その59 〜スイッチオン〜
正作にスイッチは入った。
異世界に来てからこちら──
前の世界にいた時と同様──
常に、周囲の状況に流され、受け身、受け身で対応してきた彼だった。
しかし、どうもそういう受動的な態度が、状況の悪化・ジリ貧化をゆっくりと招いている事に、遅まきながら気づいたのだ。
そして、今まさにその流れを変える”波”が、偶然だか必然だかは不明ながら、とにかく来ていることは感じ取れた。
幸運の女神には、前髪しかないという。
熟慮していると、もう手遅れ。
巧遅拙速。
一瞬後、前触れもなく、いきなり死神化しそうなビビアンが側にいることが逆に奏功し、正作はこれまでの人生で培ってきた『とりもなおさず慎重』な姿勢を、一時据え置きすることに成功した。
どんなに事前に術策を講じても、世の中一寸先は闇。
刻一刻と変わる状況。変わる対応策。
そんな高度な展開についていけるほど、高度な脳味噌は持っていない。
それならば、ということだ。
「カーチコムの件が、和平の道を決断させた一大事件……?」
王国側──
レオライド、サリオン、魔術師ミューラの三者が、揃って首を傾げた。
ビビアンは、黙ったまま出された茶菓子をポリポリ齧っている。
「ええ、そうです。そもそも、あの事件は、なぜ起こったのでしょう?」
(というかぼく、その事件の内容すら知らないけどな!)
とりあえず、どさくさで相手に問いかけ、情報を得る方向で。
そういえば、甘太郎も時々似たようなことをしていたような気もする。
「なぜ? ──ヤマシタ殿、いや魔王よ。あなたのところの”青鬼”ドグが、単騎でカーチコムの我が軍勢を襲撃し、甚大な被害が……。おっと、こちらが軍勢を集結していたこと、それ自体を責めるのはお門違いだぞ。今はさておき、我々は当時、確実に戦争状態にあったのだから」
レオライドが、努めて理知的に答えた。
(あー、ドグさんが攻め込んだのか。すごいなあの人、一人で軍勢に突っ込んだのか……さすが、四天王最強というだけのことはあるなぁ)
「レオライド殿下、すでにあなたが御自身でお答えになった通りですよ。軍勢を結集していたから──それは戦争状態にあったから──」
正作は、相手の言葉をそのまま並べて、なんとなく会話をつなげた。
名付けて、『思わせぶり魔王』作戦。
細かいところは、相手に勝手に補完してもらおうというアレだ。
どうも一般に”かしこい人間”というやつは、勝手に話の展開を読み、先回りするクセがあるように思われた。頭の回転が早いと、どうしてもそうなるのだろう。表面上の挙動はさておき、本質的に気が短い。
「……あなた、元は人間だって話よね。それで、なりゆきで魔王になって、”青鬼”ドグがカーチコムで大暴れしたことで、罪の意識──が芽生えたってこと?」
意識してか無意識か、いつの間にか敬語でなくなったミューラが眉をひそめる。それは、ひそめるだろう。今頃、何を言っているのだ、という話ではある。
正作は、
ミューラの言葉で、
自分の立ち位置を明快にする覚悟を決めた。
「違います。ぼくは、あくまで魔王。むやみな残虐は好みませんが、基本的に魔族の味方です。ゾークヴツォールの軍勢は、魔族領に攻め込む予定でした。そこには、非戦闘員である魔族も大勢住んでいる。それを事前に察知して叩いたドグさ……ドグの行動は、魔王軍としては正しい。しかし──」
レオライドが反論しそうなのを手で遮り、正作は続ける。
「──しかし、その姿は、そっくり逆の状況にも当てはまるのです。殺して、殺されて、やってやられて──こんなことを、あと何百年続けるのか。だから今しかない、と考えたのです。ドグさ……ドグが、あなた方の精強な軍勢を単騎で叩いた、今しか」
一気にまくしたてた。
正直、出たトコ勝負だ。
──が、けっこう本心でもある。
言った後で考えたところ、確かに今しかないとも感じた。
「なるほど。負け犬の言葉などには、誰も耳を傾けない。カーチコムの戦局において圧倒的勝利をおさめた魔王軍側だからこそ、今この場での和平の申し出が、意味を持つ。そしてこれ以上戦闘が本格化すれば、もはや後戻りはできない。──確かに、今しかありませんね」
言って、サリオンが瞑目する。
女魔術師は、何か考えているような素振り。
しばしの沈黙の後、レオライドが口を開いた。
「魔王よ、言い分は理解した。そこに一片の理があることも、それなりに飲み込めた。ただ、和平ということなら、一時停戦をまず前提とした上で──カーチコムで発生した当方の被害に対し、なんらかの”調整”を求めたいところだが、その辺はどうだろう」
(調整? 賠償、とかじゃなくて?)
このレオライドに限らず、王族関係者というのはたまに不思議なことを言う。以前も”感謝”という当たり前の言葉を、わざとぼかすような言い方をしたり、だ。
『王族貴族という生き物は、メンツを立てねば息もできないってハナシ。その、連中としては当然の常識を、まがいものとはいえ”王”である、君にも適用しているのだろうよ』
ビビアンの”声”が、正作の頭に響いた。
つまり、こちらのメンツを立ててくれているのか。
カーチコムの一戦での勝者は、あくまで魔王軍。
勝った側が「賠償」というのも、おかしな話だ。
しかし、それはそれとして、ゾークヴツォール側にもメンツがあり、被害自体もあったのだから、その辺はなぁなぁで忖度してくれよ、と。要するに、そういうことか。
(日本のサラリーマン社会と、大差ないなぁ)
しかし、”賠償”として──
具体的に何をどうできるか、今の正作には判断できない。その辺のナニは、だいたいエクステリア、ナンギシュリシュマが管理しているのだ。
ここで、迂闊な即答は危険かも知れない。
「……えっと、こちらとしましても、何の”配慮”もなく、というわけにはいかないことは承知しています。細かい部分は後日”調整”ということになるでしょうが、今はそういう心づもりでいるという事だけ、お含みおき下されば……」
派遣社員時代、果てしなく続く”面談”──という名の面接。
やんわり苦情を申し立てた正作に対し、さらにやんわりと有耶無耶にしてきた仲介エージェントの言い回しを、ちょっとパクってみた。
レオライドはやや不満そうに腕組みしたが、それ以上は追求してこない。納得した、というよりは、間合いを計っているという風だ。
「陛下、良いと思いますよ」
サリオンが言った。
とても少年とは思えぬ貫禄だ。
下手をすれば、五十歳の正作より年長っぽい。
「これから先も様々な選択肢があるとした上で、その一つに”和平”という方向が加わるのは、決して悪いことではありません」
「よし決定。では握手」
ビビアンがさっさと正作の手を持って引っ張り、レオライドの前に出す。
「え」
「握手」
再度言われ、正作はおずおずとその手を、向けるべき相手に向けた。
レオライドも「え」という顔をしていたが、そこまで固辞する理由はなく、また拒絶するとろくなことになりそうにない──という打算も働き、結果、素直に応じた。
魔王と、人間の国王との握手。
なし崩しながらも、歴史的瞬間だ。
「よし。和平成立だ。よくやった山下正作。これでしばらくは安定した状態の中、”世界渡航者”どもの成り行きを観察できるってハナシ。……じゃ、オレは帰るから、君は君で勝手に帰れ」
「え」
言いたいことだけ言って、ビビアンは一人で扉から退出していった。
「「……え?」」
ミューラ、サリオン、レオライド。
三者が同時に、そう呟いた。
(死んだ)
デッドエンド確定。
ビビアン自体、正作にとっては歩く死亡フラグのような存在だったが、いなくなったらなったで、やはり大ピンチだ。なんて迷惑な人だろう。
”勇者をも打倒した”得体の知れない魔族──が側にいたからこそ、今の今まで正作は、魔王を自称していながらも無事だったのだ。
こんなもの、即魔王討伐、人類勝利確定ではないか。
自慢ではないが、その辺の一兵士にも即殺される自信がある。
「ヤマシタさん?」
「ッ」
ミューラ。勇者パーティの魔術師。
彼女にかかれば、正作など数秒後に燃えカスだろう。
「な、なんでしょう」
「あの、とりあえず、その”魔力”を抑えてくれるとありがたいのだけれど。いくらあなたに戦意がないと分かっていても、ちょっと……落ち着かないから」
よく見ると、ミューラの顔には少々の怯えが見え隠れしていた。
サリオン──はそうでもないが、レオライドもどこか、落ち着きがない。
(そうか。この人達はまだ、ぼくが”ハッタリ魔王”だということは知らないからな)
正作の魔力量は──魔力量”だけ”は──魔王軍四天王の十倍。
それが視える魔術師ミューラにとって、魔力を隠蔽しない状態の正作は、掛け値なしの怪物といえるだろう。
そして、ゾークヴツォール王国屈指の実力者である彼女の”そんな反応”を見て、レオライドらも警戒しているに違いない。
言われた通り、正作は魔力を体内、骨のあたりに引っ込めた。
部屋に、安堵の気配が漂う。
「ありがとう。あなたは、本当に……その、和平を?」
「あ、はい。ええ、まぁ」
「えー──……それで、ヤマシタ殿。これから、どうするのかな。もし望むなら、夜会など開いて歓待する準備もあるが」
レオライドが、慎重に言葉を選んでいる。
「いえ、帰ります。当初の目的は達成しましたし、あまり長居してはご迷惑かと」
「そ、そうか」
「それで、あのぉ……できれば、その、馬車をお借りできればありがたいかなと」
言いにくそうに、正作。
しかし、これは言わねばならない。
今の正作は無一文。
これを断られたら、どっちにせよエンドだ。
「馬車?」
予想外の言葉に反応したのは、サリオン。
いかにも「空を飛んで帰るのではないのか」といった顔である。
「その、前にワフルからこちらの王都まできた時も馬車で、それが何か、楽しかったので、ちょっと……良ければ、ですけど」
(なんだよ、「楽しかったから」って。小学生か)
正作は内心、つっこんだ。
「魔王らしい諧謔──いえ、単なる酔狂かしら?」
ミューラが苦笑する。
「いいわぁ。じゃあ魔王陛下。じゃあワフルまで、一緒に馬車で行きましょう」




