8話 夢の終わり
「……いつまで見ているつもりなの?」
「あんたが飯を食うまでだ」
「お生憎様。何が入っているか分からないし、ここを出るまでは何も食べないわ」
「そんなことで意地を張って何になる。強情な女だ」
「ええ、そうよ。私、強情なのよ。どっちが先に根を上げるか楽しみね」
「チッ、可愛くねえ。勝手にしろ!」
……まったく、毎日毎日飽きもせずよくやるわ。このやり取りはもう何度目かしら?
朝、目を覚ますと、男がいつも同じ場所に寝そべっている。向かいの牢の中に敷かれた絨毯の上が、男の定位置だ。
そこで男は、何を言うでもなく私を眺め続ける。ごくまれに柔らかい表情を浮かべていたりもするけれど、大半が怒り顔だ。
私は男がいるのを確認し、最初は無視をするのだけれど、だんだん腹が立ってきて悪態をつく。
すると男は、ブツブツと文句を言いながら、牢に食事を投げ入れる。わざとなのか、単純に手元が狂っただけなのか定かではないけれど、時々リンゴをぶつけられるから注意が必要だ。
そして、さっきの定型文の応酬の後、腹を立てた男が牢屋から退場する。
これが私の日課になった。
鬱陶しくて、飽き飽きして、どうにも気が滅入るやり取りだ。
本当に鬱陶しい。
でも、何故か、私はまだここにいる。
脱出の際に危険が伴うとは言え、本気になればへし折ることができる格子の中に……。
どうして逃げずに留まっているの。どうして外へ出て無事を知らせようとしないの。どうして、いつから、男の視線を薄気味悪いと感じなくなったの。
自分のことながら、私はそのことに心底驚いていた。
でも、投獄から7日目の朝。
私の日常は、あっけなく終わりを告げた。
「おい、意地を張るのも大概にしろ! もう一週間だぞ!? せめて水くらい飲めよ!」
「……いらないわ、あなたには関係ない」
「クソッ、そんなに弱ってるくせに何を言ってやがる。死にたいのか?」
男が苛立っているのが分かる。でも、男の真意が読めない以上、ここで折れるわけにはいかない。
なぜならこの人は盗賊で、虫ケラか塵芥でも見るような目で私を見ていたもの。
温かい食事は、私を懐柔するための罠かもしれない。
薬か何かで眠らせて襲う気かもしれない。
気が変わって、私を奴隷商人に売り払うかもしれない。
きっかけがきっかけだけに、信用なんてできない。できないのよ……。たとえ、私達の間に一時でも優しい時間があったとしても。
「覚悟しろ、今日は無理にでも食わせるからな!」
男は静電気のようにピリピリとした空気を纏い、青銅の格子戸を乱暴に開いた。
迷いなく近付いてくる男に対し、私は「よらないで」「来ないで」「やめて」の三つを呪文のように繰り返し、一定の距離を取りながら後退る。
狭い牢の中では限界があるものの、私は必死で逃げた。
怖い。怖い。誰か助けて。
そう祈った瞬間、私は男の腕に抱かれていた。
一際深い傷のある男の左腕は私の腰をがっちりと押さえ、どんなに暴れても、爪を立ててもビクともしない。
まるで長い蛇に体を締め上げられているようだと、私は思った。
これは、あの日以来の恐怖だ。
「……っ」
苦痛で歪む私の顔を一瞥しただけで、男は何も言わない。
震える体を更に締め上げて、男は私の唇にカップの端を押し付けた。すると、人肌程度に温くなったスープが口内に流れ込んでくる。
必死の抵抗も虚しく、頬も、髪も、首も、胸元もあっと言う間にドロドロになった。
「う、んっ、飲めな……やめっ……」
具がすべて溶け切った、とろりとしたスープ。じゃがいもとバター、そしてミルクの甘い香り。淡いクリーム色、優しい色。
本当はきっと、この上なく美味なのだろう。
でも、飲み込む人間のことなどお構いなしに延々と注がれるそれは、もはや凶器にしか思えなかった。
「ん、うえっ……ゴホッ……!」
「おい!?」
私がえずくと、口の端から大量のスープが溢れた。気管に入ったのか咳が止まらない。
その様子に唖然としたのか男の腕が緩み、私は力なく地面に崩れ落ちた。
常に緊張したままの体はとうとう限界に達し、同時に心も折れてしまった。
男に背中を向ける格好で体を横たえ、地面に頬を付けた瞬間、私の目から大粒の涙がこぼれた。それを拭う気力も残っていなかった私は、ただ静かに、ゆっくりと瞼を閉じた。
もう疲れたわ。疲れた。
ああ、そうか。夢を見る時間は終わったのだわ……。
「……おい、大丈夫か? 何なら他のものを」
「何も……何もいらないったら」
「しかし」
「煩いッ……だいたい、全部あなたが悪いんじゃないの! 今更気にかけるくらいなら、最初から人を襲わなければよかったのよ!! もう放っておいて……っ」
決して泣かないと誓ったあの日の私、ごめんなさい。
約束を違えてしまった弱さを許して。
読んでくださってありがとうございました。
ドロドロの展開ですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです♪




