三話目
冷静に考えてみると、センパイとわたしの関係はひどくもろい。
呼び出すのだって八割わたしのほうからだ。つまり、わたしから連絡をしなければいつだって、この関係は途切れてしまうということ。
唯一、救われているのはセンパイはわたしからの誘いは断らないということだ。
いや、時々だけど断られることがある。
けど、きちんと理由も告げられるし、すぐさま埋め合わせの連絡もある。
そうやってあったとしても行先なんてたかが知れている。駅前のカフェと、そしてその帰り道。
話の内容だって色気のある話なんてなく、わたしの勉強と、あと学校のことぐらい。
そう考えてみるとこの3年、わたしはずいぶんがんばったと思う。
手ごたえなんてものは最初からない。いや、そもそもセンパイは基本相手がいる人しか好きにならない。
お姉ちゃんや、ヤマトナデシコちゃんを見れば一目瞭然だ。
それも相手が悪い。センパイだって相当いい男のはずなのに、それを上回る。もしくはまるっきりタイプが違う相手と戦うなんて
どうして、っていつも聞くけど、センパイから明確な答えがかえってきたことはない。
わたしからするとわざわざ玉砕しにいっているようにしか見えないんだけどな。
そんなことを授業中だというのにぼーっと考えていたものだから、先生からこっぴどくしかられ、罰としてプリント5枚もやるはめになった。
センパイのせいだとばかりにぶつぶつ文句をいいながら、放課後、必死にプリントを相手にしているとすっかり静かになった廊下からひどく慌てたような足音が聞こえた。
ふと顔をあげると教室に飛び込んできたのは同じクラスの青木だった。
青木は誰もいないとおもったのだろう。一人でうなっていたわたしに「うわっ」と声をあげた。
「びっくりしたー! っていうか、あれ? 伊藤、まだいたの?」
「……いたよ、いまくりだよ」
ぶっそりとつぶやくと、青木はぶはっと噴き出した。
「あ、そーいや、おまえ、モモセンにすげー怒られてたもんなー」
「……ちょっと上の空だっただけなのにさぁ」
「モモセン、今日機嫌わるかったもんなー」
「まあね、って青木こそどーしたの? 忘れ物?」
「いや、オレ、さっき部活中に転んでさー」
そういって青木が肘を出す。と、そこには大きな擦り傷とともに血がにじんでいるのがわかった。
「ちょ、どうしたの! すごいけがじゃん!」
「すごくないって。ちょっと転んだだけで、バンソウコウあったなーって探しにきた」
「は? なんで教室? バンソウコウなら保健室でしょ! こんなところにあるわけ……あ」
そういえば、持っていた。
あわててわたしは机の中をさぐる。そして中から小さなポーチを取り出す。と、青木がおーと妙な声をあげた。
「すげー、持ってんだ」
「いや、たまたま持っていただけ」
そういってバンソウコウを取り出す。おおきさは小さな傷が隠れる程度のものだ。
「……でも小さくない? これ。全然傷隠れないけど」
「へーきへーき」
そういって青木はバンソウコウをはがそうとする。だが、利き腕の肘に張るのはなかなか難しいらしく、結局わたしがつけてあげることになった。
「ねー、傷、隠れてないけど……本当にこれでいいわけ?」
「いいって。どーせ、サッカーしてたらまた怪我するし。血がビブスとかにつかなきゃいいってことで」
「ふーん」
まあ、すごいけがでもなさそうだし。
じゃあね、と言って再びプリントにとりかかろうとしたわたしに、青木がふと「そーいやさ」と切り出した。
「お前、今日暇?」
「は? 暇だけど、プリントが」
「いや、部活終わってからさ、みんなでラーメン食いにいこうっていってんだけど、どう? 坂上とかも来るけど」
坂上さんは同じクラスの女の子で、一緒に出掛けるまでの仲ではないが、会えば話すといった関係だ。いつもニコニコしていて、親切でかわいらしいって感じの子
たしか、サッカー部のマネージャーをしていたような気がする。
「え? でもサッカー部の人たちだけでいくんでしょ? わたしが行っていいのかな」
さすがにサッカー部の部員しかいないところにほいほいついていけるほど、神経図太くないんですがー。
そういうと、青木がはは、と笑った。
「別に部活じゃねーよ。サッカー部だけじゃなくてバスケ部のやつらもくるし、伊藤もどうかなーって」
「それじゃあ、行こうかな」
どうせ帰ったところでお姉ちゃんと顔を合わせるだけだ。
あの日から気まずくて話をしてないから、ちょうどいい。
大きくうなずくと、青木は「じゃあ、校門の前に集合な!」と告げるとそのまま来た時同様、ものすごい勢いで入り去ってしまった。
その姿に思わず笑いがこみ上げる。と同時に、ひどく寂しい気持ちにもなった。
もしもだけど。
もしも、わたしがセンパイと同じ学年だったら。
わたしにだって、少し位チャンスとかあったのだろうか。
「……や、ダメだな」
ものの数秒で答えが出た。
だって、考えなくてもわかる。センパイはわたしが、お姉ちゃんの妹だから一緒にいるだけで、そこに個人的な好意とか、感情は微塵もないことぐらい。
「わたしもたいがいだよなー。ほかに好きな人を好きになるなんて、これ以上ないほどむなしいことだってわかってるのになー」
声に出すと余計に実感する。
この思いが報われることはきっとない。
自分がいつあきらめるかどうかだけ。
そう思うと、胸がひどく傷んだ。
プリントを終えるのと、部活が終わるのはほぼ同時刻だった。
職員室にいきプリントを渡しながら数分説教を聞く。それが終わり、外に出るとすでに何人かの姿があった。
ほとんどが同じ学年の子だちで、その中に青木の姿があった。
青木は私が来るのを見ると、大げさなぐらい大きく手をふった。
「伊藤ー、モモセンどうだったー」
「ネチネチ言われた」
どうやら一言言わなくては気が済まない性質なのだろう。
プリントを受け取る間、モモセンこと百田先生は毎度おなじみの説教という名の嫌味を言い続けた。
そういうと、周りにいた子たちがどっと笑う。
「あー、いいそう」
「オレもいわれた」
がやがやと騒ぐなか、青木がそっと近づいてくる。
「な、大丈夫か?」
「え? なんで?」
「いや……、なんか急に誘ったし、悪かったかなっておもってさ」
そういった青木がちょっと照れ臭そうに鼻をかく。
そんな姿に、私はちょっと驚いたのとうれしいので思わず笑みを浮かべた。
「いや、誘ってくれてうれしいよ。みんなもいるし、ラーメン好きだし」
「え、伊藤ってラーメン好きなの?」
「好きだけど……」
「なんか、パスタとかバラとか食ってそうなイメージが」
「……パスタは食べるけど、バラは食べたことないよ……、てか、どんなイメージ」
そういって笑いながら、わたしたちは学校近くのラーメンやにむかった。
そこは同級生の親がやっている店で、運動部員にはかなりなじみの店らしい。ぞろぞろ連れ立って入る生徒たちを店の店主は驚くでもなく、見知った子の名前を呼んでいる。
もちろん青木も。
彼の後ろからわたしが入ると、店主はちょっと驚いたように目を見開いた。
「あれ! 大ちゃん、もしかしてその子」
「わー! おっちゃん、ちょ、まって!!」
青木があわてて遮る。と、店主はにやりと笑って、悪ぃ悪ぃなんて言っている。
なんとなく若干の居心地の悪さを感じながらも、出されたラーメンは予想以上においしいかった。
みんな本当に食べるだけだったらしく終わった人から三々五々帰っていった。
青木とわたしは最後のほうまで残っていて、店を出るとすでにあたりはとっぷりと日が暮れていた。
「ごめん、青木。わたしにつきあったから遅くなって」
「いやいや、オレが誘ったんだし」
にっと笑って、青木は送っていくといった。
「え? でも、青木疲れてるんじゃ?」
「えー、これぐらい全然へーきだって。それにオレんち、伊藤んちのすぐ先だし」
「そうなの?」
「え! 知らなかったの!」
こっくりとうなずくと青木ががっくりとうなだれた。
「同中だろー……、覚えてくれよー」
「ごごご、ごめん。わたし、男の子と遊んだりしてなかったからさ」
慌てて言い訳じみたことをいうと、青木がにっと笑った。
「まー、それならしょーがねーよな!」
そういって歩き出そうとした青木が、ふと怪訝そうな顔をした。
「あれって……」
そういった青木につられるように、通りの向こうの歩道を見る。と、そこにいたのはものすごい形相をした小森先輩だった。