18 雨
「……話はわかりました。しかし最初に申し上げました通り、私は本当に何も知らないのです。お力になれず、大変申し訳ない」
恐縮しきった顔をして項垂れる領主ルイード。その対面に座ったメギル下級士官は腕を束ね、鼻から深い嘆息を吐いた。
その嘆息には、何を質問しても知らぬ存ぜぬと繰り返す領主ルイードに対する呆れだけではなく、自分が置かれている状況に対する不満へのやり場のない憤りも、少なからず含まれていた。
メギルは来客用のソファの背もたれに寄り掛かり、窓の外を仰ぎ見る。
館の外の広場で待機させている八十七名の兵士達は、忠実にその場休めの指示に従い、騎乗のままで密集隊列を保っている。皆の面持ちは暗く、不安げだ。カボル捜索隊。それがこの急ごしらえの部隊に付与された名前だった。
王家を害した賊の逃亡を受け、方々への捜索と聞き込みのために編成された四つの捜索隊。メギル下級士官率いる彼らは西方面への捜索を命じられていた。
端的に言って、貧乏くじ以外のなにものでもない。反逆者の潜むとされる古都ニューカが在る方角でもある西は、その風評のためだけに理由もなく忌み嫌われているわけではなく、実際に魔物や野盗に因る被害が比較的多い。
最初の目的地であり捜索隊の名にも宛がわれたカボル村に至る四日の間に、二度も魔物の襲撃を受けて、八名の兵士の命が失われ、十三名が重軽傷を負った。カボル村での捜索活動では何の収穫も得られずに、次の目的地であるヒルドンへ向かう道中でも一度魔物の群に出くわし、五名が死亡、六名が受傷。遠距離行軍の際の軍規に従い、彼らの遺体は簡易に弔い、埋葬してきた。
ふと、一人の兵士が馬を飛び降り、馬車に寝かせた重傷者の元へ駆け寄った。身体を起こしやり、宥めるように背中を擦っている。その介護する兵士にしたところで、魔物に食い千切られかけた左腕を肩から包帯で吊っていた。
王都を出立してからまだ七日しか経過していないが、十三名が失われ、十九名もの負傷者を抱えるこの部隊では、賊捜索の任務続行は困難となりつつある。
メギルはもう一度鼻から嘆息し、下唇を噛んだ。
そもそも何故、たった一人とされる賊の捜索に百名もの兵を動員せねばならぬのか。通例のように魔物との戦闘回避を念頭に置いた駿馬を駆る少数の騎馬隊ではいけないのか。任務説明の際に賊が王家に為した行為に関して明言が含まれていなかったのはなぜなのか。
そして四つある捜索隊の内、最も過酷を極めると事前に予想できようはずの西方面の自分の部隊にだけ、賊捜索とは違うもう一つの別任務を命じた中隊長は、果たしてどれだけ阿呆なのか。
理不尽な任務の只中で果てた部下のためにも、生きて帰ったら殺す。メギルは半ば本気でそう考えている。
カボル捜索隊に与えられたもう一つの任務とは、ここヒルドンに駐屯する王国兵の状況確認だった。領主が取り仕切るような比較的大きな町は、町民により独自で結成された自警団と王都から派遣された兵士とで共同で管理、防衛を行う取り決めとなっており、そのヒルドン駐屯団からの月に一度の定期連絡が、半年ほど前から途絶えていた。
農村や集落とは違い、街と呼べる規模のヒルドンが魔物の襲撃により一人の生き残りもなく壊滅したとは考え難く、以前に二度ほど連絡員を派遣した。だがどちらも消息を絶ち、音信不通。どうしたものかと思案しているところに今回の賊騒動が持ち上がり、西方面へと向かうカボル捜索隊に、ついでだから丁度いい、と至極安易な調子で白羽の矢が立った。
メギルもその考えは理解できるが、決して同意はできない。まるで納得できない。西方面へ向かうというだけで不承不承なのに、余計な任務まで与えられたのでは泣きっ面に蜂もいいところだった。しかし、上層部の決定にいち下級士官ごときが意見できるわけもなく、賊捜索は一時捨て置き、心ならずもこうして憲兵の真似事に甘受しているのだが。
「何も知らないわけがないでしょう……。数十名の兵が誰にも見咎められずに忽然と姿を消すなんて、そんなことが有り得ると思いますか?」
ほうほうの体でヒルドン入りを果たした捜索隊は、まず町の無事を確認し、やはり連絡が途絶えた原因は魔物の襲撃の類ではないということを確信。次に町の入り口近くのヒルドン駐屯団の詰め所を訪ね、そこで異変に気が付いた。誰も居なかったのだ。準備をしてどこかへ移動したという形跡もなく、約三十名の兵士達が忽然と消えてしまったかのように、詰め所は蛻の殻だった。背後から窺い見るような町民達の眉をひそめた顔色だけが、嫌にメギルの印象に残った。
「本当に申し訳ありませんが、何も知らないのです。気が付いたら急に消え失せてしまっていて、我々も不思議に思っていたぐらいでして……」
首には筋が浮き、頬の痩けた領主ルイードは弱々しく申し訳ありませんと繰り返す。
彼の背後には一人の男が立っていた。土色の簡易な皮鎧を纏い、帯剣しているところから察するに、町の自警団なのだろう。左目の周囲が過去の火傷の痕であろう、ケロイド状に爛れていた。終始領主の後を続く従者のような立ち振舞いから、私兵も兼ねているのかもしれないが、ただ、困りきった領主を他所に時折欠伸をし、面倒臭そうに耳を掻く仕草を見れば、両者の信頼関係が良好であるとは思えない。
メギルは領主からその男へと質問を移す。
「あなたはこの町の自警団でしょう? 王国兵と共同で町の警護に従事していたのではないですか?」
「……ああ」気のない生返事。「まあね」
「彼らの行方について、何か知りませんか?」
「さあ、知らないね」
取り付く島もない即答。
メギルは何度目になるかわからない嘆息を深々と吐き出して、再び窓の外へ視線を転じる。空の雲行きが怪しくなってきていた。いつ降り出してもおかしくない空模様だ。
ふと、その外の様子に違和感を覚え、メギルは眉根を寄せた。最初は広場に屯する兵士達に、物珍しげな、不安げな眼差しを寄越す町民の姿がそこここに目に付いたのに、一体いつからか、今は人っ子一人見受けられない。まるでゴーストタウンと化してしまったかのような不気味な静けさに、兵士達も戸惑った様子で人影を求め視線を彷徨わせている。
ここで問答しても埒が明かないし、外の雰囲気も気になる。何より負傷者も多い部下を雨に打たせるわけにもいかない。そう判断したメギルは、「わかりました」と腰を上げた。
「今日のところは失礼します。しかし最初に話した賊の捜索活動もありますので、二、三日はこの町に留まることになると思います。その間、駐屯団の詰め所を使わせてもらいますよ」
「そ、それは、留まるのはお止しに――」
不意に顔を跳ね上げ、メギルに何かを訴えようとした領主ルイードだったが、ぽん、と背後の男がその肩を叩いた。途端、ルイードの顔が蒼白になり、力が抜けてしまったかのように項垂れる。
怪訝そうにそれを見ていたメギルに向けて、男はゆるゆると首を振った。
「あんたは駐屯団とかいう連中よりも物腰柔らかだからさ、やめとこうと思ったけど。やっぱやめた。やめとくのをやめた」
「はい? なんと言いました?」
メギルの問い掛けを意に介さず、その男は徐に左手を持ち上げ、首に指を当てると、何かを呟いた。
聴こえないほどの声量ではなかったはずなのに、メギルには男がなんと言ったのか理解できなかった。耳慣れない、異国の言葉のようだった。
直後、凄まじい衝撃音が空間を震わせた。
「――」
波打った空気が肌を打つようにびりびりと全身に痺れを感じ、視界が歪み、僅かに意識が遠退きかける。あらゆる調度品が倒れたり歪んだりするばかりか、床が浮き上がり、壁が罅割れ、天井からは塵が落ちてきた。
「……――」
未だ嘗て経験したこともない大音響に、メギルは驚くことさえできなくなってしまったかのように、ソファに手をつき、暫し硬直していた。衝撃音それ自体は一瞬であり、すでに世界は静寂を取り戻しているはずだが、耳の奥に粘土を詰められたように全ての音がくぐもり、自分の意識が酷く遠くに在るように感じる。
ひぅ、と小さなしゃっくりのような声を発して我に返ったメギルは、先の衝撃音が外から、兵士を待機させていた広場から轟いてきたような気がして、途端、途轍もない悪い予感が脳裏を掠め、ほとんど無意識的に身体を反転させ、窓際に駆け寄った。
外の光景に戦慄する。
濃密な煙と粉塵の中、立っている者は誰もいなかった。先まで満身創痍でありながらも忠実に命令に従い待機していた八十七の人馬が、ぼろぼろに、ばらばらに、四肢を散らして、胴体を裂かれ、血を焼きながら、石畳の上に累々と伏していた。
「なにが……」
起きたのか。
何者かによる攻撃、魔術の類か。いや、百名近い兵士を一瞬で八つ裂きにする魔術など、寡聞にして知らない。単なる悲運による落雷か。否、やはり百名近い兵士を一度で吹き飛ばす落雷など、あっていい筈がない。そして嗅いだことのないようなきな臭さと、火は出ていないのに小火が起きたような灰煙、老朽化した家屋を打ち壊したような粉塵から、これは未知の現象であると混乱の片隅でメギルは理解した。
ふと、累々と散らばる屍の残骸の中に、微かに息がある兵士を見つけ、
「だ、大丈夫かっ! 今行くぞ!」
メギルは窓枠に足を掛け飛び出そうとするが、背後から火傷の男が例の異国の言葉を掛けてきて、直後、先の衝撃音を幾分小さくしたような破裂音が響き、背に戦槌で殴り付けられたかのような衝撃が奔る。
メギルは窓から転げ落ち、うつ伏せで倒れ込んだ。
「――か、ふ」
息ができなかった。
背中が熱い。地に密着した腹部は妙に暖かく、失禁していると思ったが、尿にしては量が異常だった。肘をついて身体を起こし、恐るおそる見遣ると、甲冑の隙間から赤黒い液体が大量に流れ出していた。
驚きに口を開いても、声が出ない。酸素を求めて喘いでも、口がぱくぱくと動くばかりで、息ができない。
それでもメギルは顔を起こして歯を食い縛り、救いを求めて血塗れの手を伸ばしてくる兵士の元へ、這うようにして向かう。
「タフダナァ。アッパレダヨ、タイチョウサン」
頭上から、おそらく窓から顔を出しているのであろう男の声。やはり異国の言葉で、何を言っているのか理解できなかったが、声に篭められた嘲笑うかのような雰囲気は感じ取れた。
石畳に顔を擦り付けながら、這い続ける。不意に視界が暗くなり、闇に溶け込んでいく。最後に網膜に焼き付いたのは、力なく手を下して涙を流しながら事切れる兵士の顔。
何が起きたのか。
メギルは理解することも、考えることすら、できなくなった。
窓枠に頬杖をつき、息絶えたメギルを見下ろしてから鼻を鳴らした火傷の男は、室内を振り返る。ソファに座った領主ルイードは、がっくりと項垂れ、祈るように組んだ両手に額を預け、激しく震えていた。
「さて、聞いたかい。奇怪な姿をした賊だってさ」
何も答えずに、いや、答えられずに震え続ける領主だが、火傷の男は意に介した風もなく、独り言のように、それでいて愉快げに続ける。
「王家に害を為した、か。この捜索隊の規模から考えて、普通じゃないような、次元が違うような害を為したんだろうな、きっと」
火傷痕によって表情筋にも支障をきたしているのだろう。男は左目周りだけは無表情のまま、歪な笑顔を作り、くかか、と嗤う。
「そいつはぜひ、会って見たいよな」
低く重い、大気をぴりぴりと微かに震わせるような聞き覚えのある音に、ケイルは足を止め、前方を仰ぎ見た。
「おや、雷だね。こりゃあいよいよ降ってくるかもだね」背後では騎乗のサイが曇天を仰いで、舌を打つ。「もうすぐヒルドンだってのに、勘弁してくれよなぁ」
ほどなくして、サイの予想通り、ぽつぽつと雨粒が落ち、地表を黒く濡らし始めた。饐えた土の匂いが、生温かい熱気を伴ってむわりと頬を撫でる。
「雷か……」ケイルは自身を納得させるように小さく呟いた。
すぐに雨は本降りになり、音を立てて地を打ち始めた。僅かに歩速を上げて、一行は雑木林の小路を進み続ける。日中だというのに、木々にぶつかり弾けた雨粒が朝霧のように立ち込めていた。
『熱源反応。十一時方向に十メートル。おそらく人間が一人、道を横切ろうとしてる』
不意に発されたアーシャの鋭い声にケイルが立ち止まると、前方の林の中から人影が飛び出してきた。いつかの狐のように小径の上でぴたりと硬直し、目を皿のように見開いて一同を見つめるそれは、一人の少女だった。
粗末な服装に、土に汚れた前掛け、右肘に小さな籠をぶら下げている。茶色がかった短髪は散切りで、如何にもボーイッシュな顔立ちだった。左手には大きな葉を持つ植物の茎を持ち、傘代わりにして頭上に翳していた。
『おっ。トトロ傘きたこれ。メイちゃんを探してるのかしら』
「……お前ジブリ好きだな」
その少女は一同の中でも、人知れずアーシャとそんな遣り取りをするケイルを、特に注視しているようだった。今はマントもフードも纏っていない、全身を隙間なく被う強化外骨格と甲虫のようなマスクが晒された状態なので、その反応は当然かもしれない。
その警戒心を慮ってか、サイが馬から降りて硬直する少女に歩み寄る。
「やあ、嬢ちゃん。大丈夫だよ。怪しいもんじゃないさね」粗野に笑いながらくいくいと背後のケイルを親指で示す。「あんな形してるけど、中の人は結構な男前なんだよ」
「中の人って……」ケイルは肩を竦めてみせる。
昨日、ケイルが狩った鹿で夕食を摂ってからというもの、徐々にではあるが、サイやライアス、リルドのケイルに接する態度が以前のものに戻りつつあった。
「ヒルドンの子供ですかね?」最後尾にいたライアスはリルドの隣に並ぶ。
「……あまり近寄らないでください」
「え!? あの、スパイル兵団長?」
「そしてあの娘もあまり見ないであげてください。どうせ貴方の頭の中では既に裸なのでしょう。視姦しているのでしょう」
「ええ!? い、いやいや。そんなこと――」
「やめてください。私の方もあまり見ないでください。ハイントン下級視姦」
「か、下級視姦……」
「雨に降られてよかったですね、ハイントン下級視姦。濡れて透けた衣服は余計にそそられますものね、ハイントン下級視姦」
「………」
ケイルが若干の信用を取り戻したのは、ライアスの覗き騒動の後、と言った方が正確かもしれない。ケイルへの信用と反比例するかのように、女性陣のライアスに対する評価は凄まじい速度で下降していた。最早、底辺を突き抜け沈下していると言ってしまえるほどに。
空を見上げ、小刻みに震えるライアス。彼の目尻には雨に因るものではない水滴がきらりと光っていた。
一方、サイを見上げ、再びケイルの方へと視線を転じた短髪の少女は、何かを考え込んでいるような難しい顔をしていたが、俯くように曖昧に頷いて口を開いた。
「旅の人……だよね? あ、あのさ。あたしの家、近くにあるんだけど、雨宿りに来ない?」
そんな唐突な誘いに、若干驚いたように目を丸くし、一同の方を振り向くサイ。
「ヒルドンまで後どれくらい掛かるんだ?」
ケイルはサイに問うたつもりだったのだが、先に短髪の少女が言葉を発する。
「やっぱヒルドンに向かってんだ……。ここからなら半時間ぐらいで着くと思うけど。その間にずぶ濡れになっちゃうよ。もう大概びちょびちょだけど」
言って少女が顎をしゃくるケイル達の背後では、くちゅんと、騎乗のゼロットがくしゃみをした。濡れそぼった髪を振り水滴を散らしながら、垂らした鼻水をすんすんとすすっている。
「……わかった。お世話になろう」
小走りで案内をする少女の後に続いて、小径の脇から伸びる獣道へと踏み入って行くと、ほどなくして、雑木林が拓け、一軒の家屋が見えてきた。開墾されたであろう拓地に、規模の小さな畑の畝が伸び、その中央にぽつねんと在るその家屋は思いの他大きく、丸太を横に連ねたようなしっかりした造りのログハウス風のものだった。
扉を開け放ち、「お兄ちゃーん。ただいまー」とぶっきらぼうな声で鳴った少女は、隅の箪笥から布を何枚か取り出し、一同に手渡してきた。
「ありがと、悪いね」礼を言って布で髪を拭くサイは、室内を見渡した。「家族で住んでるのかい?」
「いや……家族ってーか。うん、まあ、家族かな?」
どこか歯切れが悪い調子で言う少女に一同が首を傾げていると、どたどたと、二階から誰かが駆け下りてくるような音が聴こえてきた。
「おいっ。お兄ちゃんじゃない! お前は“あにき”と呼べと言っただろうに!」
そんな意味不明な第一声と共に二階の廊下から顔を覗かせたのは、白髪混じりの長髪を杜撰に伸ばして、顎には無精髭を生やした中年の男。
「えー」不満そうに唇を尖らせる短髪の少女。「あにきもお兄ちゃんも一緒だろー?」
「違う! 断じて違う! 同じ意味を指す言葉でも、印象ってのがまるで異なるんだ! お前は不遜な感じであにきと呼ぶべきキャラなんだ!」
まるで会話の意味を理解できずに沈黙する一同を他所に、「あにきー」とまた違う声が中年の男の背後から聴こえてきた。
そうして現れたのは、ブロンドのくせっ毛の小柄な少女。短髪の少女よりも幼いが、辛うじて幼女とは呼べない年齢に見受けられる。ぱたぱたと小股で駆け寄り、中年の男の裾を抓む。
「あにきぃ、いけないんだよぉ。ただいまぁって帰ってきた人にはまず、おかえりぃって言わないとぉ」
「おい! あにきじゃない! 何度教えたらわかるんだ! お前は猫なで声で“お兄ちゃん”と呼べ! もしくはお兄たまでも可!」
指を咥えるくせっ毛の少女に向けて捲くし立てる中年の男だが、「……お兄たま」というまたまた違う静かな声に、更に顔を顰める。
見ると、一階の左方、台所であろう一角から、黒い髪を後ろでだんごに結った、丸眼鏡をかけた少女が顔を出していた。こちらは短髪の少女よりも背丈が高く、歳も上のようだった。
「昼食を準備中です、お兄たま。集中しています。騒々しいと集中が途切れ指を切り落としてしまいます、お兄たま」
「おいい! お兄たまじゃない! お前は“お兄様”と呼べ! 淡々と抑揚を欠いた感じでお兄様と呼ぶんだ! つーかお前らわざとか!? なに、わざとやってんの!? キャラ崩壊の妹カオスを狙ってるの!?」
頭を抱えて、うごおおおと身を捩り始める中年の男。半狂乱となったように激しく頭を振り、ぼさぼさの長髪がわさわさと揺れていた。
客人であるはずがなんだか放置されているケイル達は布を手に持ったまま絶句し、その奇妙な住人達を見つめていた。ただ、この状況と彼らの会話の端々から、この家には兄と呼ばれる中年の男と、その妹とされる三人の少女が住んでいるということだけを察し、明らかに兄妹とは思えない彼らの歳関係に、筆舌し難い不穏な臭いを感じた。
『ねえ……。言っとくけど、私は海外小説よろしく原文のニュアンスに則ってちゃんと訳してるから……。大丈夫かな? なんか色々、大丈夫かな?』
あのアーシャでさえ、どこか不安げな声色でそんな風に言う。
ケイルは今すぐこの家を離れるべきだと、どこか遠くで警鐘が鳴っているのを感じたが、もう遅い。外ではまるで逃亡を許さないような激しい豪雨が吹き荒び、雷鳴が轟き、窓から射した閃光が室内を白く染める。
禁断の園へと、足を踏み入れてしまった。
精一杯警鐘を鳴らしたんですが、ダメでした……。
でもきっと大丈夫な展開を考えておりますので、シリアス保守派の方もご安心を。
感想、評価、アドバイス、お待ちしております。