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自習室

作者: 車男

パカン…


 予備校の自習室、静かな室内に、何かのかわいた落下音が響いた。僕の周りの人たちは何事もなかったかのように自習を続けているが、僕は間近で聞こえたその音が気になって、積分計算の手を止めてそっとあたりを伺う。いた、意外と近く、斜め2つ前の席に。


 その子は予備校の現役生の中で最も優秀な成績をいつも取っているとウワサの、白石柚木さんだった。僕と同じ高校だが違うクラスで、予備校や学校で顔を合わせたことはあるが、話したことは一度もなかった。


 あの音の正体は、彼女の足元を見たら解決した。彼女の履いている、よく磨かれたローファー。その片方が彼女の足を離れ、床の上に横になっていた。机の下で組まれた黒タイツに包まれた足は、右側だけ足裏が露わになっている。左足のローファーも完全に脱いで、足先だけがその中に突っ込まれている状態。両足共に、時折足先がくねくねと動いている。普段の物静かで清楚な彼女イメージとはかけ離れたその様子に、僕はペンを持つことも忘れ見入ってしまった。


 やがて黒タイツに包まれた足は机の前に伸ばされる。ローファーは両足共に机の下に転がされたままだ。机の前方に伸ばされたタイツ足はなおもくね、くねと動く。みんなが土足で歩く床の上に直接置かれており、汚くないのだろうかとも思うが、ぴったり床に付けられたその様子を見ていると、かなり暖房の効いた部屋の中で蒸れた足を床で冷やしているようにも思えてくる。外は冬らしい寒さだが、自習室の温度設定は27度とかなり暖かい。黒タイツで過ごしているとそうしたくもなるのかな。


 そうこうしていると、休憩時間を知らせるチャイムがなり、彼女も足元で転がったローファーを探して、一度左右を間違えるも、また履き直し、席を立った。僕はというと、そろそろ帰ろうかという時間だが、どうも続きが気になってしまい、そのまま自習を続けることにした。とりあえずはさきほどまで解いていた積分の問題をやっつけなければならない。


 休憩時間が終わるころ、頭を悩ませる僕の横を、何かいい香りとともに白石さんが通り抜けていった。僕はチラと一瞥して驚愕した。さきほどまで彼女の足を包んでいた黒タイツが姿を消し、素足でローファーを履いていたのだ。それらしき物体が彼女の右手に握られており、それはカバンのなかに突っ込まれてしまった。あまりの暖かさに我慢ならず、黒タイツを脱いでしまったのだろうか。人目を気にして、タイツを脱ぎ、素足で靴を履くなんてできないようなものだが、白石さんはそれができる女子だったのか。あまりの足元の熱さに耐えられず、集中できる環境づくりをとったというわけか。


 そのまま元いた席について自習を始める白石さん。俄然そちらの方が気になってしまい、なかなか手が進まない。周りには先程まで自習していた高校生もいなくなって、自習室には僕と白石さん、そして端の方に私服姿の3人ほどが残っているだけ。予備校の開校時間は残り1時間ほど。せっかくだから最後まで付き合うとしよう。


 5分ほど経ったころ、彼女の足元に動きがあった。それまでローファーを履いたまま机の下で組まれた足が、一度綺麗に床に揃えられた。そして即座に両足一気にスポッとローファーを脱ぐと、ローファーをそのままに素足を伸ばして床にペタっとつけた。そして再びくねくねと動く指先。さきほどと違い、綺麗に揃えられたローファーと、黒タイツを脱いだ素足。やはり素足で靴を履くのも蒸れるのだろうか。その後、彼女は素足の先をローファーに突っ込んだり、また伸ばしたり、足を組んだりと様々に変え、結局予備校の閉まるその時まで、再びローファーをきちんと履くことはなかった。


 チャイムが鳴ると同時に、彼女は素足をローファーにスポッと突っ込むと、帰り仕度を始めた。僕も慌てて、解きかけの問題が並ぶノートを閉じ、鞄に突っ込む。彼女が席を立つのとほぼ同時になり、帰りのエレベーターをとなりで待つことになった。素足のままでタイツを履かずに帰るのだろうかと思いながらちらちらと彼女の様子を気にしていると、エレベーターがやってきて一緒に乗る。他の人たちはまだ出てこなかったので、エレベーターには2人きり。いきなり話しかけるのも気がひけるので、何か話したい気持ちをぐっとこらえて、下がり行く回数表示を眺めていると、


「黒田くん、だよね?」


「えっ、う、うん」


急に背後から声がして振り返ると、手提げの鞄を前に両足で持ち、左足のローファーを脱いで、素足をエレベーターの壁につけた姿勢の白石さんがいた。


「おつかれさまー。よく一緒になるけど話したことはなかったよね」


「そ、そうだね…」


まさか話しかけられるなんて思わずに、僕は冷や汗をかきながら応答する。まさか、見てたのがバレた…?


 彼女がふふっと笑ったとき、エレベーターの扉が開いた。一緒に外に出る。自習室と違い、少し寒い。


「さむ…。自習室はあったかかったけど、やっぱり外は寒いね」


白石さんはそう呟くと、カバンからマフラーを出して、ささっとクビに巻いた。そうしてまた笑顔になって、


「あー、タイツ脱いじゃったから寒いんだ。おかしいよね、この格好」


そう言って、足を僕に見せるように伸ばしてくる。


「どうしようかな、また履いてくるか…、でもめんどうだなあ…。黒田くん、どうしよう?」


そんな急に意見を求められても…!


「えーっと、寒いなら履いて来た方がいいんじゃない、かな…?」


素足から目線を逸らし、はるか彼方を見やりながら答える。絶対、挙動不審に見られているはずだ。


「そう?じゃあ、そこで履いてくるから、ちょっと待っててよ!帰り、電車?バス?」


カバンから取り出した黒タイツを伸ばしながら話す白石さん。あまりそういうのは見せないほうがいいのでは…。


「電車、だよ」


僕は相変わらずあっちの方を向きながら答える。


「あ、じゃあ同じだ。一緒に駅まで行こうよ」


「う、うん」


「じゃあちょっと荷物見ててー」


そう言うと彼女はカバンを僕の前において、黒タイツ片手に柱の陰に隠れた。トイレとかでやるんじゃないのかそういうの…。こちらからタイツを履く様子が柱の陰からちらちらと見えている。素足を通し、するすると上げて、スカートの下に潜り込ませる。なかなか見られない光景…。


それからタイツやスカートを整えて、白石さんが走って戻ってきた。


「おまたせ!じゃあ行こうか!」


 予備校を出ると、冷たい風が体に吹き付けてきた。


「うわー寒い!タイツ履いてきて正解だったよ!」


「ほんとに、風が冷たいね」


先程からの冷や汗も吹っ飛んで、だいぶん普段通りに会話できるようになった。


駅に着くと、お互い別方向だったことがわかり、先に出る彼女の電車を待つことにした。風を避けるため、ホームの待合室に入る。


「黒田くんはどこ志望?」


「K大の工学部だよ。ちょっと厳しいって言われてるんだけど…」


「そうなんだ、私もK大だよ、そこの医学部」


「医学部・・・。さすがだね」


「まだまだ、だけどね」


白石さんは椅子に座って、ローファーを脱ぎ、タイツ足で弄びながら話しを続ける。元々足グセがとても悪い子なのだと、さっきからの様子を見ていて思う。そして、目標とする学部は違っても、同じ大学を目指していると知って俄然親しみがわいてきた。


やがて白石さんの乗る電車が入って来た。ローファーを履き直して、ピョンと乗り込む。夜も遅く、車内は空席が目立つ。


「じゃあね、黒田くん。また明日!」


「うん、また明日」


あの白石さんとこんなに話せて、今日はとてもいい日だった。きっと電車の座席に座った途端、またローファーを脱ぎ出すのかなと想像しながら、それを見られないのが少し残念な気もしつつ、家の方へ向かう電車に乗り込んだ。明日は予備校の日ではないけれど、白石さんが行くなら勉強しに行こうかな。そう考えていた。




おわり

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