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異形の魔道士  作者: IOTA
28/60

25 弾倉




 無造作に投げ出されたAK47突撃銃。

 防錆のために表面に薄く油が塗布された無骨な黒色の機関部側面では、落ちた雨粒が弾け、玉状の水滴となって無数に踊っていた。

 腰を屈めてひょいと拾い上げ、銃把を握り締め、前部銃床に手を滑らせる。

 床尾と同様、木製の箇所であるそれらは、使い古される間に手の皮脂が染み込んだのであろう、黒ずみ、僅かに漆のような光沢を放っていた。

 約半年ぶりに握るその固い果実のような手触りに、シェパドは迷惑そうに顔を顰め、嘆息を吐いた。

 半年ぶりであるはずなのに、懐かしさは微塵も感じない。慣れ親しんだ躯の一部であると主張するかのように、体外に存在する器官であると言い張るように、恐ろしく自然に両の手が、身体が、AK47という銃を受け入れてしまう。

 右手でバナナ型の弾倉の根元を掴み、親指でマガジンキャッチのレバーを倒すと、引き抜くのではなく、前方へ傾斜させる要領で折るように取り外した。弾倉を握ったままの右手、薬指と小指だけで引っ掛けるようにしてAK47機関部右側面の槓杆こうかんを引く。軽快な金属音を伴って、薬室に収まっていた七・六二ミリ×三九ミリのずんぐりとした印象のあるM43弾が一発、弾き出される。ぽとりと地に落ち、枯葉の裏に入り込み、すぐに見えなくなった。

 そこで銃本体はひとまず負い紐で肩に吊り、弾倉からM43弾を一発いっぱつ、抜き取っていく。四発ほどで手中に収まり切らなくなったら、草薮の闇の中に遠投し、再び抜き取る。徐々に弾倉は軽くなり、その作業を七回目にして出てきた弾丸は三発、せり上がった斜めの突起が弾倉の給排弾口から覗いている。空になったのだ。

 四発を六回、プラス三発、プラス薬室の一発。即ち二十八発装填されていたということになる。最大では三十発まで込められる弾倉ではあるが、二発を使用したからという理由でその数だったわけではない。二十八という装填数こそが、基本に忠実な兵士にとっての最大装填数なのである。

 箱形弾倉は弾丸を込めれば込めるほど弾倉内のバネの反発がきつくなり、薬室部を圧迫し、射撃時に装填不良が起きる可能性が増す。ただ、増すとはいっても、それの所為だけによる装填不良は天文学的な確率に近く、言ってしまえば迷信に等しい。現にメーカーも最大装填での動作を保証している。

 だが人は、特に兵士は迷信や験担げんかつぎ大事にする。たとえ天文学的な数値であろうとも、危険の芽を摘んでおくに越したことはないからだ。最大装填数が多く、それに伴いバネの反発も強烈になる自動小銃などを用いる際は、最大装填数マイナス二発という合言葉が、銃に命を預ける者達の間では常識だった。

 迷信、験担ぎ――。約五年前に遭遇した非現実的な出来事。今も尚醒め切らないその超常の中で、そんな微細で曖昧でミステリアスなものに拘り続ける、縋り続ける自分達という存在が可笑しくて、出来の悪い皮肉に感じて、シェパドは失笑した。

 下生えに空の弾倉を放り棄て、足元の三つの死体に視線を転じる。

 頼りない、自身の手元でさえ心許ない申し訳程度の月明かりの中、更にその三つは頚部から頭部にかけて無傷な面積の方が少ないほどに、目蓋を閉じてやることもできないほどに破壊し尽されていたが、それでもシェパドは彼らが何者であるか、彼らがなんと呼ばれていたのか、はっきりとわかった。

 痩せっぽちにのっぽに小僧。嘗て、シェパドがその蔑称で呼ぶと、彼らは決まって苛立たしげな声色で、それでいて照れたような微笑を浮かべて、うるせえじじい、と買い言葉を返してきた。

「リーランド、セロン、ポール……」

 蔑称ではなく、彼らの名前とされていたものを呟いてみるが、その無意味さに冷笑してしまう。

 ダンシング・サイクロプス。怒れる単眼の巨人。それが彼らが席を置いていた民間軍事会社の名称だった。灼熱の砂漠や険しい岩山、鬱蒼とした密林の土地で、かの大国が関与することにより収集がつかなくなった戦争の中を這い回り、蠢き、貪って利潤を上げる、民間の軍事請負企業。会社や企業と呼べば聞こえはいいが、そこに属する戦闘要員オペレーターないし請負人コントラクターは元軍人の肩書きを有する者が大半を占め、金に困った者、脛に疵を持つ者がほとんどだった。

 たった一言のにべもない言葉で片付けてしまえば、成らず者である。その侮蔑で呼ばれたとしても本心から否定できる者は、少なくともダンシング・サイクロプスの中には、誰もいないだろう。

 リーランド、セロン、ポール。彼らが名乗ったその人名にしたところで、それが果たして本名なのかどうか、疑わしい。

「………」

 シェパド……。偽名だとしても下手くそに過ぎる、偽名を騙っているということそれ自体を誤魔化すような浅ましい名前。それを悪びれもせず名乗っている自分は、先の家での呼び掛けで言われた通り、彼ら以上のクソなのだろう。

 シェパドは急速に紙煙草の紫煙を恋しく感じたが、雨の中では火を点すことは叶わないだろうし、闇の中で火口を煌々と輝かせるわけにもいかず、黙って腰を曲げ、セロンと名乗っていた小柄の男が胸に抱えたままのAKに手を伸ばした。

 ここは家の東側、雑木林の入り口付近。先までアカリが隠れていて、ケイルが撃ち斃した三人の傭兵の骸が転がる地点だった。

 シェパドの傍らにはアカリ、その背後にはサイ、リルド、ゼロットの姿がある。家をトンネルから出た直後、シェパドはサイ達に向け進言した。町とは反対側の北の林の中で隠れていろ、もし傭兵達が現れたら、全てを諦めてどこへでも行け、と。進言というよりも、かなり辛辣で突き放すような命令口調だったが、それでもサイ達は頑として聞き入れなかった。

 サイは誰かが負傷した時に治癒できるのは自分だけだと、ライアスを助けても酷い怪我をしていたら治せるのは自分しかいないと引かず、リルドは王国軍人として町の問題を捨て置けないと主張し、ゼロットは無言ではあったが、言わずもがなである。

 居ても立っても居られないという様子で、背後を、つい先までけたたましい破裂音が連続していた南西の方角を落ち着きなく振り返っていたサイが、痺れを切らして口を開く。

「なあ、ケイルを助けに行くんじゃないの?」

 一際凄まじい数度の爆音を最後に、今は軽い雨音だけが静かに鳴っている。

 死体の脇で屈み込んでいたシェパドは、無表情でサイ達に一瞥をくれるが、すぐに視線を死体のタクティカルベストに戻し、手を動かす。

「俺もそのつもりだったが、音が止んだだろ?」

「え? ……ああ」

「つまり戦いは終わった。あんちゃんが勝ったか、あるいはその逆か……」

 最初は怪訝げに眉を寄せていたサイだが、その顔が見るみる焦燥のそれに取って代わる。踵を返し、駆け出そうとするが、シェパドの鋭い制止に止められた。

「待てッ。今更急いでもどうにもならん」

「なに言ってんだよっ! もし怪我してるなら助けられるかも――」

「言ったろ。もう終わったんだ。あんちゃんが勝ったなら、傭兵は全滅か撤退したってことだ。急ぐ必要はない。その逆なら、あんちゃんはもう死んでる。こっちじゃあどうだか知らないが、負けたのに負傷するだけで生きてるなんて、基本有り得ないんだよ、俺達の世界の戦闘ではな」

 敗北ないし、たった一度の失敗が死に直結する。残酷な、けれども明確であり的確な断定に一同は瞬きも忘れ、固まった。エバとククルの顔が脳裏を過ぎる。アカリが斜めに視線を落とし、ペッパーボックスマスケットを一際強く握り締めた。

「その場合もやっぱり、急ぐ必要はない。ま、あんまりのんびりしてもいられないが。あんたが一人で駆け付けたところで返り討ちだ。倒れてるあのあんちゃんを見つけて、名を叫んだ瞬間、その口の中に毎秒七百メートルの速度で八グラムの鉄の礫が飛び込んでくること請け合いだよ。それも二発、な」

「な、なんだよ、それ……」

 つらつらと淡々と平坦な口調で言いながらも、神経を疑うような眼差しを向けられながらも、シェパドは手を止めない。ベストのポーチから抜き取った弾倉を自身のレインコートのポケットに突っ込む。家を出る際、地下室にあったものを羽織っていたのだ。アカリのものと同様、ククルの手製であるが、裾が太股まで届くほどにサイズが大きい。それでもAKの歪曲したバナナ型弾倉は四分の一も飛び出してしまっている。

 立ち上がると、銃を手にしたままである最後の死体に歩み寄り、硬直し始めた冷たい指を剥がして、AKを拾い上げる。例の如く弾倉を抜くが、しかしそれは弾を抜かずに、ふむ、と呻りながら照準器や機関部を手早く観察し、薬室に初弾が装填されていることを確かめてから再び弾倉を填め込むと、槓杆のすぐ後部にある安全レバーを上方へ持ち上げた。カチン、カチンと二度の軽い音が鳴り上端部で止まる。それにより安全装置がかかり、引き金を引くこともできず、撃針が奔り出すこともない。

 屈んだまま負い紐で振り回すようにして左肩に背負う。がちゃりと金属同士の鈍い衝突音。すでにそこにはレインコート同様、家の地下室から持ち出してきた彼の手製のライフルが吊られていた。アカリのものとは形状が異なり、やや小ぶりではあるが、それでも双肩に二挺ずつの小銃はかなりの重量であるはずなのに、大して苦にした様子もなく、死体のベストから弾倉や手榴弾を拝借する作業を迅速にこなす。

「………」

 シェパドの放つ雰囲気が徐々に変質していくのを、一同は肌で感じていた。ケイルの放つそれを目指すべき終点とし、秒毎に近付いていっているような、超えてはならない分水嶺が目の前で構築されていっているような、そんな雰囲気だ。近寄り難く、気安く声も掛けられない。

 死体の頚部から奇妙な形の首輪のようなものを掴み取り、それも無造作にポケットに突っ込むと立ち上がる。そして取り上げた三挺のAKの内、右肩に吊っていた二挺の開口部に、懐から取り出した魔蓄鉱の欠片を落とし込むのを、黙って凝視する他になかった。何をしようとしているのか、サイ達には皆目見当もつかないが、その所作は戦いの準備というよりも、どこか儀式的なものに見えた。

「あ、あにき……! 何をするんだよ」

 ただ、今のシェパドの雰囲気は訓練の時のものと同一であり、常日頃から慣れていたアカリは、銃という武器に多少なりとも通じているアカリだけは、シェパドが何をしようとしているのか察した。

「壊しちゃうの……?」

 その一言で、サイ達も悟る。シェパドは武器を壊そうとしている。自分が使うものだけを残して、以外の二つを破壊してしまおうとしている。

 AK47の弾倉が挿し込まれていた開口部に落とし込まれた魔蓄鉱。付与されているのは無煙火薬の炸裂だ。言うにおよばず、AK47は先込め式のライフルではない。弾丸、火薬、薬莢、雷管を一纏めにした四身一体の自己完結型の弾薬を用いる、元込め式の最先端に君臨する自動式突撃銃である。その精巧な機関部に裸の火薬を詰め込み炸裂させれば、どうなるかは想像に難くない。

「俺達の世界じゃあ、山や海に持ち込んだゴミは自分達で処理しなくちゃいけないルールがあってね。景観を害わないための、一般常識さ」二挺のAKを足元に重ねて、距離を取りながらシェパドは語る。「やらなくちゃいけないことだ。ずっと、やろうと決めていたことなんだよ」

「で、でも、きっとあたし使えるよっ。使い方させ教えてくれれば――」

 言いながら、屈んでAKに手を伸ばすアカリだが、シェパドの鋭い声が響く。

「それに触れるな!」

 張り詰めた静謐が場に満ちる。

 顔を歪め、屈んだ姿勢のままで硬直してしまったアカリに向け、シェパドは強張るように目を瞑りながら首を振った。

「わかってるさ。お前ならすぐに使えるようになる。戦力的にもAKで武装した方が有利なのはわかってる。だが、お前は、いや、あんたらも含めて、こっちの世界の人間は、絶対にそれに触れちゃあいけない。何があっても使わないでくれ。頼む。俺が作った不細工なそいつで我慢してくれ」

 アカリの持つペッパーボックスマスケットを眼差しで示す。加重のバランスが考慮されていない六連の銃身が重そうに下に垂れ、先端部からは雨の雫が水滴となって滴っていた。

「俺が思うに、それが全ての原因なんだ。AK47こそが諸悪の根源なんだ。だから、破壊しなくちゃならない。これは俺の業なんだよ。わかってくれ」

 何を言っているのかわからなかったが、それでも言葉に込められた切実な、痛切とさえ言えるほどの願いだけは感じ取ったのだろう、アカリは伸ばしていた手をそっと引き、彼が作ったマスケットの前部銃床に戻した。

 シェパドは皆に離れているよう言い、そのまま南西に、ケイルが居るであろう方向に向かいながら、一度だけ振り返り、強く念じた。

 爆ぜろ。

 何度も繰り返し、念じ続けた。

 爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろ爆ぜろ――。

 刹那の鈍い閃光と軽快な炸裂音が連続し、暗渠を劈く。

 やらなければならないこと。わかるか、フライ。

 シェパドは深い闇の先を見据えながら、嘗ては相棒であり同僚だった男に、胸の内で語り掛けていた。




 銃声。だがAKとは違うな――。

 浅く速く吐かれる呼吸。揺れて擦れる装具の物音。平地を疾走しながら、火傷の男、フライはちらりと背後を振り向いた。

 薄暗い闇の向こう側、更に色濃く影を落とす雑木林の斜面が遠退きつつある。

 周りを囲む三名の部下達が視線を寄越す。一人が首に巻いたスロートマイク、短距離無線機の音声送信装置に手を近付け、小首を傾げる。

「構うな。奴らは死んだ。……おっさんが火遊びでもしたんだろ」

 宣戦布告のつもりなのかもな、という言葉は呑み込み、走り続ける。

 東側の強襲部隊は全滅した。それは疑いようがなく、全滅した彼らが発砲したとは考え難い。

 目標の家屋に接近中、伏兵の襲撃により二名が死亡したという報告が入り、家屋を囲う林の縁に到着後、発砲してきた家の住人に対しRPGを発射してからほとんど間を置かずに、残りの三名も音信を絶った。

 フライはそれを受け、部隊を境界線付近からやや奥へ、より濃い草叢ブッシュへと下がらせ、様子を窺っている時、突然一人の頭の鉢が吹き飛んだ。がらんどうになった頭蓋を見て、一瞬思考が凍り付いたが、即座に撤退の指示を飛ばした。

 赤い双眸。恐ろしく静かで強力なライフルを携え、凄まじく頑丈なボディアーマーを纏った異形の戦士の姿を思い出す。寒気を覚え、フライは首筋を手で拭う。雨と汗でぬめっていた。

 追撃戦となってから一名が失われたが、思いの外呆気なく、異形の戦士を翻弄することができた。戦い慣れていないというべきか、ぼんやりしているというべきか、銃火の応酬を通してのみ感じることのできる感覚が、奇妙な違和感を訴えていた。RPGにより吹き飛び、手榴弾によって蹂躙された異形の戦士。生死を確認しに戻ろうとする部下を制し、初心一徹、撤退に努めた。

 あれはおそらく生きている。RPGを発射したフライ本人には、手応えとして確信があった。射手だからこそはっきりと視認できる標的の最後、少なくとも下生えに向かって墜落するその瞬間、あれは五体満足だった。対人破片榴弾の至近破片を浴びても四肢の一本も千切れない標的が、二発の手榴弾で死傷するとは思えない。そしてあれは得体が知れな過ぎる。東の部隊の全滅という、予想外の事態が生じてしまった現段階では、深く関わるのは得策ではない。一時撤退し、状況を整えるべきだと、フライはそう判断した。

 ライアスと名乗った王国軍人の白状には、異形の戦士の戦闘能力に関する具体的な明言は含まれていなかった。当然、口を割ろうとはしたが、目の焦点を合わせることさえおぼつかない、十秒に一回は意識を失うような態の男には何を問うても無駄だった。得た情報は、ただめっぽう強いということだけ。

「ニューカの森を思い出しますね、フライ」

 背後の部下の声。不敵ではあるが、どこか虚勢染みた弱々しい声色だった。フライは曖昧に頷く。

 約五年前、当時は知る由もなかったが、ニューカという古都を囲う呪われた森、そこに現れた三十六名のオペレーター。まず、現れてからほんの五秒で、諸事情により、六人が死んだ。諸事情――あれは事故といっていいものなのか。未だにフライにはわからないが。ほどなくして、見たこともない怪物に囲まれ、戦闘により六名が死亡、混乱により三名が行方不明になった。脱出できたのは幸運以外の何物でもない。

 二十一名になった部隊、ヒルドンの町を魔物から助けた時も、現地人との諍いがあった時も、一人も欠けることはなかったはずなのに、半年前に一名が除隊し、そして今日、たった数十分の内に七名が死亡した。いや、拷問官である小太りの男も足せば八名だ。フライを含め残りは十二名。ニューカの森以上の由々しき事態だった。

 ふと、フライは声を掛けてきた部下をまじまじと見遣り、眉を持ち上げた。火傷痕のない、右の片眉を。

「おい、つーか今、フライって呼んだ?」

 フライがそう呼ばれることを好まないのを思い出した部下は、はっと息を呑み、「すいません中尉」と頭を下げた。

 火傷顔フライフェイス、故にフライ。何の捻りもない、安直なあだ名だった。

 モラルのある社会ならば気を遣って、腫れ物のように扱われる身体的特徴だが、軍隊ないし傭兵といった荒々しい世界で生きる者達には、果然、そんな繊細な気遣いなど皆無に等しい。むしろこぞって人とは違う点、劣った点を無理からでも見つけ出し、いっそ清々しいほどに声高に嘲笑し、いつしかあだ名となる。

 フライとてそういった世界の住人であり、現に以前はその名で呼ばれてもなんの抵抗も感じなかった。本名よりもしっくりくるほどに呼ばれ慣れていた。ただ、最初にフライという名で呼び始めた男、半年前に彼が隊を離れてからというもの、途端、癪に障るようになった。彼が付けた名を、彼が離れてからも部隊の面々に気安く呼び掛けられるのに、なぜか無性な苛立ちを覚えた。

 もっとも、代わりに呼ばれるようになった中尉という、取って付けたような素っ気のない肩書きにしたところで、胸にすとんと落ちるほど自然なものとはいい難い。以前、まだ軍属だった頃の階級であり、本当なら頭に元が付く。元中尉だ。

 元軍人が大半を占める傭兵部隊では軍属の頃の階級がそのまま戦闘要員の序列として宛がわれる場合が多かった。そして将校階級に登り詰めてまで傭兵へと鞍替えする者は稀有であり、本人が望む望まないに関わらず、社内では殊更その階級と手腕を重宝される傾向にある。ダンシング・サイクロプスもその例に漏れない。

 今はフライが傭兵達の中では最上級の肩書きを持つ、部隊長にして指揮官だった。

 ヒルドンの町に到着した。歩速を落とすが決して立ち止まらずに、大通りを進み続ける。不測の事態に備え臨戦態勢で待機させておいた部下達が、路地裏の闇の中から続々と姿を現し、合流する。

 十一名の二チームで出発し、片方のチームの四名しか戻らなかったことから、作戦通りに事が進まなかったのは一目瞭然だろう。あえて誰も問おうとはしない。じっとフライの背を見据えながら追従し、指示を待っていた。八名が現れ、総員十二名が出揃ったところで、フライは振り返った。

「紳士諸君、防衛戦になる。ありったけの武器を掻き集めろ。苦労して引っ張って来たM2の出番だ。要所に据えて陣地を築け。装填弾薬はAP弾にしておけよ。分隊ごとに一名はRPGを携行するようにしろ。対人榴弾じゃなく、埃を被ってるPG‐7VL対戦車榴弾、使えるようにしておけ。ボディアーマーのくそったれ……厄介だぞ。最優先で始末しろ」

 素早く、一斉に動き始めた部下達。数人を引き止め、フライは歪な笑みを浮かべる。

「それとな、お仕事の時間だと、運び屋・・・達を叩き起こしておけよ」

「あれをするんですか……?」

 その数人は表情を固くし、周囲の家屋に視線を配る。当然、騒ぎを聴き付けているはずの町民だが、誰も顔を出そうとはしない。命が惜しいなら関わるべきではないと、心得ているのだろう。震え上がっているのだろう。

 フライは肩を竦めた。

「さてね、戦況次第だ。まあ、五年前に助けてやった恩、精々身体を張って返してもらおうじゃないか」




 イメージとしては、荒らされた本棚。

 巻続きであるはずのタイトルが方々に入り乱れ、天地が反転しているもの、背表紙ではなく小口が表に向けて入っているもの。それでも本棚に収納されているものはまだいい方で、床に散らばっているものも大量にある。その中でも更に原型を留めているものはまだましで、ぼろぼろに風化したような本もあれば、真っ二つに引き千切られたような本、インクが染み込んだような本まである。

 そして何より、床に落ちているものや壊れたものを足したとしても、明らかに本の数自体が少ない。

 左右には、終点が見えないほどに本棚が並び、どれを見ても乱れ一つない。関連順にタイトルが並び、全ての本が背表紙を向け、僅かな痛みでさえも見受けられない。病的なまでの統一感で理路整然と並べられている。

 なのに、この本棚だけは、特定の事柄に関するこの区画だけが、悪質なまでに、狂気なほどに荒れ果てている。辛うじて限定的な利用ならできるが、合理性も効率性も微塵も望めない。そんなイメージ。

 アーシャは鼻で息を吐き、頭を振った。

『やっぱり駄目ね。……有効な戦術行動、該当なし。戦術アセスメント、査定不能』

「そうか」

 ケイルは右肘の可動部、半液状装甲衣の破損箇所に特殊ポリマー硬化剤のスプレーを噴きかけながら、素っ気無く返事をした。

 白い泡が膨らみ、断裂箇所を埋めていく。半液状装甲衣及び人工筋肉の基材になると同時に自己修復を促進してくれる。応急処置というよりも、自己で行える完全な形の修理に近い。例えば元の世界で任務中に損傷を受け修理が必要になったとして、軍設備の整った大規模なシェルターならともかく、その他多数の小規模なシェルターでは、他人の手により同様の処置が施されるに過ぎない。

 単身作戦行動に長けるように造られたヘカトンケイル。生存率向上のため、アーカーシャ・ガルバを始めとした様々な機能装置がその装備に組み込まれている。もっとも、そこに意図されているのは人道的な理由などでは決してなく、経済的な損得勘定でしかない。

 右腕を前に突き出し、伸展と屈曲を繰り返す。違和感はない。バイオロイド自身の真皮組織にまで達する裂傷はナノマシンが治癒を促進しているのだろう。出血こそ止まっていたが、それでも立ち所に癒えるというわけにはいかない。遺伝子操作により自然治癒力を強化され、そこにナノマシンの治療シーケンスが加算されても、常人に比べて精々数倍、完治には数日を要する。

 治癒――。治癒魔術で治すと詰め寄ってきたサイ。必要ない、そう言って断った時の、何とも言い難い切なげな表情が脳裏を過ぎる。

 つい先ほど、シェパドとアカリ、そしてサイ達と合流したが、段取りを決め、すぐに別れた。傭兵達はすでにこの場を離れ、町へと撤退したようだった。

 ケイルは身動ぎし左膝窩、飛散破片による銃創に視線を移す。こちらも出血は止まっているが、しかし自然治癒だけに任せてはおけない。傷は塞いでくれるだろうが、破片が奥深くに突き刺さっているので外科手術で取り出す必要がある。ただ、今は無理だ。ケイルは右肘同様、スプレーで可動部の損傷を埋めるだけに留めた。

 サイの申し出を断ったのは、彼女を疲弊させないためだった。疲弊により皆の足手纏いになるのは元より、他の誰かが負傷した場合やライアスが怪我をしていた時に備え、温存させておく必要がある。十分合理的で、理に叶う理屈であるはずなのに、なぜサイがあそこまで悲しそうな顔をしたのか。ケイルにはよくわからなかった。

「………」

 ケイルは立ち上がり、移動を始める。別れ際の、シェパドの言葉を反芻しながら。

 ――多勢に無勢。それでも戦いに挑まなければならない時に、唯一の勝機はなんだと思う? それをあんたに頼みたい。

『ねえ、確かに私達じゃあ有効な戦術は思い付かないけれど、それでも彼の作戦が無茶だってことぐらいわかるわ』

「ああ、かもな」

 相槌を打ちながらもケイルは足を止めない。淀みなく、雑木林の斜面を滑り降りる。

『……私はあなたの生存率向上装置。勝算の低い戦いには賛同し兼ねる。けれども、決定権はあなたにある。……任せるわ』

 寂しげな声。振り向くと、アーシャの幻影は視界から消えていた。

 戦闘時、よほどの余裕か理由がない限り、アーシャの幻影は姿を現そうとはせず、音声だけで支援する。現状との齟齬や矛盾を孕んだアンリアルな視界立体投影は、特に戦闘時には使用者にストレスと混乱を与え兼ねないからだ。

 右肘、左膝窩、共に痛みは感じない。ナノマシンが治癒を促進させると同時、鎮痛成分も分泌している。だが身体の異常を脳に伝える危険信号として、痛みは必要不可欠でもある。きっと負傷当時は必死に這い回っていたので、気付く間もなくその段は終わっていたのだろう。激しい頭痛にのみ苛まれていた。そしてそんな最中でも、ケイルはレイピアABR2を一時も手放さなかった。無意識の内に、身体の下敷きにするようにして護っていた。

 武装集団との戦い方は知らないが、戦い続ける術だけは身に付けていた。自己修復機能も、痛みを忘れさせる鎮痛剤も、無意識に護っていたレイピアも、単身で戦い続けるようにだけは、造られていた。

 ケイルは、レイピアの銃床左側面に設けられた円形のダイヤルを、ジジジと反時計方向に九十度回した。それにより盗賊団の短剣の残骸、言わば残弾が鉄屑となって不純物排出孔からばらばらと吐き出される。そして、この世界に来てから初めて、腹部に連なっていたポーチからレイピアの専用弾倉を抜き取り、ハッチに挿し込んだ。振動も熱もなく、即座にランプがグリーンに点る。

 ――陽動作戦。敵の注意を引き付けて欲しい。幸運を祈る。

「……幸運か」

 元の世界でも兵士達が頻繁に口にしていた言い回しだが、ケイルが自分に向かって言われるのは、これが初めてだった。

『ったく、勝手に祈られてもいい迷惑よね。そんな曖昧なものに縋る時点で碌なことにならないって公言してるようなもんじゃない。死亡フラグよ』

 久しく聞いたアーシャの軽口。無粋な言い方をしてしまえば、説得を諦め、無理な戦闘を許容し、バイオロイドをリラックスさせる方針へと思考ルーチンを切り替えただけなのだろう。それでもケイルには、姿は見えずともその声色を聴くだけで、不敵に口角を持ち上げた相棒の顔が想像できた。

 違いない、と嘆息混じりに苦笑し、レイピア前部銃床を左手で包んだ。折り畳み時はグリップも兼ねる二脚架に設けられたおうとつが、指と指の間に滑らかに食いこむ。

「始めるぞ」

『りょーかい。可能な限り、フルコースでサポートしてあげるわ』




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