その69 〜刑〜
ハンナが結婚して、一週間が経った。
彼女の夫は朴訥だが、気のいい青年で、よく働く。
農村に生きる者にとって、それ以上のことはない。
普段どおり働いて、普段どおり汗をかく。
昼下がり、空は雲がやや濃くなってきた。
(雨は……いや、これなら大丈夫。降らない)
この二年間は、いろいろな事があった。
周辺を治める領主、ベンベン伯のいやがらせ──流通の不当妨害、いわれなき課税。水車小屋の利用制限。水利権の不公平な再分配指示──
それら全てが、クルクルを勇者パーティに向かわせるための策謀と後で知らされ、ハンナはとても複雑な心境となった。もちろん、領主のことは憎くて憎くて今でも呪い殺したいぐらいだが、一方で……
騒動の中心となった、幼馴染の少女に対しても、複雑だった。
筋違いと分かってはいても、つい思ってしまった。
(この村にクルクルがいたから、こんなひどいことになったのか)
思うたび、自己嫌悪する。
自分はなんてイヤな人間だろうと。
どう考えても、彼女は悪くない。
近場の森に巣食う魔族を、クルクルが退治してくれたのも、ひたすらにありがたい事だ。あれを放置していたら、それこそ村がどうなっていたか分からない。辺鄙な村である。王国軍から派遣される駐屯兵はたいして数がおらず、強くもない。
勇者パーティに召し上げられたクルクルの活躍を耳にするたび、誇らしくなった。自分たちの身代わり同然に連れて行かれた、幼馴染の少女──当時、まだ十二歳だ──が、思いのほか元気にやっていると聞くたび、ホッと安堵した。
先日も、自分の結婚のためにいろいろ準備を手伝ってくれた。かの聖人パルテオンを呼んできたと聞いた時は、さすがに冗談だと思ったものだ。
このまま無事に、時が過ぎてくれたらと願う。
勇者が、魔王を倒して来た時、クルクルも無事に戻り、それにふさわしい褒美を得られたらと思う。それで、彼女もまた幸せになってくれれば──
そう考えるのは、ある種、贖罪の念からだろうか。
「おーい、ハンナ。なんか、村の皆を広場に集めろって、村長が」
近所のパン焼き小屋のおじさんが、声をかけてきた。
「え、何で。誰か来るの?」
「あれだ、ちょっと前からうちの村に地質調査に来ているだかの、例の女だよ。ベンベン伯が、迷惑の詫びとかなんとかで寄越したっていう」
「ああ……」
半月ほど前。
ハンナ達の村に、その”王都の学者”を名乗る三十代ほどの女が、ゲゾス伯爵の私兵を数人伴い、やってきた。
過去、伯爵がこの村に行なった各種の不公正を、ゾークヴツォール王から諌められたという話は、かなり前に聞いている。
「ゲゾス伯爵は、先の過ちを悔い、反省し、せめてもの罪滅ぼしと、このわたしを派遣されました。地質調査により、新たな水源の探索や、農作に適した地の選別、新たな有望開墾地の見極めなど、先々に繋がる知識を、村の皆様に提供いたしましょう」
村長によれば、その女が持ってきた伯爵の委任状、依頼状、ともに本物らしい。領主が認めたとなれば、理由もなく断るわけにはいかない。
以降、村の各地で、何やらやっている女の姿が見られた。
物腰こそ丁寧だが、村人と必要以上に関わることはしない。
都会では珍しくない人種かも知れないが、「対話をしたがらない」──この一点だけにおいて、田舎村では確実に変人扱いとなり、敬遠される。
ハンナもまた、なんとなく”不気味な女”という印象を抱いていた。
容易に差別・弾圧に繋がる、悪しき閉鎖的な村社会──
そう揶揄されることも多いこの種の『性質』だが、しかし”外敵から身を護る”という点においては、優れた面もあることは否定できない。
意味不明なやつとは、とりあえず距離を置く。
それが徹底されていれば、あるいはこの村も無事だったか知れない。
***
村の大広場。
一週間前、ハンナが結婚式を開いた場所。
集められた村人、子供もあわせ総勢八百人。
簡易の木組みの台、その上に立つのは村長と、例の”地質学者”の女。
(何か、演説でも始まるのかな)
ハンナは、少しげんなりした。
初老にさしかかる村長。
悪い人間ではないものの、話が長い。
「それでは、あー……本日で調査を終えられたということで、そのぉ、あー……ゲゾス伯爵様から当村に派遣されていたぁ、おー……エクステリア女史より、皆にご挨拶が、ぁー、ありますぅ」
(エクステリア?)
何か、どこかで聞いたことのある名だった。
それより、あの女の名を、今日はじめて聞いた。
「おい、それって……」
「俺、知ってる。エクステリアって、魔王軍の、ものすごく残虐な──」
「どうして、わざわざ、そんな名前を」
「やはり変人か」
「都会者は、こんなやつばっかりか」
「ごきげんよう、村民諸君。まずは礼を述べさせていただきます。特に警戒されることもなく、半月もかけてじっくりと準備できたからこそ、こたびの仕掛けは完成にまでこぎ着けました。歴史上、これほどの大仕掛けを実際に起動させるに至った者は──」
両手を高らかに広げ上げ、心底嬉しそうに、彼女は言った。
「──歴代の魔王陛下を含めても、屈指といえるでしょう」
ハンナは、無意識のうち、隣に立つ夫の手を握った。
皆、動かなかった。
声もたてなかった。
なかば冗談のような空気が、周囲を支配していた。
「──」
女が、短く、何か唱えた。
魔術、そういう考えが頭を過る前に、周囲で絶叫が巻き起こる。
「あぎぃいああああああぃいいぃいっ」
「めがぁあ、目ぃっっぐでぇぃいいいッ」
「熱ぃぎいぅうううぇえええ」
「ぎぃいいあああえええええええッ」
隣で、ハンナの夫の叫び声。
この世のものとも思えぬ轟き。
彼女は、ふと自分の右手を見ると、手首から千切れた夫の左手を握ったままだった。
その傷口は焼け焦げ、血は出ていない。
(なに? これは、なにが。おこって……)
思考は、遅く。
視界も朧に。
叫び声までもが、徐々に遠く。
地獄というなら、今、彼女が立つ、此処こそ”それ”だ。
先程まで立っていた村人が、今や地面をのたうち、苦悶に喘いでいる。
両手首だけではない、両目も。やはり焼かれていた。
多くの者が、なくなった両手首で失われた目を押さえているので、その辺りのことは、すぐに分かった。
「専門的な話をしても、仕様がないでしょうが──最初の課題は、周囲の微量の魔力をかき集め、村の各地に集積することでした。事象を”自動化”させなければならない都合上、”呪紋”による制御となるわけですが……呪文による魔術の行使に較べ、難度は格段に上昇するうえ、時間も長めにかかります」
何か、嬉々として話しているのは女。
台の上に立って。
その横では、同じく”そういうこと”になった村長がのたうち廻っている。
あんなに若かったか。
あんな赤髪だったか。
角まで生えている。
まさに悪魔。
それはそうだろう。明らかに、ヒトの所業ではない。
「それらの準備が整ったところで、各所に蓄積された魔力と、一つの術式との連動作業。この微調整だけで十日もかかりました。今回は排除対象も要設定でしたので、さらに大変に──ここまで苦心して準備しても、これだけの広域適用魔術。通じるのは、無力な人間のみ」
赤い女の視線が、ハンナに向けられた気がした。
「魔術の素質を持った人間には、通じません。見渡した限り、無事なのは──大人だけで──三十人少々といったところですか。まぁ、そんなものでしょうね」
逃げなければ、ハンナはそう思った。
周囲には、彼女同様、無事だったらしい村人が何人か見えた。
それぞれが全力で逃げれば、逃げられるかも知れない。
そして、外の誰かに、この事を知らさなければ。
(──ッ?)
しかし、動かない。
両脚が、微動だにしない。
そこでハンナは、自分の両足が、地面から生えた触手のようなものに掴まれていることに気づいた。いつ掴まれたのか、それさえ分からない。
その触手は、何やらタコのそれによく似ていたが、緑色だ。
「うっ、動けないッ」
「たた、助けてくれぇっ」
ほかの、”まだ”無事な村人も、ハンナと同じ状態のようだ。
「さて、では……おや。意外に早かったですね」
台上の女が、広場の外を見た。
蹄の音。
地面を蹴る、けたたましい馬の蹄の音。
「貴様ァ〜ッ、この、悪魔がぁ〜ッ! 俺の領土でよくも!」
領主の声だ。
あの、ゲゾス伯爵。
ハンナは、上半身をねじって何とかその方角を見る。
馬に乗ったゲゾスは、単騎。
ほかに兵士は、一人もいない。
(何をしに来たの、あいつは)
ごく僅かな安堵は、かえって彼女の絶望をかきたてた。
***
ゲゾスには、秘策があった。
この世に数えるほどしかない、古代の遺物。
魔導品。
その一つを、ゲゾスはとある偶然から入手の機会を得た。
中には、かの王国最強の魔術師ミューラ、その師にあたる人物の最強魔術が詰まっているという。いわゆる”補填式”の魔導品であった。
(あの女の師といえば、かつて大陸中でも知らぬ者はいなかったという達人。もはや故人であるのは残念だが、その魔力はいまだこの中に息づいている。事前に魔術師ギルドで鑑定してもらったが……少なくとも、今のミューラに匹敵するであろう魔力が込められていることは確実! ふひひひひひ、たかが魔王軍の使いっ走り程度、一撃でチリと化すは必至よぉおおお〜)
保身第一のゲゾスが、一人で来たのは、当然理由がある。
この魔導品に入った魔術は”放射型の広域攻撃魔術”。
魔族の女を始末するには、どうしても村人を巻き添えにしなければならない。
そんな場所を見られたら、さすがに言い訳はきかない。
部下だから口止め可能──といっても限度がある。
さらなる醜聞の拡散は避けなければならない。
(我が領土の収益源が一つ消えてなくなるのは苦しいが……こればかりは仕方がない。代価。やむをえぬ代価……俺が、ほかならぬ俺自身が、皆から罵声を受けるショックに比べれば──これしきのことぉ──泣いて、罵ショックを斬る!)
今、”奴”は油断している。
無理もない。
全て計画通り進み、達成され、有頂天──
ゲゾスにもおぼえがあった。
問答の余地さえ与えない。
チャンスはこの瞬間。
それが今。
「死ね、女狐めがァッ」
両手で持った”黒曜石”をかざす。
それが魔導品であり、ゲゾスの切り札だった。
決められたワードと動作を受け、石が輝きだす。
ごう、と。
とてつもない勢いの炎が、村の大広場──
ゲゾスの背後に至るまで──
まるごと包んで吹き上げた。
囲み。
高さ十mほどもある、炎の壁。
それが、広場を囲う形で、大きく円形に展開。
またたく間に、その術式は完成した。
「……まぁ、わたくしが自分でやっても良かったのですけれど、せっかく来て頂いたのです。伯爵、あなたに使ってもらいました」
「え。え」
ゲゾスは、呆然と突っ立っていた。
何が、なんだか分からない。
おかしい光景だ。
これはおかしい。
今、自分が見るべきは、魔族の女が村人ごと吹っ飛び──
(そうじゃ、ないのか?)
「あなたとは十年来の付き合い。当然、その下劣な性格も、疑い深く、用心深いところもよく知っています。あなたが、わたくしに対する切り札を用意しない訳がない。なら、先回りして用意して差し上げれば良い。簡単なことでしょう? その黒曜石は、間違いなく古代の遺物、本物の魔導品ですが──魔力を込めたのは、ほかならぬわたくし。魔術師ギルドの鑑定で、ミューラと同程度の魔力がありながら、その師が込めたかどうかは確認できなかったのでしょう? それは当然、わたくしの魔力の波動は、人間どもの魔術師ギルドには登録されておりませんからね……」
(わ、わな? 魔導品が、もう、わな? そ、そんな、わななァッ!)
「逃げ……」
もう遅かった。
周囲は、炎の壁。
焼け死ぬほどではないが、やや蒸し暑い。
前では、いぜんとして苦痛の叫びをあげ続ける村人たちがうるさい。
(これは、おかしい。俺の『努力』は──こ、こんな、ところで──ゾークヴツォール王国史に燦然と輝き……我が伯爵家にも、偉大な、偉大な、偉大な足跡を、記すことが、確約された、この、ゲゾス──)
気がつくと、ゲゾスは小声で歌っていた。
涙と涎を流し、静かに歌っていた。
人間、極限まで追い詰められると、最後は歌うしかなくなるという。
今の彼は、まさにその状態だった。
***
「十五歳に満たない子供は、見逃しました。盲だ大人達を、人里まで先導してもらう為です。ほかにも理由はありますが、それは、お前たちクソ人間の知ったことではありません」
うめき声は、いまだ止まない。
周囲を炎の壁で囲まれ、足まで拘束され、ハンナは直後に自分も、周囲の皆と同じにされると思い、恐怖と絶望に涙した。
「ハンナ」
いつの間にか、悪魔、赤い女──エクステリアは、ハンナの前まで来ていた。
「ここを狙った理由は単純。勇者一行の一人、クルクルがここの出身だからです。ほかには、ありません。そう、あなたの幼馴染だそうですね、ハンナ」
エクステリアが、ハンナの両手首を掴んだ。
ハンナは、「いやだ、いやだ」と虚ろな声をあげるばかり。
「あなたは十六歳、この王国の基準だともう成人ですが、特別に赦してあげましょう。この村の大人で、あなただけ赦してあげます。ほかの者は駄目です」
無事だった村人達が、その言葉を聞いて、一斉に哀れな声をあげた。
怒声、罵声も少し出た。”誰に”向けたものかは、明白だ。
「彼女だけです。理由は──やはり、お前たちクズ人間の知ったことではありません」
エクステリアはハンナの手を離し、手首と目を失って転がっている村人達を踏みつけにしながら、ほかの──まだ立っている──村人に向かっていった。
その両手は、炎に包まれていた。
その背後を、ハンナは呆然と見ていた。
周囲は炎の壁がじりじりと燃え盛っていた。
遠くで、ゲゾス伯爵の歌声が聴こえてきた。




