その8 〜二人目〜
ささやかな晩餐会がはじまった。
主催は、当カイアンフェルド領の主、青竜カイアンフェルド。
彼の領館の中庭には、幾つものテーブルが並ぶ。馳走、馳走、馳走の山。
会場の中空を七つの光玉が輝き、真昼の明るさをもたらしていた。
「ぬふふふーん! さぁさ皆の衆、存分に飲み食いしてくれい!」
参加者は、生き残りのカイアンフェルド兵のうち、幹部級が十数名。
魔王軍側からも、やはり幹部級が二十名ほどと、四天王。
人間大サイズに縮まったカイアンフェルド、そして魔王 山下正作といったメンツだ。
ほかの一般兵や住民達はめいめい各所に散り、そこでやはり飲食を振る舞われている。
「ぬふん、いかがですかなショーサク陛下。我が領で採れたラァ〜イスのお味は?」
「あ。はい。おいしいです」
正作は当初、ここに水田があると知り、大いに喜んだ。
田んぼがある、つまり稲の水耕栽培をやっているということ。
米! 白米! ごはん!
日本人のDNAに奥深く刻み込まれた、根源的欲求。
西洋風のファンタジー世界という時点で、無意識のうちに諦めきっていた和食への期待が、一気に膨らんだ。が──
(タイ米、でしたか……)
稲の長粒品種。
元の世界では、米の生産量の約八十五%を占める、むしろジャポニカ米より圧倒的にメジャーな存在。それがインディカ米──
俗称、タイ米であった。
ちなみに、正作が手にしている皿にあるのは、豚の腸詰めのスライスとキノコのパエリア。粘り気の少ないインディカ米の調理としては定番である。
魔王軍お付きの料理人が作るそれに比べると多少味は落ちるものの、やはり普通にうまい。つまりタイ米に罪はなく、勝手に期待して勝手にがっかりした正作が悪かった。
(……ま、これでチャーハン、ピラフ、リゾットあたりはいけるようになった訳で。めでたい、めでたい。タイ米を融通してもらうためにも、いい感じに交流しなきゃね)
ここに、認識の齟齬があった。
正作は、あくまで「同じ魔族同士、協力関係を結びましょう」ぐらいの気持ちしかなかったが、四天王以下、魔王軍の皆としては「屈服させ、支配する」その一択だ。
しかも、今朝方の戦いで、すでに格付けは完了していた。カイアンフェルドも、その配下の魔族らも、とっくの昔に魔王の支配へ下る気満々である。
「しかしカイアンフェルドさん、身体のサイズが小さくもできるって便利ですね」
「ぬふふふふ、そうですかな? まぁ『法則改変前』世代の魔族でも、体躯の縮拡を行える者は一割程度ですからな。TPOに応じて、そこはうまい具合に……」
それから少し離れたテーブルで、やや不機嫌なオーラを発する四天王たち。
「何スかあれー、陛下にちょっと馴れ馴れしくないスか? 教育が必要な案件スか?」
「あれだ、うん……身の程! を知れ、というかなァ〜」
腕四本それぞれに焼き鳥の串をもったドグが、ヤマトの言に同意する。
「あれで、そう悪いヤツでもないのだがの。……少々うざいがヒヒヒヒヒ」
「陛下が、この地の稲作に興味を持たれている手前、詮方ありません。当初の目的であった、アレの異能の件もあります。せいぜい今は、太鼓持ちをさせておきましょう」
エクステリアは腕組みし、道端のミミズを見下ろすような目で、カイアンフェルドを睨んでいた。
(視線?!──はっ、見られてる。俺様、超見られてるぅっ)
実力的に半端なカイアンフェルドが、曲りなりにも千年生き延びた理由の一つに、このカンの良さがあった。気配をたどった先には、赤いドレスの美女。
なぜ視線を?
……いや、だから視線を?
青竜の脳に、閃光がほとばしる。
(そうか。そういうことだった、か──)
カイアンフェルドは、すべてをさとった。
これが真実だ。
こうなると、もうどうにも止まらない。
止まる理由がない。
鉄は、熱いうちに叩け!
「ぬふー、ん、ん、あー、陛下。それはさておきですな……」
「はい?」
切り出す言葉を、短い時間で慎重に選ぶ。
彼女、エクステリアは魔王軍の重鎮。
であるならば当然、ことを成すにあたり、眼の前にいる絶対権力者の承認は必須。
それは枷でもあり、武器でもある。
「実はエクステリア嬢とおれさ……わたしは、相思相愛の中でして」
正作の目が、丸くなった。
(え、そうなの?)
美女と野獣というのにも限度があるだろう、と一瞬思ったが、それはあくまで『人間』としての正作の常識からくるものだ。案外、魔族の世界では普通のことなのかも知れない。
「ぬふぅ、しかし! わたしはついさっき配下になったばかりの外様。すでにして魔王軍の重鎮たる彼女と添い遂げるとなれば、いろいろ良からぬ噂を立てる者もおりましょう」
(配下?)
正作は、本題とは別のところで引っかかったが、カイアンフェルドは待ったを挟ませず、畳み掛けに入った。
「しかししかししかし! 誓って申しますが別におれさ──わたしに権勢欲とかそういうアレは微塵もなく、ただひたすらに純粋にマリッジタイフーンからのジョイン! そしてチルドレンみたいな流れにしたいだけなのです。分かって戴けますか、この男のピュア心!」
「はぁ」
八割ぐらい意味不明、とはちょっと言えなかった。
その正作の曖昧な微笑みを見て、カイアンフェルドは「いける!」と判断する。
「ぬふふふん、つきましては陛下に、お、わたしと彼女の婚姻の承だぅおおおっちゃあッ」
発言途中で、小型化した青竜が一mほど跳び上がった。
青い尻尾の先端に、火が灯っている。
いつの間にか、エクステリアが正作たちのすぐ傍まで来ていた。
「陛下、ご歓談中失礼いたします。あちらの、相手方の幹部らにも、お言葉を──」
彼女はにっこりと微笑み、てきとうな方角を右手で指し示した。カイアンフェルドの首を鷲掴みにしている左手は、正作から死角になって見えない。
「え、そう?」
(確かに、カイアンフェルドさんだけじゃなく、この領地のほかの人達からも話を聞いておいた方が良さそうだ。社交かぁ……めんどくさいけどね)
エクステリアの左手が、万力さながらに青竜の喉元を締め上げている為、うめき声一つ洩れない。
正作との距離が一定以上離れたとたん、彼女は無言でカイアンフェルドに踏み蹴りを始める。
「ぬふぉっ、あぶふっ、ちょぶぉ、待っとぶぉ、もっどぶっ」
(これは、まさかの、先取りドメスティック・バイオレンス?)
ヤマトが、無言で拍手をはじめた。
「──止めんでいいのかアレ。お前ら的に」
カイアンフェルド領の幹部らしいゴツい魔族に、ドグが声を掛ける。
その二人は、袈裟懸けに包帯を巻いていた。
今朝の戦いでのっけから勇者にバッサリやられた二人。
ビッグラブと、ハギーだ。
ほとんど両断されていた状態だったにも関わらず、平然と酒宴に参じているあたり、なかなかの生命力である。
「ドグ殿、心配ご無用。我が主君は、戦闘力についてはまぁお察しですが、タフさにかけてはズバ抜けたものがありますからな」
「しかり。再生能力にはちょっとした自信がある我らでも、たまにあのお方は不死身なんじゃないか、と」
二人の視線の先では、カイアンフェルドがちょっと嬉しそうに踏まれ続けていた。
***
彼の名は、鈴木 甘太郎。
十七歳の高校二年。
(ついさっきから、異世界転移者? やってます)
──三十分ほど前。
神戸某所の路上。
どこかの子供が、大型トラックに轢かれかけ、中年男性が間一髪で助けた瞬間を、下校途中の甘太郎は目撃した。
「おー」
知らず、そんな声が出る。
(すごいな、真面目に危機一髪じゃん)
そのヒーロー的おじさん、よく見ると、しょぼくれた顔とナリ。
──格差社会の犠牲者。
そんな単語が、甘太郎の脳裏をよぎる。
(日本経済にロクすっぽ貢献してない分、未来ある子供を救って、ちょっとはイーブンに戻そうって心意気、ステキやん?)
そんなことを、つい考えてしまう。
が、それもつかの間。
助けられた子供、感謝の言葉の一つももらすかと思いきや、その格差社会の犠牲者おじさんの手を振り払い、そのまま走り出した。
(え。あかんでしょ、それは)
その行動は、なんとはなし、彼の癇に障った。
人混みをかきわけ、甘太郎のほうへ来たので、意趣返しに通せんぼ。
不心得な子供に、やんわり”教育”する必要を感じていた。
──さして意味もなく。
「ちょ、待てよ」
それでも迂回しようとする子供の顔を、軽く掴む甘太郎。
(少しビビらせて、やんわり諭して、最後にあのおじさんに『ありがとう』言わせるまでがワンミッション。まぁ、ヌルゲーよね)
唐突に疾走る、衝撃。
背筋。
電気ショック?
数秒後、気を取り直した時、先の子供はすでに人混みの先まで逃げ延びていた。
(はぁ?)
スタンガン?
子供ではない、第三者?
しかし、そんな気配はなかった。
まさに、狐につままれた気分。不条理。
(勉強疲れか。いや、大して勉強してないけど)
釈然としないまま──
しかし、ほかに何があるわけでもなかった為──
甘太郎はそのまま帰宅した。
いつもどおりの帰路。
鍵を開け、いつもどおり自宅の玄関に入る。
軍服。
数人。
小銃。
(……コスプレ?)
パン。
軽い音が遠くで響く。
それが、最後の記憶。
***
気がつくと、見知らぬ森の中。
「異世界転生?」
叢から起き上がり、甘太郎が発した最初のセリフだった。