闘病
長い闘病生活だった。
幼い頃から、私の体はいつも弱かった。
やがて告げられたのは、腎臓移植が必要だという現実。
適合するドナーは、長く待っても母だけだった。
けれど私は、移植を受ける気がなかった。
母はもう若くない。
もし私のために体を切り、負荷に耐えられなかったら。
そう考えるだけで、すべてを諦める理由としては十分だった。
死ぬことは怖くなかった。
人は皆、死へ向かって歩いている。
ただ私の道のりが少し短いだけ。
そう思えば納得できた。
同年代の誰より、命の重さを知っているつもりだった。
だからこそ、私より母に生きていてほしかった。
けれど母も同じだった。
娘に生きてほしいと願うのは、親として当然のことだったのだろう。
移植の話をした日、母は泣いた。
「私は絶対死なない。あなたが元気になるまで死ねない。だからお願い、手術を受けて」
私は思わず笑いそうになった。
死なない約束など、誰にもできないのに。
それでも、母の背中は少しずつ小さくなっていった。
かつては活力に満ち、車椅子の私を乗せて院内を走り回り、先生に叱られても笑っていた人。
私に見せたい景色を求めて、どこへでも行った人。その人生が、私のためだけに削られていくのが耐えられなかった。
終わりなら、潔く終わらせる。
そう決めていたはずだった。
けれど、考え続けて気づいた。
この世界は、生きたいと願った者のほうへ進むのだと。
私は母に告げた。
「お母さんの腎臓をもらって、生きる」
母は年甲斐もなく飛び跳ねて喜んだ。
その姿を見て、早く恩返しがしたいと思った。
手術は成功した。
私は回復へ向かい、これまで知らなかった健康な体を取り戻しつつあった。
そして母はというと、驚くほど元気だった。
母子同室なんて赤ん坊の頃以来だと笑いながら、絶えず話しかけてくる。
私は傷が痛まない程度に笑い返した。
憂いた未来は、訪れなかった。
母は約束を守ってくれた。
先に退院した母は、「家で待ってる」と言った。
長く帰っていなかったはずの家が、その一言で確かな帰る場所になった。
退院の日、迎えに来たのは父だった。
存在感の薄い、静かな父。
けれど車の中で、父は珍しく多くを語った。
母が家で
「健康な体に産んであげられなかった」
と泣いていたこと。
私と母の頑固さがよく似ていること。
そして、二人とも無事に帰ってきてくれて嬉しいということ。
そのとき初めて気づいた。
父は、妻と娘を同時に失うかもしれない時間を過ごしていたのだと。
見舞いでも多くを語らず、手術前にただ一度手を握っただけの父が、こんなにも話す。
それがどれほどの異常事態だったのか、ようやく分かった。
涙がこぼれた。
私は、確かに愛されていた。
もうすぐ家に着く。
私は病気と闘った。
長く、長く闘い続けた。
そして、生きたいと願った。
未来はきっと、そう願った人の前に生まれる。
私は、そのひとりになった。




