第七章 花咲くキノコ
それから数日後。
テレビのおかげで、僕はすっかり有名人になり、お客さんもだいぶ増えたものの、バイト先にまで取材が来るようになってしまったので、しばらくバイトを休むことにした。
バイト先の居酒屋に電話でそう伝えた後、疲れ切っていた僕はいつの間にか眠りこけてしまっていたが、一本の電話で目が覚めた。
「おー、イノ ! 今日バイト休みだったのか、ちょうどよかったぜ」
「…なんだよ、シシゾーかぁ。ふあーぁ…しばらく休むことにしたよ。バイト先にも迷惑がかかるからさ」
「へえー、でもついさっきワイドショーに、お前の働いてる店出てたぜ ! 店長なんかすげー嬉しそうでさ、『イノシチ君は当店の誇りです』なんて言ってたよ」
あぁ~~~もう。僕は頭を抱えてしまった。
「それよりさぁイノ、もしよかったら今からこっち来ないか ? オレ今、ウリ山博士の研究所にいるんだ。ちょっといろいろと手伝っててさぁ」
い、いつの間に ! 驚きつつも、僕が引き合わせた縁がひそかに続いていたのはちょっと嬉しかったので、気晴らしに(コソコソと)出かけてみた。
「おやおやイノシチ君、久しぶりですねェ~」
相変わらずのおっとりした口調で、ウリ山博士が出迎えてくれた。忙しいはずなのに、決まって自らお客を出迎えてくれるのだった。おー、来た来た、とシシゾーも後ろからついてきた。
「実は、以前シシゾー君が私に持ってきてくれたキノコのことなんですがねェ…」
「キノコ ?」
「そうそう、あのキノコ、新種のキノコかもしれないって言ってたろ ? あれが実はスゴイことになってきたんだよ」
と、シシゾーがいかにも楽しそうに話した。博士もそれにうんうん、と頷きながら話した。
「あれから、そのキノコについて色々と調査・研究を進めているうちに、どうやら非常に特殊な条件でしか生育しないようだ、ということがわかってきたんですよ」
「特殊な…条件 ?」
「そうです」博士のメガネがキラリ、と光った。
「そのキノコは、地面に直接寄生するのですが、普通の土では普通のキノコとしてしか育ちません。ですが、火山灰の混じった特殊な土の場合は違います。まず普通のキノコとして育ったあと、一度枯れると見せかけながら、今度は卵のようなものに包まれ、満月の夜になるとそこからツタを伸ばして、なんと花を咲かせるのです」
「花を咲かせるキノコか…面白いなぁ」
「でさーイノ !」とシシゾーが割り込んできた。
「これからそのキノコを探しに行かないか ?」
「でも、もうすぐ日が暮れそうですよ、博士」
「ホッホッ、出発は明日の朝ですよ、イノシチ君。ですが、そのキノコを見つけてから、我々は夜まで待機する必要があるのです。ちょうど明日の晩が満月になりますからね。そのための助っ人も呼んであります。さて、そろそろ…ああ、来た来た。ささ、うり子、こっちへ。わざわざすまないね」
「こんばんは、おじさま」
なんとそこには、以前会ったうり子さんの姿が。
「うんうん、よかった。あのキノコは作られた光にひどく敏感なので、ぜひお前の力を借りたかったんだよ」
「あらやだおじさま、私の力じゃありませんわ。この子たちがいつもそばにいてくれるおかげよ」
うり子さんの背後で、二つの小さな青白い炎のようなものが、ぷるぷるっと揺れた。僕が以前見たのは、この炎だったのか ?
それにしても、うり子さんはずいぶん博士と親しそうだぞ。一体どこでお知り合いに、と聞くべきか迷っていたら、博士が先に話してくれた。
「おやおや、これは失礼。こちらは、私の姪にあたるうり子です。私はひとりものですから、実の娘のように思っているんですよ」
「ごぶさたしてます、イノシチさん、シシゾーさん」
うり子さんが、丁寧に頭を下げた。僕の横でシシゾーが、ちょっとだけ赤くなっていた。
「おや、もう知り合いだったのですね、これはいい ! 彼女には、いつも二体の鬼火がついていてくれるので、暗い場所でも周りを照らすことができます。明日の晩は野宿をすることになるかもしれませんからね…さあ、皆さんは今夜ここにお泊まりなさい。支度を整えて、明日の朝出発しましょう」
翌朝。
「皆さん、準備はよろしいですか ?」
「オッケーッすよ ! おにぎりもたくさん作ったし」
シシゾーが、おにぎりやおかずの詰まった袋を勢いよく振り上げたので、僕はあわててシシゾーをなだめた。
「おいおい、張り切るのはいいけど気をつけろよ、シシゾー」
「おっ、わりぃわりぃ、ついはしゃいじまった。なんか遠足みたいで楽しくってさあ」
「ホッホッ、元気で何よりですねェ。では、出発しましょう」
と、そこへ、
「あのー、博士 ! またコンピューターが動かなくなってるじゃないですかぁ ! あれほど余計なボタンを押さないでください、と申し上げているのに~」
研究所の奥から、カンベンして下さいよ~といった感じの助手の声がした。口ぶりから察するに“いつものこと”らしい。
「あ、ああ、それはですね…任せます !」とあわてた様子で博士は、くるりと背を向けて歩きだした。僕らも急いで、その後ろに続いた。
大柄でひょろひょろしている割には、博士は歩くのがとても速かったから、僕たちは必死でそれに追いつくように歩いた。
「博士、これからどこへ ?」
「イモガラ山のふもとにある樹海です」
歩き始めて十分くらいした頃。
「…あら ?」ふと、うり子さんが足を止めた。
「誰かが、後ろから追いかけてくるみたいだわ」
「えっ ? 僕には何も…」
「この子たちがそう話しているし、私も気配が近づいているのを感じるわ。そろそろ声が聞こえるはずよ」
「え~っ、すげーなぁ~うり子さん ! もしかして超能力者 ?」
シシゾーが、単純に驚いているぞオレは、といった声でうり子さんをほめた(うり子さんはちょっと戸惑ったが何も言わなかった)。
僕らは少しの間立ち止まって、様子をうかがった。
すると、
「…ド~クタァ~ ! ヘ~イ ! ド~クタァ~ !」
甲高い、聞き覚えのある声がどんどん近づいてきた。そして、だいぶ近くなってきたな、と思ったその時、
「スイマセーン、ドクター待ってクダサ…キャーアァ !」
ズサササドサササッ ! !
「えっ、な、何 ? 何 ? ? ?」
僕らは急いで、声のした方へ向かった。そう遠くは離れていなかった。
そこにはまぎれもなくワール=ボイドが、土と葉っぱまみれになって、ちょっと下り坂になった斜面にうつ伏せになっていた。それでも僕らに気がつくと、パッと顔を輝かせた。
「イエス ! 間に合ったみたいネ ! ワタシも一緒に行くわヨ !」
「な、なんで君が… ?」
「この前研究所を訪ねた時、偶然聞いちゃったのヨ」とボイドは言った。
「例のキノコのこと ! たしか満月の夜、って言っていたから、もしかしたら今日かな、と思って。それで研究所へ行ったら、ちょっと前に皆もう出かけたって言うから、ダッシュで追いかけてきたのヨ ! だからヨロシクネ~」
「いいんすか、博士 ?」僕は、博士の方を振り返った。
「うーむ…仕方がありませんねェ」と博士は苦笑いした。
「ボイドさん、あなたも忙しい合間をぬって、ずいぶん熱心に訪ねてこられましたからね。いいでしょう、ついておいでなさい。ただし、」博士は急に真面目な顔つきになった。
「今こそアナタは、皆さんに本当のことをお話しすべきですよ」
僕とシシゾーとうり子さんは、一瞬顔を見合わせた。
「本当の…こと ?」
うつ伏せから起き上がったワール=ボイドは、服についた汚れをバシバシ払い落として、一息ついたあと、言った。
「そうなのヨ~。実はワタシ、この島の者ではないのデス」
「あ~、そうだった ! 今思い出した」
僕は思わず、ポン、と手を打ってしまった。
「え、そうなの ?」
うり子さんが、目を丸くした。
「なんだよイノ~、さっきから聞いてりゃ、お前もうこの子と知り合いだったのかよ、ずるいなぁ」
「いや、ずるいとか、そういう問題じゃないんだよ、シシゾー」
「…う~ん、まあそうよネ~」
再びボイドが言った。
「だってワタシ、ワイル島の…」
「まあまあ、ひとまずそれぐらいにしておきましょう」
と博士が、自分でふっておきながら間に割って入った。
「まずは、暗くなる前に、キノコのありかを突き止めなければなりません。湖の南側へ回って、イモガラ山のふもとへ近づいていきましょう」
僕らは、研究所の南にある森の湖をぐるりと回って、少しずつイモガラ山のふもとへ近づいて行った。緑が次第に深くなってゆく。
「ほら、皆さん。これが“フェアリーリング”ですよ。可愛らしいですねェ~」
ウリ山博士が指さした地面には、小さくて赤いキノコがたくさん集まり、輪を描いて生えていた。確かに可愛らしかった。
「ビューティホー !」とボイドが、たいそう感激した面持ちで言った。
「これはまたなんて素敵なのかしら !」
「オレ、昔この赤いの、食べたことあるぜ」とシシゾーが言った。
「一口かじっておいしかったから、もう一口いこうかと思ったら、頭がグルグル回ってきちまってさ。それから三日間は寝込んでたらしいよ。でもそれ以来、オレキノコを見ただけで毒かどうか分かるようになったんだ !」
エヘン、と胸を張るシシゾーに、
「まあ、それってちょっとクレイジーよネ」
さらりとボイドが言ってのけた。シシゾーは明らかにムッとした表情をしたが、その場はとりあえず黙ってすませていたので、僕は内心ちょっと面白かった。お前の方こそ超能力者だな、シシゾー。
僕らはさらに歩き続けた。イモガラ山に近づくにつれて、緑はますます深みを増してゆき、木漏れ日はまるで、頭上のはるか彼方から落ちてくるように見えた。
ウリ山博士が、この辺りでいったん休憩しましょうか、と地面に腰を下ろした。
「おっ、やっと腹ごしらえできるってことッすね !」
シシゾーが、担いでいた袋から、お茶とおにぎり、唐揚げなどをいそいそと取り出した。
「さあ、皆で食べようぜ」
ワール=ボイドは、おにぎりを見るなり、これ、ライスを固めてあるの ? と言って一つ手に取り、おもむろにかじった、その直後、いきなり叫んだ。
「何ヨこれー ! スッパイー !」
どうやら梅干しおにぎりだったらしい。
「何だよお前、梅干しも知らねーのかよォ」
すかさずシシゾーがからかった。ボイドも負けずに応戦した。
「シャラーップ ! ありえません、これは ! ワタシはちょっとダメだワ~。(ここでうり子の方を見て)ねえアナタ、よくこれが食べられるわねェ」
「私たちは、これを保存食にしているから慣れているのよ」
うり子さんは、全く動じずに言ったあと、少し声を潜めて続けた。
「それより、あなたの方こそ、そんなに大きな声を出したらバレてしまうわよ…さっきから気になっていたのだけど、誰かが私たちの後をつけてきているみたい。それも何人か、ね」
「エッ ? どういうこと ?」
まだ残る梅干しの余韻と、いきなり謎をかけられたような不可解さに、ボイドが口をとがらせていると、
「…ついに見つけましたぞ、姫様 !」
いつの間にか僕たちの背後には、見かけない風貌の男と、そしてなぜかイノガタさん、シシヤマさんがいた。
「あらァ~ ! 見つかっちゃった☆」
と、ボイドが舌を出した。
「皆さん、突然のご無礼をどうかお許しください」
と、見かけない風貌の男が言った。
「こちらにおわしますお方は、ご本名サトコ=カンパリーニョ=ボードウィル様、わがワイル王室の第一王女であらせられます。そして私は、ワイル王室から極秘に派遣されました使者でございます」
「マ、マジかよ ! ?」
シシゾーが仰天した声を上げ、うり子さんも一瞬言葉を失った。
ところがウリ山博士は、別に驚きもせず、
「おやおや、そうでしたか。わざわざイモガラ島まで、ご苦労様です」
「ウリ山博士 ! このたびはご高名な博士におかれましては、姫様が大変お世話になりまして、全くお礼の言葉も見つかりません」
「確か去年のお祭り以来でしたな。お姫様はキノコにいたく興味をお持ちのご様子でしたね」
「そうなのデス」と、ボイドが話に割り込んできた。
ボイドは、改めて皆の前に向き直ると、ちょっと姿勢を正して、話し始めた。
「ワタシの住むワイル島は、石油とか鉱物とか、そういう資源には恵まれているのだけど、その反面農業には適していないのデス。だから自給率が低くて、ワイル島では収穫できない野菜などが色々あって…
そんな中、ちょうど一年前のこと、このイモガラ島で毎年行われる『キノコフェスティバル』というお祭りがあるでショ、ワタシはそのお祭りにワイル島で初めて来賓として呼ばれたのヨ~。
そこではあらゆるキノコがた~っくさん並べられて、皆がもう夢中でキノコを食べまくっていたワ。ワイル島ではキノコなんてめったに手に入らないから、もうビックリして。それでワタシ思ったの、“いつか農家のヨメになりたい”って」
僕らは一瞬あぜんとして、ワール=ボイドを見た。
「え、えーと、なんでそこでまた唐突に“農家のヨメ”なのか分からないんだけど」
「あらァ~イノ、キノコ農家にヨメ入りすれば、毎日キノコ食べ放題じゃない !」
わかってるのかなぁこの子は…と呆れつつ、僕はイノガタさんとシシヤマさんの方を振り返った。
「イノシチ、まさかお前も一緒だったとはね」
「イノガタさんたちは、どうしてここへ ?」
「今日は非番で、久しぶりにシシヤマと会う予定だったんだが、この使者の方と偶然出会ってね。そちらの…姫様の目撃情報を得たというので、私も急きょ約束を切り上げてご一緒することになったんだよ」
「ちぇっ、どこまでもお人好しな奴だよ。何もオレまで一緒に…」
とシシヤマさんが毒づいたが、
「その割には、案外自分からついてきてくれたじゃないか、シシヤマ」
「む、そ、それはだな」
イノガタさんにバラされて、むくれてそっぽを向いたシシヤマさんの横顔がちょっと照れていた。
その横では、ボイドが使者と久しぶりの再会を果たしていた。
「ねえ、ワタシたちこれから、伝説のキノコを見つけに行くのヨ。アナタも一緒についてきてちょうだい」
「は ! ? 何故私まで…」
「お願いよ、このためにワタシは博士の研究所を訪ねていたのデス。うまくいけばワイル島でもキノコが採れるかもしれない」
ボイドの目は、今までになく真剣そのものだった。
「だから、自分の目で確かめたいのヨ」
そして、総勢八名になった僕らは、さらに歩き続けた。
どれくらい歩き続けただろうか。
日はすっかり傾き始めていた。木陰はもう薄暗いままで、そのまま翌朝まで目覚めないようにさえ思えた。
「あ、あっちの方がぼうっと光ってるッすよ」
シシゾーが、少し先の暗闇を指差した。キノコの傘が、闇の中に青白く光って見える。
「あれはツキヨタケです。ホッホ、月夜の晩におあつらえ向きですねェ。しかし、あのキノコもまた、毒キノコなんですよ」
と博士が笑った。
「もうすぐ日が暮れそうですね、大丈夫でしょうか」
とワイル島の使者が気をもんだ。
「せめて日の暮れる前には、キノコのそばまで辿り着きたいものですな」
と博士が言った。
「うり子や、そろそろ彼らに頼んでくれないかな、足もとが分かるように照らしてほしい、とね」
「分かりましたわ、おじさま」
すると、うり子さんの背後から二つの青白い炎が急に燃えだし、一つは僕らの先頭へ、もう一つは僕らの後ろへ移動した。二つの鬼火に守られるように照らされながら、僕らは先を急いだ。
日暮れ時というのは、よほど意識していないと、いつの間にか太陽は跡形もなくなっていて、空はたちまち、星のスパンコールをまとった闇のカーテンで覆われてしまう。そのうち夜空には灰色の筋雲が尾を引いて伸び、その向こうにはいつの間にか、まん丸い月が声を潜めるように、静かに輝いているのだった。
「あ~疲れた。ちょっと休みましょうヨ~」
「ボイドさん、あともう少し頑張ってみましょうね」
ワガママを言うボイドを、博士がやんわりとたしなめた。
その時、
「…ん ?」
ふと僕は、数メートル先に、何か白くて丸いものがあるのを見つけた。
「どうしました ? イノシチ君」
「博士 ! あれは一体何でしょう ? 白い…卵みたいに見えるッすよ」
「卵…もしかしたら !」
僕たちは、おそるおそる、その白い物体に近づいてみた。
手の平に乗りそうなほど小さい、卵状の丸いものが、まるで何百年も昔からそこにあった石のようにたたずんでいた。
「ふ~む…」ウリ山博士が、メガネをかけ直しながら言った。
「動物の卵のようでありながらも、表面は実に柔らかいもので覆われていますな」
「博士、これがおっしゃっていたキノコの… ?」
「うむ、その可能性は高いですよ。よく見つけましたね、イノシチ君 !」
博士が珍しく、鼻息を荒くして興奮していた。
「ちょうど今は、月が雲に隠れていて見えませんが、やがて姿を現し、夜空に高く昇った頃、この卵を照らすのです。月の光を受けた後は、次第にこれが殻のように固くなり、やがて破れて中から花が咲くはずです。今夜はここで野宿することにしましょう」
「なんと、野宿ですと !」とイノガタさんが、にわかにあわてた様子を見せた。
「私はもう戻らなければ、職務が…」
けれども、あっけなく博士に遮られた。
「まあまあ、おまわりさん。たまにはいいではありませんか、せっかくここまで来たのですから。世紀のキノコショーをご覧ください。ほら、やっと月が出てきた ! これからが見ものなんですよ~」
「大丈夫だってイノガタ、『要人の警護にあたっていた』と言えばいいさ」
シシヤマさんが、いたずらっぽくニヤリと笑った。
ようやく姿を現した月が、雲を追い越してどんどん高く昇ってゆくと、次第に例の白い卵が明るさを増し、綿毛みたいにフワフワしていた表面が、どんどん石のように固くなっていった。
僕らは息を潜めて、それに見入っていた。
…が、五分待ち、十分待ち…三十分…一時間…待てども待てども、そこから一向に変化しない。
「おやおや、どうしたんでしょうねェ~」
博士が心配そうに、卵の表面を撫でたり、叩いたりし始めた。あ、オレもオレも、とシシゾーが、そしてワール=ボイドや他の皆も、こぞって卵に触れてみるものの、卵はうんともすんとも言わない。
僕は、あんまり触りすぎちゃマズイんじゃないかと思い、ちょっと離れた所から見ていたけれど、博士たちがイノシチ君、君もぜひ触ってごらん、としつこいので、うーん…と思いつつも卵に近づき、おそるおそる手で触れた後、コン、コン、とノックしてみた。
するとその直後、
ピシィ ! という、弦が弾けたような音とともに、いきなり卵にズサァァァとヒビが入り、
パカッ
と開いた。そして中から、月の光に手を伸ばすかのように、スルスルスルスル、とツタが長く長く伸び、僕らの頭上を見下ろすあたりで止まり、その先端がゆっくりと起き上がったかと思うと、プワァ…と桃色の花が開いたのだ !
花びらの先からは、粉の固まったみたいなものが次々と舞い、それらは地面に落ちた瞬間、キノコに姿を変えた。
キノコはあとからあとから増え、そこらへんの地面を埋めつくした。
「け…賢者… !」
感動のあまり、シシヤマさんが呟いた。
後日。
イモガラ島恒例のお祭り、“キノコフェスティバル”が、盛大に開催された。
ワール=ボイドは、来賓・ワイル王室サトコ姫として、手厚い歓迎を受け、前年に引き続き、彼女を記念して造られたイモガラ酒『プリンセス・サトコ』が会場内で限定販売された。僕ももちろん購入した。今度はちゃんとそれと知っていて買ったんだ。
例のキノコはあまりにもどっさり採取されたばかりか、地面に落ちる前の“キノコの素”を博士が抜け目なく採取してくれたおかげで、ワイル島でもそのキノコの栽培が試験的に行われることになった。
「これでワイル島でもキノコが採れるのネ !」とボイドは大喜びし、ワイル王室の使者は、国に戻ったらイモガラ島との交流を正式に(物資のみならず島民同士も)認めるよう手配する、と約束した。
そして僕は、イモガラ島とワイル島との親善大使に選ばれ…また一つ“伝説”になってしまった。
急きょ設けられた『親善大使就任式記念式典』の席上にて。
僕は、成り行きでスピーチをすることになってしまい、仕方なく壇上に足を運んだ。
ぎっしりひしめく群衆の間から、「よっ賢者 !」とか、「賢者が手を触れたら卵が割れたんだぜ !」とか、「賢者がワイル島を救った !」とか、もういろいろな声が聞こえてくる。
僕はだんだん、ヤケクソな気分になってきた。「賢者 ! 賢者 !」コールがどんどん大きくなる…
ついに意を決して僕は、鼻の横についている牙を外した。
そして、イノシシの皮を頭だけ脱いだ。
一瞬、一同がシーンと静まり返った後、やがて騒然となった。
僕は口ごもりながら、言った。
「えーと…あの…見ての通りです。
僕はその、どうやら…イノシシじゃないらしいんで…
そのォ…賢者でも何でもありません !」
しばらく観客たちはザワザワしていたが、やがて誰かが言った。
「おいおい、だから何だっていうんだい ? いいじゃねェか、別にそれぐらい」
すると、それに続いてあちこちから声が上がった。
「たとえアンタがイノシシじゃないとしても、アンタはずっとイノシシとして生きてきたんだろ ?」
「別に不便なわけでもないんでしょ ? ならいいじゃない」
「オレなんか仕事をクビになったんだぞ ! それに比べりゃあ、どってことないよ」
予想外の反応に、僕が戸惑っていると、
「ねえ、誰が何と言おうとも、イノシチさんはイノシチさん、でしょう ? 他に一体何が違うっていうの ?」
ひときわ大きな声が響いた。
その声は、カ、カリンちゃん ! 最前列で見てくれていたのだ。緊張のあまり、気がつかなかった。
「…イノシチ ? アンタ、イノシチさんていうのか ! 初めて知ったよ」
また別の誰かが、驚きの声を上げ、周りがそれに頷いた。今度は「イノシチ ! イノシチ !」
コールが沸き起こった。
僕は少しだけ安堵し、また頭の皮をかぶり直し、牙もつけ直してから、言った。
「…そうです。僕は、イノシチです。
僕の名前は、イノシチです !」




