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こぶ

作者: あどん

 コブータン。彼らは自分達のことをそう呼んだ。

ゼラチン質の体に大きな脳、それから小さな口のみを持つ彼らは、宿主となる生物の脳に噛みつき(脳を融合させることを彼らはそう呼ぶのだ)、思考を助け、その代わりに栄養をもらう。そのような共生を続けることで厳しい生存競争を乗り切ってきたのであった。

彼らの多くは、彼らの言葉で“家 ”を表す、アータマと言う直立二足歩行生物に寄生していた。主に木の上で生活していた原初のアータマは知能が低く体も虚弱で、自然淘汰の過程で滅亡するのは必至と考えられていた。コブータンさえいなければ、だ。

 コブータンはアータマに目をつけた。それは、一つには彼らが比較的高い知能を備えていたこと、もうひとつはアータマの脳構造がたまたまコブータンのそれと似通っていたことに由来すると言われている。初めてアータマに共生したと言われるセント=タンコーブ2世が言った言葉は今でも有名であり、アータマの小学生が初めに習う名言でもある。

『なんて噛み心地の良い脳なんだ!』

(『優しく学ぶアータマとコブータンの歴史』より)

その時から、アータマとコブータンの歴史は始まったのであった。コブ歴元年のことである。

 時は流れること20000コブ年。アータマはコブータンの助けを借り知能を高め、ついには高度な文明を築くまでになった。もちろん、歴史が経験的事実として主張するように、発展の過程でアータマは何度も滅亡の危機に直面した。最も記憶に新しいであろう、コブ歴19046~78年の第五次世界アータマ大戦ではアータマ人口が半減しさえした。しかし、それでもなおアータマが滅んでいないのは、ひとえにコブータンのおかげであると言ってよかろう。彼らはアータマの知的活動、すなわち、記憶はもちろんのこと高度に創造的作業においても活躍、大戦の折には世界和平のための首脳会談を主宰し、中立的立場として、全アータマ族の利益のために尽力した。

 このように、これらの二生物種の共生は理想的であるかのように思われていた。これからもアータマとコブータンはいつまでもともに手を取り合って生きていくのだとだれもが思っていた。   

 しかし、終わりは突然訪れたのである。

コブ歴20001年春。KUP(コブータン不適合患者)と呼ばれる、生まれつきコブータンとの共生が出来ないアータマの人々について調べていた研究者グループが驚くべき発見をした。KUP患者にはコブータンの持つ脳機能が生まれつき備わっていたのである。研究者グループは研究を進め結論を下した。

 これは進化である。

 過去の文献をひも解くと、KUP患者が初めて発見されたのがコブ歴18794年のこと、それからKUP患者は真っ白な紙にインクを落とすように、主にKUP患者の血縁者を中心に広まっていった。彼らはコブータンの助けなしに高度な知的活動をやってのけ、その多くが多方面で才能を発揮していたのだ。『このまま行けば、コブータンと共生できるアータマ族の数はやがていなくなってしまうだろう』と研究者グループは発表した。彼らの予想ではコブータンに残された時間は長く見つもってあと100コブ年。コブータンの繁殖は宿主を通して行われる。コブータンは自分の宿主の子供に、自らの子供を共生させるのだ。ゆえにその子供がKUPであることは同時に子供の死を意味した。コブータンは絶滅の危機にひんしていたのである。 

 当然コブータン達はアータマに訴えた。お前たちはいままで幾度となく力を貸してきた自分達を見捨てるのかと。それはお前たちが重んじる道徳に反するのではないのかと。コブータンは自ら栄養を得ることが出来ない。太古の昔、コブータンとアータマの共生が始まる以前は、ある程度の自生能力を持っていたようだが、アータマとの長きにわたる共生生活がその能力をも奪っていた。コブータンが頼ることのできるのは、もはやアータマ達だけだったのである。

 アータマ達も、コブータンへの恩義を返そうと必死の努力を行った。KUP患者(そのころはKUPが普通で、そうでないアータマ族をKAP=コブータン適合者、と呼ぶことが多かったのだが)の増加抑止政策は、しかし、失敗に終わった。今やKUPとは進化した新人類であり、全アータマ族のあこがれであり、多くのものがKUPにあこがれたのであった。

 続くコブータン転移計画は、コブータンの脳構造の変化が、アータマ族以外との共生を不可能にしていたことが判明し断念。その後自生計画、進化計画、と次々に計画が進むも、ことごとく断念。気がつけば、コブータンの数は最盛期の10分の1にまで減少していた。

 あきらめが、彼らの中に広まっていた。

 生き残ったコブータン達もそれを受け入れる準備は出来ていた。彼らに残された道は破滅のみだと悟った。

 しかし、コブ歴20109年。世紀の大発見がコブータンに最期の希望を与えたのであった。

 それは星外の知性体を探す研究者団体が偶然見つけたものだった。約400光年遠方から送られてきたと思われる微弱な電波。初めは全くの無秩序に思われたそれは解析の結果知性体からのメッセージであることが判明した。それは400光年かなたの太陽系から送られてきたメッセージ。ホモサピエンスと呼ばれる二足歩行生物の生態と文明についての情報、そして彼らの遺伝情報だったのだ。研究者たちはただちに解析に取り掛かった。電波の劣化、翻訳の間違いを補い訂正しながらの解析は10年にもおよび、その間にも、コブータン達の数は減り続けた。

 そして、奇跡が起こった。

 完成した遺伝情報はホモサピエンスとコブータンの共生が可能であることをしめすものであったのだ。彼らの遺伝情報は驚くほどアータマに似ており、400光年の距離を隔てた彼らが、アータマと起源を同じくする可能性が示唆された。

 最後の計画がスタートした。

 コブータンをアータマから安全に切り離す技術は、主に感染症(コブータンに深刻な感染性の病気が発生した場合、アータマにも危険が及ぶのだ。逆もしかり)対策として発達しており、残すは移動方法の確立だけだった。

 さらに50年の歳月をかけて計画は完成した。もはやコブータンの数は数百にまで減っており、半数程度は母星で骨を埋めることを望んでいた。残る半数、256のコブータン達は、20187コブ年夏、星を挙げてのセレモニーのあと、多くのアータマ族とわずかなコブータン族に見送られ、母星を飛び立った。


 

 

 最近急にもの覚えが良くなったり、想像力が豊かになったりしたなら、頭をよーく触ってみるといい。

 奇妙なふくらみはないだろうか? 

 ちょうどタンコブくらいの大きさで、やわらかく、わずかに弾力のあるふくらみがないだろうか?

 高校のころ、ある日突然成績が上がった。そのままとんとん拍子に、東京の有名大学への進学が決まった。

 周りの人は僕のことを天才だ、とか言うけれど、なんていうことはないんだよ。僕にはコブがあるだけなのさ。


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