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異形の魔道士  作者: IOTA
27/60

24 交戦




「よお! 聴こえるか、おっさん」

 家の地下室。外からであろう、異国の言葉の怒鳴り声が、外界に繋がったトンネルから聴こえてきた。不気味に反響し、降り頻る雨音に減衰されてはいるが、それでも声に篭められた敵愾心だけは明確に伝わってくる。

 発砲音が途絶えてからというもの、心痛の面持ちで目を伏せていたシェパドが、ぎり、と音が鳴るほどに歯を噛み締めた。

「こんなガキに銃を持たせて、訓練までして、あんた、俺達以上のクソかもな!」

 やや間を置いて、外からの声は続く。

「おとなしく投降して、旅人を引き渡せ! そうすればこの眼鏡のメスガキは生かしといてやる!」

 眼鏡のメスガキ――十中八九、エバのことである。エバのことではあるのだが……。

 先までの発砲音から戦況を察したケイルは、同時にシェパドの心痛の理由を察した。突発的な近接戦闘において、降伏でもしないかぎり片方が生け捕りにされる可能性は低い。突発的であるが故、そこには思慮も遠慮も生じる余地がないからだ。

 シェパドはトンネルに顔を突っ込み、怒鳴り返す。

「エバは無事なのか!? 声を聴かせろ!」

 しかし、否、やはりと言うべきか、応答はない。今の呼び掛けが聴こえなかったわけではないだろう。その沈黙は、残酷なほどに明確な答えだった。もうこの世にいない人間の声を聴くことはできない。つまりエバはもう。

 突然、頭上で発砲音が響き渡る。二階で見張りに就き、状況の推移を見守っていたククルがたまらず発砲したのだ。彼女も沈黙の意味を理解したのだろう。姉の死を察してしまったのだろう。

「ククルッ! 駄目だ、よせ!」

 弾かれたように踵を返し、ケイルを押し退けて部屋の隅の梯子を上り始めたシェパド。三段目に足を置いた瞬間、突如としてそれは起きた。

「――ッ」

 脳天を揺さ振るような爆発音が真上から襲ってきたのだ。

 いや、音というよりも衝撃波といった方が近い。質量を伴っているかのような空気の振動が空間を縦に揺さ振り、床に転がっていた木材が跳ね、建て付けが悪かったのであろう机が倒れ、籠から飛び出した鉄の筒が散乱した。果然、その揺れは一同にも襲い掛かり、サイとリルドは小さな悲鳴を発してよろけ、ゼロットは床に膝をついた。

 シェパドも足を滑らせ、梯子にしたたか身体を打ちつけたようだったが、それでも怯む間もなく再び上り始める。

『今の爆発音、おそらく携帯式擲弾発射機によるものよ。……気を付けて』

 未だ地揺れの音響が覚めやらぬ中、アーシャの忠告を耳元に受けながら、ケイルも続いて梯子を上り、シェパドの後を追う。

 シェパドは居間で一度足を止め、机上のオイルランプをふっと吹き消した。途端、唯一の照明が失われた家の中は、暗雲が月光を遮る外の方が明るく感じるほどに深い闇に満たされる。

 階段を駆け上がり、西側に面した一室の扉を開け放ち、呆然と立ち尽くすシェパド。ケイルも脇から室内の様子を窺い、マスクの中で冷ややかに目元を細めた。

 粉塵と黒煙が充満した室内、窓が周囲の壁を一緒くたにして吹き飛び、大きな穴からは不気味な風の音が吹き込んでくる。まるで窓から巨大で獰猛な魔物が飛び込んできて、手当たり次第に破壊し尽したような惨状。

 その中で、ククルは死んでいた。

 大の字に倒れた細い胴体は辛うじて繋がっているといえるほどに脇腹が抉れ、肋骨が晒され、半分液状化したような腸が床にぶちまけられている。上半身には無数の木片が突き刺さり、至る所が黒く焦げていた。仰向けで天井を見上げる瞳にはもう何も映っておらず、ガラス玉のようにただ眼窩の内に収まっているだけだった。

 きっと敵は、実のところ投降など望んでいないのだろう。先の呼び掛けにしたところで、形骸的なものでさえなく、その目的はククルがしてしまったような、正確な位置を露見してしまう何かしらのリアクションだったのだ。位置さえ把握できれば、木製の家屋など携帯式擲弾発射機で至近の遮蔽物諸共吹き飛ばせる。とどのつまり敵が望むのは死なのだ。戦いなのだ。

 そんな流れるような至極順当な考察を経て、ケイルの躰も同様、流れるように背のレイピアを取り外し、安全装置を解除していた。

 ククルの亡骸の脇で屈み、手を翳し目蓋を閉じてやったシェパドは、ぼそりと呟く。

「……明日には紅顔こうがんありて夕べには白骨となる」

 人の生死は予知できない世の無常を説いた言葉だった。先までの焦燥が幻であったかのような酷く冷たい無表情でククルを見下ろしながら、シェパドは小さく長い嘆息を吐いた。

「くそ……。こんな言葉しか浮かばない自分にどうしようもなく腹が立つ。こんな時、どんな顔をすれば正解なんだろうな」

 そこでケイルを見遣り、諸手に握られたレイピアに気付いたのだろう、力なく、同情するように苦笑した。アーシャが時折見せる表情にどことなく似ている。

「感情的なウブな反応をするには、人死に慣れ過ぎちまってるみたいだな。俺も、あんたも」

「いや……」

 否定に言葉を口にしようとしたケイルだが、それ以上は続けなかった。そんな自分に腹を立てられるだけあんたはまもとだ、俺にはその感情さえ理解できない、そう自身の胸の内でだけ独白する。

 遅れて追い付いたサイ達が、部屋の中の惨劇を目の当たりにし、顔を青くして息を呑む。

「そんな……。なにがどうなったら、こんな風になるんだい……?」

「RPG7。OG?7V対人破片榴弾を喰らったら、こんな風になるんだよ」どこかぶっきらぼうな口調で言って、意味不明といった面持ちで見つめてくるサイ達を順繰りに見返したシェパドは、すっくと立ち上がる。「あんたらは一階の居間で頭を低くしといてくれ。死にたくなければ、絶対窓辺には近付くなよ」

 そして一切の問答に応じないというような態度で部屋を飛び出し、一段飛ばしで階段を駆け下りていく。

 彼の言う“あんたら”には自分が含まれていないように感じたケイルは、再び後に続き、居間の玄関側、東に面した窓の脇に張り付いて外を窺い見るシェパドに倣う。

 薄み闇に覆われた外界。限りなく暗黒に近い雲が空一面を覆い、さあさあと雨粒が降り頻っていた。手前には小規模な畑と空き地、約五十メートル先には雑木林が見えた。空よりも暗い影のように聳え、その境界線は鋸歯状に波打っている。ちょうどケイル達が二度に渡りこの家を訪れた時に辿った方角だ。

 雑木林の中できらりと何かが光った。星の瞬きのように、二度三度と不定期的に点滅している。

「あれは?」窓枠を挟んだ反対側に立つシェパドに問う。

「アカリだ。無事だったんだな。あれは照明信号だ。灯火の魔蓄鉱を利用して作ったペンライトを持たせてるんだよ」

「なんて言ってるんだ?」

「ちょっと待ってろ。……至近に敵。数は三」シェパドは忌々しげに罵った。「挟撃だ。西のRPGで俺達を燻り出し、東の玄関から出てきたところを狙い撃つ気だ。退路を絶たれたわけだ」

 険しく皺を寄せた眉間を揉みながら、独白のように続ける。

「接敵に逸早く気付けるようにわざわざ見通しのいい拓地にしたのに、逆手に取られるとはな。なんて様だ。連中の本気を見誤った」

「あの光のすぐ側に三人、潜んでるんだな?」

「ああ、そう言ってるが。……あんた、何する気だ?」

 ケイルは答えずに、手動操作を要さない脳波コントロールでマスクの暗視装置を起動した。ほぼ同時、ブゥゥンと羽虫が耳元を過ぎったような鈍い音が僅かに鳴り、薄暗かった視界が鮮明な色合いを帯びた。

 暗視装置やその他の電力を必要とする機器は、サイバネティック・モジュールの一環としてバイオロイドの体内を血潮に混じって循環する無数のナノマシンによって無尽蔵に供給されるので、節約や温存の必要はない。にも関わらずケイルが必要に駆られた時にしか起動しようとしないのは、単に気持ち悪いからでしかない。第五世代のナイトビジョン起動時に使用者に齎される感覚は、録画した夜景を早送りし日照時で一時停止したような、体内時計を乱すような急変である。ただの人間というには些か常軌を逸脱した改造施術が製造過程に組み込まれているヘカトンケイルでも、その違和感は拭い切れないのだ。それでなくても、今は曇天の雨空である。灰色の空や射影に欠けた木々がカラフルな色合いを帯びる様は不気味でしかない。

 その不気味なほどに鮮やかな視界を奔らせ、ケイルは光源の元、立木の上に潜むレインコートの人影、アカリの姿を認めた。シェパドの言うペンライトであろうものをこちらに向けながらも、気が気でない様子で右下の方向を頻りに見遣っている。

 アカリの視線の先を辿ると、見つけた。

 男が三人。方々に警戒を向けているようだが、闇に紛れているという油断がそうさせるのだろう、大した遮蔽も偽装もなく、立木の脇や草叢の陰に身を寄せている。

『抗弾プレートを有さないタイプのタクティカルベスト。M67手榴弾を二つ。マガジンポーチが四つ。所持している銃器はAK47。連射速度は毎分六百発。弾倉には七・六二ミリ、薬莢長三九ミリの弾丸を最大三十発、薬室も含めれば三十一発装填可能』ケイルの視界によって得られた情報から敵の装備を精確に分析するアーシャだったが、不意に浮かない顔をして腕を束ねた。『本当に私達の世界の旧時代からタイムスリップしたみたいな連中ね。あらゆるifに対応してる並列世界なればこそって感じ。とは言っても、並列世界なればこそ私達の世界とは違うんだから、この情報もあまり当てにしないでね……』

 シェパドや傭兵達が居た元の世界は、ケイルの世界の旧時代と尽く合致していた。しかし可能性の限り無数に存在しているとされる並列世界の理論に当て嵌めて考えるなら、それも不思議なことではない。

 それにしても、先の忠告といい、今のネガティブな口調といい、珍しく慎重な発言が目立つアーシャに、ケイルは僅かな懸念を抱く。まるで戦いを望んでいないような口振りに感じられるのだ。しかし悠長に話し合っている余裕はないだろう。待ち伏せの構えを採る敵だが、いつまでもそれが続くわけではない。いや、もしかしたらもう西側のRPGを撃ち込んできた部隊は、こうしている今も家との距離を詰めて来ているかもしれないのだ。そしてどうやら、戦いを避けられるような状況でもない。

 背後で不安そうに佇むサイ達に視線を転じ、ケイルは確認する。

「ライアスを助ける。それでいいな?」

 言外に含まれた意図を察したサイは僅かに目を伏せた。囚われのライアスを助けるためには、捕えている者達をどうにかするしかない。その者達が自分達の命をも狙っているのならば、反撃するしかない。殺すしかない。

 サイは俯いたままこめかみに手をあて、嘆息とも呻りともつかない声を発したが、ほどなくして顔を起こし、力強く頷いた。

「ああ、そうだ、そうだね。ライアスぼっちゃんを助けて、とっととこのふざけた町からおさらばしよう」

 方針が決まった。

 まるで待ち兼ねていたというように、言質を取ったというように、ケイルは素早く開け放たれたままの窓に振り返り、レイピアの銃身を跳ね上げる。

 二倍に拡大された視野、レイピアの銃口が指し示す地点、即ち着弾点が赤い光点ドットとして浮かび上がっていた。三人の内、向かって最右翼、立木に半身を隠した傭兵の胸部に光点を重ねる。右手で銃把を握り据銃した際は、右から左へ上半身を回した方が人体の構造上無理がなく、照準も容易だからだ。

 照準した男がこちらに顔を向けたまま鼻を啜り、口を手で覆い咳き込むのが見えた。ほんの些細な生理現象、人間らしい仕草。外界よりも更に暗い家、明所から暗所は視えない。彼らは窓の一つから身体を晒すケイルには気付かない。その正確無比な殺気にも気付けない。

 風邪気味か?

 ケイルは特別な感慨もなく、心内でそんな風に語り掛けながら、用心金の上に置いていた人差し指をぽとりと引き金に落とし、絞った。圧縮空気自動小銃であるが故に闇の中で撃っても発射炎は生じない。霞みのような靄が銃口から噴き出すだけだが、それにしたところで光を伴うわけではないので視えはしない。

 びくん、と電撃を受けたように肩を揺らして仰け反る傭兵を視界の隅に認めながら、中央、左翼へと順に照準を振り、それぞれに約一秒間ずつの刻み撃ちの短連射を送り込んだ。暗視装置と自動照準補助装置を介した視野の中、剥き出しの頭部や頚部への集中弾が生み出す、鮮やかなピンクの血飛沫が深緑の背景に映える。

 据銃してから五秒も要さずに三人を始末し、銃口を下げるケイル。木の上で目を剥いて硬直していたアカリは、我に返ったように例のペンライトをちかちかと灯す。おそらく三人の死亡を知らせているのだろうが、暗視できるケイルには必要がない。だが他の者には違う。

 アカリ同様に唖然としていたシェパドだったが、その照明信号を受け、はっ、と笑った。感心を通り越し、最早呆れているような態度だ。

「こりゃあ……たまげたな。あんた、見えてたのかよ。そのガスマスク、ナイトビジョンまで兼ねてるのか? それにその銃、ほとんど音も光も、薬莢まで出ねえじゃん。どーなってんだ。ケースレスか?」

 ケイルは答えず、「ここに居ろ」とだけ皆に告げ、玄関に向かう。

「おいおいッ、ちょっと待て。どうする気だ?」

 シェパドの制止に耳を貸さず、サイ達の方を見ようともせず、ケイルは扉を開けて出て行こうとするが、ちょうどそのタイミングで、東側の安全を確認し家に向かってきていたのであろうアカリが駆け込んできた。

 水滴を散らしながらレインコートのフードを邪魔そうに捲り上げたアカリは、居間の一同を見渡し、息つく間もなく言葉を継ぐ。

「く、ククルは!?」

「………」

 口を噤み、目を伏せる一同。アカリが弾かれたようにシェパドを見ると、シェパドは小さく頭を振った。

「そんな……っ。エバも……?」

 既に察してはいるのだろうが、それでも僅かな希望に縋って切望するように発されたその消え入るような問いに、しかしシェパドは再び首を横に振る他になかった。

 アカリは視線を落とし、小首を傾斜させ、そのまま身体ごと落ちていくように内股でへたり込んだ。緊張の糸が切れて、なまじ余裕を得て、感情の波が押し寄せてきたのだろう。そんな、そんな、と繰り返しながら、床の一点を見つめている。明らかに雨粒によるものではない水滴が頬を伝い落ちていた。

 サイが歩み寄り、肩に手を置こうとするが、アカリはそれを振り払い、睨み付けた。

「あんた達が、あんた達が悪いんだ! あんた達さえ来なければ、こんなことにはならなかったんだ! 傭兵だって攻めて来なくて、エバもククルも死ななくて済んだ! ずっと四人で暮らせたんだ!」

「アカリ」シェパドは諭すような優しげな口調で言う。「それは違う。遅かれ早かれ、いつかはこうなっていた。わかってるだろ?」

「そんなことないッ! お兄ちゃんこそ、わかってるだろ!? 奴らに捕まったこいつらの仲間、そいつがお兄ちゃんのことまで喋ったんだ! そうに決まってるよ! だから急に攻めてきたんだ! そうだよ……。そもそも奴らに目を付けられるような、おかしな格好してるから悪いんだ。そうすればあたしだって、雨宿りになんか誘わなかった……。そうすればエバもククルも、死ななくて済んだ……」

 アカリはシェパドや傭兵達が異質な存在であることを察していた。シェパドがケイル達に並列世界の理論を説いた時の口振りから察するに、彼はアカリ達に多くを語り聞かせていたわけではないのだろうが、それでも一緒に半年も生活をしていれば、察して然るべきだろう。

 そして偶然出会った、一目で異質であると看破できるケイルを、同じく異質であるシェパドが興味を示すと思い、雨宿りとかこつけて家に招待してしまったのは、接点を、因果関係を作ってしまったのは、他ならないアカリ自身だった。

 責任の一端は自分にあるということを認め、理解し、痛感しているからこそ、アカリは怒りと悲しみを綯い交ぜにしたような表情で嗚咽を漏らし続けた。責任をケイルに転嫁した。

「あんただよ……。全部あんたの所為だよ!」

 一際強く怒鳴り、ここで初めて扉の脇に立つケイルを直視したアカリは、しかし、さっとその面持ちから表情らしい表情が消え、固まった。

 別段、ケイルは何もしてない。ただアカリを見ていただけだ。マスク越しにアカリに目を向けていただけだ。心からの激情を正面からぶつけられたというのに、ただ、本当にそれだけなのだ。

 アカリが連想したのは半年前の事件の夜、火傷の男の壁のような無表情、ではなく、彼が突き付けてきた拳銃の銃口だった。深淵を思わせる闇に閉ざされた歯車型の穴。父と母の命を奪いながらも、無表情だとか無感情といった概念が関与できない領域に在る、無機質なただの物質。

 目の前の異形の男は、憎むべき異国の傭兵達とは次元が違う、憎しみを抱く余地がない、感情を抱くに値しない、鋭利で殺傷能力に富んだ、ただの一振りの武器のように、アカリには見えてしまった。

「――あ、あんた」慄き、震える両手で肩を抱き、しかし視線を逸らすのも恐ろしかった。「あんた、なんなんだよ……」

「………」

 ケイルは何も言わずに、扉から出て行った。

 静寂が降りおちる。雨音だけが静かに鳴っていた。

 シェパドは懐から紙煙草を取り出しながら、サイ達に視線を投げ掛けた。

「科学が発展した世界のただの兵士だと思ってたが。……あいつは何者なんだ?」

 サイは腰に片手を当て、額を撫でながら目を瞑り、小さく首を振る。

「あたしの村を救ってくれて、王都でも魔物の群を退治してくれた。賊容疑者の嫌疑を晴らして、金持ちになった。カボル村の盗賊団を全滅させて、鹿を狩って振舞ってくれた」

「なんだそりゃ」

「つまりね、あたし達にもわかんないんだよ……」

 言って、粗野に笑うが、どこか諦観したような、寂しそうな笑顔だった。

「炎」

 不意にぽつりと発されたその言葉に、一同は声の主を見遣る。胸のぬいぐるみを強く抱き締め、ケイルが出て行った扉をじっと見据えるゼロットは、しかしそれ以上言葉を続けようとはしなかった。

 紙煙草を銜えたシェパドは地下室がある部屋へ歩を進める。

「ま、なんであるにせよ。一人にしておくわけにはいかんだろうな。俺達はこれでも、向こうの世界では結構名うてな民間軍事会社だったんだ」

 魔物や盗賊団と一緒にしてたら痛い目みるぞ、あんちゃん。

 両切り紙煙草の後端を噛み締め、そう付け足した。その顰められた険しい顔付きは、口の中で崩れた乾燥葉の苦味に因るものだけでは決してないのだろう。




 レイピアABR2の弾丸生成装置で形成される通常弾ボールは、その名に反して完全なる球形ではなく、弾丸底ベースに窪みを有し、先端部は丸くなだらかな形状をしている。拳銃弾などでは一般的なラウンドノーズと呼ばれる蚕の繭のような形だ。ボールという名称は球状の鉛弾を使っていた時代から軍用通常弾を示すために広く用いられるようになった、言わば名残りでしなかい。

 圧縮空気の圧を後端部の窪みが効率よく捉え、銃身内部に刻まれた六条右転のライフリングが回転を与え、銃口から飛び出した直径六ミリ、重量八グラムの飛翔体プロジェクタイルが帯びるエネルギーはジュール換算にして2,433。同口径の無煙火薬式ライフルと同等であり、五・五六ミリ小口径高速弾をやや上回る。

 ケイルは引き金に賭けた人差し指を、まるで痙攣するかのように極微量に引き、即座に戻す。

 毎分千発の連射速度で三点射、即ちコンマ一秒強の間に放たれた三発の銃弾は、反動による銃口のぶれが関与できない連射速度そのものと、強化外骨格と人工筋肉から成る強固な射撃姿勢により、ほぼ同点に着弾する。

「うわ、うわ。うわあァァあ」

 据銃した標的の上半身の中心部――真っ直ぐに向けられたAK47突撃銃の銃口付近――に狙いを定めて射られたその三発は、一発はAK47の銃身を拉げさせ、続く次弾は木製の前部銃床を支えていた左手に飛び込んで人差し指と中指を付け根から吹き飛ばし、最後の一発は銃把を握る右手の甲に突入し、中指と薬指の間から真っ二つに手の平を割った。

 弾き飛ばされたAK47がくるくると中空を旋廻している間、傭兵は己の両手に生じた惨状を見下ろしながら絶叫を上げていたが、AKが地に落ちる前には、その側頭部を次の三発が吶喊。爆発的な内圧により脳は液状化し、左の眼球が零れ落ち、右の眼球も真っ黒に染まる。

 シェパドの家を出たケイルはそのまま真っ直ぐ東の雑木林に入り、円周状に迂回する形で西に向かい、潜んでいた六名の傭兵部隊に奇襲を仕掛けた。不意打ちの初撃で一人を射殺。交戦となってから、傭兵達は雑木林の斜面を南へと、ヒルドン側へ下る形で即座に後退し、ケイルはそれを追撃、今、もう一人を射殺した。残りは四人。

 脳幹を失い卒倒する男の至近、立木に身体を押し当て据銃する傭兵にケイルは照準を振るが、光点を重ね切る前にAKから発射炎が瞬いた。左肩に鈍い衝撃。七・六二ミリのM43弾が強化外骨格の装甲板で弾け、オレンジ色の火花が散った。

「ッ」鋭く舌を打ち、ケイルは被弾の衝撃を利用するように身を翻し、最寄の立木に背を預ける。AK特有の詰まったような発砲音が間断なく林に轟き、削岩機を押し当てられているような連続する振動が背から伝わってくる。「疾いな」

 追撃戦となってから数分が経過していたが、未だ一名しか射殺できていないという事実に、ケイルは驚いていた。不意打ちで仕留めたこれまでの四人は拍子抜けするほど造作もなかったのに、傭兵達に姿を認められてからは、その素早い動きに手間取っている。

「アーシャ」ケイルはふと思い付き、指示を出す。「銃声から正確な位置をマークできるか?」

『おそらく可能よ。ポイントマーク』

 雑木林を映した視界、右隅に『く』の字の矢印が四つ、ほとんど重なるように現れた。それを追い掛けるように首を回し、背を密着させていた立木に正対する。視野の旋廻に伴って、四つの矢印は順に赤い菱形のコンテナに形を変えた。まるで木の表面に投射されているかのように見えるが、奥行きの概念を有する立体投射である。向かって右方に一つ、中央に並んで二つ、左方に一つ。中央の二つは徐々に小さくなり、すぐに消えてしまうが、左右に二つは震えるように強調表示されている。

 枠の大きさは対象との相対距離を示し、近ければ大きく、遠ければ小さくなる。震えは今まさに音を発している対象であり、つまり発砲しているのだ。中央の二つが小さくなり消えてしまったのは、遠退き、発砲をやめたからということになる。

「上出来だ」ケイルはマスクの中で目元を細める。

 インターフェースアーマーの聴覚センサーと演算システム、それに眼球のサイバネティック・モジュールを併用することにより、遮蔽に身を隠したままでも、それだけの情報を得ることができた。劈くような銃撃の嵐の中で、センサーにどれだけのことが可能であるか半疑だったが、それでもシステムは能書き通りの性能を発揮した。

 ふと、銃声が途絶えた。ォォーーン、と音響が不気味に尾を牽いている。伴って左右の二つの枠の震えが止まった。

 装填か――。そう察したケイルは木に正対したまま左の枠にレイピアの銃口を向け、中心に光点を重ねる。背を丸め、両肘を身体に引きつけ、肩も寄せ、射線に晒すことになる面積を極力少なくし、更に上半身を左に傾斜させるだけに留めたが、不意にけたたましい発砲が再開された。

「くそ」

 枠の位置にいるはずの傭兵の一人を視認するその前に、再び左の肩に衝撃が奔る。即座に木の遮蔽に戻り、ケイルはもう一度悪態を吐いた。牽制射撃で動きを封じ、唐突な間で油断を誘い、現れた標的を狙い撃つ。誘い撃ち。傭兵達の巧みな戦術だ。

 左肩を見遣り、はっと小さく息を呑む。装甲板には深いへこみが生じていた。

『気を付けて! あなたの装甲は一二・七ミリのAP弾でも貫通できないかもしれないけど、それは傷付けられないという意味じゃないのよ』

 抗弾プレートは基本的に消耗品である。誤解されがちだが抗弾素材は銃弾を弾き返すためのものではなく、止めるためだけのものでしかない。例えば抗弾ベストはたった一回の被弾だけでその効果は著しく減衰し、廃棄しなければならない。何発も何発も弾丸を受け止めてくれるものではないのだ。レベルⅥ積層合成金属装甲を有する強化外骨格は個人で身に着けられる防護装備の中でも最大限の強度を誇っており、抗弾ベストなどとは比べるべくもないが、それでも銃撃の恐るべき威力の前で無敵であり続けることは不可能だ。同じ箇所への被弾が度重なれば、破損し、貫通してしまう。

『そもそも強化外骨格は銃撃を防ぐために作られたわけじゃ――』

 アーシャの言葉は、ことさら近い通弾の音響に遮られる。

 側頭部の数センチ脇を掠めて飛んでいく銃弾の衝撃波が僅かな眩暈を齎すことを、ケイルは初めて知った。張り付いている樹木は大柄のケイルを辛うじて隠す程度の主幹径でしかない。

 くるりと窮屈にその場で回れ右をし、今一度敵の位置を示す枠を見る。左の枠がランダムに震えていた。装填のタイミングを悟られないようにするためだろう、不定期的な短連射の牽制射撃が木を抉り、皮を剥がし、木挽き粉を散らしながらすぐ脇を通過していく。右の枠は遠退き、消えかけるが、その瞬間、再び鮮明に現れ、震え始める。交代するように左の枠が素早く遠退いていく。

 数秒の間はあっても、狙い撃てるだけの隙のない援護射撃。互いが互いを援護しながらの後退。基本的な歩兵戦術だが、それの有効性を今まさに肌で感じているケイルは、場違いにも感心してしまった。こんな戦い方があるのか、と。

 そして、長い間同じ場所に留まってはいけないという常識的とさえ言える銃撃戦のルール、それさえも、ケイルは知らなかった。

 激しく空気が抜けるような射出音。消えていたはずの中央の二つの枠が真っ赤に映り、戦慄くように震える。

『RPG!』

 アーシャの絶叫が聴こえた瞬間。ちらりと、一瞬ではあるが身を寄せる樹の脇、根元の付近を何か黒い物体が過ぎったように見えて、途端、橙色の火花を中心にした灰煙が放射状に膨らみ、暗視装置を介した視界が焼き付き、ひずみ、ノイズが奔り、ケイルは吹き飛んでいた。

 中空を舞い、飛散した無数の破片が全身を強烈に叩きつける金属音をヘルメットの中で聴きながら、不意にアーシャの言葉を思い出した。最初にシェパドの家を訪れた時に、サイに遮られて言いそびれ、家を出てからヒルドンへ向かう道中にそっと独白のように囁かれた言葉だった。

『無数に存在する並行世界であるならばこそ、そして違う世界の私達がここに存在しているという事実があるからこそ、留意しておいた方がいい可能性も幾つか考えられる。例えば、本物の賊である金魚鉢の人物のように、私達以外にも高度な文明を持った存在がこの世界に現れているという可能性。そして、そんな彼らと敵対してしまう可能性――』

 腐葉土に墜落したケイル。暫し呆然と、大の字になりながら、空から降り注ぐ雨粒と炸裂により舞い上がった粉塵を仰いでいた。全身から淡い白煙が立ち上り、吸収し切れなかった衝撃により身体の至る所に鈍痛を覚えた。特に頭が割れそうに痛んだ。経験したことのない痛み。対人破片榴弾を発射され、その破片を浴びるなど、無論、初めての経験だった。

 ごとん、ごとんと、至近から鈍い落下音が二回。

「っ!」

 ピンが抜かれ、レバーが消失した、M67対人破片手榴弾が二つ。ほんの三メートル先、ちょうど仰向けで横たえるケイルを挟むように足元と頭上に転がっていた。撤退するように見せかけて、怒涛の火力で逆襲するという戦術も、ケイルの知るところではない。

『頭を隠してうつ伏せになって! 早く! 口も開け――』

 アーシャの声に従い身体を反転させ、マスクを腐葉土に埋めるようにして両腕で覆ったケイルだが、口を開く前に、爆発は起こった。奇妙なことに無音だった。音というよりも、それは最早単純な圧力の塊だったのだ。巨大な何かが巨大な何かで打ちつけてくるような瞬間的な力が、上と下から圧し潰すかのようにめしめしと圧迫してくる。

 口を開かなければならない理由を痛感する。文字通り痛感だ。逃げ場を失った衝撃の波が、頭部の中を跳ね回り、頭痛が酷くなっていた。頭の中を殴打され、頭蓋がかち割れんばかりだった。

 視界の右下に赤い文字列が幾つか並び、忙しなく流れる。アーシャが何かを喚いているようだったが、理解できなかった。低く呻るが、その自身の声ですらどこか遠くで発されているように曖昧に感じる。

 何とか身体を起こし、よろめきながらも近くの草叢に転がり込むように退避し、そのまま這い進む。銃弾も爆弾も飛んでこない。傭兵達はケイルの姿を見失ったのだろう。もともとが暗く、更には三回の度重なる爆発により、周囲は濃密な粉塵と黒煙に覆われていた。

 小さな斜面を尻から滑り降り、そのまま座り込んだ。背後の稜線を振り返る。どうやら傭兵達は追ってきていない。いや、そもそも自分が追っていたはずではないのか――。ケイルは脳の奥に停滞する靄を振り払うように、頭を振る。

 斜面ではケイルがずり落ちた部分だけ枯葉が剥がされ、粘った泥が晒されていた。不意にそれらの光景を嫌に鮮明に映す第五世代暗視装置がことさら疎ましく感じられ、マスクを投げ棄てたい衝動に駆られる。当然不利にしかならないことはわかり切っていたので抑えたが、それがどんな感情に起因するものなのか、理解できなかった。

 アーシャの声。今度ははっきりと聴こえる。

『右肘、真皮組織にまで達する裂傷、軽微。左膝窩しっか、飛散破片による銃創、筋肉にまで及ぶ異物の存在を確認、治療が必要。鼻腔内、口内、共に毛細血管破裂、内出血を確認。その他、微量な負傷が多数。ナノマシンによる診断シーケンスを治療シーケンスへ切り換え……処理中』

 ただ、いつものニヒルな声ではなく、酷く事務的な機械音声のような声音だった。視界に映された警告の赤い文字列を箇条的に読み上げている。センサーやナノマシンが感知したバイオロイド、つまりケイル自身の負傷を音声ガイダンスで報せているのだ。アーシャの声ではあるが、彼女の言葉ではない。

『エグゾスケルトン、随所に装甲板の損傷を確認。インターフェースアーマー、内外圧センサーに異常、人工筋肉の断裂を確認。診断中……自己修復可能。作戦行動継続可能。シェルターへの帰投の考慮を推奨。シェルターへの帰投の考慮を推奨』

 ケイルはそこでようやく自身の身体を見渡す。絶句して、ぴたりと一瞬、硬直してしまった。

 強化外骨格の至る箇所が黒く煤け、へこんでいた。細かな疵が散見され、中には亀裂が奔っている部位もある。特に脇腹の深い断裂が目に付く。積層装甲の幾重もの層が晒されてしまっている。

 右肘と左膝窩――可動の必要がある間接部であり装甲板ではなく半液状装甲衣という特殊な溶液に満たされたポリマー素材で構成されている部位――からは白濁した溶液がどろどろと滴り落ち、内部ではエレクトロ・アクティブ・ポリマー合成代用組織で構成される人工筋肉の半透明の束が、無数のピアノ線を引き千切ったかのように、繊維の一本いっぽんが反り返り、ささくれ立っていた。そしてそれらの更に内から、湧き水が噴き出すように赤い液体がじくじくと泡立っている。

「………」

 それは他人のものならば嫌と言うほど見慣れたはずの血だった。ヘカトンケイルとなってからは初めて見た、ケイル自身の血液だった。

 そのすぐ傍らに現れたアーシャは僅かに目を伏せ、肘を抱きながら、口惜しげに下唇を噛んでいた。

『アーカーシャ・ガルバとして言わせてもらうなら、これ以上の戦闘は推奨し兼ねるわ。シェルターへの帰投は無理でも、この町から撤退するべきよ』

「……ライアスはどうするんだ?」

 しかしその問いにはアーシャは答えず、ぎゅっと強く肘を抱き、言い募る。

『あなたも私も、そもそも人間と戦うようには造られていないのよ』

 対アバドン用特殊機械化兵装であるヘカトンケイルは、人間との銃撃戦を想定されて造られたわけではない。あくまでも獰猛で俊敏な、しかし原始的な魔獣であるアバドンとの戦闘用に開発されたものだ。

 強化外骨格も、インターフェースアーマーも、サイバネティック・モジュールも、戦闘を戦術面で支援する長期単身活動用支援システムであるはずのアーカーシャ・ガルバも、それらの使用者のバイオロイドであるケイルも、ヘカトンケイルを構成する全ての装置は、機能は、偏にアバドンに対抗するためだけに製造されたものなのだ。

 そして傭兵達は、魔物とは勿論、原始的な接近武器しか有さない王国兵や盗賊団とは、次元の違う存在である。銃器を持った民間人や、気の触れた兵士とも、懸け離れた存在である。優れた火器とそれを用いた高度な戦闘技術を体得する武装集団なのである。

 手間取っているのではない。

 ケイルは今、紛う方なく、苦戦している。




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