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召喚百人、帰還はひとり ──勝てば帰れる。負ければ世界ごと消える。  作者: 妙原奇天


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第10話 選ばれなかった者たち――帰還前夜の告白と“分配の設計”

 階段は石でできていた。手すりは冷たく、踏み面は大きさが少しずつ違う。上へ行くほど狭く、下へ行くほど広い。舞台裏の階段らしく、人が整然と動くためではなく、管理のために作られた勾配だ。

 俺たちはその途中、踊り場のひとつで円になった。十人。顔を見れば、名前がすぐ出る。もう、数で呼ぶのはやめたかった。

 時間が伸びた。空気がかすかに粘りを持ち、呼吸の間隔に余白ができる。アルトの“情け”に見せかけた作業時間なのか、観測のための間延びなのかはわからない。けれど、一晩ぶんの静けさが降りた。

「話そう」

 最初に口を開いたのは、医療班の女子だった。背は低く、指がきれいだ。

「帰りたい。弟に会いたい。病院の匂いが嫌いで、逃げるみたいにこっちに来た。帰っても、嫌いな匂いはなくならない。でも、戻って、嫌いな匂いの中で世話を続けたい。ここで倒れた人を看てきたから、逃げない練習はできた気がする」

 次に、補給係の男子。

「母ちゃんの介護。父ちゃんいなくて、俺しかいない。帰ったらまた夜勤入って、朝はヘルパー呼ぶ。こっちに来て、配給表ってものの恐ろしさを知った。家計簿は配給表と同じだ。穴ひとつで、誰かが落ちる。だから、俺は穴を塞ぐ」

 戦闘班の盾持ち。

「俺は、学校の廊下をもう一回歩きたいだけ。朝の床のワックスの匂いと、体育館の冷たい空気と、見慣れたロッカー。誰もいない早朝に、鍵を回したい。……それだけのために帰るって言ったら、笑うか?」

「笑わない」

 俺は言った。

「笑う権利は、ここでは誰にもない」

 斥候のふたりは、短く順番を分け合った。

「わたしは、山を見たい」

「俺は、部屋のカーテンを洗い直したい」

 意外な願いだ。でも、どちらも空気の手触りを思い出させる言葉だった。ここでは、その手触りが一番の贅沢だ。

 順番が巡って、茉莉が息を吸った。

「私は、正しくありたいだけだった。正しくないと、誰も守れないから。……でも、正しさが人を切る瞬間を、見ないふりをした。楽園で、私は“止め方”を知らなかった。止められなかった。それは、私の正しさに止め方が設計されていなかったから。だから今は、止め方を先に置く。約束の“半拍”は、私が自分に課す制動」

 反乱派の長身の男子は、手を握って開いた。

「俺は、怒鳴るしかできなかった。箱を壊せば勝ちだと思った。違った。箱を壊す手順にも、誰かが落ちる穴がある。帰ったら、俺は“壊し方”じゃなくて“直し方”を覚える。工具箱を持つ。……それでも、壊さなきゃいけない箱は壊す。そのときは、今日の俺みたいに誰かが怒鳴る役になる」

 紅葉は、端末を膝に置いたまま目を上げた。

「私は、記録官の背中で立ってきた。規則は背もたれだと思ってた。でも、背もたれの角度が自分に合っているかどうか、確かめる手間を省いた。査問でそれを言う。帰っても、言い続ける。『見ることは、命令の一部です』」

 ノアは、手を重ねてから離した。

「私は、帰らない。そもそも“帰る”という構造の外に立ってしまった。……でも、誰かの帰還を“分配”に変えることなら、手伝える。あなたが“目”を失った後も、視界が残るように。影として並ぶ」

 全員の声が、踊り場の石に薄く染みていく。

 俺の番が来た。

「帰還を分配する」

 言った瞬間、背中を冷たい汗が流れた。言葉は軽くない。でも、重さを置く場所を間違えるのが一番怖い。

「誰かひとりの肉体に“帰還”を集中させるんじゃなくて、みんなの“痕”を俺に縫いつけて持ち帰る。現実で何かを選ぶたびに、ここで誰かが選んだ重さが、俺の身体に痛みとして残るようにする。それが“共有された帰還”。『忘れない』『忘れられない』人間になる」

 無茶だ。規約に反している。だから、鍵がある。

 ノアが静かに肯いた。

「鍵で禁則を一度だけ上書きする。あなたの神経にログの参照権限を書き込む。痕は痛みとして結び付く。楽ではない。たぶん普通には生きられない」

「楽じゃなくていい」

 言って、驚いた。自分の声が軽くなかったことに、少しほっとする。

「蓮の賭けに、ただの幸福で返すだけじゃ釣り合わない」

 蓮の名を出したとき、全員の視線が一度だけ床に落ち、すぐに戻った。

 それぞれの“空白”を胸の中で持っているのが、はっきり分かった。

「痕の形を指定して。俺は縫う。痛みは分け前だ。欲しいだけ言ってほしい」

 俺は手を差し出す。

 医療班の女子は、指先をそっと触れた。

「手の温度。包帯を結ぶときの指のかたち。痛い場所に触れるときの、ためらいと力の配分。それをあなたの右手に。あなたが誰かに触れるとき、私の癖が出るように」

 補給係の男子は、掌を重ねて言う。

「計算の癖。足し算でなく、引き算から始める癖。余ったら配るじゃなく、まず引いて穴を塞ぐ。あなたが財布を出すとき、胸の奥で一回“引く”。痛むなら、その痛みは俺のものだ」

 盾持ちは、こぶしで軽く胸を叩いた。

「左肩の重み。誰かの前に立つとき、肩が勝手に入る感じ。あなたが迷ったら、左肩が“前”を選ぶ」

 斥候のふたりは、短いことばの交換で完成させた。

「息を止める長さ」

「靴紐の結び目」

 それを、俺の肺と足首に。

 反乱派の男子は、少し時間をかけた。

「怒りの温度を、三段階で留める癖。三段目で止まらなかったら、四段目は必ず外に出て謝る。……その恥を、痛みとして持ってくれ」

 紅葉は、端末を両手で持ったまま言った。

「客席の光。『見られている』と感じる鈍い痛み。あなたが間違えそうなとき、背中がちくっとするように」

 茉莉は最後まで黙っていた。

 みんなが終わってから、短く息を吸う。

「私の痕は“躊躇”。あなたが何かを断つ時、刃の手前に一拍の空白が生まれるように。……それでも断つなら、二拍目で断つ。二拍目に移る痛みを、私の分として持って」

 指定された痕は、どれも形が違っていた。絵や歌や匂いに例えられるものもあれば、動作の微妙な配分でしか表せないものもある。

 観察者の視界は、それらを紐づける。

 骨と神経の間にフックを打っていく感覚。痛みは鋭くなく、深い。糸の太さが一定で、均一に引かれていく。

「俺もひとつ、渡す」

 自分の分を、最後に出す。

「“二秒”。倒しにいく前にずらす二秒。勝ちにいく前に守る二秒。あなたたちがそれぞれの現実で、踏み込みそうになったとき、二秒だけ体が重くなる。遅れたせいで失うものがあるなら、俺が痛む」

 円の真ん中に、薄い暖かさが集まった。

 抱擁は、一人ずつ順番にした。

 抱き合うことには意味がある。身体の境界を一瞬だけ共有して、別々の世界でひとつの人間に戻る儀式だ。

 腕を回すたび、背骨のあたりで微かな痛みが増える。

 縫われていく。

 糸は見えないが、確かに通っている。

「俺は戻る」

 最後に言ったのは、約束の確認だった。

「戻って、“分配”を動かす。座席を増やす。見てもらう。語ってもらう。痛みを置ける場所を、向こう側に作る。……“普通の目”に、ここを座らせる」

 ノアは静かに頷いた。

「あなたは“忘れない”人になる。……忘れられない人にもなる。近くの人を傷つける日が来る。近くの人に救われる日も来る。両方、あなたが選んだ道の中にある」

「わかってる」

 本当に、わかっているのかどうかは、帰ってからしか証明できない。

 でも、今はそれで十分だ。

 伸びていた夜が、少しずつ縮み始めた。

 階段の上から微かな光が降り、下からは冷たい空気が押してくる。

 円がほどけ、十の背中が、それぞれの終わりへ散っていく。

 抱擁の重みが、踊り場に残り、すぐ消えた。

 最上段。扉の前に、アルトが待っていた。

 白銀は夜の色で鈍り、笑顔だけがいつもの明るさを保っている。

「設計の変更を提案するのか。君ごときが?」

 挑発は軽い。軽いものほどよく刺さる。

 俺は胸の内ポケットから鍵を出した。薄い金属板は、星図の歯車と同じ調子で震える。

「俺ごときが、だ」

 アルトは少しだけ目を細め、道を空けた。

「見せてもらおう。君の“痛みの設計”を」

 扉は左右に割れ、黒い通路が口を開ける。

 “根”へ降りる匂いは、紙と埃と、焼けた金属の混ざりものだった。

 俺は茉莉と紅葉を振り返る。

「半拍」

「半拍、待つ」

 約束を確かめる。それだけで、足が軽くなる。

 ノアが並ぶ。

 彼女の手は冷たくない。少し汗ばみ、呼吸と同じ速度で温度が揺れる。

 通路の入口で、アルトが最後の言葉を投げた。

「観察者。痛みは薬にも毒にもなる。君の設計はどちらに傾く?」

「両方だ。毒が必要なときは毒に、薬が必要なときは薬に。決めるのは、俺じゃない。座っている人たちだ。俺は運ぶだけ」

 扉の向こうに、一段目の影が見えた。

 足を置く。

 膝に、十の痛みが均等に走る。

 心臓が“二秒”を刻む。

 息が合う。

 俺は降りる。

 “分配”の設計図を、神の根に差し込むために。

     *

 降りながら、俺は胸の中身を点検した。

 弟の匂い。介護用のビニール手袋。ワックスの床。山の風。カーテンの湿り。左肩の重み。息を止める長さ。靴紐の結び目。三段目で止める怒り。客席の光。躊躇の一拍。

 全部が痛みと一緒に座っていた。

 座っているから、落ちない。

 落ちないものを、俺は運べる。

 階段はゆるく右へ曲がり、視界の端で歯車の影が削れた。

 アルトの声は、もう遠い。

 代わりに、蓮の呼吸が近い。

 空白が、胸の真ん中で静かに呼吸している。

 空白はもう、穴ではなかった。

 椅子だ。

 そこに“在りよう”が座っている。

 最終扉の前で足が止まる。

 金属の継ぎ目に鍵を当てる。

 震えが止み、薄い音が鳴った。

 ノアが横で頷く。

「上書きは一度。痛みは一生」

「それでいい」

 扉が開き、白い光がこぼれた。

 俺は右足を前に出した。

 その瞬間、茉莉の“躊躇”が胸に一拍の空白を作る。

 空白の中で、俺は笑った。

 笑いは、帰るときのために取っておくと言った。

 でも、今は少しだけ許す。

 角の立つ帰還に必要な、最初の角がここに立った。

 痛みは熱ではなく、形で届く。

 形を持ったまま、俺は進んだ。

 “分配の設計”は、まだ図の半分しかない。

 残りは、扉の向こうで描く。

 描くたび、痛む。

 痛みで線が太くなる。

 太い線は、見間違えにくい。

 それで十分だ。

 光が強くなり、音が薄くなった。

 鍵の震えは止み、代わりに心臓の震えが強くなる。

 俺は一歩、踏み込んだ。

 階段の外で待っている十の背中に、二秒遅れの約束を置いていく。

 戻る。

 戻って、座席を増やす。

 戻って、語る。

 戻って、痛みを分ける。

 戻って、帰還を分配する。

 そのために、今、降りる。

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