりも銃弾の方が遥かに速く到達してしまう長距離では何の役にも立たない。
ぽん、という小気味良い音が遠方、ヒルドン側から微かに聴こえ、ほどなくして光を降らす照明弾の数が一つ増える。傭兵達は常に光を絶やさぬよう照明弾を連べ撃ちにしており、たとえ降下中の照明弾の落下傘を打ち抜いて早急に落下させたとしても、次を撃たれるだけで意味がない。
「何発持ってるんだろうな。弾切れは期待できないか」
『こんな撃ち方してくるぐらいだから、夜通し撃ちっ放しにできるぐらい貯めこんでるんでしょ。ま、実砲弾が飛んでこないだけましなのかもしれないけれど』
シェパドから、傭兵の正体が武器弾薬の護送部隊であるという説明は受けており、彼らが死地から脱する際に持ち出した装備についても教えてもらっていた。その説明には、迫撃砲は持ち出したが肝心の砲弾が全て照明弾であったという些か間の抜けたエピソードも含まれた。
「もう一度試すぞ」
言って、ケイルは斜面を駆け下り、平地の彼方にヒルドンの町並みを視認した地点で停止、レイピアを構え暗黒の中から何とか敵影を探そうとする。だが、探し当てる前に、発射炎として標的が自ら位置を露見する。露見するのだが、発射炎、傭兵はすでにケイルの姿を認め、発砲を始めているのだ。
なぞるように迫る弾着。それでもケイルはそ照準線が微動を止め、着弾点の割り出しが完了するまで辛抱しようとするが――
『ダメよ! 被弾する』
びしん、と鋭い音をたててすぐ前の立木が真っ二つに裂けた時、たまらず身を翻して雑木林の茂みに退避した。直前まで自分が立っていた地点を蹂躙しているであろうけたたましい着弾音が背後から轟く。しかし、銃弾に置き去りにされたM2の重い銃声がケイルの元にまで届く頃には、銃撃もぴたりと止まっていた。
『きーッ。ダムダムシット』
歯噛みするようなアーシャの声。
アーシャの言うところの大時代的な照準方法。それは照明弾だけの話ではなく、射手と装填手と照準手、常に三人掛かりでのM2を運用しているという点も指している。如何に照明弾に照らされた地点を狙うにしても、有効射程内であるにしても、一キロ先の雑木林の中の標的を裸眼で目視するのは限りなく難しい。それを可能にしているのが、射手のすぐ背後で双眼鏡を用い索敵する照準手。彼が目となり、生きた照準眼鏡となり指示しているからこそ、射手は着弾地点を微調整、無倍率の金属照準器しか装備していないM2でここまで正確な照準が実現できるのだろう。
そして生産性のないモグラ叩きとは、傭兵達は決して必要以上に追い撃ちを仕掛けてこないという点の比喩である。家屋の屋上や窓などから、照準手は走査し、ケイルの姿を認めようものなら射手と装填手に声を掛け、共同し素早くM2を据えて、発砲してくるのだが、その射撃は精々数秒、最長でも五秒に満たない短連射である。おそらく事前に取り決めているのであろう間の連射を終えたら、きっちりと射撃を中断し、身を隠してしまうのだ。あとは場所を変え、その繰り返しである。
「千メートルは少しばかり遠過ぎるな……」
雑木林からヒルドンまで、平地は約一キロ続いている。自動照準補助システムによる精確な射距離測定にして、無論、位置関係によって多少は前後するが、約千二百メートル。レイピアABR2のフレシェットモードならば、射程内である。命中弾を送り込める距離ではあるのだが、そのためにはまず、狙わなければならない。
如何に速度が速くとも、所詮弾丸も重力の僕であり、銃口から飛び出した時点で落下運動は始まる。アンリアルなゲームのように十字線の中心を標的に重ねて引き金を切れば、それだけで中ってくれるものではないのだ。ヘカトンケイルの自動照準補助システムは様々な環境条件や相対距離から着弾点を演算し、照準線の位置に反映するという機能であり、その夢のように安易な照準方法を実現するためのものではあるのだが、それが完了するにはどうしても時間差が生じる。銃口を跳ね上げ、即座に照準調整が完了するわけではない。
加えて一キロ。千メートルという射距離は狙撃手にとってある種のボーダーラインである。相応しい狙撃銃を与えられたとしても、その距離で命中弾を送り込める狙撃手はとりわけ優秀として評価される。千メートルとは、それだけの距離だ。
詰まるところ、自動照準補助システムは千メートルという射距離において、数秒以内の速射に対応しておらず、照準調整が完了する前に標的である傭兵達は身を隠してしまう。そうでなかった場合でも、おそらくケイルが先に被弾してしまうことになる。
現状は、このような状況での用途に合致した精度の高い大口径マシンガンと、精密機器の塊である圧縮空気式ライフルの相違の結果と言える。銃器武装した者を相手取ることに長けた傭兵部隊と、対アバドン用のヘカトンケイルの成り立つ場所の違いが顕著に現れていると言い換えることもできるかもしれない。能力の多寡ではなく、優劣でもなく、ステージの違いだ。
「陽動作戦……。これでうまくいっていると思うか?」
『かなり贔屓目に見れば、ね。少なくともM2のグループと迫撃砲のグループ。最低でも五、六人の傭兵の注意を引き付けることには成功している、と言えなくもない』
自信なさげに如何にも曖昧な評価を述べるアーシャ。その声には嘆息が混じっていた。ケイルも同様の気分である。
「逆に言えば、最低限の人数でうまい具合に釘付けにされているってことだな……」
『然り……。執拗に狙ってこないところから、きっと連中は攻撃ではなく、あくまでも防衛というスタンスなんでしょうね。まったく殊勝だこと』
ケイルがシェパドに望まれたのは傭兵部隊の陽動であり、注意を一手に引き受けることだ。正面切っての戦闘である。故に迂回するだとか、奇を衒った他のプランは考えられない。防衛に対し、真っ向から攻撃しなくてはならない。一種の拮抗状態である現状では、敵にいいように抑え付けられているこの現状では、とても陽動が叶っているとは言い難いだろう。
『まさに自然の要塞。人間同士の戦争の時代、ライガナ王国の敵軍隊もこの場所で同じような気分を味わっていたのかもね』
「敵軍隊か……」
ケイルは意味深にアーシャの言葉のある部分を繰り返し、ふむ、と呻る。
平地の地形をよくよく思い返し、可能か否かを吟味し、決断する。思案は一瞬だった。ライアスの救出という主目標が設けられ、その副次目標として敵の陽動というシンプルな作戦まで与えられているヘカトンケイルにとって、人間らしい覚悟や逡巡は必要なかった。現状を打開する案を思い付き、それが難しそうに思えても、他に何も思い付かないのならば、躊躇なく試す。至極合理的な思考経路だ。
「アーシャ。M2の装填のタイミング、読めるか?」
『……ええ、確証は持てないけれども、移動しながら運用しているところから察するに持ち運べる重量、一定の長さの弾帯を携行しているのでしょうし、これまでの発砲のローテーションを鑑みれば、まぁ、大体の装填数は予想できるけれど』ケイルが何をしようとしているのか察したアーシャは姿を現し、不安そうな眼差しで窺うようにケイルを見遣った。『……大丈夫なの? そのプラン、途轍もなく頭の悪い選択に思えるんだけど』
かもな、とケイルは神妙に首肯する。
「だが、陽動という意味ではこの上ないだろ」
「くそ。でかい図体のくせにちょこまかと動きやがる。いい加減、こっちの方が疲れちまうよ」
射手はうんざりしたような面持ちでM2を肩に担ぎ上げる。
「受け入れ態勢が完了するまで近付けさせるなって言うけどよぉ、もっと引き付けてから急襲すれば俺達だけでもイチコロじゃねえのか?」
「アレと間近でやりあったフライの指示なんだぜ? 素直に従っとくのが無難だろ。それに、お前なんかまだいいだろうがよ」射手と共同でM2を運搬しながら、装填手は身体に巻いた弾帯をじゃらじゃらと空いた片手で振ってみせる。「俺なんて弾まで運んでるんだぜ。肩凝るっつーの。いい貧乏くじだ」
「我慢しろよ、アパム」
「誰がアパムだっ。弾運んでやらねえぞ。ドイツ兵に刺されて死ね、メリッシュ」
次の地点にまで移動しながら、二人は各々の大変さを不幸自慢のように吐き合うが、先んじて移動していた照準手の鋭い声がイヤホンから響く。
『おい、急げ! 早く来い! 奴が動き始めたぞ』
「はあ!? 動き始めたって……」
二人は顔を見合わせ、足を速めた。
北側の平地に面した家屋の住民は最初の発砲が始まった時点で自主的に家から逃げ出しており、近隣には傭兵以外人の姿はない。ある家屋、二階の窓辺にいた照準手の下にまで達すると、急かされながら二人は準備に取り掛かる。
「装填!」
射手の掛け声を合図に、運搬手が肩から襷掛けにしていた弾帯を降ろし、跳ね上げられたフィードカバー内の薬室に初弾を押し込むと、拳で叩くように閉じた。射手は機関部後端のボルトラッチリリースを下方向にロックし、右側面のハンドルを手前に引っ張る。一度でハーフロード、二度引けばフルロードとなり、それでマ・デュースことM2重機関銃の連続射撃準備は完了。
「持ち上げるぞ」
石造りの窓枠へ、座射や伏射用の背の低い三脚が取り付けられたM2をがつんと乱暴に据える。ややアンバランスで安定性に欠けるが、短連射であるならば、銃の重量そのものが抗反動材として機能するので問題ない。
「奴はどこだ――って」
と、これまでの手順に慣れてしまっていた射手は反射的に照準手に指示を仰ぐが、平地に視線を奔らせ、目を剥く。
照明弾の光を背に受けながら、一つの人影が平地を真っ直ぐに横断してきている。全身を覆うボディアーマー、如何にも鈍重で動き難そうな外見にあるまじき凄まじい速度で、異形の戦士はこちらに向かって突進してきていた。
安全な雑木林の遮蔽を捨て、裸眼ではっきりとその姿を捉えられる平地にまで、標的は迫っていたのだ。
「馬鹿か!? カミカゼかよっ。もっと照明弾を寄せるように言え!」
「いいからっ。お前は撃て、撃て、撃て!」
射手は木製の握把を両手で握り締め、親指で引き金ならぬ押し金を押し込む。途端、室内を仄かに照らしていた優しげな月光が消え失せ、橙色の閃光が毎分六百五十発の連射速度でストロボのように瞬き始めた。
『きたっ、銃撃!』
アーシャの声とほぼ同時、幾何学的に角ばった町のシルエットの一角で、燃えた火薬の残滓を火花のように散らしながら歪な円形の発射炎が花開く。
これまでの発砲のローテーションから、予想した通りのタイミングだった。ケイルは進路を斜め右方向へと変え、ダイブした。飛び込んだ先は僅かな隆起の裏だった。
目立った遮蔽が皆無であり、起伏の少ない平地ではあるが、それでも完全な意味での平地などこの世界の自然界ではありえない。重機を用いて均したわけではないのだ。尾根などとはとても呼べず、小山と呼ぶことさえ抵抗を覚えるような、極々僅かな大地の高低差。そういったものを起伏と見做すならば、確かに平地のそこここに散見される。起伏は少ないが、無いわけではない。
魔物出現以前、人間同士の諍いに明け暮れていた時代、優れた鉱脈を抱えるこのヒルドンという町を我が物にしようと目論んだ敵軍勢は、背後の険しい山脈と正面のだだっ広い平野、進撃に不向きなこの二つの自然環境に煮え湯を飲まされ、終には攻略は叶わなかったのだが、それは偏に軍勢であるが故だ。多数対多数でぶつかり合うという常識の下で執り行われる大時代的な戦では、人が一人隠れられるか否かという程度の隆起など遮蔽として見做されず、ただただ只管に突撃し、矢や投石の雨を浴び、徒に戦力を減衰させる結果となった。
アーシャの敵軍隊という言葉からそのことを連想したケイルは、この案を思い付き、採るに至ったのだ。装填のタイミングを読み、できる限り距離を詰めよう、と。自分一人分の身体なら、些細な隆起でも辛うじて射線から蔽ってくれるだろう、と。
それでもやはり、辛うじてだった。
申し訳程度の斜面、うつ伏せの姿勢でぴたりと貼り付けた全身が、反対側の斜面に突き刺さった銃弾の衝撃によってこそばゆいほどに振動し、打ち付ける水飛沫混じりの土砂は、さもすれば被弾したのではなかと錯覚してしまうほどに強烈であり、僅かに首を伸ばすだけで間違いなくフリッツヘルメットに直撃するであろう至近を、曳光弾の光の筋が流れていく。
重機関銃に対し、真正面から突進するなど、常識的に考えて採るべき作戦ではない。議論の余地もなく、無意識的に削除される案だろう。だが、ケイルの世界と傭兵達の世界は異なる。世界が異なれば、常識だって当然、異なる。いや、もし仮にケイルの世界の一般の兵士がこの状況下にあったとしても、彼らだってこんな案は決して採らなかったであろうから、正しくは、ケイルの常識が違うのだ。
ケイルは理論的な思案の結果、この案を是としたのだから。
ヘカトンケイルと人間は、やはり違うのだ。
『堪えてっ。もうすぐ弾切れのはずよ』
アーシャが言い終わるのと同時、隆起を突貫せん勢いだった銃撃が計ったようなタイミングで止まった。いや、実際にアーシャは何発発砲したのか計っているのだが、だからこそ、
『――早い。確証は持てないけれど、少し早過ぎる』
ケイルはその場で横転し、転がりながらレイピアを構え、隆起から小さく身体を晒し、発射炎が点っていた辺りを照準する。演算の必要がない、レーザー測定により一番最初に得られる数値、即ち標的との相対距離が表示されたタイミングで、再び横転し斜面に戻る。結果は千十四メートル。雑木林からここに至るまで、約二百メートル距離を稼げたことになる。
直後、不意に銃撃が再開され、刹那前まで横たえていた地点に銃弾が突き刺さり、土砂が噴き上がった。
誘い撃ち。やはり、まだ弾切れではなかったのだ。最初の交戦の際に自らの身を以ってして学習した銃撃方だった。同じ轍は二度も踏まない。アーシャの移動距離測定を用いれば身体を晒さずとも距離は測れるので、レーザー測定は行き掛けの駄賃、ついでだった。あえて射線に躍り出て銃撃を誘い、ある事象を誘発させようという狙いが、ケイルにはあった。
ふと、再び銃撃が止まる。
『今よ! レディゴゥ。ムーブムーブムーブ!』
その声を信頼し、命を預け、ケイルは弾かれたように身を起こし、隆起を一跨ぎにし、駆け始める。
狙い通りのある事象、今度こそ、本当の弾切れのはずだった。発砲地点を刻々と変える手法を採るM2の部隊は、その体質からあまり大量の弾薬を携行していないだろうと、アーシャは読んだ。何百発もの弾帯を持ち運ぶのは無理があり、一度に携行できるのは精々五十発区切りの弾帯を二本ほど。不足した場合は随所に設置した弾薬箱から随時補給しているのだろうと、これまでの発砲の間隔から、そう予想したのだ。
そしてアーシャの読みは、的中していたのだろう。今のところ、銃弾は飛んでこない。今の内に、更に距離を稼がなければならない。
ケイルは全身の人工筋肉を活用し、疾走する。不安定な大地を移動する際に自動的に足の裏から突出する無数のスパイクが、ぬかるんだ土を捉え、ぎゅうと親指の付け根で踏み締め、蹴り出す。真横に跳躍するようなイメージで、着地点では次の足が大地を捉えており、蹴り出す度に加速する。それに伴い照明弾に照らされた雨粒の筋が、わっと横殴りに迫ってくるように見えた。
最高速度は時速五十キロにも達する、カボル村で盗賊を急襲した時以来の、紛う方ないケイルの全力疾走だった。
『次がくるわよ! カバーに入って』
「いや、まだだ。もう少し」
事前に定めておいた隆起の横を素通りし、ケイルは次の遮蔽を目指す。マスクの中で忙しなく視線を動かし、ヒルドンを警戒しつつ、進行方向に点在する大地の高低差を見定める。
紅蓮の発射炎が光った。
十二・七ミリの銃弾が秒速八百メートルで飛来。自然界ではあるまじきエネルギーにより着弾箇所付近の土は微塵に粉砕され、膨れあがり、火山が噴火するかのように噴き上げられる。それが、前後左右、自身の紙一重で連続する。
初弾を被弾せずに済んだのは、人型でありながら人間を遥かに上回る速度で疾走するヘカトンケイルの脚力に射手の感覚が狂わされたのか、単に僥倖なのか。おそらく後者の割合の方が大きい。
「――ッ」
左方向の隆起へと、頭から飛び込んだ瞬間、脚部に凄まじい衝撃が奔った。鈍い金属音が強化外骨格を通し体中に伝播し、空中に居ながらにして、遠心力に下半身が振り回され、もっていかれそうになる。
滑り込むように隆起の斜面に伏せることで銃撃から逃れ、ケイルは身を捩り被弾箇所を確認する。右の大腿部、抉られたような深いへこみが生じていた。生身であれば、体感だけでは済まず、文字通りに右脚が胴体からもっていかれていただろう。M7H拳銃の差さるレッグホルスターから数センチも離れていない位置だった。
隆起の微かな稜線を削り、自身を射ぬかんとする銃撃の嵐に今も尚曝されながらも、ケイルは拳銃の破壊を免れたという幸運に奇妙な感慨を覚えた。その感情を汲み取ったのであろう、アーシャの呆れ声が聴こえる。
『なにほっとしてんのよ。まったく、信じられない。連中が使ってるのは五十口径のAP弾なのよ。あなたの装甲が耐えられるぎりぎりの貫通力。同じ箇所への被弾でなくても、ヘルメットやマスク、装甲板の間隙にもらったらそれでおしまい、生身の身体に取り返しの付かない負傷を受けることになる』
もうすぐ弾切れよ、と合間に戦況を告げつつ、アーシャは尚も言い募る。
『死んじゃったら、節約も温存も意味ないでしょうに……』
「いや」一拍の間を置いて、ケイルはぼそりと呟く。「別にほっとしてたわけじゃないさ」
脳にまでインプラントされたサイバネティック・モジュールによって形成される別の人格、脳内の相棒であるところのアーシャはケイルの表層心理とリンクしているが、複雑に過ぎる人情の機微まで読み取れるわけではない。そこまで達してしまえば、同一の心理を持った二つの意思でしかなくなり、独りではなく二人なのだという、言うなれば別人感が薄れてしまうので、孤独感を埋めるためにわざわざ別人格を形成する意図が消失する。わかり易くいうならば、物を言わずとも互いの気持ちを芯まで理解し合えるわけではない。会話で意思疎通を図る必要性がなくなってしまうからであり、言葉を交わすという一見造作もない所作が、過酷な環境下では何よりの精神の救いになるからだ。
もっとも、今は悠長に心理の問答を行っている状況ではない。
「距離は?」
『今ので三百八メートル移動したから、彼我の距離、残り約七百』
「七百か……。次できめるぞ」
ケイルは深く息を吐き、両手両足を投げ出したうつ伏せの姿勢、所謂第五匍匐の体勢で、そっと両目を瞑った。大地の一部と化し、沈んでいくような静止、死を思わせる停止。腹の底を殴打する着弾音に苛まれ、身体を埋めんばかりに着弾の土砂が降り頻る最中、可能性が低いとはいえ、次の瞬間には隆起を貫通した大口径の銃弾がヘルメットやマスクに飛び込んでくるとも知れないのに、ケイルはただただ、M2の弾切れをじっと待った。常人であれば、理屈抜きにして脅威に感じてしまう銃撃を、ただの物理的な攻撃の一種と見做し精確に分析する。
多分に抑制されてはいるが、ヘカトンケイルにも恐怖心がないわけではない。だが本来であれば抗いようのない本能的なそれすらも合理的な思考の取捨選択の対象だった。退くことも適わない今はもう、恐がるべき段はとうに過ぎている。生き残るためには状況を打開するしかなく、そのためには恐がっている場合ではない。
長い谺を伴い、銃撃が止んだ。
生き返ったように双眸を見開き、人工筋肉を躍動させる。身体が起き切る前にはすでに、独自の生き物であるかのように脚部は二歩目を踏み切っていた。
左膝窩、膝の裏の奥深くに鈍痛を覚えた。血中の成分から無理な運動を検知したナノマシンが、あえて鎮痛成分を抑制し、傷が深くなる危険を報せているのだ。無論、傷を慮り速度を緩めれば、負傷どころの話ではなくなるので、ケイルは痛みを無視して駆け続けた。
オートメーション化された無数のシステムが同時並行して奔るサイバネティック・モジュールは、幾重にも重なり合うことによりどうしても煩雑になり、全く別個の役割を担うシステムは各々様に作用し、そこに完璧な同調は望めない。死の危険という状況を鑑みて精神から恐怖心を抑制する一方で、ナノマシンは身体の負傷を気遣い、痛みを訴え始める。
自身の、ヘカトンケイルという兵器の不完全さを痛感するケイル。同時に、銃器で武装した集団とは戦うように作られていない、否、戦えないように作られているであろう歪さを、感じ入らずにはいられない。
「百の手の巨人とはよく言ったもんだ。有用ではあるが、歪で不恰好……」
目を皿のようにし、徐々に近付きつつあるヒルドンの町並みを走視しながらも、どこか自虐的に独白した。
「彼も、“H03”も、こんな気分だったのかもな……」
『あなたッ――』その思いがけない単語を、識別符丁を受け、息を呑むようなアーシャの声。どこか観念したように続ける。『あの事件のこと、知っていたのね……』
「薄っすらとな。今のお前の反応で確信を得たよ。お前、やはり知ってて隠してたんだな」
『………』
その沈黙が何よりの肯定だったが、これも今掘り下げるべき話題ではない。
ケイルは思考と声音を切り替え、問う。
「距離」
『四百八十四、四百六十二……』
四百五十メートルに達した瞬間、銃火が闇の一角で爆ぜる。
発射炎に照らされた周囲の四角い石造りの窓枠と、射手と照準手の姿が、無倍率の肉眼でも辛うじて視認できる距離だった。
ケイルは両脚を投げ出し、慣性に引き摺られるよう臀部で若草の茂る大地を滑りながら、レイピアを持ち上げ、照準の光点を発射炎のやや上に置くと引き金を絞った。
通常弾モードでの引き金を引きっ放しにしたフルオート射撃。狙撃が望めないのなら、速射の弾幕でラッキーパンチを狙うしかない。四百五十という距離は、ボールの有効射程ぎりぎりだった。
ぶぶぶぶぶぶぶ、と巨大な羽虫の飛翔を思わせる奇妙な銃声が大気を振るわせ、減音器と一体型の太い銃身に付着していた水滴が一瞬で蒸発、新たな雨粒が落ちる度にじぶ、じぶと濃密な湯気が上る。
銃声とは弾丸が音速を突破した時の衝撃波であり、火薬を使わなくても銃声は生じる。レイピアABR2の減音器は、その衝撃波のほとんどを熱に変換し、し切れなかった残りも独特な形状の銃口が音質を変え、人間やアバドンの可聴域から外してしまう。熱は銃身から放出されるが、一部は通熱板を通し機関部へと送られ、空気を圧縮させる際に生じる冷気の中和に利用される。
揺れ動く赤い光点の直下で明滅を繰り返す発射炎。M2はレイピアの銃声とは対に位置するように、これだけの距離を空けながらもけたたましかった。至近の着弾音とは別種の重い音響がびりびりと空間を揺さ振っている。
――被弾する。
如何にヘカトンケイルの動体視力でも飛翔する弾丸まで視えるわけはないが、ケイルは銃弾の応酬の最中、確かにそう感じた。
延びてくる曳光弾がヘルメットの側面を掠め、直後、ばきん、と、左の鎖骨付近に猛烈な外力が奔った。慣性のスライディングは突き貫けるような被弾の運動エネルギーに相殺されて停まり、装甲のアブソーバーでは吸収し切れなかった衝撃が強化外骨格とインターフェースアーマーを吶喊、肺から強制的に呼気が吐き出され、刹那、呼吸が止まる。
『射ち続けて!』
後ろ向きに卒倒しながら、マスクの中で歯を食い縛り、声にならない怒声を漏らながらも、銃口を僅かに振り、着弾地点に微調整を加えつつ、ケイルは弾が切れるまで引き金から指を離さなかった。
さながらチョークを絞られた散弾のような散開径をもって次々に吐き出されるボール。弾速も、重量も、弾道も、鉄屑から生成された銃弾とほとんど変わらない。形状にも色合いにも大した違いは見受けられない。巨大な十二・七ミリの弾頭の間を縫うように飛翔するそれは、較べれば数でこそ勝っているが、如何にも小粒であり、一見弱々しくさえ感じる。だが、それでもやはり対アバドン用の専用弾。違うのは、材質だ。
専用の弾倉には硬軟、多種の鋼材が含有され、不純物など無論ない。単材の金属ではなく、様々な材質を用いることにより生成が可能になる銃弾とは、一種の軟弾頭である。
標的に衝突した瞬間、まず、弾頭の先端部の最も軟らかい材質部が粉々に散る。それはさながら炸裂弾頭のように、着弾箇所至近の皮膚や肉を放射状に引き裂き、突入を容易にするための入り口を形成する。そこから体内に穿孔した弾頭はぐにゃりと平たく潰れ、組織をチューブ状に抉りながら、油圧効果によって飛散する標的の体液をも凶器と化え、広範囲に損傷を浸透させる。最後に、入り口は作られるが出口が設けられることはなく、アンバランスに変形した弾頭は体内を偏走し、無秩序に転げ回る。その進路が徹底的に破壊されるのは勿論、砕かれた骨が第二の飛翔体となり、あらぬ箇所にまで広く深く突き刺さることになる。
丈夫な表皮と硬質な筋骨に護られたアバドンを殺すための弾丸。人間に用いることは想定されておらず、もしそれの連射を浴びたら果たして人間がどうなるか、どんなかたちになってしまうのか。二人の傭兵が人柱となってそれを証明した。
「は――。おい、おいおい……」
頭から水を被ったように全身を他人の血液で真っ赤に染めた装填手は、見開いたぎょろ目で数秒前まで人間であったはずの物体を呆然と見下ろしていた。
ふと、自身の腹部に張り付いた何かに気付く。蝸牛のような形の何か。じっと観察して、それがどうやら内耳の奥にある渦巻き官であることを察した瞬間、悲鳴を上げて振り払い、込み上げてきた黄水が咽を焼き、止め処なく滴り落ちる。
流れた吐瀉物が、二人分の死体に混じり合う。固体であるはずの死体に、液状であるはずの吐瀉物が混じるとは、常識的に考えて有り得ないはずだが、実際に両者は異様な色合いに混じり合っていた。窓から差し込む照明弾の白い光が、射手と照準手、どちらかの何かを浮かび上がらせる。両腕が頭部が、上半身から突出した部位がほとんど洩れなく弾け散り、液状化し、一緒くたになり、どれが誰でどこが何なのか、まるで見分けが付かない有様になっていた。しゅー、と噴出する血液が霧になり、部屋に充満していく。その血肉の塊は、人体の七割が水分で構成されているということを、まざまざと物語っていた。
じゃり、と。
「ひ」
背後の物音に振り向こうとするが、その姿を認める前に首を片手で握り締められる。硬質な冷たい肌触り。圧迫された気管から、ぐえっ、と潰された蛙のような奇声が漏れる。両手で手を剥がそうと抗うが、びくともしない。
「ライアスはどこだ?」
この世界に来てから初めて耳にした、仲間達が発する以外の同郷の言葉だった。
「お前、お前はッ、何なん――いがああぁぁアァぁ」
誰何を終える前に、ぐいと身体を突き出され、後ろから延びてきた右手が無造作に片手を掴み、そのまま後ろに引っ張られる。
「やめ、やめてって。やめえぇえああぁぁあああ」
捻られ、捩じられ、そして終には、ぶちん、と何かが千切れた。
頭部を固定されている上に肩が抜けてしまい、持ち上げて自身の右手に何が起きたのか確かめることもできなかったが、わざわざ丁寧に、後ろの者は目前に翳して見せてくれた。第二関節からもぎ取られた人差し指と中指を。
「ライアスはどこだ?」
全く変調の見られない、著しく人間味に欠けた声音で再び問われ、装填手は嗚咽を漏らしながら息も絶え絶えに白状する。
「やかた、館だよぉ。おっ、大通りを真っ直ぐに進めば正面に見えてくる」
「無事なのか?」
「ああっ。……あ、いや、その、拷問したから……怪我してるだろうけど、でも、でもっ、命は無事なはずだっ」
返事はなかったが、手の平を開き二本の指を落とした右手が、顔を覆うように迫る。
「ひい。な、なんで!? 嘘じゃないって! 悪かったから、た、助けてくれよ」
手がぴたりと止まった。
「なぜだ? お前は俺の敵だろう」
敵を助ける必要があるか、と。
洞の中から囁かれているようなくぐもった声を聴き、装填手は避けようのない己の死を悟った。胃液と唾液に濡れた唇に引き攣ったような笑みを浮かべ、灰色の装甲板に包まれた大きな手の平を迫るのを、呆然と見入っていた。
側頭部を掴まれ、みちみちみちみち、と万力のような加減のない力が加えられる。
「わきゃ。痛い痛い痛い痛いー。わきゃきゃきゃきゃはああはきゃああ――」
頭蓋が割れ、眼球が零れ落ち、間脳と弓脳、大脳の一部を失うまで、発狂した猿のような甲高い断末魔は止まらなかった。
ケイルは死体から手を離す。右手からは赤い粘液が滴り、糸を引いていた。払いながら窓際のM2に目を留める。狙ったわけではないが、意外にもその重機関銃は無傷のままだった。飛び散った二人分の血煙によりおぞましいカラーリングが施されてはいるが。
拳銃の破壊を免れた時に覚えた奇妙な感慨。シェパドから、傭兵の武器の破壊も頼まれていた。諸悪の根源であり、全ての原因となった銃器を、余力があれば破壊して欲しいという願い。主目標であるはずの陽動作戦云々よりも、むしろそちらの方が重大であるというような声音で発されたその懇願には、ケイルも違和感を覚えた。シェパドが何に必死になっているのか、量りかねた。
詳しい話を聞こうと訊ねたが、シェパドは品定めするようにケイルを見遣った後、寂しげに苦笑し、力なく頭を振っただけだった。治癒魔術での治療を断った時のサイが見せた雰囲気とどことなく似ていた。何かを諦めたような、見限られたような表情だった。
シェパドの想いは、銃器武装した違う世界の人間なら、推して知るべきことなのか、わざわざ訊かなくても悟らなければならないようなことなのか。
「………」
ケイルはマスクの中で微かに眉間に皺を刻み、床に散らばる傭兵達の残骸を足蹴にしながら窓辺に歩み寄る。M2を片手で持ち上げた。約四十キロの重量は、決して軽くはないレイピアと較べてもずしりとしたものを感じたが、人工筋肉の作用により苦になるほどではなかった。
「使えそうだな」
『そのようね。でも壊さなくていいの? シェパドの願い云々を抜きにしても、私達にとってもそれの存在は決して気持ちのいいものじゃないはずよ。……彼の、H03の事件について察しているのなら、わかっているんでしょう?』
私達、ヘカトンケイルの制限についても察しているのでしょう? と。
血の海に佇み、伏し目がちに囁くアーシャ。
ケイルはその様子をじっと見つめながらも、左手で銃身を掴み、右手で側面のハンドルを引いた。
敵の有する火器を重大な問題としている点は、ケイルもシェパドと同様である。ただしそれは広義的な意味であり、意図と本質はまったく赴きを異にする。シェパドが銃という存在そのものを問題にしているのに対し、ケイルは銃という武器を一定数以上の集団である敵が有しているという、酷く限定されたその点のみが問題なのだ。
「最終的には壊すさ。ただ、レイピアは静か過ぎる。陽動向きじゃない」
左手でM2の三脚の一本を掴むと、銃口を正面に腰だめに構え、部屋を後にする。赤黒い不気味な足跡が判を圧すように床に残った。
「見つけた敵を撃破しながら、館を目指す」
百の手の巨人が再び町に這入った。今度は滅するべき敵を定めて。
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