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第十八話 うしなう前夜・後編

 街の診療所の寝台の上、横たわったファウストは眠っている。

「かすめただけでしたから、命に別状はありませんよ。

 ただしばらくは安静ですね」

 医師はそう言った。いつの間にかあの青年の姿は消えていた。

 寝台のそばの椅子に腰掛けて、クリスはか細い声で問いかける。

「どうして、庇ったんですか。

 どうして、」


(どうして?)


 じゃあ、どうして私は彼を助けた?

 どうして彼を放っておかなかった?

 一緒に旅を続けていた?


(いつかこうなるとわかっていて!)


「………そう、わかっていたはずなのに」

 やっと気づいた。一緒に旅を続けていた理由も、彼を助けに行った理由も。

 危険だと知りながら、一緒にいた理由も。

 あのとき、偽物をこの手にかけた。そのときの心臓の音の速さも。

「私は、あなたと、」



 ふっと意識が浮上する。

「………クリス」

 この数ヶ月でずいぶんと馴染んでしまった名を口にした。

 なのに返ってくる声はない。

「クリス?」

 痛む身体を動かして寝台の上に起き上がる。だが、彼女の姿は見えない。

「ああ、起きちゃ駄目だよ」

 起き上がったファウストを見て、白衣の医師が歩み寄ってくる。

「あいつはどうした」

「ん? 連れのお嬢さん?

 さっき外に行って、そういえば戻って来ないねえ」

「…っ」

 泣きそうな、声が聞こえた気がした。


『私は、あなたと、一緒にいたかった』




 その姿を見つけたのは、街の外れだった。

 散々走ったせいで、傷口ならとっくに開いている。呼吸が浅い。それでも足を止められなかった。

「クリス!」

 力一杯に名を呼んだら、その細い身体が震えた。

 ゆっくりと、その顔が振り返る。夜の薄闇の中でも、その姿を見失うことがない理由を、こいつは知らない。

「…フォス」

「どこに、行く気だ」

「い、嫌だなあ。旅の続きですよ」

「こんな夜にか」

「ええ」

 クリスは相変わらず笑っている。笑っているのに、なんて下手くそな笑顔だ。

「俺はどうする」

「あなたは邪魔になったんですよ。

 一緒にいても足手まといですから、ほら」

「へえ、俺は優秀だのなんだの褒めてたのはなんだったんだろうな」

「そ、それはその、あ、ほら、私って嫌な奴でしょう?

 一緒にいても嫌な気持ちになっちゃいますから」

「てめえが嫌な奴なのはよく知ってる」

「なら」

 気づいているのか。わかっていないのか。なあ。


「でも、優しい奴なのもよく知ってる」


 そう告げたら、その瞳を見開いて。

 その身体が、震えているのを、知っているのか。

「多分、世界で一番俺がよく知ってる」

「呪われた男が、なに言ってるんですか」

 最後の切り札とばかりに、クリスが自棄になったように口にするのはかつて、自分が散々忌み嫌ったもの。

「悪魔に取り憑かれた男の名前でしょう?

 そんな名前で偉そうに言わないでください。

 ねえ、ファウスト」

 けれど、そんな虚勢の笑みで言われたって怖くなかった。

 不思議と心は凪いでいた。

「あれ、怒らないんですか?

 ほら、出会った時みたいに『その名で呼ぶな』って」

「その名前はもう嫌いじゃない」

 ああ、そうだ。いつからか、嫌じゃなくなってた。

 お前のせいだ。

「呪いじゃない。

 呪いなら、お前が解いてくれた」


『「始まりの一人」って意味ですよ』


 お前が解いたんだ。クリス。

「俺の名はファウスト・イーグル。俺はその名を、誇ってる。

 お前が褒めてくれた名だ」

「な、なんで」

 クリスの瞳が揺らぐ。

「なんで見捨てて行かないんですか。

 なんで追いかけて来ちゃうんですか」

「その理由、自分の面見て言ってみろ」

「笑ってるじゃないですか」

「笑ってねえよ」

 本当に、わかってないんだ。自分がどんな顔してるかも。


「笑おうとして失敗した、泣き出しそうな面してる」


 そんな顔した奴を、どうして突き放せる。

「言えよ」

「こ、来ないでください。

 来ないで!」

 一歩足を踏み出したら、彼女が後ずさった。

「殺しますよ」

「ならさっさとやれ」

「ま、待って、こ」

 一歩一歩近づいて、伸ばした手が、その手を取った。

 震えた、冷たい手。

「捕まえた」

「あ…」

 か細い声が、その口から漏れる。

「言え。なにが怖い。

 てめえの怖いこと、全部言え。

 俺なんて全部てめえにさらけ出してんだ。

 いい加減、見せてくれよ」

 そう、初めて縋った。誰かに。

 愛で縋った。

 その細い肩を掴んで、顔を埋めて。

「頼む。

 置いて行くな。クリス」

 縋るしか、引き留める術を知らなかった。

「だ、って」

 不意に、擦れた声が頭上で降る。

「私、心が凍ってるって言われて」

「ああ」

「人を大事に思ったことなんかなかったのに」

「ああ」

「あなただけは、どうしてか、ちがくて」

「…ああ」

 クリスの言葉が涙のように落ちるたび、胸に温かな喜びが灯っていく。


「あなたが死んだら怖いって、底なしの穴に落ちるくらい怖いって、さっき気づいちゃったんです」


 泣き出す寸前の声で、彼女が言う。


「私と一緒にいるせいで、あなたが死んだらどうすればいいんですか」


 震える手が、やっとファウストの服を掴んだ。

「はは」

 気づいたら笑っていた。嬉しくて。

「やっぱりお前の言うこと当たってたな」

 くすぐったくて、暖かくて、ただ、幸せだった。


「俺の名前、『始まりの一人』って意味。

 俺はお前にとって、そうなれたんだ」


 そう満ち足りた気持ちで口にして、目の前の身体を力一杯に抱きしめる。

「離れるな。クリス。

 俺が弱くないことくらい知ってんだろ。

 もうあんなヘマはしねえ。

 てめえを守って、俺も守る。だから」

 手が少し震えた。生まれて初めての、一世一代の告白だ。


「一緒に連れて行け。てめえの終着点までずっとだ」


 腕の中、わずかにクリスが呼吸を止める。

「…それ、地獄かもしれませんよ?」

 ややあって返ってきた言葉に笑う。

「はっ、望むところだ。

 俺もてめえも綺麗な手なんかしてねえんだ。なら死んで行き着く先も一緒で嬉しいぜ」

 心の底からそう思って、離れないように腕の中の身体をきつくきつく抱く。

「俺たちは死んでも一緒だ。

 俺はお前がいないと息も出来ないらしい。

 俺を殺すな。クリス」

 そう告げた。返事を待った。初めての、弾んだ心地で。

 ややあって、自分の背中に腕を回したクリスが詰る。


「フォスの、馬鹿」


 それが返事だった。


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