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イノシチ【2009年発行版】  作者: 宮本小鳩
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第五章 久しぶりの再会

 それから約一ヶ月後。僕は相変わらず、自分がイノシシなのかどうか、悩みながらも絵を描いて暮らしていた。

 以前のように、ただ絵を描くばかりではつまらないので、その時自分が思っていること、何気なく思いついたことなんかを書き添えたりもしていた。

「イノシチさーん ! お久しぶり♪」

 聞き慣れた声で昼寝(うたた寝)から覚めた僕の目の前には、あの“お客さん第一号”の女の子こと、カリンちゃんがニコニコしながら立っていた。

「あっ…久しぶりだね ! 元気だった ?」

「うん、まあ…元気だヨ」

 と照れたように笑う彼女。そういえば、前に連れてきた例のイケメンの姿が今日は見当たらない。

 今日は彼氏一緒じゃないんだ ? と探りを入れてみると、実は別れちゃったんだ、と彼女は舌を出した。

「だってアイツ、すぐ他の女の子にもちょっかい出そうとするんだもん…やっぱり女友達っていいわよね、気がねなく話せるし。あ、イノシチさん、紹介するね、私の友達のうり子よ。会社の同僚なの」

「…あ、はじめまして」

 いつの間にか、彼女の隣にもうひとり女性が立っていた。うり子と呼ばれたその女性は、僕を見て小さくおじぎをした。

 うり子さんは、カリンちゃんと比べると、かなり地味なタイプに見えた。明るく快活そうなカリンちゃんと対照的に、一見すごく無口そうで、だけど女性らしいおしとやかな感じもした。

「うり子、せっかくだから似顔絵描いてもらったら ? イノシチさんの絵はステキなのよ」カリンちゃんは盛り上げ上手で、それにおだて上手だ。

 僕もすっかりいい気になって、カリンちゃんの紹介だから、今回だけは安くしますよ、などと口走ってしまったのだが、

「いいえ、そのままのお代で結構です。お願いします」

 ああなんていい人だ。僕は早速、うり子さんの絵を描き始めた。

 改めて正面から見てみると、なかなか悪くない。

 … ? 不思議だ。彼女の後ろの景色が、ゆらゆら動いて見える。蜃気楼 ? 火の玉 ?

「…ねえ、君の後ろに誰かいる ?」

 思わず口走ってしまった。言ってから、しまった、と思った。

 うり子さんはちょっとびっくりした顔になったが、やがてゆっくりと微笑んだ。

「……そう、あなたにも見えるのね ? …嬉しい」

「えっ ? 何、何のこと ? 私何も見えないんだけど〜」

 カリンちゃんはちょっぴり悔しそうだった。

 そして、うり子さんの絵が出来上がった。後ろに見える二つの…火とも何ともよくわからないもの…も気持ち描き加えてみたら、うり子さんは喜んでくれた。僕はさらにこういう言葉を書き添えた。


「友達にも言えない秘密がある」


 そう、これはまさしく僕のことかもしれないし、このうり子さんも、もしかしたらそうなのかもしれない。そんな思いからだった。ふーん、なんだか意味深な言葉だよね、とカリンちゃんは笑い、この言葉の通りかもしれませんね、とうり子さんも小さく笑った。

 ふと、カリンちゃんが言った。

「ところでイノシチさん、このあと時間ある ?」

「えっ ? うん、大丈夫だけど ?」

「本当 ! ねえ、よかったら今夜、皆で食事しない ? あ、そうだ、シシゾーも誘ってみようよ」

「えっ、シシゾー、ってもしかして…」

「そう、プロテイン男」とカリンちゃんはクスクス笑った。

「彼とは幼なじみなの。小、中学校が一緒だったのよ」


「…っというわけで、まずはカンパーイ !」

 気がつけばここは、僕のバイト先の居酒屋。

 このお店はわりとリーズナブルで、食事も美味しいと評判なんだ。

 店長は、初めてイノシチ君が友達を連れてきてくれた、と喜び、今夜は遠慮しないでどんどん飲みなよ、とおつまみをサービスしてくれた。

「いやー、イノがここの店員で助かったよ。今日は久しぶりにパーッとやろうぜ、オレ今月は給料多かったからさー」

 シシゾーが上機嫌でビールやおつまみに手を伸ばすと、

「でもシシゾー、アンタいっつもジムのマシーン壊してばっかで給料引かれてるんでしょ ? ってことは、今月が“フツー”なんじゃないのォ、アハハッ」

 カリンちゃんもすかさず茶化して、一緒になって能天気に笑っている。

 うり子さんも、(まあいつものことね)みたいな顔をして、ちょっと笑っている。


 …「フツー」、かぁ。フ ツ ウ、その何気ない言葉の響きが、今の僕にとっては何となくユウウツな感じに思えてくるようだった。

 僕らが座っていた席から少し離れた席には、大柄なイノシシと、その仲間たちが、酒を片手に何やら熱い議論を交わしていた。

「…だから、そんなふうにいつまでたっても“猪突猛進”にこだわりすぎてちゃいけないんだよ」

「そもそもその言葉ってさあ、我々の間じゃ本来は不名誉なたとえだったりするんだよね」

「そうなんだよ ! イノシシだということにはとても誇りを持っているが、我々だってそうしょっちゅう前ばかりしか見てないワケじゃない」

「そうそうそう ! もう今の世の中、そういうのだけじゃ追いつけなくなってきてるんだよ」

 …あれ ? あのひときわ大柄な…前にも会ったことがあるような…いやむしろ、確かに彼のことは知っている。

 とその時、向こうが僕に気づいた。

「あ…あれっ ! ? もしかして…イノシチ ?」

「あ、やっぱり…シシヤマさんじゃないっすか !」

「よう ! 久しぶり ! お前たちも、こっち来いよ」

 とシシヤマさん|イノガタさんのイトコ|が、大きく手招きした。

「あれ〜シシヤマ、もしかして彼、知り合い ?」

 仲間のイノシシが、ちょっと物珍しそうな顔で僕を見た。

「ああ、オレのイトコの弟分みたいなヤツでね。路上で似顔絵を描いたりしてるんだよ。…イノシチ、コイツらはオレの学生時代からの友人だよ。ずっと劇団で芝居をやってて、オレが田舎に帰ってた間も、こっちで細々とやってたんだよな」

「そ、それでシシヤマもまたこっちに戻ってきた、と」

 と彼らの一人は、おいしそうにビールを飲み干した。

「で、ちょうど今」ともう一人が口を挟んだ。「次の公演のテーマについて話し合ってたんだよ。ねぇイノシっちゃん(もうアダ名か)、君“賢者ブーム”って知ってる ?」

「えっ…何すかそれ ?」

「あ、わりぃ知らなかった ? といってもこれ、まだオレたちの間くらいでしかブームじゃないけど…あのさ、イノシシっていうとさ、とかく一直線に突っ走ってばかり、って印象を持たれがちだろ ?」

「うーん、まあそうですよね」

(僕自身は別にそうでもないんだけど)

「でさ、そういういわばカタブツ的思想にこだわりすぎてるのはもう古いんじゃないか、と。それでまあその…シンプルに言ってしまえば、物事にはいろいろな側面があり、いろいろな考え方があるんだ、っていう精神論 ? みたいな」

 …それのどこが“賢者”なんすか ? と思わず聞いてしまいそうだったけど、僕はかろうじてこらえた。とりあえず話は聞くものだ。

「その考えにいち早く共感したあるデザイナーが、シンボルマークをデザインして、それをあしらったグッズも実は売られ始めてるんだよな」

「そ、ほらほら、ちょうどここに…シシヤマのトレーナーの胸元、このマークがそうなんだよ」

 とシシヤマさんの仲間たちは嬉しそうに話し、シシヤマさんは誇らしげにちょっと胸を張ってみせた。

「へーぇ、これが…」

 僕らもつられてそのマークを見つめた。すると、

「あっ ! 見て、イノシチさんのバンダナにも !」

 突然カリンちゃんが声を上げた。

「…あーっ ! !」

 今度はシシゾーまで叫んだ。

「これ、同じマークじゃんか ! お前もついに賢者か、イノ !」

 シシヤマさんたちも驚いた顔をして、にわかに興奮し始めた。

「こ、これだよ、すげー ! ! やったぞシシヤマ、ここにも知られざる賛同者発見 ! !」

「ウヒョー ! 賢者にカンパーイ ! ! 賢者、賢者、賢者 !」

 ハッ ! ? ……なななな何すかこれ ! !

「シシヤマさぁ〜ん ! な、何なんですかぁこれ ! ?」

「おぅ、よかったな〜イノシチ ! これでお前もオレたちの仲間入りだな♪」

 …もうワケがわからない…


 …そして気がついた時には、すっかり朝になっていた。

 あれから僕は、どうやって家まで帰ってきたんだろうか。さっぱり覚えていない。覚えているのはただ…賢者 ? 何だっけ…そうだ、シシヤマさんがいて、賢者がどうとか言ってて、何だかワケわからないうちに僕がヨイショされてて…

 って、 賢 者 っ て な ん だ よ ? ? ?


 やっぱり、もう少しシシヤマさんに話を聞いてみなければ理解できないや。ゆうべはちゃんと帰れたのかな ? もしかしたらイノガタさんちにいるかも、と思って電話をかけてみると、イノガタさんの奥さんが出た。

「ハ〜イもしもし ? あら、イノちゃん。元気 ? え、シシヤマさん ? …ええ、まあ、来てるわよ、うん」

 どことなく歯切れが悪いな、と思いつつ、僕も今から遊びに行ってもいいですか ? と尋ねると、奥さんはちょっと困ったように笑って、いいわよいらっしゃい、と言った。

「こんにちは〜イノシチッす ! シシヤマさんいますか… ?」

 イノガタ宅に通されて真っ先に僕が見たものは、小さな山みたいな体で、青い顔して寝込んでいるシシヤマさんの姿だった(しかも枕元にはタライ付き)。

 呆れてものも言えない僕に、イノガタさんの奥さんがすかさず言った。

「ごめんなさァいねェ〜。見ての通りってわけなのよ。全くシシヤマさんときたら、昨日来るとも何とも言わないで…もうすぐ夜が明けるって頃にね、玄関の外でドスーンって物音がしたので、ビックリして出てみたらね、この人が倒れ込んでて、ミミズみたいな声で『み…水…』って言うのよこれがまた !」

 プッ、と自分のダジャレに吹き出す奥さん。

「は、はぁ」

「でもねェ、こんな重たいなりじゃ、とても私だけでは運べないでしょ ? 主人もあいにくまだ勤務中だったし、しょうがないから布団と毛布をその場でかけてあげて、主人が帰ってくるまで待っていたのよ」

「そうなんだよ〜イノシチ !」

 と、今ひと風呂浴びたらしきイノガタさんも現れて苦笑いした。

「こっちは宿直帰りだっていうのに、家の前まで来たらコイツが大いびきかいてるじゃないか。帰ってきてからまたひと仕事させられたよ」

(それにしても、寝てるとはいえシシヤマさんもひどい言われようだな)


 シシヤマさんがあの様子では、ちゃんと話を聞けそうにないや…ということで、早々にイノガタ家を後にした僕は、ふと似顔絵代のことを思い出していた。

 まったく、ワール=ボイドときたら、教えてもらった電話番号はいつかけても出ないし、ディナーショーで毎晩踊ってるとか言ったけど、わざわざ仕事場まで押しかけるほどの金額ではないし…ああもう、やっぱり僕というヤツは器が小さいんだろうか。そんなささいなことを気に病んでるくらいなら、もっと絵の腕でも磨くべきじゃないのか…ん ? 噂をすれば…ワール=ボイド !

「あらぁ〜イノ ! ハーイ、元気デスカ〜 ?」

 すごいぞ、何という偶然。相変わらず派手なワンピースに、なぜか大きくふくらんだ袋を抱えている。

「やあボイド、元気だよ。その袋は ?」

 何気なくあいさつ、と見せかけて、いつ代金の件を切り出そうかと思っていたのに、

「オー、これ ? 実はイノ、アナタにプレゼントするために持ってきたのヨ〜」

「プレゼント ? ありがとう。へえー、何だろう ?」

「ウフフフ〜見たい ? …ジャーン」

 ボイドは袋の口をブワッと広げてみせた。

 ……キ、キノコ…よりどりみどり詰め放題パック状態でギッシリ !

「ど、どうしたのこんなに ! ? 嬉しいけど」

「ドクターからもらったのヨ」とボイドは笑った。

「あの方はグレイトね、イノ ! スバラシイキノコマスターよねェ〜」

「キノコマスターって、もしかしてウリ山博士のこと ?」

「イエ〜ス ! ワタシ最近、ドクターの研究を見学させてもらってるのヨ。大変勉強になるワ ! あっもう行かなきゃ、じゃあねイノ、バーイ !」

「あ、ちょ、ちょっと…」

 またしても失敗。





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