4話 誰のものにもならない
「選べって……っ、な……何を言っているの」
「簡単だろう。『私はあなたのものです』と、そう言えばいい」
男は、恋人にでもするような優しい手付きで、私の頬を撫でた。
ああ。グラドールの天におわします星女神様、お答えください。
私は一体何をしたのでしょうか?
物を盗んだことも、故意に人を陥れたことも、人を弑逆したこともありません。私はただ、私の“務め”を果たそうと懸命に立ち上がっただけです。
それなのに、どうしてこんな目に遭うのでしょうか?
こんな恥辱を受けるほどの大罪を、前世の私は犯したのでしょうか?
分からない。
分からないわ。
でも、ただ一つだけ言えることがある。
「どちらも御免なのでここで死にます」
「は?」
私は男の瞳を真っ直ぐに見つめた。
拘束され無抵抗の人間を前にしてあれだけ威張り散らしていた男が、今度ばかりは狼狽えているようだった。
「婚儀こそ執り行っていませんが、私は既に嫁した身です。不義密通は許されません。奴隷になる道も当然選べませんから、私はここで潔く果てます。嫁入り道具は差し上げますし……とは言っても、全て婚家から支給されたものですけど。まあ、そんな訳で我が家の懐は痛まないので、どうぞ差し上げます」
「……」
「私の亡骸も売るなり焼くなりお好きにどうぞ。本音を言えばきちんと葬ってほしいところではありますが、そこまで贅沢も言えませんから」
「……あー、おい、待て待て。ちょっと待て」
「でも、あなたに少しでも人の情けがあるのなら……事の顛末を婚家に報せてください。風の噂程度でも構いませんから。お願いします。どうか、お願い……」
『セラグラード家が不義理をした』
『セラグラード家が約束を反故した』
老宰相にそう思われては元も子もない。
私にとって絶対に避けるべきは、私が死ぬことじゃない。
まずは、実家への援助を打ち切られること。そして、双子の姉・ルリアに追っ手を差し向けられることだ。
「はー、あんたもたいがい奇天烈だな。本気かどうかは知らんが、そんなことを呑んでやる義理はない」
私の訴えを聞いても、男の姿勢は変わらなかった。どこまでも他人事で、真剣さは微塵も感じられない。あろうことか、話の途中であくびをする始末だ。
ああ、馬鹿なシュカ。
こんな人に何を期待していたのかしら。どんなに清廉で美しい容姿をしていても、中身までそうとは限らないのに。
どんなに信じても、こうして裏切られて傷付くだけなのに。
「…………そう、よね……そう言うと思った」
「おいッ、止せ、舌を噛むな!! 馬鹿が、また口を塞がれたいのか!?」
男は間髪を入れずに言った。
「放して! もう死なせて!!」
だって、この期に及んで私に選べるのは死ぬことしかないんだもの。ばあやが望んだ淑女にはとてもなれなかったけれど、汚辱を被り、泥水をすすってまで生き続けられるほど図々しくもない。
私は強がりが人より少し上手なだけの、ただの女なのよ。
「……痛えっ、噛むなよ。噛むな!」
「何よ、馬鹿! 冷血漢! どうせあなたは私を高値で売り飛ばすことしか考えていないじゃないの! 私の人生をどうしてくれるのよ!?」
「分かったから落ち着け! おい、だから噛むなっての」
錯乱した私が猿ぐつわの代わりに嚙んだのは、見惚れるほどに長い男の指だった。私が抵抗する度に苦痛で顔を歪めながらも、男は指を離そうとしない。
それどころか、私の背中を二度擦ってから、なだめるような口調で言った。
「はー……降参だ。あんたはちょっとばかし疲れてるんだろう。思い詰め方が尋常じゃない」
「?」
「もう無理強いはしないし、手下共にも手出しはさせないから、しばらくそこで頭を冷やしていろ」
「どうして……」
「いいか、死ぬなよ。死んだら婚家とやらに大嘘を吹き込んでやるからな」
「ちょ、ちょっと!?」
男は私の言葉を無視したまま、「つべこべ言うな! 黙って寝ろ!」と言い残し牢を出て行った。
取り残された私はしばらく硬直し、訳も分からずその場に蹲る。
そして、ポツリ。ポツリ。ポツリ。
ここへ来て初めて涙を溢した。
「ああ、だめよ。だめだったら。泣かないで……」
泣いたら、お化粧が落ちてしまう。
“私達の秘密”が露見してしまうわ。
それだけは絶対に回避しなくてはならないのに……怖くて、怖くて堪らない。
――お願い、ルリア。私を助けて……。
読んでくださってありがとうございます。
今日はもう何話か公開する予定なので、引き続きよろしくお願いします!