21 不穏当
シェパドの家に向かうべく、一同は雑木が疎らに茂り始めた緩やかな斜面の小径を登っていた。無論、石畳も敷かれていなければ、舗装もされておらず、如何に千歳の間、往来する人間によって踏み固められた地面とはいえ、雨にぬかるみ、深々と足跡が残った。
「あの町は元々どういう町なんだ?」
背後の、平地を挟んで遠望される雨風に霞んだヒルドンの町並みを見遣りながら、警戒も兼ねて殿を務めていたケイルは誰ともなしに訊ねた。
馬を潰された今、サイとゼロットも当然のように徒歩であり、先頭を往くサイはどこか余裕のない調子で急くように大股で歩いていたが、ケイルの言葉を受け小さく息を吐き、僅かに歩調を落とした。
「西のヒルドンっつってね。このライガナ王国では、王都の次ぐらいに栄えている町なんだよ。名前は忘れたけど、地方貴族の中でもとりわけ有力な領主が取り仕切っててさ。昔から質のいい鉱物が採れるってんで、外国でも有名な鉱山と鍛造の町だったんだ」
「外国でも有名か……」
雑木林に隠れる前、ケイルは最後にもう一度だけ、ヒルドンを仰ぎ見た。
昼過ぎに初見した時にもほのかに感じたことだが、サイの言葉を受け、そしてこのような事態に陥ってから改めて観察すると、険しい岩山に背後を護られ、四周には見通しのよい平野という、如何にも防衛するに御誂え向きな地形には徒ならぬものを感じる。
ケイルの態度から、言外に含まれた思慮を感じ取ったのであろうサイが、鼻を鳴らして苦笑する。
「そう、その通りさね。魔物が現れる前、国同士で諍いに明け暮れてた頃、優れた鉱山を抱くこの町は諸外国のいい標的だったって聞いてる。だから侵略防衛の前哨基地としての役割も兼ねて、あんな地形になったってわけ」
ま、侵略してたのは主にこのライガナ王国の方だったわけだけど、と付け足して、サイは嫌味げにリルドを一瞥する。軍属であるリルドへの当て付けなのだろうが、リルドは気分を害した風もなく無表情で軽く肩を竦めて見せた。
「この国に対して色々と不満があるようですが、二十年も前の咎を私に求められても困ります。そもそも咎めること自体、筋違いというもの。その頃の輝かしい戦歴があったからこそ、この王国は嘗て類を見ないほどの発展に至ったのです」
「教科書通りのお利口なコメント、あんがとさん」ひらひらと鬱陶しそうに後ろ手を振るサイ。「その教科書には、魔物の出現からこっち、広大過ぎる国土の防衛に苦心する現状への的確な対処法が載ってるのか、是非意見を賜りたいもんだね」
「………」
沈黙するリルド。
幼少期は教育係を勤めていたというだけあり、サイは内政や軍事に対しても間口の広い教養があるようだった。
「鉱山で採れるという鉱物は何なんだ? 鉄か?」
「そう、主に鉄鉱石。だけどそれだけじゃない。大陸中でも数箇所でしか採掘できない特殊な鉱物が採れたからこそ、ヒルドンは重要視されてた」
「特殊な鉱物……?」
「呼び方は色々あるんだけどね。魂石とか、付呪金属とか。一般的なのは魔蓄鉱かな」
「魔蓄鉱?」
オウム返しを繰り返すケイルに、サイは、子供か、と可笑しそうに呟く。
「説明するのはちょっと面倒なんだけどね。簡単に言うとだ、強力な自然現象や発現された魔術を取り込んで、半永久的に任意のタイミングで取り出せる鉱物さ」
「………」全然簡単じゃなかった。
ケイルの隣ではアーシャがサイに向けて、ああん? と盛大なメンチを切っていた。その邪念が伝わったわけではないのだろうが、サイはもう一度笑い、言い改める。
「つまりさ、採れたばかりのプレーンな状態の魔蓄鉱を火で炙ったとするだろ。すると、今度はほんのちょっとの精神エネルギーを送ってやるだけで、魔蓄鉱の周りで炙った時と同程度の火が現れるのさ。魔蓄鉱に元々篭められてた精神エネルギーが尽きるまで、永続的に好きな時にその自然現象なり魔術なりを取り出せるってわけ。その特性から、魔術を付与する、所謂付呪に適した鉱物としても利用されてる。例えば、そうさね、王都の城の所々に灯篭があったろ? あれはオイルじゃなくて、灯火の魔術を付与された魔蓄鉱の欠片が入ってたのさ」
「ああ。なるほど」
ケイルは思い出し、得心した。
城の廊下や、断罪の間に見受けられた灯篭。断罪の間の天井から吊られた高い位置の灯篭を見て、ケイルはどうやって火を点けるのだろうと訝っていたが、魔術士が精神エネルギーを流すだけで火が灯るのならば、その疑問も解決だ。
そして、同じく断罪の間にて、国王ディソウが収まっていた守護の籠はもしかしたらその魔蓄鉱で鍛造されたものだったのかもしれない。高尚な魔道士により硬化魔術を付呪された云々と言っていたので、国王自身ないしあの場に居合わせた魔術士の誰かが、事前に精神エネルギーを流し、強力な硬化魔術が発現された状態へと変質させていたのならば、あの頑丈さにも納得である。……もっとも、精神エネルギーという不可解な単語に目を瞑れば、という前置きはいつまで経っても拭えないが。
「他にも、教育を受けてなくて魔術と呼べるものが使えない人の中にも、無自覚な才能を持った人は結構大勢いるんだけどさ、そんな人達も魔蓄鉱を媒体に使えば、事前に付与された魔術を容易に取り出せるわけさ。だから魔術の才覚があるか否かのテスト装置としても、度々使われてる。まあ、バカみたいに値の張る代物だから、全然一般には普及してないけどね」
アーシャが感心した風に、ふぅん、と相槌を打った。
『興味深いわね。爆発反応装甲の超マルチ版って感じかしら……いや、ちょっと違うか。私達の世界の物質では例えようがないわ。SFメディアに頻出する精神感応金属、オリハルコンみたいなものね。にしも、全体どういう理屈でそんな鉱物が存在してるのかしら?』
同様の疑問を感じたケイルはサイに訊ねた。
「あー、諸説あるんだけどさ。一番有力なのが、大昔の超高尚な魔道士が自分の魔道を更に強力にするために、実験的に山脈そのものに魔道をかけて、その残滓が鉱物として現代にも残り続けてるって話」
「山そのものに? そんな魔道士がいるのか?」
「いやいやっ、大昔って言ったろ。正式な文献なんて残ってない、神話みたいな時代の話さ。その頃の高尚な魔道士なんつったら、もう神様と同義さね。本当かどうか、結局のところ未だにわかっていないのさ。そういう眉唾のおとぎ話に関しては、本の虫のライアスぼっちゃんの方が――」ふと言葉を止め、サイは目を伏せた。長い睫毛に付着した雨の水滴を指の背で払うと、前方に向き直り、独白のように付け足す。「詳しいと思うんだけどね……。ったく、どこで油売ってるんだか」
小径を歩き続け、ほどなくしてシェパドの家に到着した。
まだ夕刻のはずだが、空模様も手伝ってか、辺りは夜と大差ないほどに暗く、拓地の中央にある家屋のほのかな灯りが一同に僅かな安堵感を与える。
ノックし、扉を開けると、少女達は明るい声と表情で出迎えるが、一同の暗い雰囲気から察したのか、顔を曇らせた。
「おかえり。……何かあったんだな」昼間と同じ位置で紙煙草をふかしていたシェパドが、何かを探すように一同の背後へと視線を彷徨わせる。「ライアスとかいうよなよなした兄ちゃん、どこだ?」
「町に入ってすぐにはぐれちまった。ここには帰ってないかい?」
「ああ、ここには来てないが……そうか。はぐれたか。……くそっ」
意味深な悪態を吐き、深く、紫煙と同時に嘆息を吐き出すシェパドだったが、すぐに背後の少女達に向き直る。
「アカリ、エバ、散歩頼む。大至急だ」
「あいよ。あにき」
「わかりましたわ。お兄様」
神妙に首肯し、奥の部屋へと足早に向かう二人。
「ククル、お前は日向ぼっこだ」
「はーい。お兄たま」
ククルはとたとたと二階へ駆け上がっていく。
その意味不明な一連の遣り取りを前にして、日中初めてこの家を訪れた時と全く同じように、一同は玄関先で立ち尽していた。
ただ、表情に宿るのは単純な怪訝ではなく、不審。先の会話の散歩や日向ぼっこという言葉が、明らかに言葉通りの意味合いではない、何か隠語のようなものであるということは容易に推測でき、即座に指示を下すシェパドや、微塵の逡巡もなく行動に移った少女達からは、ただの兄妹や家族は放ち得ないであろう、並々ならない不穏当な気配を感じる。
僅かな警戒心を滲ませて、一人残された住人であるシェパドを凝視する。
「あんた達は、一体なんだい……?」
息を呑み、表情を硬くして訊ねるサイを横目で見遣りながら、シェパドは人差し指と親指で抓んだ紙煙草を根元まで一息に喫い尽し、灰皿で揉み消した。ふぅーと濃密な紫煙を吐き出す。煙越しに見える顔は何か覚悟を決めたような、毅然としたものだった。
さて、と膝を叩いて腰を上げると、淀みなく真っ直ぐにケイルを見据えた。
「にいちゃん、こっちの世界に来て、どれぐらいになる?」
ケイルはマスクの中で目を見開き、硬直した。
今の言葉は、込められた意図は勿論、物理的な音声としても異常だった。いや、むしろ正常というべきなのか。というのも、こちらの世界に来てから最早聴き慣れてしまった、インターフェースアーマーに内蔵されたスピーカーから再生されたものではなかったのだ。システムを介さず、シェパドの声帯が発した空気の振動を、ダイレクトでケイルの耳が受け取った。それが何を意味するのか。
弾かれたようにアーシャを見ると、アーシャも驚愕の面持ちでゆっくりとケイルへ頭を向ける。
『今、訳してないわよ……?』
サイとリルド、ゼロットは、不思議そうな表情でシェパドとケイルに視線を配っていた。それはつまり彼らが今のシェパドの言葉を理解できなかったからであり、即ち彼らの使う言語とは別種のものだったからだ。
「へえ、驚いた。その反応、意味が通じたみたいだな。言語は共通しているようだ」
シェパドは無精髭を蓄えた顎を撫でつけながら、吟味するようにケイルの爪先から頭までを見渡し、続ける。
「どうやら俺は、俺について、いや、俺たちについて、あんたらに話さなくちゃならなくなったようだな」
「たったそれだけの情報のために、よく頑張ったと思うよ。ほんと、偉い偉い」
ライアスの意識の片隅は、火傷の男の声を辛うじて意味を成す言葉として拾っていた。
自身の絶叫により詰まったような鼓膜、安らかな闇と地獄のような現実の狭間を漂う意識、霞みが去来する視界に映るのは、小さな針で不細工に塞がれた無数の創が奔る己の身体。小太りの男の手形や筋状に流れ出る血液によりほとんど真っ赤に染まっていたが、所々に覗く血の気の引いた白い肌が、自分のものだとは思えないほどに酷く作り物めいて見えた。
「それにしても、恐ろしく強い異形の戦士、ケイルか。なるほどね」火傷の男は薄ら笑いを浮かべる。「王家に害した犯人じゃないってのは残念だが。ふん、それでも面白いな」
「シェパドって言ってましたよね。へへ、変な発音だ。もしかして偽名のつもりなんスかね」と小太りの男。
「この男もそうですが。黒服の女、彼女も王国軍の人間ならば、捨て置くわけにはいかないでしょうね」前掛けの女が神妙に腕を束ねる。
もうライアスへの興味は失ったようで、用済みだとばかりにそっぽを向き、部屋の中央で向かい合って会話を始める三人。
吊られた姿勢のまま呆然と頭を垂れていたライアスは、感情を持ち合わせる余裕さえも消耗していたが、拷問が始まってから幾度となく流したものとは別種の、熱い涙が頬を伝い落ちた。喋ってしまった。痛みと、恐怖に負けて、知り得る限りの情報を喋ってしまった。
失礼します、と扉が開かれ、三人の皮鎧の男達が顔を覗かせた。火傷の男の姿を認めると、口を開く。
「酒場で連中と接触しました。黒服の女は王国軍のお偉いさんのようで、魔術を使います」
「ああ、今聞いたよ」ライアスを一瞥する火傷の男。
「今はもう町を離れたようですが、別の班が馬を潰したんですよね? さほど遠くには行けんでしょう」
「だろうな。行き先の心当たりも、今聞いた」
「……どうします?」
皆の視線が火傷の男に集まる。
男は天井を仰いで遠くを見るようにしてから、やがて小さく息を吐いた。
「鳴りを潜めてたはずの目の上のたんこぶが、再び疼き始めたら、刃を入れて膿みを出すしかあるまいよ」
「悲願ですな」他の者達は笑みを浮かべ、鷹揚に首肯した。
そこから先はライアスには理解できない異国の言葉が幾つか飛び交い、小太りの男を残して、皆が退室した。
小太りの男は部屋の隅、ライアスの背後に移動し、天井の滑車と繋がった荒縄の固定具を外す。からからっ、と小気味良い音をたてて滑車が空転し、張力から解放されたライアスは久しく地に降りた。脚にも、腰にも、身体にも力が入らず、そのまま無造作にくずおれる。
溜まっていた水に自身の身体から流れ出した血液が溶け込み、斑な赤に染まっていくのが見えた。ふと視界が翳る。小太りの男がライアスの顔のすぐそばに屈み込んだ。
「よかったな。念のため、生かしておけだってよ。人質ってやつだな」
小太りの男の嘲笑うかのような声が、ただの音として鼓膜を通過していく。
ライアスの無反応にふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした男は、一度腰を浮かしかけるが、何か思い付いたように昏い笑みを貼り付けて、再び屈んだ。
「ところで、お前達が町に入った時、俺もちらっと見物したんだけどよ」
ライアスの耳元に顔を寄せる。
「あのブロンドの巨乳のねえちゃん。お前の彼女か?」
「――」ライアスは目を見開き、視線を上げた。天井の蝋燭の明かりを遮断して聳え立つ男。暗黒に翳った顔には、歪んだ目と口だけが浮かび上がって見えた。擦れた咽の奥から、必死に否定の言葉を搾り出す。「ち、違う。……違うっ」
「おいおい、隠すなよ。俺とお前の仲だろう。ありゃあ、いい女だよな。羨ましいぜ」
男は舌なめずりをした。厚く腫れぼったい唇に粘った涎の雫が溜まる。
「安心しろよ。もし生け捕りに成功したら、この部屋で二人仲良く、俺が飼ってやるから」
すぅ、とライアスは自分の中で何かが醒めていくような感覚を覚えた。下半身が遠退き、腹が波打つ。殴打するかのように動悸が胸を内側から激しく叩き、息ができない。
「まず、服を毟り取って、あの軟らかそうな肌と見事な乳房を晒して、じっくりゆっくり、たっぷり一週間は嬲ってやるだろ」
男の小汚いズボン。内から圧迫されるように股間の辺りが脹らむのが見えた。
サイの少年のような屈託のない粗野な笑顔が脳裏を過ぎった。ライアスは、知らず口の中で強く歯を食い縛っていた。ぶちりと内頬の皮膚が噛み切れ、口角から血の筋が垂れる。
頭の奥底で巣食っていた得体の知れない何かが蠢き、跳ね回り、喚き散らしているような感覚。良識だとか、道徳だとかを押し退け、遥か後方に置き去りにして、思考と本能の渦を掻き分けて表層に出ようと暴れている。首には筋が浮き、全身が小刻みに震え、目の奥がちかちかした。
次に脳裏を蘇った情景は、カボル村の広場。無数の死体に囲まれて、淡々と盗賊を処刑していた異形の戦士。逸早く駆けつけて、盗賊達の身の毛もよだつような蛮行の地平を目の当たりにした彼が、何を思ったのか。彼がどんな表情を浮かべて、どんな感情に衝き動かされて、あの虐殺を為したのか。今ならライアスにもわかった。
――こいつが、憎い。
「で、それに飽きたら、次はお前も大好きな刀削麺タイムで皮膚を削いでやるんだ。ひひ、あの気の強そうな整った顔をどんな風に歪めて、どんな声で鳴いてくれるのか。想像するだけで興奮してくるな。え?」
そんなまねは断じて、絶対に、何があろうとも、自分がどうなろうとも、何をしてでも、させるわけにはいかない。
「ぁ……ぁぅ」
ライアスは口をぱくぱくと動かして、何かを伝えようとした。口の中に溜まっていた血液が零れ落ちる。
「うん? どうした? 何か言いたいことでもあるか?」
嘲笑顔を浮かべて、耳をずいっと近付けてくる男。
間近に迫った脂汗の浮かんだ男の首筋。ライアスは頭部を跳ね上げ、喰らい付いた。
目を剥き、咄嗟に立ち上がってライアスの頭部を両手で引き剥がそうとする男。
振り回され、顔を引っ掻かれても、ライアスは顎の力を緩めようとはしなかった。ほとんど力など残っていなかったはずなのに、強烈な激情が目に見えない形となって、下顎を固定しているかのように、離れなかった。ばかりか、更に強く、深く、咬み付ける。口の中に溢れ込んでくる男の血も、油ぎった皮膚の舌触りも気にならなかった。上下の犬歯で前歯で、掘り進むように、皮膚を破り、筋肉を掻き分け、頚動脈を千切り、気管を抉る。男の声帯の振動を歯の先に感じた。
振り払われたライアスは倒れ込む。横たえながら、ぐぽ、と口の中の血肉を吐き出した。歯形に喰い千切られた肉の塊は、床の所々に張り付いている鋏で切り取られた自身の皮膚よりも、遥かに大きく、立体的だった。
咽笛を噛み切られた男は亀のように首をひっこめる。豚のような小さな眼を見開いて、突き出された下唇からは血液混じりの涎が糸をひいていた。ちぢこめられ、段になった首の肉の間から、水を含ませた布を絞るかのように大量の血液が止め処なく溢れ出る。その肉の隙間を必死に両手で押さえているが、本来圧迫すべき傷口はぶ厚い肉の下。手で止血した方が効率がいいはずだが、激痛と混乱からそれを理解するに至らない。
「ドグ……。ドグゥ……。ダズゲデ」
咽の奥から濁音混じりのか細い声を発し、軍医であると名乗った女の名を呼びながら、男は扉に向けて千鳥足で向かう。しかし途中でうつ伏せで倒れ、扉に伸ばした手がぱたりと、力なく床に落ちた。首の辺りから、赤黒い血が広がる。
「サイミュス先生……。サイミュスせんせぇ……」
ライアスは震える膝を立て、何度も転びながらも、扉に歩み寄る。這いずっていると言った方が近いかもしれない。縛られたままの両手、荒縄が尾のように床に曳かれ、小太りの男の血液が染み込んでいた。
不意に扉が開け放たれる。
「あ」母音を一言呟いて、ライアスは絶望の面持ちで硬直した。
「おっと、こいつはたまげた。窮鼠猫を噛む、か。文字通り噛み付いたみたいだな」
外の明かりを背に受けて、そこに立っていたのは火傷の男。
だが服装が先とは違っていた。随所に厚い皮の脚絆が巻かれたレギンスはそのままだったが、上半身にはライアスが見たこともないような、中身が詰まって角ばったポケットが無数に連なる厚手のベストを着込んでいる。
火傷の男の背後には首を伸ばして室内の様子を窺う男達。火傷の男と同様の服装をしており、総じてごちゃごちゃとした動き難そうな装備に見えた。
そして彼らは皆が例外なく黒く無骨な光沢を放つ奇妙な物を、肩から負い紐で吊っていた。木製に見受けられる箇所や、歪曲した金属部など、相違点も多々あるが、ライアスはそれに近い物を見たことがある。ケイルの持っている杖のような武器だ。火傷の男が担いでいる物はとりわけ大きく、長く、それがケイルの持つ武器に一番近いように思える。
火傷の男は、仲間であるはずの小太りの男の死体を無感情に一瞥して、くかか、とライアスに向けて頭を振りながら微苦笑した。
「王国軍人も馬鹿にしたもんじゃないな。捜索隊のメギルとかいう隊長さんも、随分とタフな男だったよ」
言って、男は足を振り被り、蹴り出した。
鼻っ柱にきな臭さが広がり、眼球の奥で火花が散ったような気がした。ライアスの意識は一瞬にして闇に閉ざされた。
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