~テムズ川ここえて~No.5
隠れる間もなく、神父が現われた。
見つかった。
いや、よく見ると追手の神父ではなかった。
「君たち、ここで何している」
神父は厳しい顔で怪訝そうに僕達を見つめた。
僕は必死で頭を巡らした。時代錯誤な彼女のドレス。僕の燕尾服。
「神父様、どうか見逃してください」
僕はとっさに口にした。
「見逃す?」
神父はますます怪訝そうだ。
「はい、姉は・・・好きでもない相手と無理やり結婚させられそうになって、たった今結婚式から逃げ出してきたんです。その悪い男から逃れるために、ここに身を隠していたんです」
とっさに出た言い訳に我ながら驚いた。
神父は、僕とジェーンの顔を交互に見ながら「ふむ」と言った。
「しかし、一時的に逃れてもこれからどうする気だね。親御さんも心配して探していることだろう」
神父はそう言いながらも、僕達のことより、この教会が厄介なことに巻き込まれたくない様子だ。
「この教会にはご迷惑をかけません。これから、姉の恋人のところへ行くのです」
「ほほう、駆け落ちかね」
神父は、世俗には興味がないといったすました顔を取り繕いながら、好奇の目をジェーンに向けた。僕はその視線を遮るように、神父とジェーンの間に身を乗り出した。
「神父様、神様の前で愛を誓うのは真実の愛でなくてはならないですよね?偽りの愛を誓うのは神への冒涜ではありませんか」
僕の言葉に神父は笑い出した。
「こんな坊やが愛を語るとは」
棘のある言葉に僕は赤面した。
「弟は、私を必死で守ろうとしてくれているのです。私を守ってくれるのは弟だけなのです」
ジェーンが僕をかばってくれた。ジェーンの言葉は、実際本心から出たもののようで、僕の胸を熱くした。
「いい弟さんをお持ちだ」
神父の厭味な言葉は続いた。
「だが、しかし、駆け落ちの手引きをした君は親御さんにこっぴどく怒られるだろうね」
「そんなことはどうでもいい」
僕はぶっきらぼうに言った。
「姉が幸せにさえなってくれれば。父母だって姉が幸せになってくれれば、きっといつか許してくれるはずです。僕は、姉に幸せになってもらいたいんです。そのためなら僕は何でもしたい」
もう神父に語るというより、僕はジェーンに語っていた。ジェーンに生きて欲しい。そのために、僕ができることは何でもしたい。
「お姉さん想いだな。まるで恋をしているようだ」
僕は、この神父から早く逃れたかった。
「早々に立ち去りますから、どうか見逃してください。神父様が僕達を見逃してくださったら、僕達もこの教会に立ち寄ったことは話しませんから」
神父はようやく納得した様子で
「では、今すぐここから立ち去りなさい」
と言った。
「ありがとうございます。慈悲深い神父様に神のご加護を」
うやうやしく言って、僕はジェーンの手を引いて小部屋を出た。廊下を歩いて出入り口へ向かおうとすると、そこからフェッケナム神父と執行人が飛び込んできた。すんでのところで柱の影に身を隠した。男達は僕達に気づかず柱を通り過ぎ、小部屋から出てきた神父を捕まえて何かを問いただしていた。神父は首を横に振っている。男達はそれでも、神父の制止を無視して会堂内を探し始めた。
「早く出よう」
ジェーンの手を引いて、小走りに走ろうとしたとのとき、
カラーン
会堂内に音が響いた。
ジェーンのドレスが間仕切りのポールにあたって、大理石の床に倒れたのだ。
動きが止まる。
振り返ると、フェッケナム神父がこちらに気づき、執行人の袖を引いているところだった。
「走れ!」
僕は叫んで、ジェーンの手を引いて走り出した。