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異形の魔道士  作者: IOTA
23/60

20 自警団



 地面は石畳、左右は煉瓦や削り出しの岩で造られた家屋。もともと色合いが豊かな町並みではなかったが、空の暗雲と降り頻る霧雨がその印象を強めていた。

 この世界に来てから数回しか経験していない既視感のような感覚を、ケイルは今一度覚えていた。

 白と黒、モノクロに染まった石の町。その光景は、繭のような人工子宮で製造されてからというもの最も多くの時間を過ごした場所である、廃墟の街を連想させたのだ。

 そして常に何かに追われるように、怯えるように、頻りに四方に視線を彷徨わせ、早足で移動している現状も、廃墟の街での日常を喚起させられた。

「ああぁもうっ! どこ行っちまったんだってーの!」

 苛立たしげに髪を掻き毟るサイ。細かな水滴が飛び跳ねる。シェパドの家で一度乾かしたはずの髪は、もうすでに再び濡れそぼってしまっていた。

 べしゃ、とケイルの隣でゼロットが躓いて転んでしまう。ケイルが手を取って起こしてやると、ゼロットは自身の身体を見て不快そうに顔を顰めた。シャツに砂塵が付着していたが、多少の汚れなど気にならないほど、服は雨に濡れ、転ぶ前からすでにぐちょぐちょだった。

「一度、シェパド氏の家に戻りましょう」

 最後尾にいたリルドが立ち止まり、皆に向けて言う。

「もうすぐ夜になります。この町に留まるのは」一度言葉を止め、左右に目を配ってから小声で付け足す。「あまり気が進みません」

 町の大通り。時間帯や天候を差し引いても、人通りが極端に少ない。今は三人の町民が疎らに歩いているだけだが、その三人は共に、ケイル達に奇妙な視線を送っていた。窺い見るような、どこか不安げな面持ちだった。

 町に入るということで、ケイルはヘルメットとマスクを外して、マントとフードを羽織った例の少々面妖な格好なのだが、そういった者に注ぐべき好奇の眼差しとは、彼らの表情は違うような気がした。単に余所者を見る目とも違う。

 そもそもこれほどの規模の町に余所者と呼べる旅人がケイル達以外にいないということ自体がおかしい。町の入る際、入り口に設けられた簡易な停馬所にて、サイが馬を繋ぎ止めておくための杭の一つに手綱を縛っている時、他に一頭の馬も見受けられなかった。魔物の出現により旅人が激減したのだろう、とその時は納得してしまったが、それにしたところで他に誰もいないというのは、今になって思えば少々度が過ぎている。

「当てもなく彷徨ったところで、いたずらに消耗するだけです。シェパド氏は、この町の異常性について何か知っている風でした。彼に頼る他にないと思います」

 冷静に進言するリルド。

 この町へ向かおうとする一同に対して、なんとなく危険な感じがするからと、酷くぼかした物言いでありながら、それでいてはっきりと警告してきたシェパド。リルドの言う通り、その不審な態度を差し引いても、町の郊外に住む彼が何も知らないとは考え難い。

 しかし、サイは顰めっ面を向けるだけで聞き入れようとはせず、更に町の奥へと進み始める。

 ふと、一軒の店の前で足を止めた。その店の扉の上には金属製のアームが突き出しており、木製の看板を吊っていた。凝った書体であろう文字の上には、二つのコップの絵がぶつかるように並んでいる。この世界の文字を解読できないケイルにも、それが酒場であるとわかった。

「入ってみよう。情報収集さね」

 店の中は間口から想像されるほど狭くはなかった。ゆったりとした奥行きがあり、左方には木製の長椅子が並んだカウンター。右方には円卓が四つ、等間隔に並べられている。

 カウンターの中にいる店主であろう禿頭とくとうの男も、丸い盆を抱えた従業員であろう女性も、手前の円卓に席をとっていた町民達も、ケイル達の姿を認めると一瞬目を丸くし、途端、不安げな顔色で一番奥の円卓に遠慮するような視線を配る。

 その視線の先には土色の皮製の鎧を着た三人の男達が陣取っており、彼らも一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにその面持ちは何か含みありげな陰湿な微笑へと変わる。

 ふりの客に対する反応だとしてもどこか奇妙な雰囲気に、ケイル達は眉を寄せながらも、カウンターの店主に向き直った。

「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

 サイの言葉を受けた店主は顔を近付け、小声で告げる。

「帰った方がいい」

「は?」

「今すぐ、この町を出るんだ」

 店主は言いながらも気が気でない様子で、店の奥の鎧の男達の方へと視線を泳がせている。盆を抱えた給仕の女性は、店主とサイの遣り取りを奥の男達から隠すように、僅かに立ち位置を変えていた。さり気なさを装ってはいるが、胸に抱えた盆を落ち着きなく持ち替え、何かに耐えるように一文字に結んだ唇は微かに震えている。

 不意に、奥の男達の一人が声を張る。

「よお、あんた達。困りごとか?」

 店主は硬直し、給仕の女性はびくりと肩を揺らして絶望したような面持ちで俯く。

「俺らはこの町の自警団だからよ。手を貸すぜえ」

「あ、ああ、そうかい。実は――」サイはそちらに歩み寄りながら事情を説明しようとするが。

「ただしっ、俺らにたっぷりサービスしてくれたらな」

 一人がサイの身体を凝視しながら下卑た笑みを浮かべて言い放ち、他の二人がどっと笑った。

「そりゃいい。給仕の女にゃあ飽きがきてたとこなんだ。俺はあの黒服がいいな。あの冷めた面を女の貌にしてやるぜ」

「マジで。じゃあ俺はあのちびっ子かよ。まあ生娘は大好物だけど。小麦色の肌に俺の愛情をぶっかけてやろうか」

 コップの酒を煽りながら唾を飛ばしてげらげらと笑う三人。

「………」

 ゼロットはケイルの後ろに隠れるようにし、後ろ腕に縋り付いてくる。

 サイはケイルに目配せをし、心痛するような面持ちで小さく頭を振った。

 ケイルは嘆息混じりではあったが素直に頷く。彼ら自警団は、この町の私設の警備隊のようなものなのだろう。私設とは言え、三者共にしっかりとした造りの皮の鎧を着込んでいるところから察するに、それなりの規模と整った体制であろうことが窺える。そんな彼らに手を出すということは、この町そのものを敵に回すことになってしまう。

 ただ、そんな自警団だからこそ、軍属であるリルドには捨て置けないところがあったようだ。

 歩み出て、「貴方達、自警団だと言いましたね」と男達を見据えながら口を開く。

「ああ、そうだよ。じけーだん。偉いんだよー」

「私は王都直属の近衛兵団を率いる身。つまり仮初めとは言え軍属である貴方達が従うべき高官にあたるのですが、それを知っての無礼ですか?」

 ケイルが初めて耳にした、リルドの身分を振り翳した高圧的な物言いだったが、否定的評価は感じなかった。この場合は強く出て然るべきだろう。だが、男達は顔を見合わせ、再び笑い始める。

「バカか。そんなの知らねーって」

「このえへー? なにそれ? うまいの?」

「どうでもいいからこっち来いよ。可愛がってやるから」

 リルドは、知らない? と怪訝そうに小首を傾げるが、すぐに「そうですか。わかりました」と鷹揚に頷き、約一秒の間、凄まじい速度で何かを呟いた。ケイルにはその言葉が聞き取れなかった。それはアーシャが翻訳する間もないほどの速度であり、発された言葉自体も翻訳が困難な類のものだったのだろう。つまり、魔術の詠唱。

 途端、リルドはそこにいなかった。

 影のような残像を残して刹那後には、すとん、と男達の円卓の上に着地した。約五メートルの距離を、恐ろしく速く、そして静かに移動していた。おそらく詠唱が終わってから卓上に立つまでにコンマ五秒も要していない。

 机の上に散乱していたコップや皿は微動だにしておらず、それらと同様、何が起きたのか理解できずに動きを止める一同。

『はやっ。あの広間で見せた技ね。やっぱり魔術の類だったみたい。縮地しゅくちと名付けましょう』

「……勝手に名付けるなよ」

 それは城の断罪の間にて、リルドがケイルとの距離を瞬時に詰めた魔術と同様のものだった。

 あの時は背後からだったのでわかりようもなかったが、こうして目前で目の当たりにすれば、常人に比べ強化された動体視力を持つケイルには大股の駆け足で移動するリルドの姿がはっきりと視認できた。それでも速いことに変わりはなく、他の者には僅かに黒い残像が見えただけだろう。地面を縮めて高速で移動すると云う仙術の一つ、縮地と形容しても大袈裟ではない技だった。

「お望みの通り、馳せ参じましたが。可愛がってくれますか? 女の貌にしてくれますか?」

 すでに抜刀していたリルドは、卓上から男達を見下ろし、刃の切っ先を顎先に突き付けた。

 剣を向けられた男は目先で不気味に輝く刃に鼻白んでいたようだったが、次の瞬間には一変、微笑を浮かべて見せる。

「へえ。あんた魔法使いだったのかよ。初めて見た。驚いたよ。けど、やめといた方がいい」

「ああ。調子に乗るなよ、姉ちゃん。碌なことにならない」

「今すぐそいつを下ろして、机からも下りろ。邪魔だ」

 男達が発する雰囲気は先までとは明らかに違っていた。卑猥で下卑た酔っ払いという風だった態度が、今は明確な敵意と、どこか徒ならぬ狂気を孕んでいる。目は据わり、身体は今にも弾けんばかりに強張っていた。一人の持つ木製のコップにぴしりと亀裂が奔る。

 瞬時に優位に立ったと思われたリルドが怯んでしまうほど、その三人は並々ならぬ剣呑な風格を放っている。虚勢などではなく、余裕ですらない。刃を突き付けられている彼らの方こそが、むしろ逆に必死で怒りを堪えているような、そんな態度だった。

「おい。揉め事はごめんだよ。行こう」

 言って、扉に向かうサイ。ケイルとゼロットも続く。

 リルドは円卓から飛び降り、男達を牽制するように振り返ってから剣を鞘に収め、皆に続いて店を出た。

「この町、やはり……」

 男達の高笑いが聞こえてくる扉を睨み付けながら、唾棄するように呟くリルド。耳聡く聞き付けたサイがリルドの肩を掴む。

「やはりって何だよ。あんた、この変な町について、なんか知ってるのか?」

 リルドはちらりとサイを見遣り、言い淀んでいたようだったが、やがて口を開く。

「……この町の治安維持と防衛を担うはずの駐屯団からの定期連絡が、半年ほど前から途絶えています」

「はあ!? なんだよそれ……」

「それとなく入り口付近にあった詰め所や通りなどにも目を配っていたのですが、王国兵の姿が一人も見受けられませんでした」

 今度はケイルの方に視線を送ってから、リルドは淡々と続ける。

「もう一つ、西方面の賊の捜索を任されていたカボル捜索隊も、時系列を鑑みるにちょうど今朝ごろこの町に着いていなくてはおかしいのですが、どうやら見当たりませんね」

「今っ更……!」サイは歯を食い縛り、リルドの肩から胸倉へと手を移し、ぐいと引き寄せた。「なんでそれを黙ってるんだっつーの!」

「情報が不確か過ぎますし、民間人においそれと話すべきではない国の防衛に関する重大な事案でしたので」

 襟を締め上げられてもリルドは無表情を崩さずに、甚く事務的に言葉を紡いだ。シェパドがこの町へ赴くことに難色を示した時、そう思う具体的な根拠は何か、とリルドは奇妙なほどに真剣に問うていた。それは軍部でも指折りの上位階級に就くリルドは、当然のようにこの町に纏わる徒ならぬ事情を事前に知っていたからだった。

「それに私が話したところで物資の補給は不可欠であり、この町には寄らざるを得なかった。違いますか?」

 反論に詰まるサイはそれでも暫く溜飲さがらぬ様子で睨め付けていたが、くっそ、とリルドから手を放した。

「一旦戻ろう、シェパドの家に」

 ケイルの言葉に、サイは小さく頷いた。

 町の入り口まで戻った一同は更なる不可解な出来事に、けれども明確に過ぎる害意が篭められた出来事に、絶句し、立ち尽くすことになる。

 馬が殺されていた。

 地に横たえる身体、その上に、斧のような重い刃物を何度も振り下ろして切断したであろう、歪な切り口を持つ生首が、これ見よがしに据えられている。黒魔術か何かの不気味なオブジェクトのようなそれの周囲は、雨に流れ出した血液により赤く染まっていた。馬に残してきた鞍皆具もテント用品も、全てが破壊されて打ち捨てられている徹底ぶりだ。

「なんなンだよ、この町はッ!」

 サイは両手の拳を握り締め、やり場のない怒りを片足で地にぶつけた。空しく水飛沫が飛び散るだけだった。

「一体全体、ライアスぼっちゃんはどこに消えちまったんだよ!」

 再び強くなり始めた雨脚。吹き荒ぶ雨粒の中、馬の亡骸を囲むのはサイ、ケイル、リルド、ゼロット。

 ライアスの姿がどこにもなかった。




 シェパドの家を離れてからほどなくすると雑木林を抜け、見渡す限り遮蔽のない平地が広がっていた。

 鋸歯状の峰を連ねる険しい岩山の稜線が遠望され、その裾野、山を削り出して造られたかのような石の町が目に入る。

 地方都市、ヒルドン。

 多くの人が住まう町でありながら、遺跡のような、あるいは意匠の彫刻家が彫り上げたようなその佇まいに、ライアスは驚嘆を漏らした。

 この町の駐屯団が音信不通であることはライアスも知っていたし、先のシェパドの不穏な発言もあり、そのことをサイに知らせるべきか否か迷っていたのだが、物資を買い込みすぐに出るだけならば問題ないだろうと、余計な心労を敢て増やすこと必要もないだろうと、ライアスはそう判断した。王都以外の大きな町を散策するのは初めてであり、少しばかり浮かれていたという心情もある。

 しかし、町に入ってすぐに町民達の奇妙な眼差しを不気味に感じ、サイに知らせようと思い立った矢先、路地からこちらを注視し、手招きをしてくる一人の女性の姿に気が付いた。

 歩み寄ると、女性は離れて行き、路地から少し入った場所でまた手招きをしてくる。

 前を窺う。サイもケイルも、リルドもゼロットも、誰も女性には気付かずに、振り返りもせず歩き続けている。一瞬、声を掛けて待ってもらうことも考えたが、いちいち呼び止めるのもまるで子供のようであり、それにあの女性はもしかしたら人目の多い場所では話しづらいような事柄、例えばこの町が帯びる異常な雰囲気について、旅人である自分達に何か教えてくれようとしているのかもしれない、と。それを聞き、ケイル達に報せれば些細なものではあるがちょっとした手柄になるのではないかと、少しは役に立てるのではないかと、そんな風に心算してしまった。

 ライアスは女性の後を追い、路地へと踏み入る。

 大通りを往来する町民は極端に少なかったのに、路地裏では大勢の浮浪児の姿が目に付いた。薄汚れた身形とやせ細った四肢、壁や地べたの一部であるかのようにじっと座り込み、澱んだ眼差しを向けてくる。

 まだゼロットよりも幼いであろう年齢の少女達が、近付いてくるライアスに気が付くと衣服を着崩して手を差し出し、なんでもするから施しを、と乞うてくる。それにしたところで積極的な風ではなく、通り過ぎる相手が大人の男であるならば機械的に繰り返しているであろう印象を受けた。

 王都にも浮浪児は存在したが、この町の人口と規模から鑑みるにこの量は少々過剰だった。一体どうなっているのか。ライアスは唇をきつく結んで、浮浪児達の方は見ないように努め、女性の背を追い続けた。

 ある程度まで入ると、女性は立ち止まり、ライアスに向けて頭を下げた。その表情は泣き出しそうな、辛そうなものだった。すいません、ごめんなさい、と頻りに謝罪し、駆けて行ってしまう女性。

 ライアスはわけがわからずに呆然としていたが、すぐに女性の謝罪の意味を理解し、自分の間抜けさを呪った。

 皮製の鎧を纏った男が二人、角に消える女性と取って代わるように前方から歩み寄ってきた。振り返ると、背後からも同じ服装の男が二人。浮浪児達は彼らの姿を認めると、蜘蛛の子を散らしたようにどこかへ消え去っていく。明らかに穏やかじゃない。どう控えめに見ても罠だった。

「ようこそ、ヒルドンへ」

 四人に取り囲まれ、後頭部に衝撃を受け蹲るライアス。背中を、腹を、頭を蹴られ、意識があるのはそこまでだった。



「おい。お昼寝タイムは終わりだよ。つーか誰が寝ていいって言った」

 顔に水をかけられる。

 呼吸中、不意に下から振り上げるように浴びせられた水は気管に入り込み、一瞬ではあるが地上にいながらにして人間を溺れさせる。

 ライアスは鼻から口から、水を吐き散らし、酸素を貪り、意識を取り戻す。

 吊るされていた。薄暗い小部屋。天井の滑車から垂れる荒縄に両手首を縛られ、爪先が床に着くか着かないかの高さで宙ぶらりんになっている。両手は紫に染まり、荒縄で擦り切れた手首からは血の筋が流れていた。自重を支えることをとうに諦めた肩は脱臼し、腕の感覚はない。

 脂ぎった顔をした目の細い小太りの男が、顔を覗き込んでくる。

「おはよう」

 生臭い口臭が鼻をつき、思わず顔を背けてしまう。

「なにその反応。ムカつくんだけど」

 腹を殴りつけられる。肉を打つ鈍い音が響き、胃が悶えるが、もう血反吐も出ない。すでに幾度となく身体中を殴られ、蹴られ、打ち据えられ、裸の上半身は赤黒い斑点だらけだった。

 小太りの男は癇癪を起こしたように、勢い任せでライアスの脇腹を殴り続ける。アチョッ、アチョッ、ホアチャー、と奇妙な掛け声と共に、右から、左から、正面から、鋭い打撃が身体を抉った。

 殴打の嵐が終わると、ライアスは項垂れた。浴びせられた水と、流れ落ちた涙と鼻水と涎が足元に溜まり、爪先が滑るが、ここで転倒してしまったら肩が完全に外れ落ち、もう二度と使い物にならなくなるのではないかという恐怖が、よちよちとほとんど無意識的に身体のバランスを保たせる。

「なーなー、もういいだろ? 俺も疲れたよ。いい加減、本当のことを教えてくれよ。お前のお仲間は何者で、何が目的なんだ?」

「だ、だから……」ライアスは息も絶え絶えに口を開く。「ただの、旅人だって、言ってるだろ……。この町には、買い物に来ただけなんだ……」

 小太りの男は芝居がかった調子で大仰に嘆息し、部屋の隅を見遣る。

 そこには顔に火傷の痕がある男が、腕を束ねて立っていた。

「ただの旅人、ね。……やれやれ。ドク、お客さんはお前の出番をご所望だとさ」

 言って、火傷の男は背後の扉をノックした。すると間髪を容れずにもう一人、すぐ外で控えていたであろう妙齢の女が入室してくる。身体の正面を覆った白い前掛けがライアスの目には嫌に眩しく映った。 

 前掛けの女は四角い盆を抱えており、その上には二つの物が載っていた。黒い柄と白銀の刃を持つ鋏。ラシャ鋏と呼ばれる洋裁用の大きな鋏だ。もう一つは、鋏と似たような形状をしているがずっと小さく、洗濯ばさみといった方が正確かもしれない。ただその内部は何やら複雑な機械のように見えた。

 小太りの男は鋏を掴み上げ、僅かな光源に翳すようにライアスに刃を見せ付ける。芋虫のような短い指で柄が開かれ、それに応じて二枚の刃も開く。耳障りな金属同士の鈍い擦過音が鳴った。

「俺の国の麺料理……そうさな、パスタとでも言おうか。そのパスタの一種に刀削麺トウショウメンっていうのがあるんだよ。小麦粉の生地の塊を刃で削ぎ落として、平たくて細かい麺にするんだ。理解できてるか?」

 言葉は理解できたが、この場でなぜそのようなことを言うのか、自分はこれから何をされるのか。ライアスは恐怖に顔を歪め、懇願するような顔で首を振った。

 小太りの男は空いた片手でライアスの脇腹の皮を抓むと、引っ張った。脂肪の少ない薄い皮膚が僅かに伸びる。

「痩せててよかったな。太ってると、肉ごと切ることになるから余計に痛いんだ」

 言って、男は徐に鋏の刃でその皮膚を挟むと、ぢょきんと、刃を閉じた。

「ぃあぁあぁあああ――!」

 ライアスの絶叫が手狭い密室で反響する。

 男は木の葉ほどの大きさに切り取った皮膚を持ち上げ、ライアスの目前でひらひらと振って見せた。両端の鋭い楕円形、裏側は膿んだように赤く、血が滴っている。当然のことながら、まったく同じ形の創がライアスの脇腹にできていた。

「痛そうだな。同情するよ。さて、質問を変えてみようか」火傷の男がおどけるように小首を揺らす。「あんたらが買い物に来たのはいいだろう。一先ずはそういうことにしておこう。でも、ただの旅人じゃあないんだろ? あんたらが町に入った時から俺らはずっと監視してたけど、あの黒服の女とマントの男、あの二人は明らかにただの旅人って感じじゃあないよな? あんたのお友達であるあの二人は、一体どこのなにさんよ? 詳しく教えてくれるか?」

「………」

 こいつらこそ何者なのだ。ライアスは唇を震わせながら上目遣いで見返す。

 小汚い肌着一枚の小太りの男と前掛けの女はともかくとして、火傷の男は、路地裏で暴行を加えてきた男達と同様、土色の皮鎧を着込んでいた。装飾がない、布地と皮で拵えた鎧。傭兵や狩猟部族等の民間に広く普及している類の装備だ。王国軍でも白兵戦を前提としていない弓兵は、似たような装備で身を固めている。

 装備の統一感から、彼らはこの町の自警団なのだろうと推測できる。しかし、自警団が何故このような行ないをするのか。なぜ自分が拷問を受けているのか。ライアスにはまるで理解できない。自警団であるならば、旅人であれ行商人であれ余所者に対して、特にケイルやリルドのような見慣れぬ姿をしている者に誰何するのは当然の職務であろう。その場合、面と向かって訊ねればいいだけだ。なのになぜ彼らはよりにもよってこのような極めて攻撃的な手段を講じたのか。

 常識的に考えておかしい。何かやましいことがあるのか。何を警戒しているのか。この者達は本当に自警団なのか。得体が知れな過ぎる。

 ふと、この町に駐屯していたはずの王国兵が音信不通であるという事実が脳裏を掠めた。

 王国兵が行方知れずであり、共同で治安維持にあたるはずの自警団がこの調子。数回派遣したという連絡員も消息を絶った。それが何を意味するのか。果たして彼らはどこへ消えたのか。証拠も何もないが、確信的な悪い予感が急速に膨らんでいく。

「おーい。訊いてるんだぜ。聴こえてるか?」

「………」

 彼らが求めるケイルやリルドの素性。ケイルの素性などライアスもほとんど知りはしないのだが、それでも、喋るわけにはいかなかった。彼らが何であるにせよ、明らかに害意を向けてくる敵には違いなく、敵が求める情報をおいそれと教えるわけにはいかない。捕虜になった際の情報漏洩防止の軍規を差し引いても、仲間達が不利になる危険があるならば、一人の男として、口を割るわけにはいかない。

「だんまりかよ、いい度胸だな。そんじゃあ、お待ちかねの刀削麺ターイム」

 小太りの男が腹の肉を抓む。

「ひ――。やめ、やめて……」 

 今度はゆっくりと、焦らすように刃が閉じられる。ぢょっきん。

 鋭い激痛。目に見える身体の欠損。喉の奥から自分のものとは思えない奇怪な絶叫が迸る。意識がとびかけた。二つの傷口からは真っ赤な血が止め処なく流れ、ズボンを、床を汚していく。

「ねえ。ちょっと切り取り過ぎ。これが使えなくなるだろ」

 前掛けの女がもう一つの用途が不明だった小さな機械を手に持って、ライアスの腹部をまじまじと覗き込む。

 小太りの男は悪い悪いと平謝りをし、鋏を口に銜え、ライアスの腹部の傷口に両手を伸ばすと、血が滴る傷口を塞ぐように周囲の皮膚を引き寄せた。そこに前掛けの女が機械を近付ける。

「や、やめてくれ」ライアスは朦朧とした意識で懇願する。「なに、なにをする気だ……?」

「私は軍医だ。負傷者のために止血してやろうっていうんだ。動くなよ」

 洗濯ばさみのような機械で、小太りの男が引き寄せる皮膚を挟むと、閉じた。ばちん、と大きな甲虫に噛み付かれたような鈍い音が腹の中を伝播し、激痛により遠退いていた意識が引き戻される。

「あッ、ああぁ、ぃやあ、あがああああ」

 ばちん、ばちん、ばちん。傷口を並行移動するように、その痛みが去来する。一つが終わったら、もう一つの傷口にも同じことを繰り返される。ライアスの悲鳴と絶叫を、まるで意に介したふうもなく、彼らは作業を続ける。人間を相手にしているというよりも、まるで物と相対しているような、そんな態度だった。

 前掛けの女が離れる。自分は一体何をされたのか。皮膚をつっぱるような鈍痛が気になって、気が気でなくて、見たくなくても、確かめざるを得ない。

 傷口は縫い付けられていた。ただし、おぞましいほどに歪な形で。小さく細い金属製の針のようなもので、杜撰に縫い止められ、塞がっている。

 もしこの場にケイルがいたのなら、いや、彼がいたらこのような蛮行を断じて許さないだろうからこの仮定は正しくないのだが、それでもいたと仮定するならば、前掛けの女が手に持っている物を一目で看破できたであろう。それはホチキスだった。ただし、一般事務用のものよりもやや大振りの。

 そんなことを知る由もないライアスは、自身の腹部に生じた惨たらしい手術跡のような傷口を、嗚咽を漏らしながら呆然と見つめるしかない。

「出血多量で死なれたら困るからな。俺達、優しいな。そう思うだろ? え?」

 言って、再び鋏を近付けてくる小太りの男。すぐ背後でホチキスを構える前掛けの女。その様子を口元に歪んだ笑みを浮かべながら傍観する火傷の男。

 まるで、如何に残虐な所業を為せるか、無力な小動物を前に暗い笑顔を突き合わせる子供のようだった。

 ぢょきん。

 ばちん、ばちん。

 絶叫が響く。




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