~テムズ川をこえて~No.7
僕が目覚めたのは、病院のベッドの上だった。先生やフレッドの心配そうな顔が覗いていた。
「ジェーンは?」
僕は飛び起きた。
「ジェーンは助かった?」
「何を言っているんだね。夢の続きかね」
先生は厳しい表情になった。
「フレッド、ジェーンは?あの白いドレスの女性だよ。美術館から一緒に逃げ出した・・・」
「エド、何を言ってるんだ。夢でも見たんだろ」
フレッドまで先生と同じことを言っている。
「とにかく、我が校始まって以来の不祥事だ。親御さんに連絡しなければ。軽くても、当分の謹慎。重ければ停学処分やもしれん」
先生は怒って出て行った。
「お前も案外やるな」
フレッドが小声で言った。
「にしても、俺を置いていくなんてひどいぞ。俺は美術館を抜け出そうとしたところを先生に捕まった」
フレッドがニヤリと笑った。
学校へ戻ると、僕は校長室に呼び出され、厳しいお叱りを受け「二度と校則違反をしません」という念書にサインさせられた。「次に違反をした場合は退学」という執行猶予を与えられて。2週間の謹慎処分を終えた後、僕は普通のまじめな学生に戻った。学校の規則に従わなかったのは、あのときだけだ。
あのとき、僕は一人で美術館を抜け出し、船で遊んでいるところを川に落ちたということになっている。誰一人、ジェーンの存在を覚えている者はいなかった。
「絵から美少女が抜け出すなんてバカな話あるか。そんなんだったら、俺はあのヴィーナスを引っぱり出したいね」
フレッドは笑った。
だが、僕はあの出来事が夢なんかではないことを信じている。
ジェーンは自由の翼を得て、時の流れを泳ぎきったと信じている。
3年のときを隔てて、僕はナショナル・ギャラリーの東翼棟を歩いていた。僕は16歳の誕生日にここにくると決めていた。
あの絵のある部屋へと僕は足を踏み入れた。
絵の前には、豊かな黄金の髪を垂らした白いワンピースの乙女が立っていた。僕は足をとめて、彼女を見つめた。
彼女は、ゆっくり僕のほうへ振り返った。懐かしいブルーグレーの瞳が僕を捉える。今では彼女より背の高い僕を見上げながら
「あなたなのね?エドワード」
彼女は、頬をうっすらバラ色にして問いかける。
「ああ、ジェーン・・・」
僕は彼女のもとへと、ゆっくり歩き出した。
Fin