19 発明家
うごおおお、と。
数十秒もの間、何かよくないものが乗り移ったかのように呻りながら頭を振り回していた中年の男は、ぴたりと停止し、階段を下りてきた。
ケイル達のこれでもかというほどの不審の眼差しを意に介した風もなく、飄々と、威風堂々とさえいえる態度で目前を横切り、居間の中央にあった巨木を輪切りにし角材の脚を付けただけのような簡素な造りの机、そこの一つの椅子を引き出し、どかりと乱暴に座る。
そして男は短髪の少女の方を向くと、アカリ、と呼んだ。
「なんだい、おにい――」アカリと呼ばれた少女は“ちゃん”と言いかけた口を閉じ、少し恥ずかしそうにしてぼそりと呼び直す。「……あにき」
「お客さんに椅子を出してやってくれ」どうやら玄関先に立ち尽くすケイル達の存在にはきちんと気付いていたらしい。「数がなきゃあ、適当な箱でもなんでもいい」
あいよっ、と威勢のいい返事をして奥の部屋に向かうアカリは腕捲りをしながら、階段の上から居間を見下ろしていたくせっ毛の少女を見上げる。
「ククル、手伝ってよ」
「はーい」
とたとたと階段を駆け下りてきたククルと呼ばれた少女は、通り過ぎざまに一度足を止め、小さな唇で親指を咥えながらケイルに無遠慮な視線を寄越していたが、叱責するような声色でもう一度アカリに名を呼ばれ、すぐに奥に向かった。
今度は台所から顔を出していた丸眼鏡の少女の方へと男は頭を向け、エバ、と呼ぶ。
「お前は昼食の準備を続けてくれ」
そしてここで初めてケイル達へ一瞥をくれ、「お客さんの分もな」と付け足した。
エバと呼ばれた少女もケイル達を見遣り、小さく会釈すると台所に引っ込んだ。
「いやいや、そんな悪いって。あたし達はちょっと雨宿りさせてもらうだけでいいからさ」
顔の前で手を振って遠慮するサイを、男はちらりと横目で見遣り、暫しの沈黙を経て口を開く。
「いくつに見える?」
「はあ?」
「だから、俺はいくつに見える?」
おそらく年齢のことを言っているのだろう。無愛想な態度でじっと返答を待つ男。
サイは若干口角を引き攣らせながらも、素直に応じる。
「えっと……四十ぐらいかい?」
外見から判断するに明らかに五十代なのだが、年齢を問うてくる相手に自分が感じた印象を愚直に答えるほどサイは浅慮ではなかった。
しかし、それでも男は不満だったらしい。どん、と突然片手で机を叩くと、下唇を噛み締め顎に皺を寄せ、わなわなと震え始めた。
「あ、ええっと、三十五、いや、三十ぐらい?」すぐさま取り直すサイ。
だが男は、どんどん、と今度は両手で机を叩いた。鬼のような形相で机の一点を凝視している。
「えええぇ。じゃあ、二十五……?」
どんどんどん、両手だけでは飽き足らず今度は頭部を机に打ち付ける。しかも割と加減なく。そのままの姿勢でぷるぷると震えている。
「うそーん……。どうすりゃいいんだよ……」
救いを求めるように一同を振り返るサイ。意外にも一歩出でたのはリルドだった。
「十五歳ぐらいですか? いえ、もしかしたら十二? 先の眼鏡の少女より年下なのでしょう」
明らかな空世辞、慇懃無礼どころか、率直に馬鹿にしているとも取られ兼ねない大胆な発言に一同は渋い顔をするが、男は途端、頭を跳ね上げリルドを見る。その表情は打って変わって満面の笑み。
「だよね、だよねっ。そのぐらいに見えるよね!」
「………」
弾むような声色で頷く男。人が変わったような豹変、というよりも、一同が連想したのは情緒不安定というにべもない言葉だった。
「エバより年下ってのはちょっと言い過ぎだけれども、うん、十五ぐらい、少なくともあいつらの兄でも何一つおかしくないぐらいの歳には見えるよねっ」
何一つどころか全てがおかしい。
艶のないぼさぼさの白いものが大量に混じった髪に、同じく白髪混じりの無精髭、目尻や口角に深く皺が刻まれた笑顔は、とてもじゃないが二十代にも三十代にも、少女達の兄にも見えない。しかし、その甚く上機嫌な態度を前に一同は口を噤むしかない。
男は、王都でもあまり見かけなかった紺色の作務衣のような服を着ており、その懐から小箱を取り出すと蓋を開けた。中には白い小さな棒状のものが無数に並んでいて、一本を抜き取り、唇を間に押し込むと、机の上のオイルランプを手繰り寄せ、顔を近付けその棒状のものの先端に火を移す。
物珍しげにその様子を窺い見ていた一同に、男は愉快げに口角を持ち上げ、それを咥えたまま紫煙を吐きかけた。
顰めた顔を煙から背ける一同。リルドだけが煙に鼻を近付け、すんと匂った。
「なんですかそれは? 煙管の一種ですか?」
「ああ、紙煙草っていうんだ」男は、流暢ではあるがどこか無愛想な例の声色に戻っていた。「俺の国では一般的だったんだけど、こっちにはないから自分で作った」
紙煙草。特定の成分を含む植物の葉を乾燥加工させ紙に包み吸煙する、要するにケイルの世界における普通の煙草のようなものなのだろう。
「ほう、手製ですか。器用なのですね」
興味深そうに男の口元を注視するリルド。彼女が喫うのは煙管ではあるが、愛煙者として興味をそそられているようだった。
「試作品だけど、ちょっと喫ってみるか?」
「是非」
リルドは男から紙煙草を一本受け取り、見よう見まねで紫煙を燻らせ始めた。
「あの紫でぎざぎざの葉っぱ、うん、悪くないな」
煙草の原料に試したのであろう植物への評価をひとりごちりながら、紙煙草を手に移し、同様に手作りであろう粘土を固めて作ったような灰皿に灰を落とす男。自称年齢はともかくとして、その所作は外見の年齢に相応しく至極落ち着いており、ようやく建設的な会話ができそうだった。
「あんた、異国の人なんだ」
サイが水滴を拭き終えた布を持て余しながら訊ねると、男は部屋の隅に置かれた籠を咥え煙草の火口で指し示す。
「まあな。名はシェパド。職業は……そうだな、鍛冶屋であり武器屋であり発明家、そんなとこだな。ちなみに独身」
男、シェパドは咥え煙草のまま鼻から紫煙を吐き出して、よろしく、と付け足した。
「ああぁ、発明家か。なるほどねえ」
サイは皆から布を回収しながら、どこか含みありげに目配せをする。
栄えた町であるヒルドンと目と鼻の先の郊外にわざわざ家を建てて住む時点で変わり者であり、紙煙草や作務衣のような服装、それに出会い頭から嫌というほど見せ付けられた奇天烈な性格を加味するに、発明家という特殊な職業は確かにシェパドに抱く印象と合致していた。
「四人で住んでるのか?」
「そうだよ! 兄一人妹三人でな! 仲睦まじく毎日ドタバタコメディだよ! そういうライフスタイルですが何か問題でも!?」
「………」
ケイルの問いに、突如として語勢を荒らげ捲くし立てるシェパド。どうやらその話題はタブーのようだった。
紙煙草を一口喫いさし、落ち着きを取り戻したシェパドは、横目でちらりとケイルの姿を見る。
「あんたも異国の人?」
雨に追われる格好で家に駆け込んだので、ケイルはマスクもヘルメットも装着したままだった。そもそもすでにアカリに姿を見られていたので変に意識して隠そうとする方が不審に思われるだろうと判断したのだ。
「ああ、まあ、そのようなものだ」
「ふぅん。面白い形の鎧だな」
言うが、思いの他さして興味もない様子で紫煙を天井に向かって吐き出し、シェパドは続ける。
「あんたらヒルドンに向かってるんだろ?」
「あら? わかるかい?」
「わからいでか。余所者がこんなとこ通るのはそうとしか考えられん」
「まあ、それもそうか。いやさ、ちょっと買い物に――」
「やめとけ」
サイの言葉を遮り、シェパドは言い放った。は? と呆ける一同。シェパドは短くなった紙煙草を灰皿で圧し消す。屋根を打つ雨音に混じり、ざりという火種の潰れる鈍い雑音が生じる。
「買い物だろうが観光だろうが、あの町に行くのはやめとけ」
「……なんでだい?」
「近くに住んでればわかる。あの町は今、危険だ」
すでに慣れた様子で紙煙草をふかすリルドが、柳眉をぴくりと持ち上げ、紫煙を深く吐き出す。
「危険だと思う根拠はなんですか?」
「なんとなく、危険な感じがするからだよ」
随分と曖昧な物言いだった。
「悪いことは言わん、やめとけって。ほら、よく言うだろ? 妹を持つ兄の言うことは聞きなさいって」
「いや、初めて聞いたけど……」
「そうか? だったらほら、パパの言うことを聞きなさいって」
「………」
「誰がパパだっ。誰がパパだ! 俺はお兄ちゃんだって言ってるだろう!」
自分で言っておいて喚き始めるシェパド。手の施しようがない発作のようなもので、一同は顔を引き攣らせる他ない。
『こ、この男、徒者じゃない』
アーシャは慄き、ごくりと息を呑む。
ヒルドンではなく、この男こそ危険なのではないのか、とケイルは一刻も早くこの家から脱出したくなった。
ほどなくして、アカリとククルが椅子を抱えて戻ってきて、出来上がった昼食がエバに手によって机に並べられる。お客様然としているのも気が引けたのか、サイとゼロット、ライアスは食卓の準備と食後の片付けを手伝った。三人の少女達は、客人が珍しいのか、最初は余所余所しく接していたが、慣れるにつれ、年相応に楽しそうに笑うようになった。
昼食の後、少女達はサイとゼロットとはすっかり打ち解けた様子でトランプによく似たカードゲームに興じている。
「あ、あれ? おかしいな。僕も手伝ったのに」
「本能的に身の危険を感じているのではないですか。ハイントン下級視姦」
かく言うリルドも、紙煙草が気に入ったのか、シェパドから何箱か買い付け、他の発明品や作った武具を見せて欲しいと頼んでいた。しかし、それに対するシェパドの返答はどこか煮え切らない拒否だった。確かに、どこの馬の骨とも知れない余所者においそれと公開できるようなものではないのだろう、とリルドは素直に引き下がった。
王都ではないにしても、それでもここも王国内には違いなく、近衛兵団兵団長という軍属でもかなりの高位であろう肩書きを傘に着れば多少の無理は通るのだろうが、リルドが自分の地位を衒うような態度をとった場面は見たことがない。
『キルビル女、随分と高潔なのね。ご立派ご立派。ってゆーか、誉れ高き近衛兵団なればこそノーブルに振舞わなくちゃいけないのかも』
音声の外部出力を遮断し、ケイルは応じる。
「……今更だが、この世界も色々と複雑なんだろうな。ポルミ村でライアスが口走ってた情報統制云々を覚えてるか?」
『ええ、一人の賊の捜索に百名の部隊を四つも投じたって件ね。しかもどうやら近衛兵の大量死は内緒みたいじゃない。百人集まれば見て呉れを気にして、千人集まれば面子を気にし始める。集団なんてそんなもんよ』
「それもそうだが。なんて言うか、な……」
曖昧な相槌を打つケイル。ポルミ村にて狼男襲撃による負傷者を救護した後、朝日の中で物思いに耽った時のことを思い出していた。
つまり、関わり過ぎている、と。
ミリア王女の部屋に現れたという正体不明の本物の賊は、ライガナ王国に対して計り知れない影響を及ぼしている。そしておそらくほぼ同時に王城の宝物庫に現れたケイルも、一度は城を離れたが、再び城に連行され国王と相対し、ミリア王女と謁見している。旅の同行を求めたリルドにどのような思惑があるのか、首輪とまではいかないが、監視の意味はあるのだろう。
異邦人であるはずの自分は、この世界、いや、少なくともこの王国の中枢に近い部分にかなり深く関わってしまっていると、本当に今更ではあるが改めて実感し、マスクの中で深く嘆息するケイルだった。
『……もしここが並行世界であるならば、タイムリープで言うところのタイムパラドックスのような、超科学的な次元で世界に何かしらの影響が及ぼされる心配はいらないと思う。ただ……』
言い淀むアーシャに、ケイルは目を向ける。神妙な面持ちでおとがいに手を当てていた。
『無数に存在する並行世界であるならばこそ、そして違う世界の私達がここに存在しているという事実があるからこそ、留意しておいた方がいい可能性も幾つか考えられる。例えば――』
「おっ。雨が止んだんじゃないかい?」
窓辺に近付き、木の板の小窓を開けて空を仰ぐサイに、アーシャの言葉は遮られた。
確かに、いつの間にか雨音が消えていた。ケイルも近付いて見ると、いつ再び泣きだしてもおかしくない暗雲が立ち込めてはいたが、今は一時的に雨脚が鳴りを潜めている。
「それじゃ、世話になったね」
サイの言葉を皮切りに、出発の準備を始める一同。少女達は寂しそうな表情で俯いていた。
シェパドが新しい紙煙草に火を点けてから、嘆息とも排気ともつかない息を吐き出した。
「もう止めはしないがね、ヒルドンでは気を付けろよ。用件を終えたら、素早く立ち去ることだ。宿が必要になったら、ここに戻って来るといい。歓迎するよ」
少女達は顔を輝かせ、うんうんと頷いている。
「部屋の準備をしておくから、絶対来てくれよ」
「えっとねぇ、今度は一緒におままごとしようねっ」
「夕飯には腕を振るいますよ」
三者三様、明るく屈託のない少女達の言葉に、一同は微笑んで頷きを返すが、ただ、なぜそこまでシェパドがヒルドンに向かうことに難色を示しているのか、そこだけに微かな不審を覚え、家を後にした。
静けさに包まれた家の中、少女達は客人が去った扉から、シェパドへと視線を移す。
「あのさ、……余計だったかな? 家にあげちゃって……。あのケイルって人があれだったからさ、あにきが喜ぶと思って……」
申し訳なさそうに上目遣いでシェパドを見るアカリ。シェパドは微笑し、ゆるゆると首を振った。
「いいや、いいんだよ」シェパドは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。「旅人は停滞した地に風を齎す」
望むらくはそれが微風であることを。
そう呟いて、シェパドは外の雲行きに目を細め、付け足した。
願わくばどうか嵐でないことを。