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大干ばつで領地の井戸が次々と枯れています。水を求めて岩山を切り拓きます。

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/27

「南部の畑で、作物が枯れ始めています」


農政官の言葉に、私は顔を上げた。


「被害はどのくらい広がっているの?」


「川沿いの畑は、ほぼ全域で水が不足しています。井戸に近い畑はまだ持ちこたえていますが、遠い場所では、すでに収穫を諦めた農家も出ています」


窓の外には、雲一つない青空が広がっていた。もう何週間も、まとまった雨が降っていない。


領地を流れる川は干上がり、農民たちは井戸の水を桶で運んで作物を守っている。しかし、その井戸さえ水位が下がり続けていた。


「飲み水は?」


「各村の井戸を優先して確保しています。水が不足している集落には、まだ余裕のある井戸から運んでいます」


「それは続けて。人が飲む水を畑に回すわけにはいかないもの」


農政官が頷く。私は机の上に広げられた地図を見下ろした。


領地の南部には、広大な農地がある。その北には険しい山々。そして、山の向こう側には、大きな湖があった。


「山の湖は?」


私は地図を指さした。


「水量は十分です。雪解け水が流れ込むため、今のところ干上がる心配はありません」


「だったら、そこから水を引きましょう」


農政官は困ったように首を振った。


「領主様。湖と農地の間には、岩山がございます」


「知っているわ。でも、湖の水面は農地より高いのでしょう?」


「はい」


「なら、水路を造れば自然に流れるはずよ」


農政官が口ごもったところで、土木技師長が口を開いた。


「技術的には可能です。しかし、山を掘り抜く必要があります」


「どれくらいかかるの?」


「通常の工法では、何か月も」


私は黙った。何か月。その間にも、畑は次々と枯れていく。


「迂回する方法は?」


「山の西側を回る経路は調査済みです。しかし、距離が長すぎます。東側は谷が深く、大規模な水路橋が必要です」


「……どちらも、すぐには使えないのね」


「申し訳ございません」


技師長は頭を下げた。


私は地図を見つめた。水はある。山の向こうには、農地を救えるだけの水がある。それなのに、たった一つの岩山が邪魔をしている。


「もっと早く水を通せる方法を探しましょう」


◇


その日の午後、私は技師長を連れて岩山へ向かった。


山のこちら側には、干上がった畑が広がっている。土はひび割れ、作物の葉は力なく垂れ下がっていた。ところどころには、すっかり茶色くなった畑もある。


農民たちは井戸から水を運び、一本でも多くの作物を守ろうとしていた。


「領主様!」


畑にいた村長が駆け寄ってきた。


「水は……水は何とかなりそうですか?」


「今、方法を探しているところよ」


「そうですか……」


村長はうつむいた。私はその肩に手を置いた。


「必ず何とかする、とはまだ言えない。でも、諦めるつもりはないわ」


村長は顔を上げ、深く頭を下げた。


「お願いいたします」


私たちは山の麓へ向かった。岩肌がむき出しになった険しい山だ。ここを掘り抜けば、湖の水が農地へ届く。だが、目の前の岩山はあまりにも大きかった。


「……本当に、邪魔な山ね」


私が呟くと、技師長が苦笑した。


「昔から、この山には良質な石材がございます。領地の建物にも多く使われております」


「石材?」


「はい。西側には、古くから使われている石切り場がございます」


私は顔を上げた。


「石切り場?」


「ええ。現在も職人たちが働いております」


「それ、山の中を掘っているの?」


「はい。岩盤の内部へ坑道を伸ばして採石しております」


私は技師長を見た。


「案内して」


「……石切り場へ、ですか?」


「ええ。今すぐ」


◇


石切り場には、岩を砕く音が響いていた。大勢の職人たちが石材を切り出し、荷車に積み込んでいる。


私たちが到着すると、職人頭の大柄な男が駆け寄ってきた。


「これは領主様! 何かご用でしょうか?」


「坑道を見せてほしいの」


「坑道、ですか?」


「ええ。山の中をどこまで掘っているのか知りたいのよ」


職人頭は不思議そうな顔をしたが、すぐに案内してくれた。


坑道の中はひんやりとしていた。外の猛暑が嘘のようだ。壁には採石の跡が残り、ところどころに木材で補強された通路が続いている。


「ずいぶん奥まで掘っているのね」


「ええ。何代にもわたって掘り進めてきましたから」


「この先は?」


「行き止まりです」


職人頭は奥の岩壁を指さした。


「この先は採石しておりません」


「どうして?」


「水が出るんです」


私は足を止めた。


「……水?」


「はい。奥の岩盤を掘ると、割れ目から水が染み出してきまして。以前、一度だけ大きく崩したことがあるんですが、そのときは坑道の床が水浸しになりました」


技師長が眉をひそめた。


「地下水か?」


「おそらく。ただ、山の向こうには湖がありますからね。あちらの水が岩の割れ目を通ってきているのかもしれません」


私は奥の岩壁に近づいた。確かに、岩の表面が湿っている。足元には、小さな水たまりができていた。


「ここは湖より低い場所?」


技師長が地図を取り出した。


「はい。坑道の高さは湖の水面より低いはずです」


「そして、農地よりは高い?」


「……その通りです」


私は岩壁を見つめた。湖より低く、農地より高い。山の中を、すでにここまで掘り進めている。そして、岩壁からは水が染み出している。


「技師長」


「はい」


「この坑道を、水路にできないかしら?」


二人が同時に私を見た。


「……水路?」


「そうよ。山を一から掘り抜くのは時間がかかりすぎる。でも、ここにはもう坑道がある」


私は奥の岩壁を指さした。


「もし湖の近くまで掘り進んでいるなら、残りをつなぐだけで済むでしょう?」


職人頭が目を丸くした。


「まさか、湖の水をここへ?」


「ええ」


職人頭は口を開けたまま、しばらく黙っていた。やがて、苦笑した。


「なるほど。俺たちが何年もかけて掘った穴を、水の通り道にしようってわけですか」


「そういうこと」


「しかし領主様。水を通したら、ここではもう石を採れませんよ」


「わかっているわ」


私は職人頭に向き直った。


「だから、あなたたちの仕事も守る。別の採石場所を用意するし、水路の整備にも力を貸してほしい。もちろん、賃金は領主館から払うわ」


職人頭は腕を組んだ。


「……領主様」


「何?」


「俺たちは、この石切り場で飯を食ってきました」


「ええ」


「でも、俺たちの家族が食う飯は、畑で作ってるんです」


私は黙った。職人頭は、にやりと笑った。


「畑が全滅したら、石なんか掘ってる場合じゃありませんや」


そして、坑道の奥を振り返った。


「おい! 親方連中を集めろ! 領主様が、とんでもない仕事を持ってきたぞ!」


◇


翌朝から、石切り場は水路工事の現場に変わった。


技師長は坑道の測量図を広げ、湖との位置関係を調べた。職人たちは奥の岩壁を確認し、湖側からも調査を進めた。


その結果、坑道は湖の南岸近くまで達していることがわかった。ただし、岩盤はまだ残っている。


「この距離なら、両側から掘り進められます」


技師長の報告に、私は身を乗り出した。


「本当?」


「はい。ただし、湖側には仮締切を設けなければなりません。掘り抜いた瞬間に大量の水が流れ込めば、作業員が危険です」


「それは絶対に必要ね」


「それと、坑道の床も整えます。水を流すための勾配を確保し、崩れやすい場所を補強しなければなりません」


私は頷いた。


「安全を最優先にして。急いではいるけれど、事故を起こしていい理由にはならないわ」


「承知しました」


工事が始まった。職人たちは岩を削り、床を整え、弱い部分を石で補強していく。農民たちも集まり、掘り出した石の運搬を手伝った。


私は領主館から食料と飲み水を運ばせた。


◇


「領主様。東の村でも、作物が枯れ始めました」


農政官が報告する。


「……そう。まだ緑が残っている畑は?」


「村の北側にございます。しかし、井戸から水を運ぶだけでは、とても足りません」


「飲み水を優先して。畑には、水路が完成するまで持ちこたえてもらうしかないわ」


私は窓の外を見た。今日も、空には雲がなかった。


◇


「領主様。坑道の床を整え終わりました」


技師長が報告する。


「水は流せそう?」


「はい。勾配は確保できました。現在は、崩れやすい区間の補強を進めています」


「よかった。湖側の工事は?」


「そちらも進んでおります。ただ、まだ岩盤が残っています」


「……急いで。でも、無理はしないでね」


技師長は深く頷いた。


◇


「領主様。西の村で、井戸が一つ枯れました」


農政官の報告に、私は顔を上げた。


「残りの井戸は?」


「まだ使えます。しかし、村人たちが水を汲むために列を作っています」


「隣村から運んで。飲み水を優先して」


「承知しました」


農政官が退出する。


私は机の上の地図を見つめた。干ばつの被害を示す印が、また一つ増えていた。


◇


「領主様! 坑道の補強が終わりました!」


技師長が駆け込んできた。


「本当?」


「はい。あとは湖側との接続だけです」


私は思わず立ち上がった。


「あと少しなのね!」


「ええ。ただ、最後の岩盤が予想より硬く、掘削に手間取っております」


「……そう」


私は椅子に座り直した。


もう少し。あと少しなのに。


◇


「領主様。西の村へ送る水が、確保できなくなりました」


私は顔を上げた。


「隣村からは?」


「そちらも井戸が枯れ始めています」


「では、もっと遠くから運んで」


「すでに手配しております。しかし、運搬に時間がかかり、必要な量を届けられておりません」


「……今日の飲み水は?」


「何とか確保しました。ただ、明日も届けられる保証はありません」


私は唇を噛んだ。


「飲み水だけでも、何とか確保して」


「承知しました」


◇


「領主様。湖側の掘削が、最後の岩盤まで到達しました!」


技師長の声に、私は顔を上げた。


「じゃあ、もうすぐ?」


「はい。職人たちが慎重に作業を進めております。接続できれば、あとは安全を確認するだけです」


「お願い。もう少しだけ、頑張って」


「必ずや!」


技師長は深く頭を下げた。


◇


「領主様。北の村でも、井戸の水位が下がっています」


「飲み水は足りている?」


「今のところは。しかし、今後も雨が降らなければ……」


「輸送の準備を進めて。飲み水だけは切らさないように」


農政官は動かなかった。


「……どうしたの?」


「領主様。もう、ほかの村から水を運ぶことはできません」


私は息を呑んだ。


「……どういうこと?」


「どの村も、自分たちの飲み水を確保するだけで精一杯です。これ以上、ほかの村へ分ける余裕がありません」


「……領主館の井戸は?」


「すでに、村へ送っております」


「ほかには?」


農政官は首を横に振った。


「ありません」


私は机の上の地図を見下ろした。


畑が枯れ、井戸が枯れ、家畜の水まで不足している。


そして今、飲み水を運ぶことさえできなくなった。


「……わかったわ」


私は静かに答えた。


「残っている水は、各村で大切に使ってもらって」


「承知しました」


農政官が退出した。


私は拳を握った。


もう、ほかに打てる手はない。


山の向こうには、水がある。


その水を通す道も、あと少しで完成する。


お願い。


間に合って。


そのとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「領主様!」


扉が勢いよく開く。飛び込んできたのは、土埃まみれの技師長だった。


「つながりました!」


私は椅子から立ち上がった。


「……え?」


「湖側と坑道が、つながりました!」


一瞬、言葉が出なかった。


「本当に?」


「はい!」


技師長は満面の笑みを浮かべた。


「最後の岩盤を取り除き、接続部の確認も終えました。坑道の補強も完了しております!」


「じゃあ、水を流せるの?」


「はい。湖側の仮締切を開けば、水が流れます」


私は机を回り込んだ。


「行きましょう!」


「どちらへ?」


「決まっているでしょう!」


私は笑った。


「水が流れるところを、この目で見るのよ!」


◇


農地のそばには、大勢の人々が集まっていた。村長も、農民たちも、石切り場の職人たちもいる。


誰もが、山の出口を見つめていた。


私は水路の脇に立った。


目の前には、乾ききった大地が広がっている。葉を垂らした作物。ひび割れた土。そして、まだ緑を残している畑。


山の上から旗が振られた。


放流開始の合図だった。


私は息を止めた。


湖側の仮締切が開かれる。


しばらくは、何も起こらなかった。水路の奥は暗いままだ。誰も声を出さない。


やがて。


ごうっ。


低い音が聞こえた。


私は顔を上げた。


ごうごうと、山の中から響いてくる。まるで、山そのものが唸っているようだった。


「……来る」


誰かが呟いた。


音が近づく。大きくなる。


そして、暗い坑道の奥に、白い流れが見えた。


「水だ!」


次の瞬間、大量の水が山の出口から流れ出した。


「うわあああああっ!」


歓声が爆発した。


水が来た。本当に、水が来た。


山の向こうにあった湖の水が、今、私たちの目の前を流れている。


水は整備された水路を走り、乾いた農地へ向かって進んでいく。


私は駆け出した。村長も、農民たちも後に続く。


「こっちだ! 水門を開けろ!」


「南の畑にも流せ!」


「来たぞ! 本当に来たぞ!」


水路の分岐が開かれる。水が畑へ流れ込む。


乾いた土が、みるみる色を変えていく。ひび割れた地面に、水が染み込んでいく。


私は立ち止まった。


目の前には、枯れかけた麦畑がある。その根元へ、水が届いた。


細い葉が、流れる水に揺れていた。


「……間に合った」


声が震えた。


「間に合ったのね……」


農民たちが歓声を上げた。石切り場の職人たちも、拳を突き上げている。


私は水路のそばにしゃがみ込み、両手で水をすくった。


冷たい。


なんて、気持ちのいい冷たさだろう。


思わず笑ってしまった。


「……やった」


小さく呟く。


そして、今度は大きな声で叫んだ。


「やったああああっ!」


農民たちが笑った。職人たちも笑った。


誰かが歓声を上げ、また別の誰かが叫んだ。


その声は、乾いた大地の上にどこまでも広がっていった。

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