第三章 ワール=ボイド
それから数日後のことだった。
その日はとてもいい天気で、心地よい風が吹いていた。
いつもよりだいぶ遅れて“商売場所”に着き、僕は急いで準備を整えていた。
なんてことだ、もう少しで夕方になってしまう ! と焦っていたら、それから少しして、ふと、自分の左側に妙な視線を感じた気がした。
いったんは気のせいだ、と思って無視していたけど、その気配があまりにも長く続くので、僕はこわごわ、そちらに振り向いてみた。
すると、いつからそこにいたのか、ちょっと…いや、相当派手な格好の女性が、腕組みしてじっとこちらを見ていた。
「… ? あ、あのォ何か… ?」
おそるおそる声をかけると、彼女はニヤリと笑みを浮かべて、僕の正面にツカツカ回りこんできてこう言った。
「ハーイ ! マイネームイズ ワール=ボイド ヨ ! コニチワ !」
ワール=ボイド、と名乗ったその女性は、放射状にフワフワした黒い髪、鼻にはピアス、片方だけ大きくずり上がったようなタイトなワンピース姿の、まあ何というか…ファンキーな感じだった。
あからさまに戸惑う僕をよそに、彼女はさらに続けた。
「さて、ワタシはアナタに絵描いてほしいデス、でも今ワタシお金ないの、だからその後ワタシがアナタ描きますのでいいヨネ ?」
…は ?
「えっ、それはちょっと…困るんだよね、僕も一応生活かかってるし」
「アッハッハ〜ァ ! やっぱ〜りネ」
いきなり笑われた。コイツ、試してたのか。
「ウフフフ〜イッツジョーク、ヨ ! お金ある、ダイジョブヨ。でも私も描いてみたいナ〜」
思いがけない申し出に、僕が目を丸くしていると、
「だって、アナタは皆を描くけれど、誰もアナタを描いてくれないんでショ ?」
面白いなあこの子。…まあお金持ってるって言うから、とりあえず大丈夫かな、と思いながら、
「わかった、じゃあ描こう」
僕はボイドの顔を描き始めた。
「…よし、出来上がりっと」
「オー、サンキュー♪イッツキュート !」
僕の描いた似顔絵に、ボイドは満足してくれたようだ(正直な所、ものすごくジーッと見つめられるのでとても描きづらかったんだけど)。
「So,次はワタシの番ネ ! それ貸してクダサイ」
彼女はペンを一本取り、画用紙を膝の上に載せて、おもむろにサラサラと描き始めた。
実によどみなく速い。次々と正確なラインが描き出されてゆく。
僕はだんだん冷や汗をかき始めていた。
「で・き・たー ! えーっと、これがアナタの…名前何ですか ? …イノシチ ? うーん、じゃあ“イノ”の似顔絵デ〜ス ! それではここに飾りまショウ〜」
と、ボイドが出来上がったばかりの僕の顔を、他の見本のそばに飾ろうとしたものだから、僕は大慌てで止めた。
「うわー、そ、そ、それはダメ、ダメだってば !」
「あらァ〜どうして ? なかなかステキヨ ? 喜んでもらえなかったかなァ」
「い、いやそうじゃなくて、うん、すごく嬉しいよ」
ボイドはにっこりと笑った。
「ただ、ですね、えーっと…これはその、君が僕のために描いてくれたものだから、ここに飾るのはもったいない、というか…」
「あら、端っこの方でもいいのに〜」
いやいやいやそれが問題なの。端っこだろうが何だろうが、要するにこれは僕の描いた絵じゃない。僕の絵と並べたらきっと、僕の数枚のサンプルはたちまち、このたった一枚の他人の絵に負ける。明らかに負けている。
そう、そうなんだよ、つまりは君の方が僕よりずっと絵が上手いんだよ…
僕の気持ちを知ってか知らずか、この鼻ピアス女は、それじゃ、もう帰るワ、と言った。
「ワタシ、レストランのディナーショーで踊ってるの、これからリハーサルもあるから帰らなきゃ。お金ここに置くわヨ。じゃあねイノ ! バーイ」
去りゆく彼女を呆然と見送った後、僕はふと足元に置かれた紙切れに気づいた。拾い上げてみると、
『請求書 ワール=ボイド様 衣裳代』
エェェェェー !
「どうすんだよ…この請求書」
思いがけない事態にめっぽう弱い僕は、しばしその場で考え込んでしまった。
うかつなことに、僕は彼女の連絡先を聞いていなかった。あんな唐突に現れて去っていくような鼻ピアス女…しかも言葉から察するに、どうやら外国なまりがあるようだ。もしかして自分の国に帰っちゃったりして ? そうしたら僕は、似顔絵代を払ってもらえないどころか、今日会ったばかりの他人の借金まで背負うハメになってしまうのか ! ?
…などなど、色々な思いが頭をよぎったけど、その日は運悪くバイトを控えていた。
『困っていることがあったらいつでも言いなさい』
とりあえず、イノガタさんに相談してみよう !
僕はキノコ町の派出所に行ってみた。
「こんにちは、イノガタさん」
「おお、イノシチじゃないか ! 久しぶりだなあ ! 元気か ? どうした ?」
ずんぐりして気さくそうな顔つきのお巡りさんが出迎えてくれた。これが僕の兄貴のような存在のイノガタさんだ。
僕はいきさつを話した。
「…うーん…そいつはやっかいだな。せめてその女性の行き先でも分かればいいのだが」
「ちょっと油断してる間に、もういなくなっちゃってたんです。あまりにもショックだったもので」
「えっ、何がショックだったんだい ?」
「あ、あぁいや、別に大したことじゃ…」
「そうか ? お前は昔っからすぐにビビりやすい性格だからな、ハハハ」
「…まあそれはおいといて、とにかくこれ、どうしたらいいッすかねェ。僕、このあとバイトなんすよ」
「そうか、じゃあできる限り調べておくから、お前はすぐバイトに行きなさい。帰りに寄ってくれるかい ?」
「わかりました。お願いします」
そして数時間後。
バイトから戻った僕が、派出所の前まで来てみると、何やら入口が騒がしい様子だった。
女性とイノガタさんが、何やら口論しているようだったが、どうも聞き覚えがあるような…
「…あらァ〜どうしてもダメなの〜 ?」
「いやぁそれはちょっと…悪いけど、ここは宿泊施設じゃないのでね、それは無理なんですよお嬢さん。今日はもう遅いから家に帰りなさい」
「え〜だって〜部屋の鍵がどっかにいっちゃったのだもの〜」
「それじゃあ困るじゃないか、ご家族に連絡をとって迎えに来ていただこう」
「あ、それはダメなのよォ〜諸事情によりまして」
「諸事情 ? と言ってもねェ困るのは君でしょう」
頃合いを見計らってそっと近寄ってみると、はたしてそこには、昼間のお騒がせ鼻ピアス女ことワール=ボイドが。
「あらァ〜イノ ! ボンソワール♪」
かくして僕は、イノガタさんを交えつつ、妙なカタチでワール=ボイドと再会を果たしたのだった。もちろん請求書は返した(ボイドいわく「あらァ〜これどっかいっちゃってて困ってたのヨ〜」)。
ちなみにこの時ボイドは、部屋の鍵をどこかになくしてしまったうえに、ルームシェアしている友達もその日は帰ってこない、という“ピンチ”だったのだそうだ。
…あ、似顔絵代は ? …まだじゃん !
「しかしあの女性、前にどこかで見たことがあるような…」
ワール=ボイドを家まで送って(ボイドの友達には急きょ帰ってきてもらった)、派出所に戻ってきたイノガタさんは、しきりに何かを思い出そうとしていた。
「イノガタさん、彼女に会ったことがあるんですか ?」
「ん ? いや、人違いかもしれないのだが、この前非番の日に、妻と街を歩いていたら、あんな感じの派手ななりをしたお嬢さんがいてね。私はけしからん格好だ、と思っていたんだが、どういうわけか妻はうらやましがってたよ。『華のある女性っていいわぁ〜』ってね」
僕らは一緒に笑った。
…いや、それにしても、とイノガタさんは続けた。
「確かにどこかで見たような気もするのだが…」
妙にこだわっているようだった。まあ、ボイドにヘンな興味を持ったとか、そういうことではないみたいだけど。
「さあ、今日はもう遅い、今夜は私の家に泊まって行きなさい。留守番ご苦労様」
結局この日は、バイト掛けもちみたいな日だった。イノガタさんの家が、派出所から近くて助かった。




