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異形の魔道士  作者: IOTA
20/60

17 ヘカトンケイルと人間




『過ーぎ去りし、日の想い』

 穏やかな日の光に溢れた豊かな草原地帯。

 脈々と隆起を繰り返す尾根を蛇行しながら延びる一筋の小径を、一同は歩み続ける。

『ふんふんふふふん、ふーんふん』

 ケイルの隣、どこか哀愁の漂う鼻歌を口ずさみながら、アーシャは奇妙な格好で歩いていた。

 なんのつもりか、頭にはオリーブ・ドラブ色のヘルメット、手にはケイルの世界でも映画の中でしかお目に掛かれないような骨董品の自動小銃、スプリングフィールド M1ガーランドを携えている。純白のワンピースはそのままなので、恐ろしいほど似合っていないが。

 アーシャの姿というのは、ケイルの眼と脳にインプラントされたサイバネティック・モジュールが見せている、言わば幻影でしかないので、どのような服装や容姿であろうとも彼女の自由自在なのだが、戦闘にも生活にも役立つものではないのでほとんど使うことはなかった。

 ケイルが横目で見ていると、不意にアーシャは芝居がかった訝しげな面持ちで背後を振り返り、前方の草叢にダイブした。 

『ハーフトラックだ! 伏せろ!』

「………」

 それを冷たい視線で一瞥し、ケイルは無言で歩き続ける。当然、兵員輸送無限軌道車輛ハーフトラックなど迫っていない。

『ちょっと! つっこんでよ! メリッシュかっとかさ、ライアンかっとか。変則的に、世界中で何人そのネタに食い付いてくれるんだよっ、とかでもいいわよ』

「……くそフーバーだなお前は」

『よりマニアック!? って、それどういう意味よッ!』

 現在、カボル村で一晩野営をして進み始めてから数刻。

 進路を若干変更し、真西ではなく、南西に進んでいる。ほぼ壊滅状態であり負傷者の救護に追われたカボル村では、物資の補給など望むべくもなく、急遽、事前に決めておいた道則の変更を余儀なくされた。カボル村の次の補給地点に選定しておいた町との間に、もう一つ、中継地点を設ける運びとなったのだ。比較的大きな規模の街、ヒルドン。今はそこに向かっている。

 昨晩の野営の時、治癒魔術の多用で酷く疲弊した様子でありながらも、サイは気を遣うような態度で申し訳なさそうにケイルにそのように進言し、ケイルは了承した。

 別れよう、とはどちらも口にしなかった。一刻も早く反逆者の本拠地である古都ニューカに向かいたかったケイルだが、ここは安全な王都とは違い、魔物や先の盗賊のような輩が跋扈している。今この場で彼らを置き去りにするのは気が咎めたのだ。

 自分達が足手纏いでしかないことを察しているからこそ、サイは申し訳なさそうに言ってきたのだろうが、それでも彼らがケイルから離れようとしないのは、危険に対処するための戦力云々という打算的な考えからなのか、あるいは以前サイが言っていた通りケイルから感じる違う世界の存在が気掛かりなのか、それとも別の何かがあるのか。疲労が色濃く浮かだ面持ちで力なく笑って礼を言うサイの表情からは、ケイルには判別できなかった。

 カボル村での一件以来、明らかに皆の口数は減っていた。

 以前はケイルのすぐ背後を続いていたはずのリルドも、今は数歩分離れて追従している。攻めるも退くもどちらにも素早く対応できるような絶妙な間合いだ。さりげなさを装いつつも時折寄越してくる警戒するような眼差しは、ケイルの気のせいではないだろう。ライアスは露骨にケイルと視線を合わせようとしない。物理的にも、精神的にも彼らとの距離は遠くなっていた。

『真面目な話――』

 アーシャが珍しく神妙な表情で口を開いた。

『気にしない方がいいわよ。元々彼らとは住む世界が違うんだから、ものの考え方だって違うでしょうよ。魔物だなんだって騒いだところで、敵に情けを望むぐらいなんだから、結構ゆとりのある世界なのよ。ゆとり教育よ』

「……元の世界でも、兵士や民間人は俺達に対して似たような態度だったけどな」

『それはっ……』

 反論に詰まるアーシャに、ケイルは頭を振って苦笑する。

「別にいいさ。世界が違うというよりも、俺達が人間とは違うんだろう。ヘカトンケイルと人間は違う。わかり合えないということは、端からわかっていたことだ。……わかっていたことなのにな」

『………』

「見知らぬ世界に来て、誰も俺達を知らない世界に来て……。お前風に言うなら、どこかで調子に乗ってたんだな、俺は」

 軽くおどけるように肩を竦めるケイルに、アーシャは目を伏せ、つまらなそうに下唇を突き出した。

 突然、ぐうぅ、と奇妙な音が鳴った。

 サイの背後、騎乗のゼロットが腹を押さえている。

 今朝の朝食で食糧は尽き、現在は夕刻前の半端な時刻。サイ曰く、ヒルドンに着くまではまだ一日ほど要するらしいので、その間、育ち盛りの少女が食わずで過ごすのは些かきついだろう。

 もっとも、育ち盛りで多感な年頃であるはずのゼロットは、皆の注目を浴びても恥ずかしがるような素振りは毛ほども見せず、どころか遠方の水場に見える鹿のような動物の群を、涎を垂らしながら凝視していた。

『腹ペコなやつぁいるか?』

 沈黙していたアーシャが急に不敵な声を発する。見ると、今度はスタイリッシュなサングラスに、手には砂漠迷彩が施され、ドットサイトがマウントされたコルト M727 アブダビ・カービンを携えるという出で立ちだった。

「……くそアイリーンだなお前は」

 ケイルは言いながらも、ガチンと、背のマグネットプレートからレイピアABR2を取り外した。

 右に折れ、視野を広くとれそうな小高い尾根の頂上へと上る。一同は足を止め、不思議そうにケイルの背を見ていた。

 頂に達すると、レイピアの前部銃床に取り付けられた折り畳み式の二脚架を開き、鹿のいる水場の方角へと正対し、大地に横たえる。銃を身体に合わせるのではなく、銃に身体を合わせるように身動ぎし、姿勢を安定させると同時に、土に突き刺さった二脚架の先端部がより深く食い込むよう銃把を握る手も僅かに揺り動かし、固定する。

矢状弾フレシェットを推奨。アフリカンゲームカートリッジよ』

「わかってる。通常弾ボールで狙うには遠過ぎる」

 ケイルは銃把のすぐ上に設けられた安全装置兼用のファイアセレクターを親指で弾き、フレシェットの単発モードにセット。切り替えに伴うレイピア機関部の微かな機械音をマスク越しで頬に感じながら、標的である一頭の鹿に視点を定めると、自然とベストな倍率に視野が拡大される。日の光を受けて金色に輝く毛並みから、つぶらな眼球の周囲に集る無数の蝿まで見てとれた。その光景を四等分するかのように上下左右から定規を当てペンで書かれるように細い線が伸び、中央で交わる。

 視野の中央に浮かんだ十字照準刻線レティクルの右隅では百分台まで表示された様々な数値がスロットのようにちろちろと動いていた。射距離、五百三十二,二五メートル。射角度、俯角三十二度。風速、九時方向から四メートル毎秒。射距離から鑑みた弾丸の降下率、三,八インチ。果ては惑星の自転によるコリオリの力まで、各種センサーから得られたそれら全ての数値をインターフェースアーマーが演算し、割り出した着弾地点をリアルタイムで十字線の位置に反映してくれる。

 ヘカトンケイルに備わった自動照準補助オートエイムアシストシステムと呼ばれる機能だった。本来であれば試射と計算を繰り返して微調整しなければならない照準調整を全自動で行ってくれるのだ。ただし、あくまでも着弾地点を割り出すものでしかなく、照準それ自体は自らの肉体で行わなければならない。もっとも、それにしたところで一般歩兵の狙撃手からしたら垂涎必至の夢のような機能ではあるが。

 微動を繰り返し、ほどなくして安定した十字線を鹿の頭部に重ねる。トリガーガードに置いていた人差し指をそっと引き金に掛けるが、ふと、思い止まる。

「……どこを狙えばいいんだろうな」

 必殺の頭部を狙うのは、何か違う気がした。あの鹿は獲物ではあるが、敵ではないのだ。武装していなければ害意もない。敵以外の生物を必要に駆られて射つという経験が、ケイルにはなかった。あの鹿の頭部を消し飛ばしてしまったら、背後から胡乱な視線を寄越す彼らの顔がまた曇るような、そんな気がした。

 狙撃手の相棒である観測手のようにケイルの隣で横になり、頬杖をついた両手に頭をのせていたアーシャがサングラスを額にずらして、微笑する。

『私達の世界の鹿なら背骨の辺り、頚椎を狙うのがいいらしいわよ。ところであの鹿、ティムと名付けましょう』

 マニアック過ぎる。ケイルは吐息を吐くように微苦笑して、鹿の背筋の頂上付近に照準を動かす。

「バックボーンショット、エイム」

 悪いな、ティム。

 心の中で謝罪し、

『ファイア、ファイア、ファイア』

 四つ目のファイアの代わりに、引き金を切った。

 抵抗の消えた引き金がふわりと浮き、シリンダーの弁が開放、極限まで圧縮されていた空気がフレシェットの後端部の窪みに叩き付けられ、さながら空気までもが物質化し一体化した一本の槍のように銃身から標的へと、秒速千メートルの速度で伸びていく。

 細長い形状故、弾速と貫通力に優れるフレシェットだが、同時にその風の煽りを受け易い不安定な形状故、射距離が伸びれば伸びるほどあらぬ方向へ飛んでいくとされ、以前では長距離射撃用弾頭としての実用化は見送られていた。だが、ヘカトンケイル専用のレイピアABR2に備わった弾丸生成装置がそのデメリットを打ち消した。センサーから得られた諸々の数値と環境状況、それらを鑑みて発射前のその都度、内部では凄まじい稼働速度で弾丸の形状が加工されているのだ。

 銃口から射出されたフレシェットは高速回転しつつ、加工の際に仕込まれた通りにその表面を微妙に変形させる。時には風圧によって僅かに歪むように、時には遠心力によって一部を欠けさせながら、最も安定した弾道を描くように、最も安定した飛距離が得られるように、自らを変形させ能力を高めながら飛翔する。自己飛翔効率化と呼ばれる現象だ。一発一発が唯一無二、同じ弾丸は二度と作られないだろう。その複雑なシステムによりフレシェットモードでの連発は望めないが、それでも毎分三百発の射撃が可能とされていた。

 細く鋭い矢をさながら刺突剣レイピアを繰り出すが如く精確に射出する。この圧縮空気式自動小銃がレイピアと名付けられた所以である。

『バックボーンショット、ヒット。ボブおじさんによろしく』

 草を食んでいた鹿がぴくりと耳を動かし、首を持ち上げようとした瞬間、背筋の中央、肉や骨を一緒くたに何かが掠め取っていったような、向こう側が覗けるほどの綺麗な丸い銃創が形成された。血煙と散った体毛が風に流され、霧散する。鹿は一度だけ大きく痙攣し、ゆっくりと地に伏した。付近の鹿は突然倒れたその一頭に全数が一斉に頭を向け、直後、土煙を散らして群ごとどこかへ逃げていく。

 細い木の枝を圧し折ったと言うべきか、鞭を打ったと言うべきか、減音されたエアライフル特有の透き通った銃声が控えめに草原に響いていた。

「なんとッ」

「え? なに? え?」

「ははっ。すっご」

 リルドが息を呑み、ライアスは未だ何が起きたのか理解できず、サイが目を丸くして笑っていた。

 この世界での狩りとは、罠を仕掛けるか、精々数十メートル先の獲物を弓矢で射るというものでしかなく、まさか遥か半キロ先の鹿に向けて杖を構えるケイルが、それを狩ろうとしていたなど、ましてや仕留めてみせるなど、彼らには予想だにできなかったようだ。

 高度な科学は魔法と同義。使い古された言葉ではあるが、それこそケイルの狙撃が科学によって為されているということすら理解できない彼らからしたら、有り得ない奇跡、魔法を見ているようなものなのだろう。

 ケイルは立ち上がり、振り返る。サイと視線が重なった。

 やはり以前とは違う、どこか距離を感じさせる寂しげなものではあったが、無理をしているとケイルでも察することができるものではあったが、それでもサイは軽薄な調子で粗野に笑った。

「ちょっと早いけど、夕飯にしよっか。狩猟のカボル村ではあり付けなかった肉料理さね」

 彼女の背後ではゼロットが瞳を輝かせ、こくこくと頷いていた。




 燃えるような夕日が地平に沈みつつある。

 茜色に染まった草原で一同は焚き火を囲んでいた。踏み均した土の上、枯れ木を集めた作った焚き火の周囲を枝で作った串が囲み、串には大小様々な鹿肉が刺さっていた。まだ水分を多く含んだ生木がぱちぱちと爆ぜ、淡い黒煙を噴き、その度に細かな灰が散る。

 近くには解体された鹿の亡骸が転がっていた。肉を捌いたのはケイルだ。自身は食べられないくせになぜか執拗に丸焼きに拘るアーシャを説得し、知識アーカイブから鹿の解体の情報をさらってもらった。

『まったく、たくさん上手に焼いちゃって。丸焼きじゃないと、自分で狩っておいてやっぱりげんなりしちゃうフートたんのマネができないじゃない』

 だそうである。そこまでくるとケイルにも意味不明だった。

 両手に串を持って無表情で肉を頬張るゼロット。ライアスとリルドはサイに無理矢理勧められ、ケイルに対して気まずそうにしながらも、遠慮するように肉を食んでいた。

『……つーか今気付いたけど、肉を食う描写が嫌に多いわよね』

「そういえば……」と彼らの様子を眺めながらケイルが頷いていると、サイが歩み寄ってきた。

「なに達観した感じで遠巻きから見てんのさ。ほら、あんたが狩ったんだから、ちゃんと食っておやりよ」

 大きな肉が刺さった串を差し出してくるサイ。

 ケイルはヘルメットを外し、マスクを脱いで、串を受け取った。

「……いただきます」

 サイは微笑して頷くが、執拗に近くに留まろうとはせずに、離れて行った。

 直火で焼いた鹿肉は焦げ、表面をナイフで削ぎ落とさなくてはならなかった。殺菌のためにもしっかり火を通した肉は硬く、噛み千切るのがやっとで、味付けもしていないので噛む度に生臭さが口の中に広がる。はっきり言って、腹を満たすという目的以外では口にしたくない代物だ。

『リアルこんがり肉ね。おいしそうにがっついてお腹をぽんぽんしなきゃハンターになれないわよ』

 そんなアーシャの文言を真に受けたわけではないのだが、ケイルは以前のようにゼロットに倣い、平らげた。

 最初は普通に食していたライアスだが、途中で何かを思い出したのか、串を見つめて顔を青くし、恐るおそるという風に鹿の亡骸に視線を遣り、

「う――ぷ」

 胃の内容物を吐き出した。

「ちょっと! きったねえなぁおい。なにやってんだっつーの」

「だ、だって、あんな光景を見せられた後で、こんなの――」

 言葉を止め、再び恐るおそるという風に今度はケイルを見遣った。不穏な沈黙が流れる。焚き木の爆ぜる音が静けさを強調するように響く。ゼロットだけは雰囲気を意に介さず肉を齧っていた。

 サイは後ろ髪をがりがり掻きながら、はあーっ、と強く嘆息した。

「あんたマジKYだね。MKYだよ。スーパー・KY・ライアス・イズ・マゾヒスト。SKYRIMだよ」

『ど、ドバァキン……!』

 びくりと反応し、慄くように身体を震えさせるアーシャ。

「………」

 果たして本当にサイがそのように言っているのか、アーシャがそれを言いたいがために自作自演で無理矢理翻訳しているだけなのか。明らかに後者であり、そんな真似をし始めたらアーシャの天下になってしまうという事実に内心ではそこはかとない不安を感じながらも、ケイルは空気を読んで何も言わなかった。

 視線を泳がせながら訥々と弁明を続けるライアスに、サイは煙たげに手を振って立ち上がる。

「なんだかんだで日が暮れちまったし、今日はここで野営にしないかい? どうだい?」

「ああ、構わない」

 止む無し、という言葉は飲み込み、ケイルは首肯した。彼らを捨て置けない以上、最早速度は望むべくもない。

「うし。確かあっちの林の方に川が流れてたよね。女性陣は先に水浴びをさせてもらうからさ」

 ぽん、とライアスの肩を叩いて、空いた片手の親指で馬の背に載った物資を示すサイ。その表情は何か含みありげな笑みだった。

「男性陣でテントを張っておくれよ」

 旅が始まってからというもの、テント張りはライアスの仕事だった。リルドは予め用意しておいたであろう、頭まで覆える形の全天候型の寝袋のようなもので夜を明かし、ケイルは朝までじっと座している。着の身着のまま手ぶらで飛び入り参加したライアスは当然なにも用意しておらず、王都で購入しサイとゼロットが使用する小型のテントを間借りさせてもらっていた。辛うじて三人横になれるが寝返りは打てないという窮屈さであり、迷惑料兼家賃代わりのテント張りという仕事だ。

 ただ今回は一人ではなく、男性陣? とライアスはゆっくり頭を回す。視線の先には、いつの間にかマスクを装着していたケイルの不気味な赤い双眸があった。




「………」

 会話もなく、黙々と各々の作業をこなす二人。

 どうせいつものように自分一人で作業することになるだろう、と諦観していたライアスだが、意外にもケイルは一人でもできる作業を的確に見つけ、それに準じてくれていた。とても協力し合っているとは言えず、居た堪れなくなるほど気まずいが、キャンバス地を固定するための杭を地に打ち込んでいるケイルの後姿を見ていると、ライアスは不可思議な気持ちになった。

 この男はわけがわからないな、と。

 魔物の襲撃とバリーガ分隊の狼藉から二度に亘ってポルミ村を救い、王家を害した賊ではないと知れてからは、不器用で寡黙な異国の戦士というイメージを持っていた。西門から王都を離れる時には、英雄譚に出てくる勇者をその姿に見て、カボル村での残虐極まりない所業を見てしまった瞬間、狂った殺人鬼という印象に豹変し、かと思ったら腹を空かせた皆のために鹿を狩り、テント設営まで率先して手伝ってくれている。

「……ッ」

 再び鹿の残骸の方へと移ろうとした視線を戻して、ライアスは骨組みを建てる手元に集中する。

 ライアスとて、人間の死体を見るのはあれが初めてというわけではない。訓練所での戦闘訓練の一環として魔物の群との実戦の際、遅れをとってしまった二、三人の同期生の無残な亡骸を目にしたこともあるし、ポルミ村ではバリーガ分隊員の首が刎ねられる瞬間を目の当たりにした。それもケイルによって為された所業ではあるが……。

 ただ、あの広場での戦闘、いや、殺人、否、処刑は、あまりにも酷過ぎる。直視に耐えるものではない。あのような人の殺し方、考え得る限り残虐な方法を想像しろと言われても、ライアスには予想だにできないほど、惨いものだった。

 そんな所業を、あの甲虫のような不気味なマスクの中では全体どんな表情を浮かべていたのか、至極淡々と、冷静に、それこそテントを設営している今のようにてきぱきとさえ言える手際で続けていたケイル。ライアスが目にしたには二人だけだが、あの広場に転がっていた死体の損傷と数からして、十数回も繰り返したことになる。逃げられなくしておいて、一人ひとり、順番に地獄を見せ、順繰りと地獄へ送った。 

 人死に日常的に触れる者は冷酷になる場合が多い、というのはよく聞く話だ。他国との戦争での歴戦であったバリーガ分隊然り、村々を襲っては暴虐の限りを尽くしていたであろう先の盗賊団然り。兵として学んだ躾を、人として培った道徳を、覚えてしまった加虐の悦びが上回るのだ。ただ、そのような者達は平穏下の日常生活においても凶暴性の片鱗が顕著に現れる。それもやはりバリーガ分隊然り、盗賊団然り。人に優しく、などという言葉とは無縁の人種になってしまう。

 横目でケイルを窺う。杭を打ち終え、キャンバス地の皺を伸ばしていた。土が入らないように四つん這いになり、身体を伸ばして手で払うようにしている仕草が、異様な姿形とはあまりにミスマッチだった。

「………」

 明らかにケイルは彼らとは違う。

 ポルミ村を救い、王都の南門での戦いでは難民だけでなく、一時的とはいえライアスの部下であった捜索隊兵士を助けたと聞く。ゼロットにあの面妖なぬいぐるみを買い与えたのも彼だというし、旅に出てからも、彼一人ならもっと速く移動できるだろうに、自分達のペースに文句一つ言わずに合わせてくれている。カボル村での行ないにしたところで、あのままであれば皆殺しの憂き目に遭っていたであろう十数人の村人達を助けているのだ。

 ライアスが考えるに、彼はあまりにも両極端なのだ。

 味方や無辜の人々に対しては過剰とも言えるほど優しく、敵や害意を向ける者に対しては凄まじいほどに冷酷。

 人々に差し伸べ、ゼロットが愛しげに握るのと同じ手で、魔物の首を落とし、バリーガ分隊の首を飛ばし、盗賊団の舌を引き摺りだしている。

 ケイルの所業によって、誰かが救われているのは否定しようのない事実であり、ケイルもきっと助けるためにやったであろうことはライアスも理解しているが、やはり同時に、そのための手段がいき過ぎているとも思ってしまう。

 内包する優しさと厳しさが、同一人物だとは思えないほどあまりにも懸け離れていて、自分達のような普通の人間とは違う、常人では到底理解できない存在なのではないかと、本能に近い部分で感じてしまう。

 一言でいえば、彼がわからない。ライアスだけではなく、サイやリルドも同様に感じているのだろう。わからないというのは、恐いのだ。正体不明なものがそれと相対した人間に齎す感情は、不安や恐怖、嫌悪感に他ならない。

「なあ」

 不意にケイルからの問い掛け。

「はっ、はひ」ライアスは肩を揺らし、なるべくケイルの顔を見ないようにしながら応じる。「な、なに?」

「骨組みが終わったなら、そっちを持ってくれないか」

 見ると、ケイルは天幕となるキャンバス地の片端を持っていた。

「あ、ああ。わかった」

 二人で持って引き伸ばし、骨組みに覆い被せる。風で飛ばないように何箇所か紐で縛り、四隅に石を置き、簡易なテントは完成した。

 中で座って三人の帰りを待つ。

「………」

 気まずい。

 三人の水浴びがどれぐらい掛かるのか知らないが、一人で設営するよりもずっと早く完成してしまい、比例して待ち時間も長くなってしまう。

「………」

 気まず過ぎる。

 薄暗いテントの奥、片端にはライアスが体育座りで、もう片端にはケイルが片膝を立てて座っている。何も知らない第三者が見ても不穏なオーラを感じ取り、寄り付かないであろう重苦しい雰囲気に満たされていた。葬式かっ、とか、用心棒の詰め所かっ、など、入り口から顔を覗かせたサイの第一声が聞こえてきそうだった。

 ライアスも当然、サイの意図は察していた。要するに仲を取り持とうとしているのだ。男二人で共同作業にふけり、腹を割って話し合えばわかり合えるだろうという考えなのだろう。いや、もしかしたら殴り合いの喧嘩になって、お前やるな、お前こそ、的な展開を期待しているのかもしれない。実際には喧嘩など起きようはずもなく、そのような剣呑な空気が僅かでも漂おうものならライアスはマジ泣きして脱兎の如く逃亡しなければならないが。

 正直、ライアスからしたら罰ゲームもいいところだったが、サイの意思を無碍にするわけにもいかず、生唾を飲み込んで口を開く。

「あ、あの。南門で、えと、魔物と兵士を、その、あ、ありがとう」

 南門での魔物の襲撃の際、部下である捜索隊の兵士を援護してくれたことに対する謝礼を伝えたかったのだが、明らかに言葉足らずだった。だがそれでもケイルには伝わったらしい。

「……別に礼を言われることじゃない。俺が勝手にやったことだ」

 棘は感じないが、ぶっきらぼうな調子で応じるケイル。

 そしてまた沈黙。

 真面目な会話ではどう足掻いてもこの雰囲気を払拭できないと察したライアスは、フランクな方面に切り口を変えることにした。

「あ、あの、ケイル……さん?」

「ケイルでいい。なんだ?」

「あ、じゃ、じゃあケイル。好きな食べ物は?」

「いや、特にないな」

「そ、そっか。ぼ、僕は王都のミルトウ菓子屋で買える苺ジャムが好きなんだよね」

「へえ、そうか」

「うん、そうなんだ……。あの、じゃあ趣味は?」

「趣味か。特にないな」

「そ、そう。僕は読書なんだよ。い、家の書斎には結構な数が揃ってるんだよ」

「ふぅん、そうか」

「うん、そう……。あ、じゃあさ、好きな本とかある?」

「うーん。特にないな」

「え、と、そう、なんだ。僕は元マルアイン劇団の作家が書いた喜劇小説が好きなんだ」

「ほう、そうか」

「う……うん。そうなんだよ。あ、じゃあ好きな歌とかは?」

「悪いが、特にないな」

「え……そ、そうなの。ぼ、僕は王都で最近名うてな四十八人の女性歌手グループのファンなんだよね」

「あぁ、そうか」

「………」

 ライアスは泣きそうになった。

 ケイルも決して故意につっけんどんに答えているわけではないのだろう。ただ単に話がとことん合わないのだ。そう感じさせないために苦心している様子が返答の端々から伝わってくる。だからこそ余計にたちが悪い。

 最早、最後の手段、男なら誰しもが反応するであろうアレに頼るしかない。それを共に経験した男は、戦友であり親友、生涯を通して固い絆に結ばれるという。だが後々のことを考えると、これだけは使いたくなかったし、なぜか嫌な予感しかしないが、他に途はなく、やむを得ない。

 ライアスは覚悟を決め、膝を打って立ち上がった。

「ケイル!」

「なんだ? どうした」

「お、おおお、女風呂のぞきにいこーぜ!」

 竹馬の友に語らうように気安い口調で、ウィンクをしながらくいくいと親指でテントの出口を示すライアス。一見すると修学旅行の中学男子のようではあったが、ただその声は恐怖に震え、目尻には大粒の涙が浮かんでいた。




 一羽の猛禽が茜色の空を舞っていた。

 ある地点に達すると翼をたたみ、鏃のように急降下する。地表に近づくと大きな翼をばたつかせながら速度を調整し、ある人物の腕、手甲の上に優しく降り立った。

 リルドは鷲の左足に括りつけられた筒が空であることを確認すると、とっておいた鹿肉の破片を食ませ、咽元をくすぐってやる。飼い主と同じく感情が読みにくい無表情ではあるが、鷲は気持ちよさそうに身動ぎした。

 懐から取りだした小さな皮紙を丸め、筒に収めると、もう一つ鹿肉を与え、リルドは腕を振りあげた。

 ほうり投げられたように中空に飛び上がった鷲は、そのまま高度を上げ、地平に沈む太陽とは反対の方向、夜空が顔を覗かせ始めた東へと遠ざかっていく。

「…………」

 目を細めてそれを見送りながら、リルドは鷲が数日を要してあるじの居室のテラスへと再び降り立つ姿を想像した。はからずも、いまだに手の甲に残る柔らかな湿った感触までもが想起される。

 そっと革製の手甲の紐をほどき、ほうと息をつく。恥じらいに頬を赤らめ、背徳に唾を呑みながらも、たまらず、震える唇を近づけた。

「定期報告は済んだかい?」

「っ!?」

 突然の背後からの声に、リルドはびくりと肩を震わせ振り返った。

 一足先に川に向かっていたはずのサイが、草薮の影から姿を現した。

「……何の話ですか?」

 リルドはそっぽを向き、手甲を捲き直しながら小首を傾げた。

「おいおい。隠しておきたいことなら、もっと真面目に隠そうとしろよ。あんたが時々鷹飛ばしてるのは知ってるし、あんな物言いで同行を求める時点でおかしいっつーの」

「…………」

「誰の指図か知らないけど、見え透いてるよなあ。そもそもあんなに簡単にケイルを解放するのもおかしいし、そればかりか金貨まで持たせちゃってさ。なに、支度金か何かのつもり?」

 リルドはサイに向き直るも、口を閉ざしたままだった。

 サイは目前にまで歩み寄ると腕を束ね、顎を持ち上げた。

「ケイルを言い包めて、反逆者を討ち取ってもらうつもりだろ」

「……サイミュス先生」

「あん?」

「サイなどという本名を誤魔化すために考えたようなあだ名で呼ばれているものですから、気がつきませんでしたが、ハイントン下級士官だけは貴女をそう呼んでいますよね。サイミュス先生と。どこかで聞いた名だと思っていましたが、貴女、メイフェ家の次女なのではないですか?」

 サイは憤然と鼻を鳴らし、眉根を寄せた。

「だとしたらなに? 何がいいたいんだよ?」

「いいえ、べつに。ただ、ケイル氏と一緒に王都に現れたのが、反逆者の筆頭ともいうべきメイフェ家の者の生き残りだと知れたら、きっと国王ディソウ様は絶対に貴女がたを城からださなかったでしょうね。全兵力と投じてでも、始末しようとしたでしょう」

「だ、か、ら」サイは苛立たしげに頭を掻き、さらに数歩詰め寄った。「何がいいたいんだよ、おい」

「貴女の真意はどこにあるのですか? なぜ、反逆者の元へ向かうケイルと同行しているのですか?」

 リルドは顎を下げ、冷たく見据える。

「よもや、貴女も反逆者に加わり、ケイルも仲間に引き込もうとしているのではないでしょうね?」

 その言葉に、サイは顔を歪めて歯を食い縛ると、リルドと鼻がぶつかるほどの距離にまで迫った。

「それだけはねえなっ。断言してやるけど、それだけは断じて、絶対に、ないっ」顔を離すと、いや、と嘲笑するかのように鼻で嗤う。「少なくとも今は、と付け足しておくよ」

「……どういう意味です?」

「あたしはただ、真偽を確かめたいんだよ。スー姉ちゃんに会って、本当のところを直接聞き出したいんだ。その本当のところ次第では、王国の敵に鞍替えするかもって、そーゆー意味だよ」

 それを受け僅かに目を細めるリルドだったが、小さく嘆息し頭を振る。

「そうですか。お好きにどうぞ。私は床に臥せっている弟が心配なだけです」

「おいっ。あんた前は妹って言ってなかったかい?」

「妹のように愛らしい弟なのです」

「なんだそりゃ……」

「もしくは、弟のようにボーイッシュな妹なのです」

「どっちだよ!?」

「ぼくっ娘です」

「あぁ、そうっすか。お好きにどうぞお」

 呆れたようにひらひらと手を振って離れて行くサイだが、途中で足を止め、振り返った。

「一つ言っとくけど、サイってあだ名は家でそう呼ばれてたから名乗ってるんだ。やましいことなんてなんにもない。それに、もしあたしの名前が問題になって、城で悶着が起きてたら、困ったことになってたのはあんたらの方じゃないのかい」

「………」

 リルドは、断罪の間でのケイルの行ないと言葉を、そしてカボル村広場での壮絶な姿を思い出した。そしてもしあの場でミリア王女が飛び込んで来なければ、果たしてどうなっていたのかを想像し、沈黙した。

 と、そこに、がさがさと草叢の一部が揺れ動き、きえー、と奇声を発しながらライアスが飛び出してきた。不承不承といった雰囲気を放ちながら次いでケイルも歩み出てくる。

 二人の視線を受け、硬直するライアス。

「あんた、なにやってんのさ?」

「なにやってるって……。こ、ここ、こっちの科白ですよ! せっかく水浴びを覗こうと思ったのにィ!」

「は、はあ!?」

「なぜまだ衣服を纏ってこんな場所にいるのですか!? なんで一糸纏わぬ裸体で楽しげに水をかけ合っていないのですか!? 何故、あんたデカイよねー、やだぁまた大きくなってるー、的な桃色女子トークを展開していないのですか!?」

「えー、それなにギレ……?」

「この決断に至るまで、僕がどれほどの覚悟を要したと思っているのですか!? もうプランが台無しですよ! ピシガシグッグ作戦が水泡に帰しましたよ! KYなのはどっちですか! どう責任をとってくれるんですか!?」

「……な、なんかごめん」

「謝ったってダメですからねっ! ああ、もおおぉう。全てがお仕舞いだあ。心のどこかで当たって欲しかった嫌な予感が外れてしまったぁー。またとないであろうサービスカットの機会が永遠に潰えてしまったぁー」

 もう引くとかそういう次元の話ではなく唖然とする三人を他所に、この世の終わりだあ、と頭を抱えて喚くライアス。

 ここから少し離れた川では、茜色の光を浴びて輝く水滴を健康的な褐色の肌に弾ませたゼロットが気持ちよさそうに髪を流していたのだが、乙女の柔肌の眼福に授かったのは、その価値を見出せない野生動物達だけであった。




割り込み投稿として冒頭に『イラストコーナー』を設け、そこに頂いたイラストを掲示しました。

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