第三話 不可解な関係
「てめえには恥じらいってものがねえのか」
「生憎と、生まれてこの方、男性相手にはないですね」
そんな会話をしたのは、宿屋の泊まった部屋。
室内にファウストがいるのに構わず上半身裸になったクリスに、ファウストがベッドに寝そべったまま呆れたように言った。
「マジかよ。どんな生き方してたんだ」
そう呟きながら、上着を身につけたクリスを眺めて、「本当に意味わかんねえ女」と思う。誘惑の手段ならわかるが、今のは完全に他意がない。完全にこちらに注意を払っていない。自分を置物かなにかだと思っている動作だ。
(黙ってりゃ綺麗な女なのに)
内心そう思ってしまったのを打ち消すように起き上がり、床に足を降ろした。
「今日は用事はねえんだろ。
ちょっと出かけてくる」
「おや、どこへ?」
「娼館」
「ああ、溜まりましたか」
「だから明け透けに言うんじゃねえ」
扉に向かったファウストに、クリスがあっけらかんと邪気なく言う。
「恥じらうものでもないのに」
「うるせえ。てめえは恥じらいをどこかで買ってこい」
「逃げたりしないでしょうね?」
「てめえから逃げるなんて、おっかない真似が出来るかよ」
部屋の扉に手を掛けた瞬間に釘を刺され、肩越しに振り返って言ってやればクリスがベッドの上でにっこり笑った。
「わかっているようでなにより」
女は好きじゃない。
手頃に遊べる女はともかく、こちらに踏み込んでくるような女は。
だから、あの女はなんだかんだ気楽ではあった。
こちらの事情に踏み込んで来ない。なにも聞いて来ない。
だから、気楽ではあった。
「ねえ、お兄さん。
冒険者?」
娼館の一階。ここは客が娼婦を見繕うための、酒場のような場所だ。
そこで酒を飲んでいたら隣に座った娼婦が甘えた声で話しかけて来た。
「あー、違えが」
「すごく強そう。あたし、強い男の人が好きなんだ。
ねえ、今夜どう?」
媚びた声音で囁く、露出の多い服装の女。
女は好きじゃないが、欲を発散するならこういう手軽な女がいい。
思えば、酒で思考が鈍っていた。あの化け物みたいな女のそばにいて、判断が鈍っていた。そのあたりが敗因だった。
「ああ、いいぜ」
どんなに綺麗だって、あんな棘だらけどころか毒まみれの女は御免だ。
ふと意識が浮上する。
思考がまだぼやけている。身体がうまく動かない。身体に当たる外気は、冷たいのに。
そこでハッとした。
自由にならないのは、腕が後ろで縛られているからだ。
「う…」
「起きたか」
「なん、…だ。ここは」
ファウストは呻いて、眠気を追い払おうと顔を振る。
これはおそらく睡眠薬だ。酒に仕込まれていたのだろう。
自分が今いる場所を見る。石で出来た建物に囲まれた薄暗い庭だ。
「娼館の裏手だ。ここは逃げ出した娼婦を滅多打ちにする仕置きの場だそうでな。
お前にはちょうど良い場所だろう?」
「てめえは…」
「困るんだよな。依頼を忘れてターゲットと親しくされちゃあ」
目の前に立つ男、依頼主、ではない。依頼を受けた殺し屋の組織の元締めだ。ファウストは依頼主の公爵家の人間とは会ったこともない。
ああ、依頼を果たさなければ組織が潰されることもあるか。なんせ相手は公爵家だ。
「ザミエルの名が泣くな。ターゲットに飼い殺しにされているとは」
「はっ、知らねえのか」
ファウストを嘲笑う元締めに吐き捨ててやる。
「ザミエルの魔弾は、望まない場所に当たるものなんだぜ」
「減らず口を。ならばその命、要らぬな」
元締めが握っていた銃を額に押しつけた。
瞬間、元締めが喉元を押さえて呻く。
「困るんですよねえ。私の連れを勝手に殺されては」
間延びした声音が頭上で響いた。娼館の屋根の上に佇む彼女の長い黒髪が風に靡く。
綺麗な女だと、知っていた。
その姿は月光に照らされて、ひどく神々しくも禍々しく見えたのだ。
「迎えに来ましたよ。フォス」
「あ…」
思わず、その姿を見惚れるように見上げていた。
「くそ、この女が…!」
喉元を押さえたまま、元締めが銃口を屋根の上のクリスに向ける。
発砲音が響いたが、クリスは銃弾から跳んで避けていた。
地面に着地したクリスが振るった鞭が元締めの腕をわずかにかすめる。
それだけで元締めの身体が痙攣して、地面に倒れた。
「一撃でも喰らったらそちらの負けですよ。
私の毒は、薄皮一枚でも入り込む」
ひゅっと鞭を振るって、クリスは既に息のない元締めを見下ろす。
「まあ、傷なんか負わせなくても毒で蝕むことなんて簡単なんですが。
さて、無事ですか? フォス」
「誰かさんのせいでな、クソ女」
「元気そうでなによりです」
クリスの振るった鞭がファウストの腕を拘束する縄を切り裂いた。
ファウストは腕を軽く振るって立ち上がる。気づいていた。周囲に、素人ではない者の殺気。
「まだ動けますね?」
「誰に言ってんだ」
背中合わせになったクリスの言葉に不敵に笑んで、元締めの銃を手に周囲の男たちに視線を向ける。
彼らも組織の者たちだろう。
クリスの鞭が地面を叩いた瞬間、それを合図としたように一斉に襲いかかってきた。
それをクリスの鞭とファウストの銃で倒していく。
二人以外の全員が地に伏すまで数分とかからなかった。
「さて、ここを出ましょうか。
女性の方々も巻き込まれて怖がっているようですし」
クリスの他人事のような声に、建物の中から伺っている複数の気配が怯えたように息をひそめたのがわかった。
あの娼婦もこの娼館も、組織に脅されて協力させられたのだろう。恨みは別にない。
「なんで助けに来た」
「連れを探しに来るくらいしますよ」
「連れって、俺みたいなの、いくらでも替えが」
「いませんよ」
はっきり言い切られて息が止まった。
「いません。フォスの代わりは。
私はフォスがいいんです」
そう、嘘の見えない笑顔で、眩しい月明かりの下で彼女が告げる。
「殺しても死ななそうだし、遠慮がないし怖い物知らずで、顔が怖いからナンパ避けにもなりますし」
「おい」
「私がフォスがいいのは本当ですよ?」
にっこり微笑んだ顔にはやはり邪気は見えない。本音、なのだろう。多分。どんな思惑があっても。
「チッ。それでひとまず納得してやる」
「はい」
大げさに舌打ちして吐き捨ててやれば、クリスはいつもの食えない笑みで頷いた。
「帰りましょうか。フォス。宿に。
私、眠いです」
「…そうだな」
絶対に言わない。
助けに来たこいつの顔を見た瞬間、一瞬安堵したなんて言わない。