Mortal.
かのベストセラーが正しいとするならば、人は土から生まれたのだという。
数限りない事例を鑑みれば、この体もいつかは土に還るのだという。
我らは、白い塊だけ残して焼いてしまうのだが。
世界が土から生まれたとして。
その土から生まれた我らは、
土から麦を、稲を、ありとあらゆる命による恩恵を受けた。
土に育まれた木々で火をおこし。
器を、紙を、青銅を、鉄を、コンクリートを、アスファルトを・・・
ありとあらゆる全てを、人は土から創りあげた。
いいや。
創りあげたなどという表現はおこがましい。
我らは土から奪ったのだ。
もはや錆びついた言葉かもしれないが、我らは土に還らない。
石の箱におさめられて終わるだけだ。
鑑みるに、
奪うばかりで還さない、
つながりを求めながら、繋がろうとはしない存在。
それが我らに最も相応しい定義ではなかろうか
だとするならば
この手は常に土とともにあった、なぞと誇るのも、滑稽なほど歪なことだ。
たとうならば、我らなぞよりよほど古くから、土はそこにありつづけ。
たとうならば、我らなぞいなくとも、土は続いていく。
気の遠くなろるほどに長い歳月のわずかこの一瞬に、我らは土から生まれる。
あまたのありふれた命のごとく。
それでいて。
我らは、あまたのありふれた命のような土への還り方を忘れている。
にもかかわらず
ありふれたそれらのように、命を奪うのだから始末が悪い。
たとえばそう。大地を耕し、稲を植える。
泥の中で稲は育ち、いつか金色の稲穂が実る。
その命を刈り取って、我らは糊口をしのぐのだ。
それは、当たり前で、かけがえのない基礎。
だ、と脳が理解している。
なれば。なにゆえ我らは、
土に触れたこの手を忌みきらうというのか。
触れたところから感染するような
そんな致命的な病は、ここには無いというのに。