第10話 告白:蓮二の場合
うちの学校の保健室は外に面した場所にある。だからわざわざ外までいって保健室に入った。
中には1人、女の先生がいた。
「あら、どうしたの?」
と言いつつも、先生は俺の格好を見て大体は察してくれたようで、「あー、なるほどね」と言いながら引き出しに何かを取りに行った。
帰ってきた時持ってたのは、替えのパンツとタオルだった。
「体操服は、自分のあるよね?」
「………え?あ、はぁ………」
「あります。私が取って来ます」
ろくな応答が出来ない俺に代わって、悠花は俺から離れて美礼の体操服を取りに行ってくれた。
「貴女もそのまま気持ち悪いでしょうから、ほら、ベッドは2つとも誰も使ってないから、そっちに行って脱いで来たら?」
「…………ぁ、はぃ………」
靴下までぐしょぐしょで、上靴をがぽがぼ言わせながら俺はおぼつかない足取りでベッドの方に向かった。
カーテンを閉めてもらって、俺はパンツと靴下を脱いだ。
そうして着替えようとしていると、俺は自分が何をしたかを再確認させられたようであった。
次の思考では、美礼にどう説明するかとか、どうやって謝ったら良いかとかを必死になって考えていた。
「美礼、体操服」
「ぁ、ぁりが……とぅ……」
悠花が帰ってきて、俺は美礼の体操服を受け取る。
悠花は一旦外に出て、俺は体操服に着替えた。
「着替え終わった?」
「………うん」
悠花は俺の返事を聞くや、すぐにカーテンの中に入ってきた。顔には、底知れない怒りを浮かべながら。
「蓮二、アンタ何したか分かってんの?」
悠花の声は小さかったが、帰って怒鳴り声よりも直接心が揺さぶられるようだった。
「…………あの、その………」
「美礼の体であんな事して、どう責任取るの?これで美礼が嫌がらせとかされたら、アンタどうするの?」
「………そ、れは………」
「蓮二、しゃっきりしなさいよ!」
「………………ごめん」
「………もう!」
悠花はまともな返事をしない俺に愛想が尽きたのか、話をするのをやめた。
「………次の時間の放課、美礼連れてもう一回来るから。その時にちゃんと話してよ」
「……うん」
悠花はまだ怒りが収まっていないようだったが、カーテンを開けて出て行った。
保健室のベッドに、俺は取り残される。
保険医の先生も、俺に気を遣ってなのか、俺が保健室のベッドに居座ろうとしている事について何も言ってこなかった。
怪我も何もしてないのに保健室のベッドで寝転がっている俺は、授業をサボるって事になるんだろうか。
美礼の体だから、美礼として真面目に授業を受けて、誰からも女だと思われて女として過ごす。
………あぁ、もう、疲れた。
誰も俺を俺だと思ってくれない事への漠然とした恐怖心に慄きながら、定かではない魂の交換をし合っている関係は、危なくて、恐ろしい。
………美礼が来たら、ちゃんと謝って、許してもらったら、今後入れ替わる回数を減らしてもらおう。
やっぱりこんな関係は、お世辞にも良いとは言えない。
ベッドに寝転がって布団に入って目を瞑っていると、幾分か落ち着いて来た。
授業中散々寝たはずなのに、泣いたからか、それとも保健室が居心地が良すぎるのか、少しうとうとしてくる。
こうして微睡みに身を任せて、面倒な事を全部忘れてしまいたい。
そう思えてくるほどだった。
「………失礼します」
そんな時、保健室の中に誰か入って来たようだった。
男子生徒のようだったが、まだ授業終わりのチャイムは鳴ってないし、俺の体に入った美礼では無さそうだ。
カーテンの向こうで小声で話しているからかどんな話をしているのか分からない。
がしかし、やがて話が終わったかと思うと、足音が俺の方に近づいて来るのだ。
足音はカーテンの前でピタッと止まり、次の瞬間にはゆっくりと静かにカーテンが開けられた事に気づいた。
「綾藤先輩、起きてますか?」
優しくかけられた声は、どうやら三品永遠のものであった。
狸寝入りすることも出来たが、そんな気分ではなかったので俺は目を開けて体を起こして三品を見る。
三品は、所々土に汚れた体操服を着ていた。
「…………どうしたの?」
「あ、起きてたんですね」
三品は不思議と嬉しそうだった。
「綾藤先輩が保健室に連れられて行く所を見て、怪我でもしたのかと思って来ちゃいました」
「…………そうか。えっと、ごめんな、それは……」
「何で謝るんですか?僕が来た事なら謝らなくても良いですよ、勝手に来たんですし」
「いや、そうじゃなくて………………怪我とか、病気とかじゃないんだ」
「え?」
「詳しく話したくは、無いんだけど……そんなんじゃ無くて、もっと、恥ずかしい話なんだ」
「そうだったんですね。あ、無理に話そうとしてくれなくても大丈夫ですからね。先輩が元気なら良かったです」
三品はそう言って、笑みを俺に見せて来た。
前まではそんな事無かったのに、今日はなんだがコイツの笑顔を見てると元気が出てくるな…………
そんな事を思ってたのに、三品の表情は一転、優しい表情ながらも真剣な顔になった。
「先輩、僕、話があるんです」
「………話?」
改まってするような話って、なんだろうか。
悪い話をする様には見えないが…………
「先輩は今、付き合ってる人とか居ないんですよね?」
「え?…………いない、けど?」
俺にも美礼にも居ないはずだ。
でもそれを、今確認するのはなぜ?
あと少しで分かりそうだった
「………誰かと付き合う気とかは、ありますか?」
「………え?」
ここまで言われて、俺にもようやく理解出来た。
三品の言わんとしている事が。彼の、真剣で、その上、緊張している様な表情の理由が。
「僕、先輩の事、好きです」
俺は男だと言うのに、それか、女の体に入っているからか、真っ直ぐ俺を視線で射る三品の顔つきに、心拍数が増した。
顔に血が集まって、なのに何処か体温が失われて行く感覚は、幻と現実の狭間に連れて行かれたみたいだった。
「あ………えっと、私、は…………」
彼の真剣な申し出を真っ当に断る理由を持ち合わせていなかった。
俺が実は入れ替わってて、中身が男だから無理ですと言われて、理解して帰ってくれる人の方が少ない。
きっと頭がおかしくなったと思われるか、無理矢理断ろうとしたと思われて、なんにせよ悪い結末が待っているんだ。
「………今は、答えられない。だから、帰りにもう一度………」
返事を延ばすことが、俺にできる最善の手。
つまり、もう少し待ってもらって、本当の美礼に答えを委ねようと言うわけだった。それが、今の俺にとって最大の誠意だった。
だけど、三品は、そんな言葉は通用しなかった。
それどころか、まるでその言葉の真意を全て知っていますみたいな事を、はっきりと言う。
「それは、今綾藤先輩が綾藤先輩じゃなくて、研野先輩だからですか?」
授業終わりのチャイムが、静かな保健室に響いた。
驚きで我を忘れ、もう一度帰って来た時次にやって来た感情は、またしても驚きだった。
そして逡巡。だけど、解は出ない。
全くもって理解不能。もう既に、俺の脳は理解できる限界を超えていた。
「な、なんで………その事………」
「綾藤先輩から直接聞きました」
美礼が?
何か事情があったにしても、意味がわからない。
ーーー三品は、俺が入れ替わってると知っている?そして、その上で、告白?
「なんで………?じゃあ、なんで告白なんか………」
「それは………僕が一目惚れした綾藤先輩は、階段から落ちそうになった所を助けてくれた、格好良い綾藤先輩なんです。でも、それは本当の綾藤先輩じゃない。なら、今の先輩に告白するのが正解じゃ無いんですか?」
「は、はぁ………?お前、自分が何を言ってるか………」
「分かってます。僕が、結果的に研野先輩に告白してる事になってるなんて事。けれど、僕からしてみれば、2人が入れ替わってるなんて確証は無いですし、僕に見えている先輩は、紛れもなく綾藤美礼先輩という女の先輩なんですよ」
まるで返す言葉が見つからなかった。
三品は、全てを理解して、全てを覚悟して、ここに来ているんだ。
それが、言葉の端々から、全ての単語から、伝わって来た。
「お、俺は…………」
男だから無理。
そうはっきり言いたい筈なのに、何が堰き止めているのか、発したいはずの言葉は息をひそめ、心臓の音がうるさくなって行くばかりだった。
「だから先輩、もう一度言います」
やめろ、それ以上言うな。
「僕、先輩の事が好きです」
違う、俺は、俺は女じゃ無い。俺は、お前に好きになられる様な人間じゃ無い。
「僕と付き合ってください」
無理だ。
そう伝える筈の3文字が、たとえ命を捨てたとしても、出てくる様には思えなかった。