その90 〜帰還〜
山下正作が目を開くと、見知った天井が見えた。
古めかしい蛍光灯。
古ぼけた天井板。
既に見慣れた、築三十年1DKマンションの自室。
「……まぁ、そりゃ、夢だよなぁ」
よりによって魔王になるとは、変わった夢だった。
しかも、無能力。
どうせ夢なのだから、もう少しその辺、融通を利かてほしかった。妙なところで現実路線というのでは、困るだろう。平たくいえば、展開が詰まった時など。
床で寝ていたのか。
昨日、そんなに酔っ払ったのか。憶えがない。
テレビ横の置き時計は、午前十時十二分。
二〇十六年二月六日土曜日となっていた。
(もう、週末だったっけ。まぁ、無職だから関係ないけど)
顔を洗おうと立ち上がろうとしたところで、正作は室内の異常に気づく。
「え」
女の子が俯せになって寝ていた。
夢の──”異世界”のままの服装。
穴が開けられたズボンの臀部から、爬虫類のような尻尾が生えている。
「ガブリエラ、さん?」
「あ、起きました? 山下さん」
洗面所の向こうから、少年の声がした。
「すみません、予備の歯ブラシお借りしてました。あと奥垣内さん、勝手にお風呂使いだしちゃって──」
「かん、たろう君……」
そこで正作は、自分もまた”魔王っぽい”黒ローブをまだ着ていることに気づいた。
***
「で、これからどうするの?」
風呂上がりのガブリエラが、上気した面持ちで、誰とはなしに訊ねる。
上は正作のTシャツとセーターを借り、下はだぶだぶのジャージ。ウェスト部分を無理やり上からベルトで締め、セーターの裾で隠してある。
甘太郎もだいたい同様。奥垣内は、上も下もジャージだ。
正作だけ──自分でもどういう心境なのか──背広姿になっている。
この四人が、正作の自室でコタツを囲い、集っていた。
卓上の菓子入れにあるのは、ミカン。
「俺たちが異世界に飛ばされたのは、”今”から三日前、二月三日の水曜日だった。これは皆さん、間違いありませんね?」
と甘太郎。
「ええ。旅行の日程はちゃんと覚えてる。二月二日に日本入りして、その次の日だったから」
「確か節分やったよな」
「……た、たぶん」
正作だけ、いやに自信なげである。
「山下さん、あの日、子供を助けたでしょ。トラックから」
「あッ──そうか。確か、甘太郎くん見てたんだよね」
「それ、わたしも見てた」
「……そ、それ、もしかして、神戸駅ちょい先の大通りの?」
「そうですね」
「すんまへん!」
いきなり、奥垣内がコタツの天板に手をついて勢いよく頭を下げた。額が、がつんと卓上にぶつかる。
「えっ? なんですか、いきなり……」
正作がたじろぐ。
「お、俺、そのトラック運転してたんですわ。ちょっと野暮用で、知り合いからトラック借りて……なんか、急にエアブレーキ効かんくなってもうて。”白っぽい子供”あやうく轢き殺しそうになったところを割って入ったのって、山下さんやったんですね。いやホンマ、申し訳ない!」
「いや、そんな。いいですよ。不可抗力だったんだし」
「それと、さっきのこともですわ。いやまさか、山下さんが魔王やったとか思いもよらんかって。こっちも殺る気満々でぶっ飛ばしてまいまして……」
「それはしょうがないよ、オクガイト。わたしとヤマシタさんは魔族で、そっちは人間側だったんだもの。こうして全部もとに戻ったんだから、細かいことは言いっこなし」
ガブリエラは、いやにサッパリした面持ちで微笑んだ。
まさに”悪夢”から解放された、といったような風情である。
「お二人とも、まだ”魔族”でしょう?」
甘太郎は呪文を唱え、コタツの上に光る球体を創り出した。
「うおおっ、こっちでも呪文使えるんけ? なんや、お前、これだけで食っていけるで。……そういえばガブリエラ? おたく、アメリカ人って話やけど、めっちゃ日本語うまない? バイリンガルなん?」
「……うん。こっちは『みんな、英語うまいなー』って、ずっとそんな感覚だったけど。これも、たぶん本来は、日本語で書いてあるんでしょうね」
ガブリエラは、手近なティッシュペーパーの箱を取り、説明書きの文面を指した。
「えっと、どういうこと? 甘太郎くん」
正作が尋ねた。
「俺、山下さん、ガブリエラは、あちらの世界へ行く直前、何者かに襲われ、銃で撃たれた記憶があります。もし山下さんがあそこで実際に死んでいたなら、そしてそれが”周知”されていたなら、山下さんの部屋がここまで普通に使えるのはおかしい」




