23 発砲
鞣革のレインコート、ぽつぽつと雨粒のあたる音が、纏わりつくような湿気と共に、フードの中に篭っている。
彼と出会った日も、こんな雨の降る夜だった。
アカリは、闇に満たされた雑木林の中でじっと息を殺しながら、半年前のことを思い出していた。
夜遅くに帰ってきた父は、いつものように浮かない顔をしていて、いつものように寝ずに帰りを待ち続けていた母に向かって、いつものように愚痴を漏らした。もう領主には頼れない、何とかしなければ、連中を町から追い出さなくては。愚痴の内容もいつもと同じ。
自警団員の中でも古株であり、役職に就いていた父は、仕事から帰った後に人目を憚るように度々出掛け、連中や、彼ら、奴ら、と称される異国の人間への対策を検討する秘密会議に参加していたことは、アカリも知っていた。直接聞いたわけではない。父も母も、訊いても教えてはくれなかった。それでも寝室の戸口を薄く開け、会話を盗み聞いているだけでも十分に理解できた。
アカリはそっと寝台に戻り、いつものようにもやもやとした気持ちのままで何とか寝入ろうとしたが、いつもと違って、叶わなかった。
突然、聞き慣れない破裂音が扉を隔てた居間で響き渡ったのだ。
聞き慣れないが、聞き覚えはあった。まだ今よりもずっと小さかった頃、魔物の襲撃の日、母に手を牽かれ領主の館に逃げようとしている時、一体の魔物がすぐそばまで迫っていた。黒い体毛に覆われた身体を揺らして、醜い形相は嘲るように歪められ、鋭い鉤爪の手が風圧を感じるほどの目の前で振り回されていた。
その時にその破裂音が轟いた。斃れる魔物。路地から現れた奇妙な格好をした男の持つ杖の先端で、淡い白煙が揺れていた。男はのた打ち回る魔物に止めを刺すと、呆然と立ち尽くす母とアカリを一瞥し、アカリの頭をぽんと優しく叩き。颯爽と消えていった。男の顔、火傷の痕が、印象に残った。
その火傷の男が、今、仲間と共に家に押し入ってきて、父に奇妙な物を突き付けている。例の杖を片手で持てるぐらいにまで小さくしたような物だった。
母は顔面を真っ赤に染めて倒れていた。
寝室から飛び出したアカリは母の元に駆け寄ろうとしたが、異国の男の一人に捕らえられた。
火傷の男は、魔物にそうしたのと同じように、淀みなく父の頭部に奇妙な物の先端を向け、そして躊躇なく僅かに指先を動かした。破裂音が鳴った。殴り付けられたかのように頭部を激しく揺らし、父は崩れ落ちた。割れた頭の鉢から、真っ黒な血が溢れていた。
アカリは呆然と火傷の男を目で追っていた。父の隣を離れ、こっちに歩み寄ってくると、今度は自分に奇妙な物を向けてくる。深淵のような闇を湛える丸い穴が穿たれた奇妙な物の先端越しに、火傷の男の顔を見上げた。外界の情報を一切断絶したような、壁のような無表情。アカリを見返していたが、きっと本当の意味では見ていない。ただ目を向けているだけ、という風だった。ぴくりとも表情を動かす気配はなく、指先だけが動きかけたが――
そこに彼が飛び込んできた。
這入ってくるや否や、血相を変えた様子で火傷の男に詰め寄り、威圧するように大声で喚き散らしていた。アカリには理解できない異国の言葉だった。火傷の男は毛ほども表情を変えずに、やはり異国の言葉でぼそりぼそりと受け答えをしていたが、唐突に奇妙な物を彼に向けた。ただ、父やアカリにそうした時とは違い、腰の辺りで構えて後端を片手で覆うような、それほど敵意を感じさせない向けかただった。
絶望の面持ちで硬直する彼に向け、火傷の男は先とは打って変わった端的明確な鋭い言葉を告げ、すると違う男が彼が身に付けていた装備を肩から、腰から外していった。アカリには、その一連の遣り取りが、どこか儀式めいたものに見えた。
彼と火傷の男は暫く睨み合っていたが、不意に彼は踵を返し、乱暴にアカリの手を取ると、家を出た。去り際に、最後に見た家の中の光景、死する父と母、彼の背に向け罵声であろう言葉を浴びせる異国の男達、しかし、火傷の男だけは何も言わずに、その顔はどことなく寂しそうに見えた気がした。
外では、例の破裂音が大気を切り裂くように幾重にも響き渡り、それに雨雲が刺激されたのだろう、大粒の雨が降り始めていた。その雨でも鎮火が敵わない勢いで家々からは火の手があがり、路上で横たえる無数の亡骸を不気味に染めている。
アカリは手を振り解こうと、もがき、暴れた。離せと、父と母がと、泣き喚いた。だが彼は、きつく手を握り締めたまま、脇目も振らずに歩き続けていた。駆け出して、一刻も早くこの町を離れたいという衝動に必死に抗っているような大股の早足で、死体に溢れ、黒煙に燻され、戦火に炙られる通りを、進み続けていた。
表情は見えなかったが、彼はその間、何かを呟いているようだった。異国の言葉だったが、それが謝罪であるということだけは伝わった。アカリに、ヒルドンの町そのものに向けた痛切な謝罪を、町を出てからも、平地を横断し、雑木林の中の家に到着するまで、彼は何度も何度も繰り返していた。
初めの頃は何を言われても返事をせず、食事を出されても一切手を付けなかった。しかし、行く宛はどこにもなく、部屋の隅で膝に顔を埋めて、彼を睨み付けていた。
数日後、彼はどこか観念したように寂しげに笑い、こう問い掛けてきた。
お前、兄弟はいるか? と。
その突飛な問いに思わずアカリは首を振ってしまった。一人っ子だった。父と母は死んだ。今はもう一人ぼっちになってしまった。
彼はこう続けた。
「戦う武器をくれてやる。戦い方を教えてやる。その後は好きにしろ。だが、俺の訓練は長く厳しい。その間、俺はお前の兄として振舞う。俺は妹に遠慮なんてしない、だからお前も遠慮するな」
そう言って、彼はシチューとパン切れをアカリの前に置いた。アカリはそれを食べた。味は覚えていない。とにかく夢中で食べた。知らず、涙が流れていた。
「お兄ちゃん……」現在、吹き荒ぶ風雨に打たれながらアカリは呟き、はたと思い出し、苦笑した。彼がそう呼ばれることを望まないのを思い出したのだ。独り言であり、あえて訂正する必要性はないのだが、それでもアカリは言い直す。「……あにき」
視線を手元に落とす。今ではすっかり手に馴染んだ彼が作った異国の武器が、諸手に握り締められている。町を占拠した異国の男達が持つ武器も、火力は違えど同様のものであり、総称して銃と呼ぶと、彼に教わった。
アカリに魔術の才覚があることを知ると、彼はすぐにこの銃を手渡し、訓練を開始した。宣言していた通り、遠慮容赦のない厳しいものだった。やったこともないような運動、何の役に立つのか皆目見当もつかない動作、銃声を考慮して人里離れた谷での実弾射撃、只管に反復練習をさせられた。遠征訓練の時、時折起きた魔物との予期せぬ遭遇でさえも、彼は訓練の一貫としてアカリに戦わせた。毎日へとへとになり、泥のように眠り、起きるとまた訓練に出る。だが逃げ出そうと思ったことは一度もない。この銃の使い方を、戦い方を少しでも早く吸収し、父と母の仇を討つと、必死になっていた。
二月ほど経った頃のある晩、アカリはそっと家を抜け出したことがある。逃亡ではない。もう十分だと思ったのだ。今の自分なら町の異国の傭兵達とも戦えると、勝てないまでも一矢報いることができると、そう思ったのだ。
見張りに見咎められぬよう、平地を大きく迂回する形で東からヒルドンの町を抱く険しい岩山に入り、町の通りを家屋の間隙から見下ろせる高台に身を潜めた。偵察訓練として、彼と共に何度か辿った経路だった。
異国の傭兵が二人、通りを歩いているのが見えた。高所から狙うアカリに気付く素振りもなく、酔っ払っているのだろう、酷く上機嫌な様子で肩で風を切って練り歩いていた。訓練で学んだ通りに、しっかりと照準した。しははずなのに、狙いが定まらない。手が震えていた。手だけではない、全身ががたがたと震えていた。そんな状態で撃っても中らないということも学んでいたが、それでも撃とうとした。しかし終に撃てなかった。怖かった。あの二人を殺すのが、殺したとしても駆け付けた他の傭兵達に自分が殺されるのが、怖くて怖くて仕方がなかった。二人は家屋の陰に消え、見えなくなる。それに心底安堵している自分が、許せなかった。
固く誓ったはずの覚悟は事を直前にして、いとも簡単に瓦解してしまった。自分の思いはこんなものだったのか、目の前で父と母を殺されたというのに、我が身可愛さで仇も討てないのか。情けなくて、惨めで、悲しくて、嗚咽を漏らしながら家に帰った。
家では彼が起きて待っていた。アカリの姿を認めると、何も言わずに寝室に戻ったが、机の上には紙煙草の吸殻が山盛りになった灰皿があった。きっと彼はアカリが出て行くのに気付いていた。そしてきっと落ち着きなく居間をうろつきながら、紙煙草を喫いさしては消し、喫いさしては消して、ずっとアカリの帰りを待っていた。
母が父にそうしていたように、アカリがそうしていたように。新参の兄はアカリの帰りを待っていたのだ。
シチューとパンを無我夢中で食べた時のように、アカリはまた泣いた。大声でわんわんと泣いた。
ほどなくして、新たな住人としてエバが加わった。夜中、彼が手を牽き連れて来たのだ。酷く汚れた格好をして痩せ衰えていて、アカリは彼女が自分と似通った身上であるとすぐに察した。あの駐屯団員とその家族が虐殺された夜、異国の傭兵達は子供だけはあまり殺さず、放置していたのだ。身寄りを失った彼らは浮浪児として町角で屯するようになった。巻き添えを恐れ見て見ぬ振りをしている町民達だが、故意に多目に残飯を出すようにして、彼らは生き長らえていた。
初めはアカリと同じように警戒心を剥き出しにしていたエバは、日が経つに連れ慣れていき、訓練にも参加するようになった。
それからほとんど間を置かずにククルが加わることになるのだが、アカリは彼がククルを町から連れ出す場面を隠れ見ていた。夜半、こっそりと家を抜け出す彼の後を付けたのだ。例の経路で町に潜入した彼は、浮浪児が屯する路地裏へ赴き、魔蓄鉱の欠片を手渡しては離れ手渡しては離れと、一人ずつにそれを繰り返していた。何人目かになり、ぽう、と明るい火を魔蓄鉱から生じさせた少女が、ククルだった。エバも同じようにして見つけたのだろう。いや、選んだのだ。大勢いる浮浪児の中から、魔蓄鉱に火を灯すことができる子供だけを、魔術の才覚を持ち、あの銃が使える子供だけを、選定していたのだ。悲しい気持ちになり、彼に反感を覚えた。だが、他の浮浪児達の方は努めて見ようとせず、ククルを抱きかかえて足早に町を離れる彼を見て、よく似た場面を思い出した。事件の夜に、自分が町から救い出された場面だ。遠目であり表情までは見えなかったが、あの幾度となく繰り返された謝罪が耳元で聴こえた気がして、すぐに反感は消えた。しかし悲しい気持ちだけは残った。
エバは畑仕事が得意で料理上手でもあり、彼女のおかげで食事のレパートリーと質は格段に向上した。
ククルは意外にも編み物に精通していて、アカリが今纏っているレインコートも彼女の手作りだ。雨具であり、迷彩服であり、戦闘服。射撃訓練の際に利用した南の渓谷に度々出没した、深緑色のつるつるした皮膚を持つ小型の魔物の革から作られている。撥水性があり、柔軟かつ強靭で、その配色は緑に富んだ雑木林によく馴染む。生臭さに目を瞑れば、抜群の素材といえる。魔物の革や牙を生活に利用するのは忌み嫌われていたが、彼はどこ吹く風であり、役立つものは何でも生活に取り入れていた。
不意に、近付いてくる物音を捉え、アカリは身を硬くする。
異国の傭兵が、五人。すぐ目の前の草薮から現れた。
彼の予想通りだ、とアカリは感心しながらも、さほど驚きは感じていなかった。感心したのは予想した通りのルートに傭兵達が現れたからであり、現れることそれ自体は、アカリ自身も薄々察していた。今日は色々なことが起こり過ぎた。日中には王都の兵団らしき一向が、そしてほぼ間を置かずに見慣れぬ姿の者が混じった旅人が、町に向かった。彼の呟きを思い出す。願わくばどうか嵐でないことを。その願いは、懇願である時点でそれも予想通りと言うべきか、やはり叶わなかった。
息を殺して、身動ぎも封じ、じっとその五人を観察する。半年前のあの夜のような、ごちゃごちゃした突起の多い服装をしていて、自動小銃――連中が持つ中型の大きさをしたものはそう呼ぶのだと彼に教わった――を諸手に携え、慎重に周囲や足元を警戒しながら歩み寄ってくる。
距離にして五メートルも離れていないが、彼らはアカリの存在に気付かない。
アカリは樹の上にいた。幹に背を預け、枝の上に膝を立ててしゃがんでいる。大して太くもない立木。大人の男が上れば折れてしまいそうな枝でも、アカリの体重なら苦もなく支えてくれた。魔物の素材同様、利用できるものは何でも利用しろ、と彼に教わっていた。正面切って戦う際には不利にしかならないはずの子供であるという側面も、工夫を凝らせば強みになる、と。
まさか人が上っているとは思いもよらないのだろう、五人は上方に注意を払おうとはせずに、真下を通り過ぎ、遠退いていく。
その時、銃声が鳴った。
北西、彼の家の方向からだが、彼の家が音源だとするには、もっと遠くで鳴っているように聴こえた。
すぐに射手の正体を覚る。
「エバ……!」
彼の言うところの散歩とは、詰まるところ周辺警戒の隠語だった。アカリの現在地は、彼の家を囲う雑木林のヒルドン側、街道である小径にほど近い、最も接敵の可能性が高い地点だ。そしてエバの配置はその対、南東にヒルドンを見る、西側である。彼の家を二点で挟むように警戒し、もし接敵があった場合、速やかに離脱し彼に報告。決して交戦してはならない。それが散歩だった。
傭兵達は二方向から侵攻し、可能性の低いと思われた西側からも接近したのだろう。アカリ同様にその姿を認めたエバは、しかし攻撃を仕掛けてしまった。
隠し通路であるトンネルから急くように家を出たエバ。別れる直前の彼女の言葉を思い出す。
――いよいよですね。ようやくお父様とお母様の仇が討てます。
アカリはあくまでも散歩だと釘を刺したが、エバは少しむっとしたような顔をして、何も言わずに持ち場へ向かった。きっと四月ほど前の一人で町へ向かい、けれども何も成せずに泣きながら帰った夜の経験がなければ、アカリも同じように撃っていたかもしれない。
タカタカタカタカン、と機械が動くような遠い銃声が連続する。傭兵達が応戦を開始したのだ。
遠退きつつある五人はそれを受け、足を速めた。
アカリは唇を噛み、逡巡する。報告するにしても、真っ直ぐに家に向かうあの五人を迂回して、自分の方が早く到着できるだろうか。無理だ。彼らの移動速度が先のような緩慢な歩調なら十分に余裕を持って行動できたが、駆け足に近い速度となってしまった今となっては、遠回りでは到底敵わない。彼らの方が先に到着し、家に攻撃を仕掛けるだろう。
そう判断したら、即座に決断した。
諸手の銃を跳ね上げ、銃床尾を肩付けし、遠退く彼らの背を照準する。魔蓄鉱の収まる撃発部後端に取り付けられた、小指の爪程度の小さな金属の板に穴を開けた照門越しに、六連の銃身に平行して伸びる鉄板の先端に設けられた突起、照星を見る。元々夜目が利き、すっかり闇順応したアカリの眼は、五人の内の最後尾の一人の背中に重ねられる照星を確実に捉えていた。今度は震えはなかった。呼吸に応じて上下するだけで、安定していた。恐怖もない。自分が返り討ちに遭うより、彼に、姉妹達に危害が加えられることの方が遥かに恐ろしかった。
鼻からゆっくり息を吸い、口から吐き出して、呼吸を止め、銃把を握る手元に意識を集中し、魔蓄鉱に念じる。
爆ぜろ。
魔蓄鉱から凄まじい速度の燃焼、即ち爆発が取り出される。五十グレイン相当のニトロセルロース単材で形成されたシングルベースと呼ばれる無煙火薬の炸裂だ。その瞬間最高燃焼温度は約二千四百度にも達し、生じたガス圧が銃身の後端に詰め込まれていた鉛の球体を押し出し、滑空銃身の膣内で存分に速度を高め、最高潮に達した瞬間、銃口から解き放たれる。
射出された球状の弾丸は約五百メートル毎秒で飛翔。ライフリングが刻まれていない滑空銃身であるが故、飛距離も精度も望めないが、直径十六ミリ、重量二十グラムの無回転の鉛の粒が有する膨大なエネルギーは、二十番口径の一粒弾に匹敵し、その目的とするところは、人体の貫通ではなく、内の留まり、内臓組織を叩き潰すことにある。
背の下腹部に弾丸を受けた傭兵は、さながら戦槌で殴打されたかのように軽々と吹き飛び、地で弾み、更に慣性に従い数メートルは転がって、微動だにしない。即死である。
アカリは曲銃床により上方に跳ね上がる反動をいなしながら、前部銃床を握っていた左手を六連の銃身に移し、反時計方向に回す。ロックが外れた銃身は約三十度、魔蓄鉱の収まる撃発部と次の銃身とが重なった地点でガチリと固定される。ペッパーボックスマスケット。彼はこの銃をそう呼んでいた。
蓮根状に束ねた六連の滑空銃身に、魔蓄鉱による撃発部が組み込まれた木製のライフル銃床を括り付けた、非常にシンプルな先込め式の手動回転式小銃である。一人の技術力と用意できる設備では複雑な自動装填を一から作り上げるなど夢のまた夢であり、自動回転式の単純な機関部でさえも手に余った。そこで撃発のメカニズムは魔蓄鉱に、装填は手動に頼ったこの半連発式とも言うべき小銃が開発されたのである。胡椒の粉末化容器のように手で回す機構を有した先込め式銃だ。
残り四人の傭兵は、零れ落ちんばかりに目を丸く剥き、倒れた一人を凝視していた。突然背後で鳴り響いた銃声と、斃れる仲間に肝を抜き、射手を探すのはおろか、攻撃を受けたということにさえ、いまだ理解が追いついていないようだった。
迷わず、もう一人の頭部を照準し、アカリは魔力を送る。
鋭い破裂音が轟く。刹那、オレンジ色の発射炎に照らされる雨粒が見え、その向こうでは男の右の眼球一帯がごっそりと抉れ、飛沫を散らしながらブリッジをするように身体を折り曲げ、卒倒した。
アカリは即座に身を翻し、傭兵達との間に樹の幹を置くようにし、滑り降りる。
「樹だ、樹の裏だ! 殺せ!」
傭兵達の怒号と同時、耳を聾する連射音が辺りに充満し、幹を伝ってくる着弾の不気味な振動がびりびりと肌を刺激する。咽返るほどの木片と粉塵が周囲に舞い散り、すぐ脇を通過する弾丸の風切り音は魔物の呻り声のようだった。
しかしアカリは冷静だった。尋常ではない喧騒の中、幹を敵方に隔てたまま、腐葉土を掻き分けるように這い進む。実戦、敵を射殺した手応え、向けられる殺意。全てが初めてのことなのに、不思議と恐怖は感じない。いや、まだ感じる余裕もないのだ。彼は言っていた。命の危機に瀕する状況に陥った時、恐怖に立ち竦む人間はその実少ない。生き残ることに必死になるのが人間であり、感情なんて事後ないし余裕がある時に湧いてくるものだ、と。難解な文言だとその時は曖昧に受け止めていたが、今はなるほど、その通りだと実感できる。
一瞬、銃撃の嵐が途絶えたタイミングで身体を起こし、藪であれ草叢であれ立木であれ、常に敵との間に遮蔽をおくようにして離脱する。駆けながら、ペッパーボックスマスケットの銃身を再び一発分回転させ、レインコートのポケットから鉛粒を二発取り出し、撃ち終えた二本の銃身に落とし込むと、前部銃床内に格納されていた突き棒で奥まで挿入する。訓練で教わった通りに思考し、手足を動かす。十分に距離をとれたと思った地点で進行方向を変え、迂回して彼の家を目指した。
目的はあくまでも偵察。敵の全滅ではない。先の先制攻撃はあくまでも撹乱のためだった。それによりあの生き残りの三人よりも逸早く、家に到達できるはずだ。
半年、たった六ヶ月の訓練期間。
しかしアカリにとって人生で最も濃密な六ヶ月だった。様々な感情が起伏し、色々なことを学んだ。自堕落に過ごす一週間と、研鑽された一日との間には天と地ほどの差が生じる。状況にもよるが、今の練度なら町の傭兵達とも渡り合えるだろうと、彼からお墨付きを貰っていた。
そしてこの六ヶ月は、新たな家族との共同生活の期間でもあった。仇討ちのためだったはずの生活は、いつの間にか掛けがえのないものになっていた。発見の連続の新鮮な毎日だった。一言でいえば、楽しかった。平穏無事にこの生活が続くのならば、それでもいいとさえ思えるようになっていた。
気付くと、西側からの銃声が途絶えていた。嫌な予感が脳裏を過ぎる。
彼の家を囲う拓地と雑木林の縁に到着。家はまだ無事だった。闇夜を背景に、慣れ親しんだ第二の我が家が、最後に見た時のまま影のように佇んでいる。だが嫌な予感は消えない。きっと彼も、そしてククルも察している。下唇をぎゅっと噛み締めた。そしてその予感が当たっているならば、順当に家に駆け込むより、この場に待機していた方が有利かもしれない。
アカリはポケットから銃身を三分の一に寸断したサイズの金属の筒を取り出す。これも彼の手製であり、灯火が付与された魔蓄鉱の欠片が入っている。そして再び最寄の立木によじ登り始めた時、異国の言葉の大音声が周囲に響き渡った。
ちょうどアカリの対、彼の家を挟んだ反対側の雑木林からのようだった。嫌な予感は確信に変わった。
家からも、彼の怒鳴り声が返答され、途端、発砲音が轟く。日向ぼっこ、即ち見張りに就いていたククルが西に向かって射撃を開始したようだった。
途端、聴いたことのない、激しく何かが抜け出たような擦過音が僅かに鳴り、ほぼ同時、彼の家の二階部分で巨大な火花が弾けた。
「そんな――」
今日の日中、町に向かった兵団の状況偵察を彼に頼まれ、例のルートで町に向かっていた時に耳にした音と酷似した、肌が痛むほどに空気を震わせ、小石が動くほどに大地を揺るがす大音響が谺する。
高台から見下ろした館の前の広場、灰煙の中、無数の人馬の亡骸で埋め尽くされた恐ろしい光景が脳裏で蘇る。
「お兄ちゃん、ククル……ッ!」
思わず、また呼んでしまった。お兄ちゃん、と。
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