第四章 ふくらむ疑問
久しぶりにイノガタさん宅におじゃました僕は、ちょうど自分の家の食料を切らしていたのをいいことに、数日間イノガタ家のやっかいになってしまった。
ある日の夜、皆で夕食を食べていると、ちょうどつけていたテレビで『イノシシ探検隊がゆく ! 秘境温泉めぐり』という番組をやっていた。やたらテンションの高いイノシシ三人組のレポーターが、いつものギャグを披露しつつ、知られざる温泉を求めて旅をするという内容だった。
「あら、ここってイモガラ山のふもとなのね。こんな場所があるなんて知らなかったわ」
と、イノガタさんの奥さんが楽しそうに言った。
「イモガラ山は、数十年に一度噴火することもあるからね。もしかしたら最近の噴火の時に、偶然できた温泉かもしれないね」
と、イノガタさんも応じていた。
僕も、ふむふむと画面に見入っていた。ついに秘境の温泉を発見した三人組は、茶色いでっぷりした体をたぷたぷさせながら、湯船につかってすっかりご満悦だ。
ふと、思うところがあって、何気なく僕は言った。
「…あれ ? 皆、服を着たままじゃないか」
イノガタさん夫婦が、僕の言葉にピクッと反応して、同時に僕の方を振り向いた。
その目には、ありありと困惑の表情が見て取れた。
?
あれ ? 僕何かヘンなこと言ったかな…服 ? って、あれ ?
これって何、
脱ぐもんじゃないのかー ! !
僕は、改めて自分の体にまとったもの|服のさらに下に身につけている毛皮|に目をやった。
イノシシというものは、皆これを着ているからイノシシなんだ、と当たり前のように思ってきたのに… !
何かが、違う。…そうだ。皆はこれを着たり、脱いだりしないんだ…もとから体の一部だから ! そうだったのか !
ショックのあまり青ざめている僕に、慌ててイノガタさんたちが声をかけた。
「イ、イノシチ、これはテレビ番組だから視聴者に配慮してるんだよ、きっと」
「そ、そうよイノちゃん、よくあるでしょ、女性レポーターの時とか水着姿だったりするでしょ ? あれみたいなものよ、ねえあなた」
「あ、ああ、そうだな」
その気遣いがかえって、ちょっと辛かった。
僕は、親の顔を知らずに育った。物心ついた時にはすでに、身寄りのない子たちの暮らす「イノハウス」という施設に預けられていた。どこで生まれたのか、親はどんな顔だったのか、手がかりになりそうなものを僕は持っていない。ただ分かっているのは、僕は幼い頃から(もしかしたら赤ん坊の頃から)、常にこの毛皮を身につけて生きてきた、ということ。そして、僕が育った「イノハウス」の創設者が、イノガタさんのおじいさんの、イノガタ・シシノシン氏であるということだ。僕がうっすら覚えているのは、シシノシン氏に連れられて「イノハウス」の門をくぐった時のこと。シシノシン氏が、まだうり坊だった僕の頭をやさしくなでてくれたように思う。あの“家”には、もう長いこと行っていない。
僕が、「イノハウス」を巣立ってからしばらくして、シシノシン氏は突然、わしはもう隠居すると言い出し、息子夫婦に経営を譲って、奥さんと一緒に南の島へ移住してしまったそうだ。そしてあろうことか、その島の村の村長さんになってしまって、大忙しの日々を送っているらしい…
「あまり気にしすぎない方がいいぞ、イノシチ」
さすがにもう帰らなきゃ、と思って支度をしていると、イノガタさんが声をかけてきた。
「イノガタさん…」
僕はちょっとの間考え込んだが、意を決して尋ねた。
「僕は、本当にイノシシなんですか ?」
一瞬、イノガタさんの眉がかすかに動いた気がした。
「な、何を言い出すんだ、イノシチ。今やお前は、立派なイノシシの青年じゃないか。私のおじいさんが創設したイノハウスの歴史の中でも、お前は特に優秀な子だったそうじゃないか。いいかい、イノシチ」
とイノガタさんは、兄貴分らしく諭すように言った。
「誰だって、自分のことがよくわからないようなときは、とても不安なものだよ。だがしかし、これから前を見て歩いていくためには、その中で溺れてばかりいても仕方がないんだ。もっと自分に自信を持ちなさい。自信のなさは、すぐ顔や態度に表れるからね」
「そう…ですよね」
「そうだとも。もし何かあったら、いつでも相談しに来なさい。お前はひとりじゃないのだからね」
「はい、ありがとうございます。…じゃあ僕、帰るんで」
僕は夜道をひとり、歩いていった。
やはりまだ、頭のどこかが混乱しているみたいだった。
ひとまず家に帰って眠ろう、後のことはそれから考えよう、と思い直して、僕は足取りを速めた。




