14話 魔法の歴史
チョークが黒板を叩く音が、しんと静まり返った教室に鳴り響いた。
カミラ先生はゆっくりと振り返り、生気の薄い瞳で生徒たちを見渡す。
「……君たち、“魔法”がなぜ存在するのか、その問いに答えられる?」
突然の問いかけに、生徒たちはざわめいた。だが、その中から迷いのない声があがる。
「記録に残る限り、最初に魔法が発見されたのは、約千年前。人々は“大気の律動”や“大地のうねり”を観察し、それを模倣する術——いわば“自然模倣式”から魔法が生まれたとされています」
答えたのは、火属性使いのノエル。落ち着いた口調で話し、周囲を感心させた。
「その通り。とくに、火・水・風・岩・雷の“五大基礎属性”は、自然界に普遍的に存在し、その振る舞いを真似する形で魔法体系は整備されていった」
そう頷いたのは、知識派女子のクラリーチェ。眼鏡越しに黒板を見つめながら続けた。
「そこから“詠唱”や“構築式”の概念が整理され、魔法は記号として記録できるようになった……つまり、“知”として受け継がれる技術になったのです」
「……優秀ね」
カミラは口元を緩め、チョークを走らせる。黒板に「五大属性」「自然模倣式」「構築式」の文字が並んでいく。
「じゃあ、その技術が……どうしてここまでの体系に発展したのか。“学び、伝え、進化”してきた理由はなに?」
教室が再び沈黙に包まれる。
「——恐怖と、希望です」
ゆっくりと答えたのは、静かに手を挙げたディン。水属性の理論家。
「……魔法は本来、自然への“対抗”手段だった。自然災害や魔物に対し、力を行使するための“術”であり、だからこそ必要とされ、体系化が進んだ。……僕はそう考えています」
「なるほどね」
カミラが静かに頷く。
「では逆に——今、魔法は“何のため”にあるのかしら?」
この問いには、すぐにエリーネが手を挙げた。
「……平和のため、でしょうか。魔法は人を守り、癒し、豊かにするものです。いまでは街の灯りも、船の推進も、治療もすべて魔法によって支えられています」
「そう。正反対のようで、本質は繋がっているわね。魔法は“恐怖”を乗り越え、“希望”をつなぐためのもの」
カミラの声は淡々としていたが、どこか芯のある強さを持っていた。
「この“アークメギア王国”が“魔法王国”と呼ばれる所以は……たんに魔法が強いからじゃない。魔法に“意味”を与えてきたからこそ、この国は千年続いたのよ」
黒板に、大きく「魔法とは——進化する言語である」と書かれる。
「この授業では、君たちにその“進化”の道を見せていくわ。かつて魔法が“ただの炎”だった時代から、今の“構築式”まで——そして、その先にあるものも」
教室が一瞬、息をのんだ。
「……少しずつ。少しずつね」
そう言って、カミラは再び静かにチョークを置いた。
カミラが静かに一歩下がると、背後の黒板に残された文字列が、教室の空気に溶け込んでいくようだった。
「まず、“魔法”という言葉の定義から始めましょう」
そう言いながら、彼女は手元の魔導ノートを開く。淡く光るルーンが紙面に浮かび上がり、文字が黒板の上空に投影された。
《魔法とは——世界の真理に、人の意志を介して干渉する技術である》
「これが現代における、王国魔導院が定めた“標準魔法定義”。簡単に言えば、“世界の仕組みに働きかける力”ね。そして、それを体系化したのが、初代国王アークメギア・エル=グランツです」
その名に、教室が微かにざわついた。
「彼が生まれた時代——まだ“魔法”は、自然現象をまねた“術”にすぎなかった。たとえば、風の渦を模して風を起こす。岩を観察し、その硬さを真似て身体を強化する。火打石の火を研究し、炎を出す。この段階の魔法は“自然模倣式”と呼ばれ、技術ではなく、いわば“勘”と“観察”に頼った芸術に近かったの」
ノエルが思わず頷く。彼の得意な火属性魔法は、まさにその“原始の形”から進化したものだ。
「では、アークメギア王は何をしたのか——」
カミラは、投影された文字に指を滑らせながら言った。
「彼は“魔法を記録可能な技術”にしたの。詠唱の形式化、魔力操作の構築式、魔素の安定循環。魔法は個人の“才能”から、“学習可能な知”へと変わった。これが“魔法革命”と呼ばれる一大転換期」
クラリーチェが小さく声を漏らす。「魔導技術史の第一区切りですね……」
「ええ。よく読んでいるようね」
カミラが視線を送ると、クラリーチェはわずかに顔を赤らめた。
「それによって、魔法は“受け継ぐこと”ができるようになった。そして、強大な力を持つ“魔法士”の出現だけでなく、医療・産業・農業・建築、ありとあらゆる分野に“魔法技術”が流れ込んでいったの」
窓の外で風が吹き、教室のカーテンが揺れる。
「でも——」
カミラの声が少しだけ低くなる。
「それは同時に、“魔法の暴走”や“誤用”、そして“闇の術”も生んだ。例えば、意図せず大地を裂く魔法。治療のつもりで命を蝕む魔法。そう、“魔法の危機”はこの時代に生まれたのよ」
「……それを統制するために、王国が整備されたのですか?」
そう問いかけたのは、水属性のディンだった。構築式の正確性に強い関心を持っている彼らしい質問だった。
「その通り。魔法が“社会の力”として扱われる以上、国家がその枠組みを管理する必要があった。そして設立されたのが、“魔法省”や“魔導技術研究院”、それに“王国魔法団”。この時期の制度は、現代にも色濃く残っているわ」
黒板に、新たに文字が書き加えられていく。
> ● 自然模倣式(Primitive Style)
● 構築式の誕生(Structured Formula)
● 魔導革命と初代国王アークメギア
● 社会と魔法の融合
「魔法の進化とは、人間の知恵と観察、そして願いの結晶。君たちがこれから学ぶ“魔法史”は、ただの過去ではない。“未来にどう魔法を扱うか”を学ぶための礎なの」
カミラは再びチョークを置いた。
「このあとはグループワークをしてもらうわ。テーマは“もし自然模倣式しか存在しなかったら、今の魔法はどうなっていたか?”──五分後に、六人ずつで議論を始めて」
ざわ……っと、教室が活気づく。
「好きに意見を出してみて。正解はない。でも、想像する力は“魔法”そのものよ」
それは生気が薄い瞳からは想像できないような、温かい言葉だった。
その声に、生徒たちが少しずつ顔を上げていく。
教室にざわめきが広がり、それぞれが隣の生徒と視線を交わす。
グループを作るのは初めてということもあり、緊張と期待が混ざった空気が流れる。
ルシアンたち6人は、自然な流れで同じ机を囲んだ。
幼なじみの彼らにとって、他のクラスメイトにはない信頼があった。
「“自然模倣式だけだったら”かぁ……」
レンが頬をかきながら呟く。
「ぶっちゃけ、オレらが使ってる魔法の大半がアウトじゃねーか?」
「そうだな」
ソウマが腕を組みながら頷いた。
「自然模倣式ってことは、自然現象をそのまま真似るだけだ。再現性も低いし、精度も運次第になる。現代の精密な魔法制御なんて、到底不可能だろうな」
「補助魔法なんて絶対ダメじゃん!」
アイが口を尖らせて言った。
「空を飛んだり、体を軽くしたり、傷を癒したりする魔法って、自然にはないものだもん!」
「そうそう! 私の剣術に合わせた強化魔法も自然には存在しないものだもん!」
アカネが元気よく頷いたあと、うんうんと考え込みながら続けた。
「でも逆に、自然模倣式しかなかったら、剣術とか物理的な武術がもっと進化してたのかな?」
「アカネ、それ面白い考えね」
アリサがノートにさらさらとペンを走らせながら口を挟んだ。
「魔法の支援が不安定なら、戦いの主軸は剣や槍に戻るかもしれない。だからこそ、魔法が“技術”として体系化されたのは、時代の必然だったのかも」
ルシアンは黙ってみんなの話を聞いていたが、やがてふっと口を開く。
「オレは、逆に“自然模倣式だけの時代”の方が、魔法本来の形に近い気もする」
「えっ、なんで?」
アイが首を傾げる。
「たとえばさ、“火”を起こすっていう行為ひとつにしても、昔の人たちは“火そのものを感じ取る力”が今より強かったと思う。構築式が進化した分、効率や威力は上がった。でも、魔法の“原点”にあった直感とか、自然との対話って……失われつつあるんじゃないかって」
「ルシアン……それってさ……」
アカネがぽつりと呟く。
「魔法の強さって、ただ“組み立て”が上手いかどうかじゃなくて、“どれだけ深く魔法を知ってるか”ってこと。であってる?」
「“構築式”があっても、それを扱うのは“人”だからな」
ソウマもルシアンの意図を察して続ける。
「魔法を道具として使うんじゃなくて、理解し、信じること。そこに、“自然模倣式”からの学びがあるってことか」
「……深っ」
レンが目を丸くする。
「でも、たしかに。自然模倣式しかなかったら、もっと魔法は“感覚”重視になってただろうし、魔法使いってより今でいう教会の“祈祷師”とか“巫女”に近いイメージかも……!」
アリサがそう言って、小さく笑った。
アイが勢いよく手を上げて言った。
「はいっ、じゃあうちのグループの結論はこうです! “自然模倣式だけだったら、現代魔法は生まれなかったけど、そのぶん魔法の精神性はもっと深かった”!」
「……いいまとめね」
いつのまにか後ろから覗いていたカミラが、ぼそりと口を開いた。
6人が驚いて振り返ると、彼女はチョーク片手に頷いた。
「“魔法は進化した”……そのことにばかり目がいきがちだけれど。進化の前にあった“原初のかたち”を想像できる力。それも立派な学びよ」
「先生、他のグループはどんな意見出てましたか?」
ルシアンが控えめに尋ねる。
カミラは小さく笑って言った。
「“自然模倣式しかなかったら魔法事故が増えて王国は滅んでた”とか、“魔法は貴族の特権になっていて庶民は使えなかった”とかね。正直、どれもありえる話よ」
教室に笑いが広がる。
「魔法とは、“真理”と“想像”のはざまにある技術。それをどう使い、どう未来へ紡ぐかは——君たち次第」
カミラはそう締めくくると、時間を確認し、淡々と告げた。
「……今日はここまで。教科書の一章から三章までは次回までに読んでおくこと。質問がある人は……放課後、魔導室で受け付けるわ」
チャイムが鳴ると同時に、彼女はローブを揺らして静かに教室を出ていった。
あとに残されたのは、熱の余韻と、思索に沈む生徒たち。
そして、ルシアンたちは顔を見合わせて、誰からともなく笑い合った。
それぞれの“魔法”との向き合い方が、少しずつ形になっていく授業だった。