第六章 賢者のたしなみ
こうして僕は、またしても似顔絵代を払ってもらえず、ああまったく、今度ボイドに会えるのは一体いつなんだろう ? と困惑しながらも、またいつもの日常に戻っていた。
そんなある日のこと、たまたま早めに似顔絵描きを切り上げ、とりあえず帰ろう、と僕は道を歩いていた。
と、そこへ、大層あわてた様子で、自転車をシャカシャカこぎまくっているイノガタさんに会った。
「あっ ! イ、イノシチ ! い、いい所で会った、ハァ、ハァ…」
「一体どうしたんすか ? そんなに急いで…」
「じ、実はな、さっき派出所に…」
流れる汗を拭こうともせず、イノガタさんが一気に(それでいて小声でヒソヒソと)話してくれた内容はこうだった…
* * * * * * *
イノガタさんは、その日もいつものように出勤し、キャンディを落として泣いている女の子に新しいのをあげたり、道に迷ったおじいさんを家まで送ったりした後、派出所で書類に目を通したり、机の上のホコリを掃除したりしていた。
そこへ、一風風変わりな、このあたりでは見かけない風貌のお客が現れたのだった。
「どうも、はじめまして」と、執事風というか、貴族的な感じのお客は言った。
「私は、ワイル島より派遣されました、ワイル王室の使者でございます」
「…ワイル島 ? ああ、このイモガラ島から定期便が出ているお隣の島ですな。ようこそ、イモガラ島へ…といいますか、そもそも島民同士の行き来はほとんどないに等しいはず。ましてや伝統あるワイル王室の方が、なぜこのような所へわざわざ…。これは、何かお忍びの事情でもおありなのですかな ?」
「はい、お察しの通りです」と、ワイル島・ワイル王室の使者は、申し訳なさそうに頭をかいた。
「実は、極秘にある方を探しに参りまして…」
そう言って彼は、一枚の写真をイノガタさんに見せたのだった。
「 ! ! こ、これは…」
そこには、確かにイノガタさんも会ったことのある、鼻にピアスをした女性の姿が。
(こ、このプライドの高そうな、それでいて気品がある…華がある…間違いない、あの彼女だ ! ん、そういえばさっき見ていた書類の中にも…)
ある確信に至ったイノガタさんは、ふと思い出し、机の上の書類の中から、一枚の「情報提供求む !」と書かれたチラシを取り出した。
はたして、同じ写真がそこには載っていた。
「やはり…内々では既にご存知でしたか。こちらの写真のお方こそが、我がワイル王国の王女様であらせられるのです」
(な、何ということ ! 私は一国の王女に対してあんな無礼な口のきき方を…)
イノガタさんは絶句した。冷や汗が背中をゾクーッと伝わっていった。
が、つとめて平静を装いつつ、言った。
「そ、そうでしたか ! いやーこのお方が…お恥ずかしいのですが、私どもイモガラ島の住民は、そちらの王室の方々についてはほとんど存じ上げておりませんで」
「無理もないことかと思われます。王室の存在は、ワイル島におきましても大変神聖なものとして崇められているのです。島の守り神の子孫とさえ言われているほどなのですから。姫様は…まあここだけの話ですが、なかなか破天荒なお方でして…前々から外の世界へ出たいと言って聞かなかったのですが、実は二ヶ月ほど前から行方がわからなくなりまして」
「えっ、それはまさに時期的に…あ、いや、続きを聞かせて下さい」
「そして、どうやら姫様は、イモガラ島行きの定期便に潜り込み、イモガラ島に“密入国”してどこかに潜んでおられる、という情報をつかんだのです。おそらく、一年ほど前に、初めて来賓としてイモガラ島のお祭りにお呼ばれしたことが、よほど印象深かったのでしょうな。これはあくまで、私の推測ですが」
「お祭り、といいますと、イモガラ島最大のお祭りといえば、やはり『キノコフェスティバル』ですね」
「そうです。わが国ではキノコは大変な貴重品、あれほどの規模で実物のキノコに触れることができる機会はまずあり得ません。あれ以来、姫様はいたくイモガラ島、さらにはキノコにご執心で、『将来は農家のヨメになる』と言って聞かないのです」
「はぁ、それは苦労されているのですね」
「そうなんですよ。もういやんなっちゃう…あぁいや、失礼、独り言です。
…ですが、これは水面下にて極秘に調査を進めております。あまり公にしてしまうと、かえって姫様や王室の皆さまに危険が迫るとも限りません。王室の財産に目をつける荒くれ者どもがおりますゆえ、表向きは何事もないかのように振る舞う必要があるのです…
おっと、いささかお話がすぎてしまいましたな。では私はこれにて失礼。何か手がかりが見つかりましたら、こちらまでなにとぞよろしく」
ワイル島の使者は、極秘の連絡先のメモをイノガタさんに手渡し、足早に去っていったのだった…
* * * * * * *
「…いやあ、もうその時の驚きといったら !」
と、イノガタさんは、まだ興奮を抑えきれないまま、必死に声をひそめて話した。
「僕だってビックリですよ !」
と、僕もあいづちを打った。
「だって、王室の姫様が、この僕にツケがあるんですよ ! 王室にワケを話せば、きっと倍になって返って…あぁ、いえいえ、嘘ッす」
「とにかく、本当にこれは、内々だけの機密事項だよ」
とイノガタさんが言った、その時、
「あ~、見て見てあれ~ ! あれテレビでやってたよな」
「あっホントだ ! このまえオレもテレビで見たよ、ケンジャのタシマミ…タシナ…ミ、なんだってよ !」
何やらウリ坊の男の子たちが、僕らを見て話しているではないか。
「んとォー、んとねー。ケンジャはあんまり大ごえでしゃべっちゃいけないんだって。そんでさー、あいてにわかるぐらいのこえでしゃべるのがえらいんだよ」
? ? ?
それの どこが ケンジャなんすか ?
…ケンジャ…賢者 ! な、何だそれ ?「テレビで見た」だって ! ?
何てことだ。あれから僕も、バイトやら何やらで忙しくなって、家に帰る頃にはもうテレビは終わってるし(イモガラ島には深夜放送がない)、そもそもふだんはあまりテレビも見ないので、イマドキの話題にはあんまりついていけなかったのだ。
何気ないフリをして、僕はイノガタさんに耳打ちした。
「イノガタさん、あの子たち“ケンジャ”とか何とか言ってますけど、あれ何なんすかね ?」
「ああ、最近“賢者ブーム”とかいうのが流行ってるらしいなあ」
いともあっさりと、イノガタさんは答えた。ガーン。この“カタブツ代表”イノガタさんまで知ってたなんて !
「この前偶然テレビをつけたら、ほら何だっけあの、にぎやかな三人組がやってる番組でね…これからの時代は賢者が熱い ! とか言ってたよ」
熱くなれるようなものなのか ? と思いつつも、僕はその番組って確か今夜だったはず、と思いを巡らせていた。
こういうのもたまには悪くない。何しろ、自分から積極的に行動を起こすこと自体久しぶりだ。ここ数ヶ月の僕といったら、それこそ何かしらに流されてばかりで…あ、でも、今また僕は“賢者”なんてものに流されつつあるってわけなんだけど。
その夜、家に帰った僕は、テレビの周りを掃除し、とっておきのイモガラ酒『プリンセス・サトコ』とおつまみを用意して、番組が始まるのを待った。
そして数分後、タイトルが、どーんと画面に現れた。
『イノシシ探検隊がゆく ! 追跡“賢者ブーム”』
「ハイハイハ~イ今週も始まりましたよォ皆さん ! さあ、“賢者ブーム”がにわかに浸透しつつありますが、もう皆さんご存知ですよね ? エ、まだ ? そんなアナタもこれを見ればバッチリ !」
…早くもイヤな予感。
「さーて、今日は“賢者ブーム”の火付け役ともいえる素敵なゲストの皆さんをお呼びしてますよォ~。それでは紹介しましょう、フリーライターのシシヤマテルオさんと、お友達の皆さんで~す」
… は ? ? ?
そこにはまぎれもなく、シシヤマさんとその友達が映っていた。確かに居酒屋で会った…
「いやいやいや、シシヤマさんお久しぶりッすねー」
「あーいやいや、こちらこそ。田舎に帰ってたもので」
と、シシヤマさんが笑った。このお笑い三人組とも知り合いだったとは !
「…さて、今夜は“今さら”ですが、ここでまたきちんと『賢者のたしなみ』についておさらいしたいと思います ! コマーシャルの後、シシヤマさんに詳しく教えていただきましょう~」
(と、ここでカメラが寄り過ぎて、シシヤマさんの鼻の穴が真正面からドアップで映し出された。うへぇ。)
そしてコマーシャルも終わり、また番組に戻ると、シシヤマさんが何枚かのパネルを示しつつ、語り始めた。
「えー、それではまず、もう一度『賢者のたしなみ』について説明します。
賢者たるものには、大きく分けて七つの“たしなみ”と呼ばれるものが存在します。これを最初に提唱したのが、かの有名なイノガタ・シシノシン氏、子どもたちの養育施設『イノハウス』の創設者にして、私の祖父であります。そして、その“たしなみ”七ヶ条をこちらのパネルに示しました。
一 賢者たるもの 優しくあれ。
二 賢者たるもの 思慮深くあれ。
三 賢者たるもの 大声でわめくべからず。
四 賢者たるもの やるべき時はやるべし。
五 賢者たるもの ひとところに収まるべからず。
六 賢者たるもの 世界の広さを決めつけるべからず。
七 賢者たるもの 時に立ち止まり 別の足跡を探るべし。」
(この前子どもたちが言っていたのは三つ目か。なるほどね)
「そしてこちらのマークですが」と、シシヤマさんは別のパネルを示した。
「これこそが、賢者の精神を象徴するシンボルマークであります。コンセプトは、このように上下、横といくつも分かれ道がありますね、これがあらゆる物事の可能性を示すものであり、同じものでもいくつも選択肢があるよ、という自由な精神の表れなのです。
そしてつい先日、我々はこのマークを身につけ、その精神を地道に伝え続けている同志を発見しました ! それがこちらの、似顔絵描きの青年であります」
…エェェェェー ! ?
僕は我が目を疑った。
こ、これは僕の写真ではないか ! ! いつの間に撮られていたんだ ? しかも他のパネルより一回りも二回りも大きい。相当引き伸ばしたな。
「ほら、皆さんよーく見てください、ここにこの“賢者マーク”があるでしょう。彼は私たちの知らないうちに、この思想を広めてくれていたのです」
こちらこそ知りませんってば ! あぁ~もう、一体、何だってこんなことになってるんですかぁ ? ムニャムニャ…
……いつの間にか、外がすっかり明るくなっていた。
電話が鳴り続けている…うーん、出たくない。頭が重い…けれど、仕方なく出た。
「…はい」
「おーイノ ! すげーなお前、いつの間にテレビ出演かよォ ! ビックリしたぜ、オレこれから仕事行くけど、仲間にもお前のこと話しておくから任せとけよ ! あ、でも皆とっくに知ってるかもなぁアハハ、じゃーな !」ガチャリ。一方的に話してさっさと切ってしまった。これは間違いなくシシゾーだな…と思っていたらまた電話が。
「なんだよシシゾー」
「あ、ごめんなさい、私カリンよ」
「うわっ、ご、ごめんねカリンちゃん、実はシシゾーが…」
「うふふ、気にしないでイノシチさん、なかなか電話がつながらなかったのよ。すごいわね、ついにテレビにまで出ちゃうなんて」
「えっ、あ、いやその、あれはね…」
「それより、今朝のニュース番組見た ? 街の大通りがすごいことになっているそうよ。確かあの辺りよね、いつも絵を描く場所って」
「ど、どういうこと ?」
「とにかくニュース、見てみて☆」
カリンちゃんに言われたら、もう見てみるしかない。僕は急いで、テレビのチャンネルをニュース番組に合わせた。
「……えー、再度現場からお伝えします、すごい数のイノシシの群れです ! ここが噂の“賢者”が現れる場所ということで、昨夜のテレビ番組を見た皆さんが大勢集まってきています。早くも似顔絵を描いてもらうための行列ができて…」
ちょっと待て今日定休日なんすけどー ! !
「ね ? すごいわよねェ~ !」
「どうしようかな ? 行くまでがすでに大変そうだけど…」
「でもイノシチさん、これってチャンスよね ? 皆あんなに待ってるんだし、行ってみたらどう ? きっと喜ばれるわよ」
「うーん、そうかな ?」
というわけで、やや緊張しながらも、僕はとりあえず、いつもの絵を描く場所へ向かった。
ところが、ほどなくして道がイノシシの群れで狭まってゆき、どんどんギュウギュウに押され始めた。前にも後ろにも進めなくなってしまって、これはマズイ、と思い始めたその時、
「あ ! いたぞー ! ついに賢者のおでましだー ! !」
思わずビクッとしたので余計目立ってしまい、
「うわーい、賢者、賢者ァ !」
あっという間に僕は軽々担ぎ上げられ、群衆の頭の上を、まるで運動会の大玉送りみたいに運ばれてしまった。
なすすべもなく、されるがまま流されてゆく中、ちょっと離れた所で満足そうにタバコを吸っているシシヤマさんの姿が見えた。
どう見ても、これはシシヤマさんのしわざではないだろうか…僕はちょっとだけ憤りを感じていた。
それからしばらくは、もう大変だった。
あまりにも大勢の行列(+ヤジ馬)ができてしまったので、一番早く並んだお客さんから数えて十名限定で似顔絵を描くことにした。描いている間にも、テレビや雑誌のインタビュアーがひっきりなしに訪れたり、前から後ろから横から、あらゆる角度から写真を撮られたり、頭をなでられたり、拝まれたり、おかげでちっとも絵に集中できなかった…とりあえず、どうにか頑張ったけど。
最後の一枚に至っては、どんな言葉を添えようか、などと考える間もなく、「僕は賢者なんかじゃありません」と半ばヤケクソで付け加えてしまった。それなのに、受け取った方にはかえってそれが“ケンソン”していると映ったらしく、「さすが賢者さん、思慮深いお方なんですね~」なんてほめられてしまった…
「よォ ! 大繁盛だったな、イノシチ !」
ぐったりと座り込んでいたところに声をかけられ、ふと顔を上げると、そこにはシシヤマさんがビールを片手に立っていた。お前も一本どうだ、と、よく冷えた缶ビールを手渡してくれた。
「…シシヤマさん」
僕は、ちょっとシシヤマさんを睨みながら言った。
「どうして、僕の写真を勝手にテレビ公開したんすか ? プライバシー侵害じゃないッすか」
「あぁ、それなんだがな」とシシヤマさんは申し訳なさそうに言った。
「オレとしては、賢者の精神を世に広めたい一心だったから、お前が同じマークのバンダナをつけていたのでつい嬉しくなっちまってな。まさかここまで大騒ぎになるなんてな…すまなかった」
「でも、僕はただ、偶然このバンダナを身につけていただけッすよ。それなのに…」
僕らはしばらく黙っていた。
ようやく、シシヤマさんが口を開いた。
「でもなイノシチ、オレは決して無断で写真を撮ったりしたわけじゃないぞ ? あれはお前の常連客さんからお借りしたんだよ」
「えっ…もしかして、カリンちゃん…」
「そうとも」とシシヤマさんは、驚きもせず言った。
「お前、ちょっとあの娘に弱いトコあるんじゃないのか ? なんでも彼女、こう言われたらしいぞ、『いや~どうぞどうぞ、写真でも何でも撮ってくださいよ。それをどこかで宣伝してくれたら嬉しいな~』ってな」
僕は恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
その時ハッキリと思い出したのだ。初めてカリンちゃんと出会った時のことを。
カリンちゃんは僕の絵を本当に素敵、大好きです、と何度もほめてくれて、他の皆にもぜひ教えてあげたくなります、と絶賛してくれたのだった。
その返答として、僕は確かにそう言ったのだ ! あとから思うと他力本願な言葉だったとは思うけれど…
それ見ろ、と言わんばかりにシシヤマさんは続けた。
「男に二言はないぜ、イノシチ。仮にもイノシシなんだからな、そのへんのプライドと仁義は守り通さなきゃならんぞ。それにそもそも、こういう商売は顔が知れてなんぼのもんだろ ? プロモーション活動ってのは必要だと思うがね。好きでやってる商売なんだろう ? でなけりゃお前、一体何のために絵を描いてるんだ ?」
その日の夜、僕はいつまでたっても眠れなかった。
“何のために絵を描いてるんだ ?”
シシヤマさんの言葉が、ずっと頭の中をぐるぐる回っていた。
僕は、小さい頃から絵を描くのが好きで、ヒマさえあれば花や木や、空の絵ばかり描いて過ごしていた。
長いこと『イノハウス』で生活していて、いろんな子たちと一緒に遊んだりしたけど、中には僕を変な目で見る子もいた。
その子の視線から逃れるかのように、僕はますます絵に没頭していったようにも思う。
…いや、でもそれは、ほんのささいなトゲみたいなものだった。今にして思えば、何ということはないはずだ。そこまで暗い理由では…
それからさらに後、高校生の頃。
初めてシシゾーと出会った時、アイツは僕を見るなりこう言ったんだ。
「よっ ! なんかお前って、食べたらうまそうだな !」
周りにいた同級生たちが爆笑した。一瞬僕はムッとしたものだが、
「でも、オレの方がもっとうまいぜ、きっと !」
なんて続けられたので怒るに怒れず、僕もつられて一緒に笑ってしまった。コイツ、いい奴かもしれない。そう思った。
そしてシシゾーは、僕がノートに何気なく描いていた担任の先生の似顔絵に目をやり、いかにも楽しそうな顔をして言った。
「ふーん、お前の絵もうまそうだなぁ。オレ好きだよ、こういうの」
それは僕にとって、これまで聞いた中で一番心に残るほめられ方だった。
シシゾーは僕の絵を通して、僕という存在を受け入れてくれた。それが嬉しかった。
そうか…久しぶりに思い出した。
でもそれを考えていたら、ますます眠れなくなってしまった…




