その62 〜確証バイアス〜
魔術による意思の伝達──
数百m程度の近距離であるなら、”声”による意志の伝達は、比較的容易だ。ある対象に絞って伝えるなど、かなり融通も利く。双方が魔術師であるなら、双方向の”対話”も可能。
しかし、それ以上の距離となると、難度は格段に上がる。
そもそも、”声”を伝える相手の補足からして容易ではない。
たとえ予め”場所”と”通信時”を特定し、かつ送信側と受信側が、ともにある程度以上の実力を持った魔術師だったとしても──
三十km先に”イエス”か”ノー”かといった、ごく単純な二進法のサインを送るだけでも莫大な魔力を消耗するうえ、その幾らかは失敗するというような有り様だ。
だから、この世界で魔術による情報技術革命は起こっていない。
早馬よりも疾く情報を得ようと思えば、古来より伝わる伝書鳩通信。鐘の音の連鎖伝達。もっと古風にいくと、狼煙。
あるいは、百年ほど前より普及しつつある”腕木通信”──高台に設置された、数mもの可動式木組み棒の複雑な動作、その組み合わせで、遠方へメッセージを視覚伝達する装置──
それぐらいか。
しかし”魔王軍”は、その課題を解消した。
魔王軍四天王、エクステリアの着想と、ナンギシュリシュマの能力。
その二つをもって。
むろん、常時は使用できない。
”これ”という時のみ限定使用される。
いわば魔王軍の、情報戦における虎の子だ。
具体的には、ナンギシュリシュマの分身を、魔王軍の本拠地より数km間隔で配置する。
『法則改変前』世代には、ビビアンをはじめ、分身能力の使い手はわりあい存在するが──その限界分裂数、遠隔操作精度の面において、全魔族中、ナンギシュリシュマの右に出るものはいない。
数千体もの小型分身ナンギシュリシュマを経由し、ゾークヴツォール王国はベンベン領に潜伏するエクステリアまで、一本の通信ラインが完成していた。
このたび、人間世界の領域を越え、青竜カイアンフェルドの領土に接近する二人の人間に気づいたのは、付近に”設置”されていた、ナンギシュリシュマの分身。
その情報は、即座に”声”として魔王城、エクステリアの双方に伝わる。
距離的に近いエクステリアが飛来して対応。
この度の戦いへと繋がった。
「あの二人は──拙僧の知識が正しければ、おそらくゾークヴツォール王国軍の将軍。徒手戦闘を行うほうは、先日のドグとの戦いで、左腕を欠損しておるな。女の方は、顔に包帯を巻いておるものの、五体無事。得物は、大鎌か。いずれも、正面から対峙するにはほどほどに手強い相手よヒヒヒヒヒ」
エクステリアの肩にとまった小さい緑タコが、そう告げて近くの地面へ退避する。
あくまでもこれは分身。
それも、かなり細分化しているので、ナンギシュリシュマ本体の千分の一ほどの力も持たない。この戦いに巻き込まれたら、ひとたまりもないだろう。
「正面から、対峙ですって?」
赤ドレスの彼女は、両手に炎で包んだまま、前傾する。
「なぜ、そのようなことを?」
エクステリは跳んだ。
まっすぐ、前へ。
***
(突撃してきた? 魔術師タイプじゃない?)
外観や、事前のデータ──”煉獄の”エクステリアは、炎の魔術を得意とする──から、まさか相手が正面から突撃してくるとは思わず、二人の将軍は数瞬、戸惑った。
しかし、なにぶん距離が遠い。
心を構え直す余裕は充分。
「わたしが秒速で前に出る。クリシュラティアナ、合わせろ」
「了解」
ヨザウィングが、やや突出。
クリシュラティアナはすぐ後ろで大鎌を構え、機会を伺う。
ヨザウィングはすでに、片腕を前提とした、新しい徒手戦闘スタイルを完成させていた。体重移動、構え、全てによどみがない。
接触。
エクステリアの蹴り。
スカートがまくれ、網タイツに覆われた脚があらわとなる。
思いのほか鋭い一撃をヨザウィングはスウェーして躱し、逆に蹴り。
──をすれ違いにいなし、炎の拳。
それはヨザウィングの、”銀”を仕込んだ手甲に阻まれる。
触れたとたん、エクステリアの右拳の炎は消えた。
「ッ」
そこを狙って、クリシュラティアナの大鎌。
湾曲した、幅広の刃。
頬を僅かに切り、横に避けると、ヨザウィングの追撃。
もう片方の手の炎も、それで消えた。
裏拳。
踏み蹴り。
大鎌、からの回し蹴り。
クリシュラティアナの細い脚が、赤ドレスの魔族を、地面と平行にふっ飛ばした。
「ぅだらぁ、とど──」
追撃寸前、無数の炎球が飛来。
クリシュラティアナは大鎌で、ヨザウィングは手甲や脚甲で、そのことごとくを防ぎ消した。それぞれが、”銀”を仕込んだ武具。
”銀の法則”により、魔力による神秘をすべて無化する。
(無駄よ! うふふふふふッ、”銀”の前で、お前らの魔術は全て無力!)
対魔族戦において、”銀の法則”を利用した戦術の採用は、人間側の軍における必須事項だった。コスト面や、銀の武器の物質的な強度問題はあったが、なんといっても強力な存在である”魔族”。その力の源となる”魔”を問答無用で断てる”銀”。
財力が許すなら、利用しない手はない。
「こちらが”銀”を持っていると知っているからこそ、あえて不利な接近戦に活路を見出したか。敵ながら、その意気や良し。が──」
ヨザウィングがそう言ったとき、砂塵にまぎれ、前方の魔族が飛び上がった。
赤い翼。
空を飛んで、遠隔戦闘を仕掛ける気か。
それとも、逃亡する気か。
「ばい、ぞれ、想定内ィイイッ」
大鎌を離し、両手を素早く背中にまわしたクリシュラティアナが投げつけた。
多数の、歪んだ刃物。
飛び上がりかけたところを狙われ、それでも必死にいくらか避けたが、いくらかは喰らったようで、エクステリアはそのまま墜落した。
「”煉獄の”エグズテリアァ〜、有名なのが仇になっだねぇええ。お前が”飛べる”ごどなんで先刻承知よぉおおお。当然、ぞれはずべで”銀の短刀”。大盤振る舞いでじょぉう? 魔族の本拠地に攻め込むのだがら、ごの程度の用意は当然でじぉ? うぶぶぶぶぶぶぶ、”銀”を”装備”しぢゃっで、満足に動げない? ねぇ、動げないぃいいい?」
クリシュラティアナの嘲りが、途中で止まる。
倒れた相手のほうから、呪文の詠唱が聴こえたからだ。
「ッ──ハッタリが」
「いや、クリシュラティアナ。銀は魔族を秒速で”弱体化”させるが、完全無力化する訳ではない」
普段は”文無し”のミューラ同様、莫大な魔力を背景に、詠唱なしに魔術を行使する魔族だが、しかるべき呪文を使用すれば、弱体化した状態でも、あるいは……。
二人の将軍は、ほぼ同時に駆け出した。
魔術師の平均的な呪文の詠唱時間は五秒前後。
大呪文で十秒少々。
この状況を覆すのに、普通の魔術ということは考えにくい。
ゆえに、余裕で間に合う。
はずだった。
「固形化、解除」
クリシュラティアナらの世界は、反転した。
蹴るべき地面が、喪失する。
そして着水音。
全身を覆う、液体。
臭気。
(落ちた?)
(消えた。地面)
(罠)
(ヨザウィングも)
(油の──)
(せいぜい数m。脱出)
穴の中に満たされた油は、浅瀬。
混乱復帰、状況判断、跳躍準備まで、約二秒。
そのクリシュラティアナの瞳が、投げ込まれた燃え盛る松明を捉えた。
彼女が大鎌の柄で、ヨザウィングが蹴りで、松明の棒部分を狙う。
が、動作に移る直前、その炎が八方へ散る。
(魔術の)
空中を疾走るように連鎖。
たちまち猛火となる。
***
二人が地面から”落ちた”途端、倒れていたエクステリアの姿がかき消えた。
そのすぐ後ろから、透明化していた本物の彼女が姿を現す。
持っていたのは、すでに火のついた松明。
落とし穴へ、放る。
あらかじめ、”接近物があると四散する”魔術を込めた炎を。
エクステリアが大翼を広げ、素早く飛び上がると同時に、穴から豪炎が吹き上がった。すぐさま、中から火だるまの二人が飛び出すも、もはや上空の彼女を狙うどころではない。
「ゔゔぃじあぎぃぃいいッ、消えなゔぃいい、何でべぇぇえッ?」
地面を転がり燃えながら、クリシュラティアナは手に持つ大鎌──銀の混じった──を身体におしつけるも、依然として鎮火する気配はない。
「当たり前です。その炎は、穴に貯めておいた植物油によるもの。また、その着火要因となった松明の炎も、やはり事前に用意した単なる炎。わたくしの魔術で、飛び散る細工はしましたが、術の作用はそこまで。”銀の法則”──ふ」
苦し紛れにクリシュラティアナが大鎌を投げるが、オーバーモーション気味のそれを、空中のエクステリアは軽々と回避する。
「……”銀の法則”は、ただの炎には何の効果も及ぼしません」
断末魔のダンスを舞うクリシュラティアナとは対照的に、ヨザウィングは膝をつき、皮膚を焼き焦がしながらも動作に迷いがない。
「見事。”最弱”などと、何を──が、わたしも栄えある王国の将軍。秒速で、一矢報いる」
その右手を、連続的に振るう。
飛石。
荒野に転がる礫。
投げつけた。
その、当たれば肉ごと刮げるだろう全ては、空中のエクステリアの目前で、見えない障壁に弾かれ……混ぜて放たれたヨザウィングの”銀の手甲”までも、予備の松明棒で叩き返された。
「さすがにこれは、見え見えです」
「無念」
紅蓮に包まれ、ヨザウィングが崩れ落ちた。
それから数十秒後、クリシュラティアナの踊りも、呻きとともに止まる。
先日の”王城”戦──
ビビアンの配下、ピクロコルの”やり口”が、参考になった。
落とし穴。
石器人御用達というほどに使い古された手だが、どんな手立ても、結局は使いよう、タイミングだ。
四天王最弱、というワード。
魔術師然としていながら、あえての接近戦。
”これなら勝てる”という見込み、先入観。
二人とも決して油断はしていなかったが、思い込みはしていた。
”銀の武具”で、こいつの攻撃は防げる、という思い込み。
なまじ冒頭で相手と物理接触している為、飛び上がった時点から幻影だった──その可能性を失念する、という思い込み。
幻影に”銀の短刀”が当たらぬよう操作していたのに、あたかも当たったかのように墜ちたのを見て、『当たった』と……自身に、無意識に、都合よく考える。
確証バイアス。
その下ごしらえはできていた。
ナンギシュリシュマからの情報で、人間の将軍二人が通るルートは大まかに予測可能だった。
先回りして魔術で穴を掘り、図体だけはでかいカイアンフェルドに大量の植物油を運搬させ、注がせ、上に土魔術の”蓋”をする時間的余裕は充分。
最初に突撃したのは、心理作戦のほか、相手を罠のポイントまで自然に誘導する為。
退いたと同時に火炎を放ったのは、幻術を使うための目くらましと、”相手の炎は、銀で防げる”という思い込みの強化。
「危なげなく、終わったのうヒヒヒヒヒ」
地面に転がっていた、マスコットサイズのナンギシュリシュマが言った。
「相手がもう少し慎重で、容易に近づいて来ない場合は別の手を考えていたけれど、その準備は無駄になりましたね」
乱れた服装を整え、埃をはらうエクステリア。
いずれにせよ、”勝てて当然”といった顔をしている。
「それは、やむを得んのう。予測、想定はあくまでそれ以上のものではない。どんなに優れた術策も、不可測の事態で総崩れになるリスクはある。空振りすることを覚悟で、次善、さらにその次善──と、リソースの許す限り備えをするのが、策士というものよヒヒヒヒヒ」
「愚策、凡策も織り交ぜて、ね……とにかく、わたくしはまたベンベン領へ戻ります」
「……陛下に、なにか言伝はないのかのヒヒヒヒヒ」
背を向けたエクステリアに、緑のタコが声をかける。
「何も」
再び、その翼で舞い上がる。
「全ては、今の仕事が終わってから、直にお伝えしましょう」




