12 反逆者
真夜中のお茶会の会場は白い居室だった。
中央には天蓋つきの寝台、壁際には衣装棚と化粧台、窓辺には小さな円卓と二つの椅子。色合い、大きさ、細工と意匠をこらした調度はそのどれもが城下の店ではまずお目にかかれない品だったが、目が移ろうほど品物は多くなく、必要最低限にまとめられていた。
燭台の頼りない灯りがそう思わせるのか。殺風景という印象よりも、上品という印象のほうが辛うじて勝る、そんな虚ろな雰囲気が漂う一室。
「お茶をお持ちしました……」
恭しい所作の端々に怯えをにじませた官女は円卓に茶の準備を整えると、そそくさと退室した。
居室に残されたのは三人。この室のあるじであるミリアと、出入り口の扉の脇で注意深く推移を見守るリルド。そして客人である男、見慣れぬものに威圧を植えつけてやまない異形の戦士、ケイル。
ミリアは椅子の一つに腰をおろし、手振りで対面への着座をケイルに勧めた。
上品な小ぶりの椅子はやや耐久性に欠けるとみえて、成人男性二人分の加重を支えられるのかあやしいところだった。ケイルもまた手振りでそれを断ると、ミリアは少し寂しそうに失笑を転がした。
「遠慮せずともよいのですよ。ここは私の部屋です。かしこまる必要もありません」お茶をひとくち含み、静けさを味わうかのようにゆっくりと陶器のカップを鳴らす。「……見慣れぬお人。いつまでもそうお呼びするのも失礼ですので、お名前をきかせてくださいな」
「ケイルだ」
「ケイルさん。いい名ですね」微笑んで、はたと口許に手をそえてばつが悪そうに笑う。「あら、いやだ。また私ったら。自分から名乗るのが礼儀ですね。見ず知らずの人とお喋りするのはあまり慣れていないので、お許しを。私はミリア。ミリアだけで結構ですわ。堅苦しいのってあんまり好きじゃありませんの」
『あら、わたくしもそうですことよ。おほほほほ』
アーシャは空いた座席に腰を埋めてふんぞり返っていた。
悪ふざけが過ぎる相棒をケイルは視線でたしなめた。
無論、人を食った支援システムの無礼などミリアは知る由もない。
「ではケイルさん。立ったままでも構いませんので、冷めないうちにお茶をどうぞ」
「いや、結構だ」
「……そうですか。その兜のなかのお顔を見せてはくれないの? 残念」
ミリアは木の実を頬張る子リスのようにぷくっと頬を膨らませた。化粧気の少ないほっぺたはつやつやに輝いている。麗しい容姿にも最高位の身分にも反した少女のようなその態度は、しかし不思議と不調和を感じさせない。
「私の寝室に訪れた見知らぬ殿方は、あなたで二人目なのですけれど、もしかして私は巷でいうところの男運というものに恵まれていないのかしら」
「二人目……?」意味深な物言いにケイルは小首を傾げた。
「そう。一人目の殿方こそが、あなたが気にかける賊でした」
鮮やかな双眸を注意深く細めた深遠の王女は、脳裡に刻まれた驚異の場面を追想するように部屋中に目線を巡らせる。
「私も本当に驚きました……。四日前の昼下がり、気がついたらその男はそこに立っていたのですよ。ほら、あの寝台の脇に。私、思わず悲鳴を上げて、その悲鳴を聞いて部屋の外で控えていた官女が近衛兵に報せに走ってくれたようですね」
「どのように現れた? 足音や気配は何も感じなかったのか?」
「ええ、まったく。本当に突然、パッと現れたのです。……心臓が止まる思いでした」
ミリアは思いだすのも恐ろしいと自分の肩を抱いた。
訪れたのではなく、出現した。予兆も契機もなく、虚空から実体が現出する。
それはケイルのそれとまったく等しい来訪だった。同時期に、同じ王城内で、同じように、その男は現れたというのだ。そして、その科学的な見立てがつかない出現現象は、彼らの世界の魔獣、アバドンの襲来にかぎりなく近しい。
「どんな姿だった?」不可思議な共通点を頭のなかで反芻しながら、ケイルは矢継ぎ早に質問を続ける。「何か武器は持っていたのか?」
彼にとってこれは目撃者への詰問の他に特別な意味を持たない。
王族への礼節を欠いているのは今さらであるし、不思議とそれを非礼と思わせない異形ではあったが、それでもまるで憲兵が証人に相対するような、ただ情報を引きだそうとする思いやりのない態度であり、眦を尖らせたリルドが一歩を踏みだそうとするも、ミリアは目配せでそれを制した。
「武器についてはよくわかりませんでした。でも、姿はあなたと似ていました。そっくりというほどではなくて……。うーん、その鎧はそっくりでしたけど、兜のかたちが全然違うみたい」
「どんなかたちだった?」
「なんていったらいいのかしら……黒い水晶玉? 金魚鉢? ええ、そうですね。金魚鉢という喩えが一番相応しい気がします。顔はまったく見えませんでした」
『金魚鉢ねえ……』
およそ兜という言葉の印象とはほど遠い奇妙な形容に、ケイルとアーシャは熟考に顰めた眼差しを見交わす。しかし、金魚鉢というその面妖が、そこはかとなく不気味であろうことは想像できる。
「それで、そいつは何かいったのか?」
「いいえ、一言も。ただ……」
つと語尾と視線を沈ませる目撃者の王女。ケイルは急かそうとせず、じっと二の句を待った。
お茶を含んだミリアは、嘆息とも吐息ともとれる呼気を吐いた。
「私が喋ったんです。喋ったというよりも……恥ずかしい話ですが、恐ろしくて取り止めもないことを捲くし立ててしまいました。誰ですかとか。どこから来たんですかとか。もしかして、反逆者の一味ですか? とか」
ミリアは思いだしたという風にぽんと手を打ちあわせた。
「そう、反逆者。話に聞く恐ろしい魔物の出現みたいにあまりにも突然現れたものだから、私、その人を見た瞬間、反逆者の手先か何かだと思っちゃって。いえ、実際にそうだったのかも知れませんけれど」
『反逆者か。王様にもいわれたわね。反逆者の一味かって』
おとがいをなでる相棒に、ケイルは視線で首肯し、ミリアに向き直った。
「教えて欲しいんだが。反逆者とは何者なんだ?」
「え? ケイルさんは反逆者をご存じないのですか?」
ミリアは信じられないとばかりに目をしばたいた。会話に聞き入っていたリルドも渋面をつくる。不可解な反応にうめくケイルに向かって、ミリアはさも当然のように述べた。
「知らない人がこの世界にいるなんて、考えにくいのですけれど。だって反逆者は、この世界に魔物を出現させている元凶だと目されているのですよ?」
「魔物を出現させているだと――?」
信じられないという思いは、ケイルたちのほうが大きかった。ケイルは面頬のなかで目を見開き、アーシャも彼の視界のうちで目を白黒させていた。
魔物を出現させている元凶――。ケイルたちの世界のアバドン出現現象にはかすかな糸口さえ見つかっておらず、抜根的解決の模索も絶えて久しかったというのに、少なくともその嫌疑をかけられる存在が、この世界には存在しているのだ。彼らにとってそれは青天の霹靂といえる新情報だった。
不意にミリアは、うふふ、と奇妙な含み笑いをもらした。
ケイルが怪訝のうなりをはっすると、薄く瞑目してふるふるとかぶりを振る。
「いえ、ごめんなさい。反逆者について触れた時、その人も今のあなたみたいな反応をしたものですから。一言も喋らないまま、身動ぎをしたというか、興味深そうに頭を動かしたというか」
感情というものを外部に示さないケイルでも、その衝撃は肩を揺すってしまうほど大きかったのだ。そしておそらくは正体不明の真犯人にとっても……。
ケイルは慎重に顎を引いて続きを促した。
「だから私、その人がその話を望んでいるのだと思って、反逆者について、知るかぎりを話した気がします。ここからずっと西の打ち捨てられた古都ニューカに反逆者たちは潜んでいること。強力な魔物に護られていて討伐隊が太刀打ちできないこと。そして反逆者の首謀者は……私の妹、レイアであること」
「妹……?」
ミリアはすぐに答えようとはせず、カップの縁を指でなぞった。長い沈黙は憂慮に沈み、手許を見つめる眼差しは物憂げに翳っていた。あるじの心痛を慮り、リルドは辛そうに目を伏せる。
「ええ……。そうなのです。私も心苦しいのですが、私の妹でもあるレイア。第二王女であるあの子こそが反逆者の首魁。魔物を出現させている張本人であるとされています……。だから彼らは反逆者。王国、いえ、世界に反旗を翻した大罪人として追われているのです……」
語るべき言もついえて、茶会とは名ばかりの硬質な質疑応答は幕引きとなった。
ケイルを客間で待つ同行者のもとで待機させるよう部下に告げて、その気配が消え失せるのを確認すると、リルドは安堵の吐息を長々ともらした。
「……ミリア王女様。肝が冷えますよ」
「あら。どうして? ケイルさんは犯人ではないのですよ」
「やつが正体不明の危険人物であることに違いありません」きっぱりと断じてから、リルドはわずかに俯かせた面持ちに控えめな疑念を宿してあるじを窺った。「本当に人違いだったのですか? あのようなものが二つといるなど、私には信じがたいのですが……」
「確かに驚くほど似ていました。同じ空間にありながら、体温を感じさせないあの雰囲気……。もしかしたら私の見間違いで、彼が犯人だったといわれても、私は驚きませんね」
ぎょっと目を剥いて言葉を失うリルド。ミリアは苦笑いをうかべて顔の前で手を振った。
「それほど似ていたという意味です。……彼の処遇はどうなるのかしら」
「それはディソウ様次第です。冤罪であったにしても、断罪の間での狼藉を鑑みるに、無罪放免とはいかないでしょう」
「まあ、正気を取り戻したお父様が怒り狂うことは目に見えていますね。でも、処刑はおろか、投獄さえままならないであろう彼をどうするつもりなのか……」
しばしの間、ミリアはカップを回して渦をつくる琥珀色の液体を見つめていた。
幼さを残す言動のうちにも、時折、賢人ぞろいの大臣を驚かせるほどの聡明さを覗かせるミリア。長い歴史のなかで、国を統べるのが常に男とはかぎらなかったこのライガナ王国において、次期女王と期待されている彼女は、深緑の眸のうちでいかなる考察を経たのか。
「スパイル兵団長。私に一案があります。きっとお父様も納得してくださるでしょう。しかし、問題はあなた」
「私ですか……?」
「ええ。あなたに酷な任務を強いることになります。近衛兵団を率いなくてはならない身であることは存じていますが、あなた以上の適任はいないと思うのです。お願いできますか?」
是非もない。リルドは誠心誠意かしこまって片膝をついた。
仕える王女からのお願いとは命令と同義だった。それ以上に、怜悧なミリアの妙案に貢献できるという栄光は、リルドにとって至高の悦びに他ならない。同性として、同年代として、人として、非の打ち所がない王女。忠を尽くすに足る君主のご要望とあらば、どんな負担も受け容れる覚悟があった。敬意という言葉では表しきれない親愛があった。
ミリアは頬に薄い微笑みを宿し、リルドの手を取って、甲に唇を近づけた。
異邦にして異形の男によってもたらされた不穏の夜を明かした王都の昼下がり。
市街地は細々と忙しない営みを取り戻していた。大通りの一角に位置した大衆食堂もまた、いつも通りの賑わいをみせている。広いホールに並べられた無数の円卓はほとんどが埋まっており、客の談笑や注文の声、給仕の威勢のいい返事が飛び交う。
ただ、いつもであれば常連と洒落の利いたかけ合いに興じているはずの看板娘の少女は、一つの席にかかり切りだった。彼女の興味は目下、三人がけの円卓に一人で座す不思議な美青年にあった。
面白くなさそうにうなる常連への接客もそこそこに、少女はテーブルに手をついて身を乗りだし、好奇心旺盛な猫のように眸を輝かせて青年に顔を近づけた。
「お兄さん、珍しい顔立ちしてるね。旅の人? もしかして異国の人?」
「……まあ、そんなところだ」
青年は曖昧に、物静かに答える。
優男の造形に武将然とした精悍さを同居させるその青年。蒼白い面持ちに女の関心を寄せつけてやまない神秘性を宿した彼は、もちろん、ケイルだった。
頭部ユニットを外して、今は素顔なのである。外骨格はぞろりと長い革の外套で隠してあるが、首元から下顎にかけて黒くぶ厚いハニカム柄のインタフェイスアーマが覗いており、目ざといものにとっては興味を抱くに足るいでたちだった。
「こんなご時世に異国からの旅なんてすごいわね! どこの国なの? あ、今当ててみせるからいわないで! その黒い髪に黒い眸……極東の島国ジャネエでしょ? 当たりでしょ!」
『ジャネエじゃねえよ、アバズレ。こちとら地獄生まれの地獄育ちよ』
尽きない疑問をすこしでも解消しようとぐいぐい迫る少女と、それを嘲る幻影の少女。
多次元の波状攻撃にケイルは面くらい、やや辟易しながらも、合間に切りだした。
「訊きたいことがあるんだが」
「なになにっ? なんでも訊いてよ」
「反逆者を知っているか?」
「反逆者って……」その言葉を耳にした途端、饒舌だった給仕の少女は明朗さを消沈させて声を潜めた。「何、お兄さん知らないの? 異国にも知れ渡っている話だと思ってたんだけど……。悪いけどさ、それはあんまり話したくないかな……」
その変わりざまにケイルは眉を寄せた。
少女はまるでそれが罪の告解であるかのように訥々と続ける。
「ほら、どうしても城壁の外の人たちのことを思いだしちゃうから……」
語勢もおぼつかずに項垂れる少女。その姿は心ある都民の良心の在りかたを克明に物語っていた。彼らにとって、城外に多くの同国民が締めだしをくっているという現状は、あえて目をそむけなければやっていけないほどの心痛のたねになっているのだ。
「反逆者の騒動があったのはもう二十年ぐらい前で、私だって詳しくは知らないけどさ……。それでもその煽りは楽なものじゃないからね……」
また、爪に火を点すとまではいわないまでも、じわりじわりと辛くなっていく生計は、年々潤いを失っていく都の財政の皺寄せに他らなず、今の安穏が仮初めにすぎないことを痛感させるに足るものなのである。
『反逆者は一種のタブーになっているのね。あの巨乳魔術士も伏せていたみたいだし』
そう。サイがケイルにこの世界の魔物による衰退を語った時、そこに反逆者という言葉は含まれなかったのである。知らないといえば正気を疑われ、異国にも広く知られるというその情報、本来であれば注釈つきで語るべきそれをサイはあえて省いていた。
もっとも、ケイルやアーシャが推察するように、暗黙の禁忌を避けるほどサイは繊細な神経の持ち主ではないように思われたが、その理由はすぐに明らかになる。
ケイルは他にも気になっていたことを給仕に訊ねた。
「魔物は突然に現れるらしいが、この城壁のなかに魔物が現れたことはないのか?」
「お兄さん……そんなことも知らないんだ。穴蔵のなかにでもいたの?」
「穴蔵……」もちろん少女に他意はないのだが、絶妙な言葉にケイルは思わずうめいた。
『それは正解かもね……』シェルターでの暗鬱を思いだして、アーシャの皮肉も歯切れが悪い。
給仕の少女は呆れたように腰に諸手をあてながらも素直に語った。
「魔物は人のいるところには現れないらしいんだよ。どこからくるのか知られてないけど、人里離れたところからくるんだってさ。兵士たちの話だと、多くは反逆者が潜む西の森からやってくるんだって。だから、少なくとも王都のなかに現れたことはないね」
ほう、とケイルは関心の相槌を打った。
それは昨夜、ケイルとアーシャが城壁を眼前にして抱いた疑問の答えだった。
魔物の出現現象は人前では発現しない。出現地点もその多くが西方と、偏りがある。それはケイルたちの知るアバドン災厄と異なる特徴だった。アバドンがまったくの無作為、無差別に出現するのに較べて、この世界の魔物は何らかの作為を思わせる傾向があるという。
附随してケイルが思うのは己と賊の来訪について。彼らは人里離れた場所どころか、王国の中枢、王城の内部に出現したのだ。この世界では定石となっている魔物の出現パターンを明らかに逸している。
少女は、そんなことよりさっ、と溌剌とした町娘の顔を取り戻した。
「実はもうすぐ仕事が終わるんだよね。もしよっかたら私が王都を案内してあげようか? 収穫祭も近いし、色んな穴場を教えてあげるよ。そういえば宿は決まっているの? 私の親戚のところにしてよ。口利きをしてあげるから」
捲し立てられ、ケイルがたじたじとなったところに、助け舟があった。
注文した料理の受け取り口の長蛇の列から解放されたサイとゼロットが、ようやく席に戻ってきたのである。
「なんだ。妻子持ちだったんだ」
勘違いした給仕の少女は寂しそうに苦笑して、円卓から離れた。
両手に抱えた大皿を卓上に置いたサイ。椅子を引きながら、去りゆく給仕の後姿を見やり、にやりとする。
「お邪魔だったかい?」
「いや……」
「一人にしとくと油断も隙もないねぇ」
燻製肉や緑黄野菜がふんだんに加えられた目にも鮮やかな大盛りのパスタを小皿に取り分けながら、サイはなおも言い募る。
「あんた、ああいうオラオラ系の女がタイプだったんだ」
「オラオラ系……」
たまらずケイルはうめいた。せめて肉食系といって欲しいと思う。
ケイルの耳朶に届くこの世界の言語はアーシャの翻訳システムを介しているので、彼女のセンスに依るところが大きい。そして彼女のセンスはけっして普遍的なそれではない。
何食わぬ顔の相棒をじろりと横目で睨みながら、ケイルはかぶりを振った。
「べつにちょっと話を聞こうとしただけだ」
「あ痛たたー。それ、ナンパに失敗した奴の常套句だよ。でも、ああいう女が好みなら、あたしのほうが脈ありだね。いえーい」
ゼロットの肩を小突いたサイは勝ち誇った顔をうかべた。いわゆるドヤ顔だ。ゼロットは口いっぱいにパスタを頬張りながら悔しそうに睨む。何を争っているのか。
『ふん。オラオラ系が好みなら、私のほうが一枚上手ね。私は無駄無駄系よ。無駄無駄無駄無駄ッッ』
だから何を争っているのか。二人には聞こえるわけもないのにアーシャはケイルの背後でジャブを連発し始めた。
昼時ではあるが、これは三人にとって朝食である。今日の未明、空が明らみ始める直前に城から解放された彼らは、城下町に宿を取り、起床し、今にいたる。
ケイルの身体を隠す外套はサイの案であった。ユニットの一部を欠いた状態での活動など、機械化兵装にとっては半裸であるようなもので、なんとも心許ない。しかし、生きた全身甲冑のごとき姿のままではあまりに目立ち、散策もままならない。ましてや昨夜の南門での一件は今や英雄譚となって流布されているのだ。衆目は願い下げであるケイルにとって、これは苦肉の策だった。
「お。この肉うまいね。味つけに何使ってんだろ」
サイは柑橘のソースをたっぷりからめた鶏のモモ肉を食んで、頬をゆるめた。もぐもぐとやりながら甲斐甲斐しくゼロットとケイルの小皿にも一つずつ取り分ける。傍目には世話焼き女房といった調子だが、実際は保護者のような彼女だった。
「ほら、ケイル。もっと食べな。あんた、もうちょっと肉をつければもっとモテるよ」
「……ああ」
舌の上にひろがる甘辛い味わいと鼻腔に抜ける爽やかな香り。
無表情に咀嚼しながらも、ケイルは確かに旨いと感じていた。しかし、それだけだ。それ以外の特別な感慨を、彼が抱くことはない。
彼がこのような食事をする機会は、元の世界ではほとんどなかった。近いものといえばシェルターでの待機時間や共同作戦時の野営ぐらいだろう。もっとも、それにしたところでヘカトンケイルという特殊な位置づけにあった彼は、代用糧食についての好き嫌いで盛り上がる話の輪にはいることはなく、周囲を警戒しながら手早く栄養を摂取するだけだった。
ヘカトンケイルとはそういうものであり、ケイル自身もそれを不満に感じたことはなかった。
「ああ、もうっ、ほらほら。顔にソースがついてるって」
我武者羅に肉にしゃぶりつくゼロットの頬にぐりぐりと布を擦りつけるサイ。
同じ食卓を囲みながらも、ケイルにとってそれはどこか遠くの光景だった。安らぎ、団欒、人情、目の前にあるはずなのに一歩を踏みだすことはおろか、手を伸ばす気にもなれないほどすべてが遠い。硬く厚い不可視の殻のうちで、兵器の男と幻影の少女は視線を重ねる。
ケイルはゼロットに倣って肉に齧りつき、平らげた。
「なんだよ。そういう豪快な食いかたもできるじゃんか。あたしの家では見せてくれなかった食欲だね」
意地が悪そうに笑うサイ。
ケイルは彼女から振る舞われた朝食が、なんとも独創的な味つけだったことを思いだした。
ふいにサイはテーブルに両肘をつき、骨付き肉を持て余すように物憂げに見つめる。
「……ほら、あたしは水を媒体にした治癒の魔術が得意なんだけどさ。その代償として、日常生活での水の使用に精神的制約がかかっちまうんだよね」
「魔術にはそんな制約があるのか……?」
「いや、嘘だけど」
嘘だった。
どんな嘘なのか。
ケイルが魔術に関する事柄以前に、この世界についてほとんど無知であることを察しているサイは、時折こうした虚言を吐いてケイルを惑わせる。しかも割りと演技が巧いのでケイルからしたら始末に負えない。
今日の未明、宿で就寝する際、同じ寝室で寝起きする男女は就寝前に必ず口づけを交わさなければならないなどと宣って、迫真の真顔でケイルに迫った。サイは冗談のつもりでも、それに便乗したゼロットは本気だった。
『うひょひょ。鉄板ハーレムきたこ――』
「黙れ」
アーシャのたわごとをぴしゃりと遮る。
その声は置換されずに、サイとゼロットは不思議そうに小首を傾げていた。
食事を終えた三人。会計はケイル持ちだった。ちなみに宿の宿泊費も同様である。
捜索隊による大仰な連行と断罪の間での悶着を鑑みて、簡単には終わらないだろう予想していたケイルだったが、拍子抜けするほどあっさりと城から帰された。賊の目撃者であるミリア王女が国王を前にケイルの潔白を宣言したにしても、その応対はいささか淡白に過ぎた。
そればかりか、城の正門までケイルたちを見送ったリルドは、謝罪の印としてケイルに小袋を手渡した。相応の重量がある革の袋のなかには、数十枚の金貨がぎっしりと詰まっていた。
「ごちそーさん。いやさ、あんた、一気にリッチになっちまったね。それだけあれば二、三年は遊んで暮らせるだろうよ」
ケイルはこの世界の金銭事情についても知らないが、彼が譲渡された示談金は貴族のひと財産に相当するものだった。
「あたしたちが部屋でくつろいでる間に何があったのか知らないけど、とにかくあんたの無罪は証明されたってことだろ」サイは含み笑いを湛えてケイルを見やる。「……いや、力尽くで証明したのかい? あの地震、もしかしてあんたが関係してる?」
地震とは、ケイルが国王の収まる守護の籠を貫いた時のものだ。
ケイルは小さく鼻を鳴らして肩を竦めるにとどめた。王政側の不審も、その裏にある腹案も、感じないわけもないケイルだったが、基本的に彼はそういったものに興味がなかった。他者の機微や体制の権謀に頓着しないその姿勢は、自律型兵器、すなわち道具としての彼の自身の捉えかたに由来する。
彼の目下の興味は正体不明の賊と、その男が興味を示したという反逆者と呼ばれる者たち。この二つだけだった。そして願望らしい願望は、他のヘカトンケイルとの邂逅、ただ一つに尽きた。
食堂を後にした三人は繁華街を進む。通りは様々な身なりの人々で猥雑としていた。傭兵といった風体のむくつけき男たちが武具屋の前で粗暴な談笑を響かせ、商店の間を埋めるように行商人の露店が並び、家族連れの都民が珍しい品々に顔を寄せ合っている。王都というだけはあり、農村のポルミ村とは行き交う人々の数も人種も比にならない。
きょろきょろと目線を移ろわせるゼロットとケイル。群衆が織りなす多様な賑わいは、農村生まれのゼロットにとって新鮮なものであり、活況とは無縁の世界からきたケイルにとっても不慣れなものだった。
『うげ。人いきれに酔いそう……』
「俺たちの世界でも、アバドン災厄の前はこんな感じだったのか」
『いえ。きっともっとごみごみしていたでしょうね』
「想像を絶するな」
彼らを先導するサイは苦笑いをにじませながらも、まんざらでもない様子で主要な建物を紹介していたが、ふと、ケイルの左隣という定位置にゼロットの姿がないことに気づく。
少女はある露店の前で立ち止まり、じぃと敷物の上に置かれた品を注視していた。
その露店は他とは明らかに毛色が異なっていた。他に客は見当たらず、店主であろう老婆も商売をする気がないのか、ローブのフードを目深に被り、転寝をしていた。
「なんだい? 何か欲しいものでもあったかい。……って、この店はあんた」
何かを気取ったサイは言葉を止め、顔を曇らせる。
置かれている品は水晶を削りだした髑髏であったり、奇怪なかたちをした樹の根であったり、読めるかどうかも疑わしいほど傷んだ書物であったりと、どれをとっても怪しげなものばかりなのだ。
ゼロットはサイに目をやり、次いでケイルに視線を転じ、淀みなくある一つの品を指差した。
それはぬいぐるみであった。ただし、それも怪しげな品揃えの例外にはない。兎のような大きな耳が顔の半分を覆い隠すようにたれ、しかしその顔はけっして兎に非ず。全体的に平たく潰れ、二本の線のような小さな鼻腔は爬虫類を、そのなかでも蛙を彷彿とさせる。赤いボタンの眼球は右側が取れてしまっていた。
良くいえば斬新。単刀直入にいって悪趣味。
「……あれが欲しいのか?」
ケイルの問いに、ゼロットはしばし呆然とした。彼女からしたらただ気になっただけであり、何かをねだって買ってもらうという行為は初めてのことだったのである。感情の乏しかった眠たげな眸をきらきらと輝かせ、こくこくと何度も頷いた。
ケイルは首肯し、老婆を揺り起こす。
「そのぬいぐるみ、いくらだ?」
「ああん? 人が気持ちよく寝てんのになに起こしてくれとんねん。つーかなに勝手にあちきのボディーに触ってんだよ。大声だすぞ、てめぇ」
「…………」
恐ろしく口の悪い老婆だった。
『ああん!? ゴォルア。てめ、棺桶に片足突っこんでるババアがなぁに調子ぶっこいてくれちゃってんだよ。冥土の土産しこたま持たせて三途リバー渉らすぞ。あと五秒でおどれの戒名考えんかいワレェ』
負けじと喚き散らすアーシャ。ここぞとばかりに毒舌を発揮していた。当然、いかに喚こうとも相手には聞こえないが。
ケイルは唾を飛ばす相棒を無視し、くだを巻く老婆を根気よくなだめて、値段を聞きだす。
「金貨五枚」
「たっかあー!」
その値に仰天するサイ。
ケイルは事もなげに頷いた。
「買った」
「はああぁ!? 即決ぅ!?」
開いた口が塞がらずに硬直するサイをよそに、ケイルは淡々と金貨を支払い、受け取った不気味なぬいぐるみをゼロットに手渡した。
ゼロットは初めて買い与えてもらったぬいぐるみを細部にいたるまで観察し、胸に抱いた。そして再びケイルの左隣に立つ。無口な少女の口から感謝の言葉がでることはなかったが、その距離は以前よりさらに密着していた。
『でたよでたよぉ。クーデレ少女のクールなデレが。ゴスロリちっくなぬいぐるみまで装備させちゃって、鬼に金棒ね』
鬱陶しそうに手を払うアーシャ。
ケイルは不愉快そうに歪む相棒の眼差しにかすかな羨望が含まれるように感じた。
「……お前も何か欲しいのか?」
『は、はあ!? な、なにいってンのよ! べべ、べつに羨ましくなんかないんだからねっ!』
だからね、じゃない。
そもそも実在していないアーシャに物質を買い与えるのは物理的に無理だった。
頬をぽりぽりやりながらサイは先導を再開する。
「あんたの金だからいいけどさ。金貨五枚って、家が買えるぐらいなんだけど……。まあ、いいけどさあ」
彼女は進みざまにちらりと露店を一顧した。木の立て板に小汚い紙を貼りつけた粗末な看板。文字を知らないケイルとゼロットには読めようはずもなかったが、そこには『魔道媒体専門店』とあったのだ。
年ごろの女の子が喜びそうな可愛らしいぬいぐるみは他にいくらでもあるのに、なぜよりにもよってそんなものにゼロットは食指を動かしたのか。サイは眠たげな少女の胸にぐてりと収まるヘンテコなぬいぐるみにも一瞥をくれ、「べつにいいんだけどさぁ」と繰り返した。
ほどなくして大通りを離れ、郊外へ向かう人通りの少ないなだらかな坂をのぼり始めた時のことだった。
前方から坂を下ってくる二人組みに、ケイルはわずかに眉間に皺を寄せる。
鉄の兜に革の軽鎧、腰に提げた剣、それは二人の王国兵だった。二の腕にまかれた腕章にあしらわれた大鷲の刺繍が、彼らが王都内の治安維持を司る憲兵であることを知らしめていた。
外套のうえからでもわかる筋骨隆々たる長身の体躯、そのうえにのる美青年の顔。他意のない都民であっても目に留める不自然なケイルのすがたは、案の定、巡回中である彼らの警戒心に触れた。
「そこの者、しばし待たれよ」
サイは大儀そうに嘆息してから、ケイルと兵士たちの間に割ってはいった。
「兵隊さんたち、その人はあたしの親戚で、マルアイン劇団の団員なんだよ。だからちょっと変わった格好してるけど、怪しいもんじゃないさね」
「ほう、そうだったか。あのマルアイン劇団の。それは失礼をした」
「なるほど、収穫祭は近いからな。今年の演目も楽しみにしている」
会話もそこそこに、ケイルらは足早に兵士から離れた。
王城に賊が侵入した件の事件以降、兵士による都内の警邏は強化され、怪しい者には片っ端から誰何するように厳命が下っているのだった。賊はすでに王都を脱している可能性が濃厚であり、方々に捜索隊をはなった王政でも、それは市中の警戒を疎かにしていい理由にはならない。
「さて、次に止められたらどう騙してやろうか?」
きしし、といたずら小僧のように笑うサイ。
起床してから今にいたるまで、ケイルが憲兵に誰何されるのはこれで三度目だった。今回は劇団員、前回は道化師、前々回は地方の呪術師。サイの言葉巧みな嘘に、兵士はみな納得し、怪しむでもなく素直に身を引いた。
「……いや、ありがたいんだが、そのたびに身分を変える必要があるのか? 統一したほうがいいと思うが……」
控えめに意見を述べるケイルだったが、嘘を吐くにも無知識である彼一人では、こううまくはいかない。もし仮に、この世界に来訪して城を脱した直後、今と同じような変装をして情報を収集しようとしていたら、数刻も持たずに悶着を起こしていただろう。
長いのぼり坂を終えると、家屋が窮屈に連なっていた住宅街から脱し、見通しが開けた。個々がゆったりとした庭を持つ屋敷が建ち並ぶ高台の広場だった。
そんな豪奢な景観のなかに、一戸だけ異彩に過ぎる雰囲気をはなつ屋敷があった。
いや、屋敷の残骸といったほうが適切か。かつては立派な館だったのであろうその建造物は、全体的に炭化してしまったように黒く煤け、屋根の大部分は無惨に焼け落ちていた。まったく手入れがされていない庭の草木はぼうぼうと生い茂り、蔦が屋敷のわずかに残った壁面を無数に這っている。
「……おやまあ。すっかり変わっちまったねえ」
軽薄な口調とは裏腹に、サイは諸手を腰にあてたまま、しばし動こうとはしなかった。その心中が穏やかでないことは明らかだ。やがて覚悟の深呼吸を一つ。庭の茂みを掻きわけなかへと這入っていく。ケイルとゼロットも続いた。
玄関だったであろう焼け木の原、食堂であったであろう伽藍の一室、書斎であったであろう煤の洞。生活を思わせる物は何もかもが焼失していた。長い忘却が積もらせた白い埃に、三人分の足跡が残る。
何かを求めるように残骸のなかをそぞろ歩いていたサイは、やがて諦めたように客間であろう広間で立ち止まった。サイの気が済むに任せて無言のまま続いていた二人に振り返り、力なく微笑する。
「さて、お二人さん、我が家へようこそ」
ここはかつてサイが住んでいた屋敷だった。ミレンのあざなを持つメイフェ家。代々王国に仕えてきた魔術士の名家。
家に招待する。宿で起床した直後、サイはそう述べた。そして食事を摂ってから、この屋敷へとケイルとゼロットを導いた。家に招待するというのにわざわざ宿をとり、食事まで済ませたのだから、ケイルも予想はしていた。サイが徒ならぬ事情で王都を離れたということも聞き及んでいたので予測もしていた。
ただ、現実の無惨さは想像を上回っていた。
「酷いもんだろ?」
サイは部屋の一隅、比較的かたちを保ったままの棚に歩み寄り、埃を払ってから寄りかかった。いつになく疲れた面持ちで頭上を仰ぐ。
「いやはや、あたしもせいぜい廃墟ぐらいを想像してたんだけど、まさか火をかけられるとはねえ……。瓦礫とさえいえない、焼け残りだね、こりゃ」
彼女の視線の先、天井があったはずの場所には、嫌味なほどに蒼い空が拡がっている。焼け残った梁と付近の壁面は、埃が積もらない分、より黒く見えた。そのひび割れた禍々しい黒は、かたちも匂いも手触りも思い出も、すべてを奪い去った当時の火災の凄まじさをしのばせた。
サイは視線を地上に戻し、二人をまっすぐに見据えた。
「あんたたち、反逆者って知ってるかい?」
「――反逆者……」
耳に新しいその言葉を、ケイルは繰り返した。
俯くように深々と頷いたサイは、小さく肩を竦めて見せた。おどけるような所作は、しかし、強がらなければ心が折れてしまうほどの心痛をかえって強調していた。
「あたしの家が焼けちまった理由、あたしの家が王都を追われた理由。それが反逆者なんだよ」
そして、翳る眸を足許に沈ませ、吐き捨てるようにつけ足した。
「あたしの姉ちゃんはね。反逆者の一党なんだとさ」