第三話‥座敷わらし①・・
、第三話・・座敷わらし①
民宿パハヤチニカの玄関の引き戸を開けると、
祖母の家を訪ねた時と同じ、
懐かしい囲炉裏の匂いがした。
そして古民家特有の
角の辺りの独特な暗闇が、
祖母の家の暗闇に潜む、
もののけたちの気配に似ていて、
幼いころ訳もなく恐怖にかられて、
泣き出した事を思い出していた。
この宿は「座敷わらしが住む宿」として有名で、
夜中に小さな子供の笑い声や、
廊下を走り周る音が聞こえると言う。
そしてその姿を見たものは
とてつもない幸せが来ると云えられている。
座敷わらしは、遠野物語を代表する昔話であるが、
その始まりは
飢餓や流行り病で命を落とした幼い子供達がいたと云う、
悲しい歴史の中にあり、
その幼い子供達の御霊を慰める意味もある、
と聞いたことがある。
宿の御主人の話によると、
座敷わらしが現れる部屋は、
既に三年先まで予約でいっぱいとの事で、
残念ながら私達は別の部屋に案内された。
山側に面した二階の部屋は、
福ちゃんと一人の部屋と私の部屋が
襖で仕切られているだけの簡素な造りであったが、
一応、鍵らしきものの代わりに、
釘が梁に差し込まれていた。
欄間から隣の灯が漏れてくる。
座敷わらしが現れる宿と聞いてか、
なんとも言えない湿り気のある不思議な空気感が
宿全体に流れていて、
一人部屋は寂しいと感じていたから、
何かあったら隣に、
福ちゃんと一人が居ると思えるこの部屋の造りは、
むしろ有難いと思った。
高校を卒業してからすぐに上京したせいもあり、
同じ県内でも遠野は、
私の田舎である県南地域からは遠く、
土地感はないに等しい。
それでも幼い頃、祖母の家に泊まりに行くと
「むがぁすむがぁす遠野ずどごさあったずもな」
と祖母が聞かせたくれた、
オシラサマや座敷わらし、
河童などの昔話しが大好きだった。
空想好きな私は、
祖母が話す物語の中の住人達が、
手を伸ばせばすぐ其処にいてくれて、
座敷わらしと空を飛んだり、
カッパと鬼ごっこしたり、
オシラ様とダンスしたりしながら
眠りにつくのが好きだった。
だからなのか、
いつか遠野に住むと云う、
不思議な世界の住人達を訪ねてみたい、
と思っていた。
その憧れの土地に、
今こうして来ることが出来た事が
夢のようだと感じながら、
窓の外の景色を眺めていた。
「夕飯の準備が整いました。下まで降りてきてけさい」
と、階下から声がした。
階段を降りて行くと
醤油と味噌と出汁が織りなす香りが鼻の奥に届き、
無性にお腹が空いてきた。
この宿では、一階の広間で
泊まり客全員が囲炉裏端で夕食をするのが決まりらしい。
私達の他にも二、三組の客が既にお膳の前に座っていた。
囲炉裏には暖かな炎がみえる。
それを囲んで車座になっていただく夕食は、
盆や正月に祖母の家に一族が集まり、
賑やかに食事をしていた記憶が蘇えって来るようだった。
宿の名物は、ひっつみにどべっこ。
ひっつみは、地方により呼び名も違うが、
すいとんのことである。
どべっこは、どぶろくのことで、
特区が許可されてから遠野の郷の名物になっている。
「感謝しています。
みなさん本日はようこそ当館にお泊まり頂きまして、
まごどにありがとうございます。
私はこの宿の主人の佐藤基彦と言います。
みなさんからはモトさんと呼ばれています。
袖すり合うも多少の縁、
皆さんもお気軽にモトさんと呼んでください。
よろしくお願いいたします。
みなさんの前にありますお食事は、
土地の物を中心に心を込めて作りました、
どうぞお召し上がりください。
ここで一つみなさんにお願いがあります。
お食事をいただく前に、
当館の名前を頂戴している早池峰の神様に
旅の無事と感謝を申し上げてから
お召し上がりいただきたいと思います。
ありがとうございます。
いただきます。」
なんとも暖かな御主人の挨拶で夕食の時間が始まった。
「おい、なんか民宿っていうよりも、
田舎に帰って来たみたいだな」
一人はあまったるい香りのする
どべっこが気に入ったらしく
盃を片手に福ちゃんに話しかけている。
「うん、僕もそう思ったよ、なんかいいな」
福ちゃんは、お酒はあまり得意ではないようで、
山菜料理が気に入ったようだ。
二人とも東京生まれの東京育ち、珍しく思うのも頷ける。
今は個食の時代と言われているが、
やはり食事は大勢でいただくのが
絶対に美味しいと私は思う。
美味しいそうな湯気が、あちこちの茶碗から溢れていて、
山菜や川魚、それに美味しい地酒。会話に花が咲き、
一人はどべっこのおかわりを、
福ちゃんは宿の御主人から
山菜の種類や調理の仕方を聞いていた。
けれど私はさっきからずっと誰も座らないままの、
おままごとのような、小さなお膳が一つあるのが気になっていた。
そんな私の視線を察してか
「座敷わらし様へのお膳でがす」
と宿の御主人のモトさんが教えてくれた。
「おらだずの目には見えなくても、
毎日ちゃんといただいてくれています。
少しずつ量が減っていますから」
なんとも不思議な話ではあるが、
この宿では毎日夕食時に、
宿に住む座敷わらし様に
感謝の気持ちを込めて御膳を整えるとの事だった。
しかも不思議なことに、
誰も座っていないはずの料理が
何かしら少しずつ減っていると言う。
モトさんの話に一人が聞き返している。
「今夜もそうなりますか?」
「はい!きっと。
でも今まで誰も食事をしている姿を見た人はいませんがね」
そう言いながら意味深な笑みを口元に浮かべた。
一人は宿の御主人のモトさんの話に、
よほど興味が湧いたのか、
福ちゃんに遠野に連れて来てもらった事を
仕切りに感謝していた。
福ちゃんも、食前酒代わりのどべっこが効いたのか、
頬がほんのり色付いていた。
そんな二人のやり取りを見ていて、
ふとさっきの小さな御膳を何気なく見てみると・・・。
小さな御膳の周りには、
緑色の靄のような物が漂っていて
さらに、
その靄の中に人影らしきものが見えてきたから驚いた。
その人影らしきものの大きな目が、
こちらをジーっとみているではないか、
私はますます目が離せなくなり、
なんと目があってしまった!
大声を出しそうになるのを、
必死で口を抑えて我慢するのがやっとで…
…これはなに?いったいどうしたの?
おちつけ!
はなゑ!おちつくんだ!
心臓の鼓動が早まり、
私の周りだけ時間が止まっているように感じた。
靄が少しずつ晴れてくると、
その姿がよりハッキリと見えてきて、
小さな緑色のカッパが小さな御膳の前に座っていた。
そして小さなカッパは、
口らしきところに長い指をあて、
私の方を向きながら
(ナイショダヨ)と言っているようだった。
「どうしたのはなちゃん、気分でも悪いの?」
福ちゃんが口に手を当てたまま一点を見つめ、
身動きひとつしない私を見て
心配そうに声をかけてきた。
「あそこ…」
そう言いながら、小さな御膳を指差した。
「御膳がどうかしたの?」
福ちゃんは不思議そうな顔をしている
「見えないの?」
「何が?」
あんなにはっきりと見えるのに…
どうやら私にだけ見えているらしい。
大きな目、頭には皿ではなくキラキラ輝く鏡を載せている。
緑色のウエットスーツのようなものを身に着けている、
とにかく全てが緑色で統一されている。
「御膳の前にね、座敷わらしじゃなくて、カッパが座っているの」
感謝しています。
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