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異形の魔道士  作者: IOTA
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8 野営




 痴呆のようにぽかんと口を開けて放心していたライアスは、正気を取り戻し、ケイルが求める情報、つまり王家を害した賊について、自身が知り得る限りを訥々と語り聞かせた。

 ともすれば人間たちの事情など与り知らぬ風の音や鳥のさえずりにまぎれてしまいそうなかすれた声は、しかし二百人近い人間が密集しているとは思えぬ静謐にはっきりと染み入った。遠い馬蹄の音を逸早く聞きとがめ、誰かの耳打ちさえも聞き取る聴覚を有したケイルにとっては、なおさらである。

 今更ではあるし、狼狽の滲んだ情けない声音がその思惑を裏切っていたが、脅迫されて白状するという構図を恐れたライアスの言葉は説明口調に終始した。もっとも、弁明する賊に向けて罪状を述べたという言い訳が通るとは思えない丁寧で切実な説明であったが、それでも彼が有していた情報はそう多いものではなかった。

 四日前に王城で起きた、真偽は不明だが剣呑な噂だけがまことしやかに囁かれる大事件と、それに付随する王都での賊捜索騒動。編成された捜索隊にもたらされた情報は、ケイルの姿形をそのまま言い表したような賊の外見特徴と、王都を脱した賊が森に逃げたということのみ。

 王城で何が起きたのか。おそらく故意に知らされないように情報制限が敷かれているのだろう。その辺りの事情が、賊の異常な戦闘能力というそれと相対する捜索隊にとってもっとも重大といっても過言ではない情報が隠蔽されていたことに関係している――と、わざわざいわなくてもいいようなことまで、ライアスは醜態の自己弁護をするように喋ってしまっていた。

 相槌はおろか、わずかな首肯さえ見せず、ただただ押し黙って聞き入るケイルの態度が、取り戻したはずの正気をともすれば再び失わん彼の恐慌に拍車をかけたのだ。そしてライアスが語り終えた後もケイルはしばし沈黙を保ったままだった。

 やがて静かに、極めて端的に告げた。

「王都まで案内しろ」

 捜索隊も、推移を見守っていた村民たちも、ケイルが何を考えているのか、皆目理解不能だった。口振りや態度から察するに素直に(ばく)に就くつもりはさらさらないようだが、それなのに自ら王都に赴くのはいかなる理屈か。

 彼らの疑念などに頓着せず、いつでも発てる、と急かすケイル。しかしそれは、考えようによっては捜索隊からしたらこの上ない申しでである。彼を連行すれば、最長で二月にも及ぶ予定であった過酷な捜索任務が近所とさえいえる王都最寄りのポルミ村で一応に完了というかたちになるのである。

 そしてそれ以上に、力ずくとなれば到底流血は避けられないであろう恐ろしい異能を有し、また到底捨て置くことが許されない賊に酷似した人物が、自らの意志で出頭するといっているのである。

 そこはかとない不審と不安をその表情に宿しながらも、やがてライアスは馬上にありながら眼下のケイルを上目使いで覗き見るよう極端にこうべを垂れて、おずおずと顎を引いた。

 そうして王都への帰路につこうとした一団だったが、遣り取りの最中、ケイルの傍らでおとがいを撫でて思案に耽っていたサイが、おもむろに挙手をして、彼らを制止した。

「ちょっと待って。少し時間をちょうだいよ」

 なぜ、という問いに、さも当然のようにサイはいいはなつ。

「あたしもついて行くからさ」

 静止する一同。ケイルに続きサイまでもが、何を考えているのか理解不能だった。ただしこれにはケイルも面を喰らい、サイの少年のような悪戯な苦笑いを覗きこみ小首を傾げた。

 それなりのつき合いがあった村民たちでさえ理解が及ばぬことを、知り合って間もない彼が、ましてや異邦の兵器である男が気取れるわけもなかったが、それでも何か察するところはあった。小さくかぶりを振る。

「もし俺の身をあんじていっているのなら、必要ない」

 しかし、やはりケイルの察しは的外れだった。

 サイは粗野に笑って煙たげに顔の前で手を振った。

「あんたの身を按じるだって? よしとくれよ。あんたほどの強者つわものを心配する器量なんて、生憎あたしは欠片も持ち合わせちゃいないよ」

「ではなんのために?」

「もう一つの頼みごとだよ。しばらくの間、あんたと一緒にいさせておくれよ」

「一緒にいるって……」女魔術士の真意を計りかねた怪訝を経て、ケイルはアーシャに目配せをした。アーシャは与り知らぬといわんばかりに澄ました顔で肩をひょいと竦める。サイに向き直ったケイルはやや顎を下げ、低い声でうなる。

「なんのためにだ?」

 その少々邪険な同じ問い掛けの繰り返しには、明らかな拒絶の意思が含まれていた。言外に同行を禁じていたといってもいい。

 ケイルの異能と容赦のなさを間近で見せつけられた兵や村民であれば正面から見据えられただけで身を縮めてしまうような赤い眦だが、彼ともっとも会話を重ねたサイがその奥に見いだしたのは、別種のものだった。ばつが悪そうにこめかみを掻きながら、苦笑の色をさらに濃くする。

「あんたこそ、あたしの身を按じてるなら心配ないよ。あんたが断っても勝手について行くからね」少々身勝手ともとれることをいい、サイは腕を束ねて、うーんとうなる。「なんていうべきか。話せば長くなるし、私自身も曖昧な直感みたいなものだからねえ。ま、追々ね。だから今は重大な何かのためにとだけいっておくよ。あたしも色々と思うところがあるわけさ」

 重大な何か。あまりにも漠然とした言葉だが、軽薄な物言いとは裏腹にサイの決意は揺るぎないものだった。何か理由があるのか、女一人で暮らしていた彼女は確かに身軽には違いないのだろうが、それでも村を離れるという決断が容易なものであるはずがなかった。

 そして勝手について行くといわれた以上、ケイルには拒否権もなく、準備のために自分の家へ駆けていくサイの背中を黙って見送るしかない。

『白魔術士が仲間になった』

 含み笑いをもらすアーシャにケイルは小さく舌を打った。

 ほどなくして革製の大きな旅行鞄と麻袋を持って家からでてきたサイ。

 村人たちは視線や控え目な言葉で彼女を引き留めようとした。村唯一の魔術士を失うわけにはいかないという打算的な考えがないわけでもなかったが、それ以上に魔術士という職業をちっとも笠に着ず、誰に対しても開けっぴろげなサイという人物を皆が好いていたのだ。

 サイは物憂げな笑顔に気落ちを滲ませながら負傷者への処置等の申し送りをして、泣きながら抱きつきだだを捏ねる少女や少年を一頻りなでてやっていた。そして主であったバリーガ分隊員を失い、所在なさげに草を食んでいた一頭の馬に跨った。

 ライアスの指示で出発しようとする一同。だが再び、一人の村人の奇行に遮られる。

 ケイルが母親の埋葬を手伝った少女だった。彼女はまるで立ち塞がるようにケイルの正面に立ち、彼を見上げていた。けれどもサイに対する村人たちのそれとは違い、引き留めようとしている風ではけっしない。眠たげな半目の無表情が妙に似合うおかっぱの黒髪と褐色の肌。両親を失う前から表情豊かな女の子ではなかったのではないかと疑わせる彼女の面持ちから、心理を推し量るのは難しい。

「……何か用か?」

 少女は答えず、能面のような表情でまじろぎもせずにケイルを見つめるばかりだった。宴会の最中のそれと酷似した得体の知れぬ視線の交差。

『仲間になりたそうな目でこちらを見ているってやつじゃない?』

 冗談めかしていうアーシャだが、事実、その言葉は的中していた。少女は不意に視線を切り、サイのほうへ駆け寄ると、彼女の馬へと飛び乗ったのだ。予期せぬ行動にたじろぐサイと馬。少女はずり落ちそうになりながらも片足を懸命に持ち上げて、サイの後ろに小さな尻を収めた。

「おいおい。あんたもついて来るきかい? 危ないって」

 しかし少女は降りようとしない。物をいわず表情も乏しい彼女だが、サイの腰に手を回し頑として離さない態度から、その意図は明確だった。そしてサイではなく、彼女の背から首をのばしてケイルを凝視し続ける眸の奥には、子供の小意地ではなく、毅然とした決意めいたものが見え隠れしていた。

 つき合っていられないとばかりに進み始めてしまった騎馬隊。頻りに彼女らを振り返りながらケイルもそれに倣う。

 焦ったサイは隊伍と背後の少女とを交互に見やっていたが、小さな嘆息一つで早々に説得を諦めた。少女を乗せたまま隊列を追って進み始めた。昨夜の襲撃で母親を失い、独りになった少女。農作業について多少は学んだであろう年齢に達している彼女は生活困難者とは見做されず、放逐の憂き目に遭うこともないのだろうが、危険だというのなら村にいれば安全が保障されるわけでもなく、天涯孤独の身の上となった彼女を振り落としてまで村に留め置く理由はないのだろう。

『クーデレ少女が仲間になった』

 あくまでも他人事のようなアーシャの含み笑い。

 ケイルは嘆息混じりに小さくかぶりを振った。

 ポルミ村の住民たちはどんな表情をうかべればいいかわからない、そんな様子で隊列が見えなくなるまで見送っていた。魔物の被害により牧歌的とはいわないまでも、農村としてさして変わり映えのしない日常を送っていた彼ら。そんな彼らが体験した異形の男によってもたらされた怒涛のような一連の騒動。その心情は中々に名状しがたいものがあったが、たった一言で端的に言い表せる言葉がある。それは奇妙。そしてそれはケイルを初めて目にした時から終始一貫した印象といえた。




 背の高い常緑木がずらりと直立する薄暗い森林。毒々しいまでに鮮やかな褐色の樹皮が見つめる小径を、騎馬隊はゆっくりと進んでいた。

 彼らの頭上では、その日の仕事を終えようとしている陽がもっとも鮮やかな光を放ち、空とそこに面するあまねくものを幻想的な茜色に染めている。それは観るものの情緒を豊かに刺激してくれる光景に違いなかったが、騎馬隊のなかには天を仰ごうとするものは誰一人としていなかった。

 隊列の後列の兵士は首を伸ばすように、前列の者はさりげなく振り返るように、頻りに隊列中央を見やっていた。彼らの視線の先、ライアスの馬の後方を賊容疑者であるところのケイルが徒歩で、ケイルの隣には予期せぬ同行者であるサイと少女を背に乗せた馬が並足で進んでいた。

 出発直後、賊の最有力容疑者であるケイルにライアスは恐々と申しでた。出頭するつもりなら腕を縄で縛りたいのだが、と。しかしケイルは一瞥くれただけで何も応えなかった。無言だからこそ推し量れる、明確な拒否だった。

 それでも好き勝手に歩かせるわけにもいかず、賊容疑者連行の軍規に則って、ケイルを隊列中央に置くことになった。容疑者が逃亡を図った場合に即応するための措置なのだが、しかしその容疑者に縄も打っていないとなると、それを目にしたものが感じる印象はまったく違ってくる。もし誰かがこの隊伍と出くわしたら総じて、中央の者たちを護衛しているかのようだ、と答えるだろう。見つけた賊を連行しているというにはあまりに珍妙な隊列といえた。

 前後列の兵が油断なく視線を配っていると知りつつも、ライアスとしては生きた心地がしない。屈強な分隊を瞬く間に屠ってしまうほどの得体の知れぬ強者がすぐ背後を追従しているのだ。行きの道程では嘆息の権化だった彼は、今では草叢の擦過音にさえ背後を振り返るびくびく虫になっていた。彼からしたら徹頭徹尾心休まらない、なんとも神経のすり減る任務である。

「なあ、ライアスぼっちゃん」

 突然のサイの呼びかけにも、ライアスは大袈裟に肩を揺らして振り返る。

「日が暮れてきたけど、どうすんのさ。このまま止まらずに王都までいくのかい」

 サイの馬の隣を歩むケイルは無言であったが、わずかにこうべを起こして、眼差しだけでその会話に加わっていることを示す。途端にライアスの眸はそわそわと怯えに泳ぎ始めるが、その唇だけは恨みがましく突きだされていた。

 魔物が跋扈するこの世界、人里離れた土地で夜を明かすのは勇気の要ることである。それが百名近い隊伍であったとしても、避けられるのならば進んで採るべき選択ではない。

 もし、彼らがポルミ村を目指していた時と同じ通常の進行速度であれば、明日の日中には王都に着くだろう。一夜の不休で帰郷できるのなら、最重要容疑者を連行しているという急くに足る理由がなかったとしても、是が非でもそうするべきなのである。しかし今は馬に乗れないケイルの徒歩に並足を強いられており、このペースでは着くのは明日の夜半ほどになりそうだった。その間を休息もなしで行軍するのはいささか骨が折れる。そもそもライアスとしては今夜はポルミ村付近で野営をするつもりだったのだ。

「……もう少し進んだところに拓地があったはずだ。そこで野営にしよう」

 不承不承というライアスの答えに、サイは頷き、斜め下のケイルに視線を落とす。

「だってさ。よかったね。歩きっとおしで疲れてるだろ」

「いや、べつに問題ないが」

「おいおい、無理するなって。そんな重そうな甲冑着こんで疲れないわけないだろ。王都までまだまだかかるんだよ」

 うん? とうなるケイルは、そこでようやっと自分に気を遣われ、また捜索隊にとっては振るわない進行速度の原因になっていることを気取った。サイとライアスに目をやり、首を横に振った。

「本当に問題ないんだ。なんだったら普通の速度で馬を駆ってもらっても構わない。その速度に合わせてついて行く」

 これにはサイとライアスは顔を見合わせ、目を点にした。

 サイは半笑いの表情で決まりが悪そうに頬を掻く。

「あんたさぁ。冗談だったらもっとそれらしくいいなよ。笑うに笑えないだろ」

「いや、冗談のつもりはないんだが……」

 ケイルには冗談のつもりもなければ、笑わせるつもりなど毛頭なかった。それが平地となるとやや厳しいだろうが、足許の悪い小径での馬の速度などたかが知れている。捜索隊が通常の騎馬行軍の速度で進み始めたとしても、彼は宣言したとおりこの位置を保ったまま遅れることなく併走してみせるだろう。

 むしろ、この地形に限ればきっとヘカトンケイルのほうが馬よりも速い。彼からしたら、なぜこんなにだらだら進むのか、と不思議に思っていたぐらいだったのだから、なんとも噛み合わない話だ。

 ちなみに、ケイルが馬に乗っていないのは、乗らなかったのではなく、乗れなかったからである。馬術の心得など無論なかった彼だが、物は試しにと騎乗をこころみたところ、馬が発狂せんばかりに暴れたのだ。

 ヘカトンケイルの体重は装備にもよるのだが約百五十キロ。成人男性二人分程度であり、重いことには違いないが、馬が耐え切れないほどではない。にも関わらず、気性は荒いが人間には従順に調教されたはずの軍馬がそこまで難色を示したのは、きっとヘカトンケイルが人間ではないからだろう。本当のところは馬に訊かない限りわからないが、今もケイルの最寄りを歩むサイの乗った馬は、他のそれと較べて心なしか落ち着かない様子で頭部をいからせている。

『まあ、あなたが馬に乗ってる姿とか、アンマッチ過ぎてきもちわるいから、よかったじゃない』

「…………」

 慰めているのか貶めているのか、判別のつかないことをいうアーシャ。馬との格闘の最中、終始忍び笑いをもらしていた彼女に耐える自信がケイルにはなかったという理由も、そこにはある。

 ほどなくすると、若干ではあるが森林が拓け、小径の脇に丘陵が見えてきた。

 そこに馬を乗り入れ、野営の準備を始める兵たち。長期間の遠征を想定していただけあって準備は万全のようで、手際も如才なかった。魔物の接近を見張る歩哨の警戒のなか、幾つかの騎馬が牽いていた小型の馬車から荷が降ろされ、たちどころに幾つもの天幕が張られ、薄暗い丘陵が篝火の灯りに染まり始める。

 軍隊というものが往々にしてそうであるように、彼らの根幹にも度が過ぎるほどの縦社会が形成されており、他の兵は分隊単位で押しこめられる小型天幕を、捜索隊唯一の下級士官であるライアスは一人で使用していた。

 そして天幕など持っていなかったケイルたちだが、サイがなかば強引に話を纏めるかたちでライアスと同じ天幕を利用することになった。

 当然、悶着はあった。意図はわからないがなぜかついて来てしまったサイと少女は、まさに女子供であり、脅威にはなり得ないだろうが、問題はケイルだ。捕縛はおろか、武器さえ取り上げていない賊容疑者を指揮官と同じ屋根の下で寝起きさせるなど、言語道断もいいところだ。正気の沙汰ではないといっていい。当事者のケイルでさえ、外でも構わないと遠慮したのだが、サイが頑なに聞き入れず、彼女に挑発的かつ脅迫的な文言で詰め寄られたライアスは頷かざるを得なかった。

 夜の帳を淡く照らす篝火の前、兵の一団から距離を置いて、ケイルたちはサイが麻袋に入れて家から持ってきた乾燥パンや干し肉で夕食を済ませていた。

 干し肉をちまりちまりと齧る少女の横顔をサイは覗きこんだ。

「えっと、いまさらだけど、名前はなんだっけ? 確かゼロットの家の娘だよね」

 しかし少女は答えない。干し肉を咀嚼しながら橙色の焔を見つめるばかりで、サイに顔を向けようともしない。

「この野郎ぉ」

 サイはおもむろに少女の首筋に手刀をはなった。しかも割と加減なく。どこ、という嫌な打撃音と同時に少女は、あう、と小さくうめいた。首筋を撫でながらの恨めしそうなものではあったが、そこでようやくサイに視線を送る。

「訊かれたら応えるのが常識だっつーの。父ちゃん母ちゃんに習っただろ。あんたがいつまでもそんな調子じゃあ、二人も救われないよ」

 それはつい昨日母親を失った少女にかけるには、あまりに性急で、やや酷な言葉かもしれない。だが魔物に席巻されつつあるこの世界の残酷さに較べたら、取るに足らないものである。少女が現実と向き合い、受け入れ、それを糧に強くなるのを待ってくれるほど、この世界は優しくないのだから。

「そりゃあ昨日の今日で陽気に振る舞えとはいわないけどね。でもね。いつまでもむくれていられるわけじゃないんだから、立ち直るのは早いほうがいいに決まってるさ」

 サイの表情には真剣に少女のことを思っている厳しさがあった。ただ、同じ村出身であるにしても名も知らなかった少女に接するにはやや過剰ともとれるほど親身になった態度でもあり、それは単に優しさを根ざしているだけではなく、まるで彼女自身、何か過去に起因する感情移入せざるを得ない事情があるようでもあった。

 しかし少女も然る者。傷ついた表情をするわけでもなく、泣きだすわけでもなく、サイの執拗な厳しさにやや怪訝そうに眉根を寄せるが、それだけだ。すぐに不貞腐れたようにそっぽを向いて、炎の凝視作業に戻った。

 そんなやり取りを横目で見るケイル。彼が少女の母親の埋葬を手伝った時も、彼女は一度も悲しそうな顔を見せることもなく、気丈に自分の母親の墓を掘っていた。それが彼女の強さが成せることなのか、それともまだ現実と向き合う過程にすらいたっていないのか。

 唯一彼女が見せた明確な感情は、魔物が憎いか、とケイルが問うた時の激情の貌だけだった。

『私たちの世界の子供とは少し様子が違うわね。まあ、文明の発展レベルに反比例して子供は早熟に育つという研究データもあるけれど』

 見た目は少女とさほど齢が変わらないアーシャがいうのも珍妙な科白である。

 ケイルは小さく肩を竦めるとサイに視線を移し、気になっていたことを訊ねた。

「ライアスとかいったか、あの隊長。彼と顔見知りみたいだな」

「ああ。もうずっと前の話さ。あたしはね、王都の生まれなんだよ。その時にさ、まだこんなだったあいつの教育係を仰せつかった時期があってね。ま、あたしもこんなだったけどさ」

 座ったままの姿勢で自分の頭ほどの高さで平手を振るサイ。次に隣に座る少女の頭をぐりぐりと撫でまわす。少女はなつかない動物のように鋭い三白眼でサイを睨んでいた。最初がライアスの身長で次がサイ。つまり二人ともに幼少期ということである。

「しかし、あんたもまだ子供だったんだろ。教育係なんて務まるのか」

「これでもあたしはそこそこ良い家柄の生まれでね。代々王国に仕えてきた魔術士の家系さ。だからガキの時分でもそれなりの英才教育を受けてたから、武家のぼっちゃんの躾ぐらいはわけないんだ」

 もっとも、ほとんど近所の悪ガキ相手に遊んでただけなんだけどね、とつけ足して、サイは悪戯っぽく笑う。きっと当時も同じような笑みをうかべていたことが容易に想像できる、少年のような屈託のない笑顔だった。

「あのサイミュス先生って呼びかた。あたしがそう呼ばせるように身体に教育したんだよ。本当は師匠って呼ばせたかったんだけど、女が師匠なんて嫌だって、妙に頑固でさ」

 懐かしそうに思い出話を始めたサイ。表情がわからず反応といえば頷くかうめくしかしないケイルと、表情を消して相槌さえ返さない少女を相手に雑談をするのはとても愉快とはいえそうにないものだったが、それでも彼女は長らく披露する機会に恵まれなかった思い出が堰を切ったという風に、身振り手振りを交えて当時の出来事を饒舌に語った。

 その話のなかには、もしこの場にライアスが居合わせたなら反駁せずにはいられないような謗口も含まれ、彼がサイに頭が上がらないのも頷けようものであった。身体に教育されたという幼少期のトラウマを払拭するのは難しい。

 ケイルは合間を見計らって、切りだした。

「なんで王都を離れたんだ?」

「それは……」

 サイは途端に長い睫毛に目許を翳らせ、ふくよかな唇をきゅっと結んだ。

 村でライアスが口走っていた言葉。地に堕ちたミレンの字名を持つ者が、よもや王都にほど近いポルミの村に身を窶していたとは――。その言葉から、自ら望んで王都を離れたわけではないのは明らかであり、何か並々ならない事情があることは想像に難くない。

 先ののべつ幕なしの思い出話は、相手が得体は知れぬが王都の人間ではないことは明確であるケイルと、複雑な諸事情を与り知らぬ天涯孤独の少女であるからこそ、気兼ねなく語れたものだったのかもしれない。

「まあ、色々あってね。実はその辺りの事情があたしがあんたについて行こうと決めた理由とも絡んでくるんだけど、追々ね、追々」

 パン切れを口にほうりこんだサイは、不意にケイルを見て、意地悪く口角を歪める。

「つーかあんたも図々しい男だね。自分のことは何一つ語らないくせに、あたしにだけズケズケと訊きやがる」

「それもそうだな。悪かった」

「いーや、許さないね。まずは王家を害した云々って話をもの凄く聞きたいんだけど」

 サイだけではなく、終始無反応であった少女もこれには興味があるようで身を乗りだした。そんな二人の視線から逃れるようにケイルはあぐらをかいていた姿勢で身動ぎし、篝火の炎に正対する。不気味な光沢を放つ鈍色の身体では、反射した橙色の光が頼りなく揺れていた。

「……俺も追々な」

 三人が天幕に戻ると、オイルランプのほのかな灯りのなか、入り口に背を向けて隅で何やらごそごそとやっていたライアスが慌てたように何かを隠した。

 すかさず、サイの目が怪しく光る。

「あらあらあらあらぁ? 何やってたんだい、ライアスぼっちゃぁーん」

「な、なんでもないっ」

「いやいやいやいやぁ。その慌てよう。まさか、ナニやってたわけかい?」

「そ、そんなわけあるかっ」

「あれあれあれあれぇ? あたしはナニとしていってないのに、ライアスぼっちゃんはなに・・を想像したのかなぁ?」

「っ!」

「ま、しょうがないよねえ。溜まるもんはださなきゃね。男はツライねえ。けどあんまりやり過ぎないでね。いるだけで妊娠しそうな生臭い天幕で寝るのは勘弁だからさ」

「ち、違うといってるでしょう!」

「あたしとこの子はちょっと距離を置いて、こっちの隅で寝させてもらいますから。お構いなく」

「ち、違います。本当に違うんです、サイミュス先生!」

 まさにいじめっ子といじめられっ子の構図だった。

 それが地なのであろう、仮にも百名の命を預かる捜索隊隊長が勝手について来てしまった不良民間人に対していつの間にか涙声の丁寧語になっているあたり、ライアスがいかに虐げられた幼少期を送ったのか窺い知れる。

『さすが姉御、勉強になるわね』

 腕を束ねてうむうむと神妙に頷くアーシャ。果たしてなんの勉強になるというのか。それがなんであるにせよ、ケイルとしてはこれ以上くだらない勉強をして欲しくなかった。

 必死に無罪を主張していたライアスだが、ついに観念して懐から皮紙を束ねた書物を取りだした。

「なんだいそりゃ? 今晩のおかずかい?」

「違います! ……日記ですよ。憶えていませんか?」

 意味がわからずに首を傾げるケイルとゼロット。

 だがサイだけは驚きに目を見張った。

「あんた、日記ってまさか、まだ書き続けていたのかい!?」

「先生がいったんでしょう……。文字の練習と状況の把握には日記が一番だって。死ぬまで続く生涯の宿題だって」

 サイは教育係を務めていたころ、ライアスに日記を綴るように指導したのだ。

「でも、まさか、もう二十年も前の……」言葉に詰まったサイは、苦笑い混じりに嘆息し、優しげな微笑をたたえた。「呆れたよ。でもよく頑張ったね」

「先生……」

 軍人の身で欠かさず続けるには相応の苦労が推し量れ、またひた隠しにしてきたであろう宿題がようやく報われたという風に、ライアスは感極まって目許を潤ませる。

 多感な幼少の時代に長い時間を共にした両者は、まるで深い溝となっていた二十余年の歳月を巻き戻し、一人の少女と少年に戻ったように心暖かな表情で見つめ合っていた。

 だが、少女のほうはまた突然に二十余年の歳月を早送りし、純真というにはほど遠い邪悪に翳った笑顔で再び目を光らせた。

「じゃあ、宿題の出来栄えを確認しないとねえ」

「へ?」

 しばしの間を置いてからその言葉の意味を悟ったライアス。朱に染まっていた頬から、今度は血の気が引いて真っ蒼になっていく。

「当然だろ。教育係の務めさね。ほら、こっちへよこしな。あんたが何を思い、何を感じたのか、二十年分の嬉し恥し成長日記をしっかり音読してやるから」

「い、いやいや、これは一生続く宿題であって、いうなれば生涯終わらない宿題であって、で、出来を確認する必要はないかと……」

「屁理屈はいいから、こっちへよこせ」

 広げた両手をわきわきとうごめかせてサイはにじる寄る。ライアスは文学少女よろしく日記を胸に抱えて後退った。

 騒々しくなりそうな気配を察して、ケイルと少女はそっと天幕からでた。

 間髪容れずにドタンバタンと追い駆けっこの物音が天幕のなかから響く。

 天幕群の中央、兵が絶えず薪を投じごうごうと燃え盛る篝火は、ここが仮初めにも人間の領域となったことを闇に紛れる悪しきものに知らしめるような、どこか切実な輝きを放散していた。少女の漆黒の瞳のなかでは、そんな人間の必死さを鏡写しにしたような矮小な炎が揺れている。

「名前はなんていうんだ?」

 ケイルの問い掛け。少女はやはり答えず、ケイルが会話を諦めかけたころ、ぽつりと呟いた。

「……ゼロットでいい」

 サイが少女の家の名を指した名称だ。つまりゼロットとは姓なのだ。消極的な物言いからも、それが少女の名とされるものでないことは明らかだった。だがケイルは、そうか、と短く頷いただけで言及しようとはしなかった。

 それは、適当に思いついたケイルという名前を名乗っている彼自身がそうであるように、名前について特別な思い入れがないからだった。なければ不便だが、あるのであればそれがどんなものでも構わない。彼の名についての考えは、その程度のものだった。H09という識別符丁がこちらでも通じるのなら、彼はそう名乗り続けていたに違いない。

「炎」

 少女、ゼロットはまたぽつりと口を利いた。

 訝ったケイルはゼロットを見やる。いつの間にかゼロットは焚き火から視線を移し、ケイルの双眸をじいっと見ていた。炎に正対しなくともうちから赤い輝きをはなつ、不吉な双月のような眸を。

「あなたの眼と似てる」

 しばしの沈黙を経て、そうか、とケイルは再び短く頷いた。

 何かしらのかたちで決着がついたのだろう、背後の騒音が収まったころ、ゼロットは天幕のなかに戻った。

 するとゼロットが立っていた位置には、幻影の少女が取って代わった。ケイルにしか視認できない彼女ではあったが、その背丈はゼロットとほぼ同じである。褐色の肌と純白の肌、彼女らの容姿は対極にあるといってもいいほどに懸け離れている。

『そういえば、あの子。……な、なんてことッ』

 アーシャは慄き、徒ならぬ面持ちで天幕を振り返る。

 ケイルは思わず佇まいを正し、背後のレイピアに手を伸ばしかけた。

「なんだ。どうかしたのか?」

『おかっぱで美少女。わ、私とキャラかぶってるじゃん……!』

「…………」

 懸け離れているのは、容姿だけではなく、ほとんどすべての事柄において然りだった。近しいのは背丈と外見年齢だけといえる。もしアーシャが肉体を持つ人間の少女として実在していても、両者はけっして竹馬の友とはなりえないだろう。むしろ犬猿の仲に違いない。

 ケイルは喚く相棒を置き去りに、黙って天幕に戻っていった。

 面頬のなかの顔は、ゼロットよりもさらに冷たい無表情だった。





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