その34 〜間奏〜
王。
ハラニーチ四世
眼の前にいる。
王城内の祝宴。
会食場から少し離れた王族の居住区。
ヤットール同様、用を足しに来たのか。
なにか別の用事か。
分からないが、この偶然の遭遇はチャンスかも知れない。
(先程のことを、伝えるか。陛下に。今)
ヤットールは迷った。
ゲゾス・ベンベン伯爵と魔族の密通。
確証はない。
しかし、もし本当にそうなら迅速な対応が求められるのも事実だ。
知っていたのにそれを伏し、あとで露見した時に責められるのも困る。
「あまり飲みすぎぬよう」
言葉短く、王が廊下を、ヤットールの傍を、通り過ぎていく。
(──いや、駄目だ。ゲゾス伯が王妃の腰巾着であることは、陛下も承知。ヘタをすると、王室を巻き込むスキャンダルに。それを、陛下がもみ消そうとしないなどと、どうして断言できる)
後手に回るより、出たとこ勝負で墓穴を掘る方が怖い。
万事抜かりなく、安全策優先。
そのせいで、王国に魔族の手がより深く伸びようとも、まず自らの保身が大事だ。誰だってそうだろう。自分だってそうだ。誰に恥じることもない。
ヤットールが渡り廊下から大食堂に戻ろうとした時、大時計が、二十時を示す鐘を響かせるのを聴いた。
***
(あれは──カンタローだったか? メイドと、何を話しているのだ)
酔い覚ましに宴席を外したレオライド王子は、出た先の廊下の隅で、若い王宮メイドとカンタローが談笑しているのを見かけた。──先ほど彼自身が、その行為を讃えたグダル共和国の少年である。
いやしくも国王の名のもとに開かれた祝宴。
平民一生の誉れともいうべき場に参じておきながら、わきまえず、側仕えの小娘を口説こうなどとは浅ましいにも限度がある。レオライドは、不快げに眉をひそめた。
(ふん。まぁ……東方連合の蛮民の程度など、しょせんこんなものか)
パルテオンの窮地を救った、というのもたまたまに過ぎないのだろう。特に、もう一人のヤマシタとかいう商人、風采が上がらぬ事この上なかった。
「あら、どうしたの兄様。妙な顔をして」
後ろから声を掛けてきたのは、妹のサーララだ。
中年のメイドを一人連れている。
「──なんだ、お前、もう退散するのか。もう少し王族の責務を果たしても良いのだぞ」
「着替えるだけよ。役目は果たしているわ。父様──陛下も中座されているようだし、むしろ兄様こそ、早く戻ったほうがいいかも」
「む、そうか。確かに、そう何人も同時に会場に不在というのはまずいな。お前も早めにな」
サーララは兄に背を向け、片手をひらひらさせて応えた。
***
ゲゾス・ベンベンは、ちらと己の主──ルベルベラ第二王妃を見た。
主要派閥を率いる大貴族達を相手に、熱心に話し込んでいる。
さっき王が中座したので、ここぞとばかり……というわけだ。
彼はついっ、と王妃の元より離れる。
(今なら、少し離れても大丈夫だろう。さて、何を話しているのだ、あいつら)
先から、気になる二人……
勇者パーティのゴンドラゴンド、ミューラ。
会場の隅で、何やら話し込んでいる様子。
ゲゾスが聞き耳をたてた。
(ヤマシタ……カンタロー……本日、陛下に賞されたとかいう二人だな。中年男とガキの非王国人。パルテオンの窮地を救ったとかなんとかいう……ニホン?……異世界?……何の、話をしているんだ? クソ、ここからではしっかり聞き取れないか)
ゴンドラゴンドがサーララ姫と何か企んでいる、という話をヤットール将軍から聞かされて以来、ゲゾスも一応警戒してはいた。
今の話は、ゴンドラゴンドからミューラに振ったのか。
それとも逆か。
よそ者の平民二人と、何の関係がある話なのか。
(──場合によっては、”あいつ”の助けを得た方が良いかもな)
ゲゾスは、思案げに鼻髭をくりくりと捩った。
***
(うへぇ。何あの人。なんか、めっちゃ怪しい)
人間大の巨大な花生け壺。
その陰に隠れ、なにやら聞き耳をたてているらしい中年貴族をなんとなく目撃してしまい、正作は何とも言えない気まずさを味わっていた。
ファンタジー世界に限らず、宮殿・王城といえば、陰謀渦巻く万魔殿と相場が決まっている。一見かなり馬鹿みたいだが、ああいう行動も、結構それなりに有効なのかも知れない。
事実、ほかの祝宴参加者は”社交”するのに忙しく、そんな盗み聞き男に気を払ってなどいない。果てしなく暇だった正作だからこそ気づいた、ともいえる。
「山下さん、なに黄昏れているんですか」
サラダと、厚切りのハムをのせた皿を片手に、甘太郎が近づいてきた。
彼は彼で、それなりに祝宴を満喫しているようだ。
正作は少しホッとした心持ちで、同じ故郷からやってきた少年に向き直る。
「いやぁ……こういうところ、元の世界でもほとんど縁がなくて──思ったより疲れるよね。勇者パーティの皆もどっか行っちゃってるし、話し相手が──」
周りは王国内の有力者ばかり。
王に招待されたとはいえ、しょせんは平民、それも外国人の正作だ。
メシを食べ、酒を飲む以外、ほかにやることがなかった。
「その点、甘太郎くんはなんか──慣れてる?」
「え? あぁ、ええ……」
珍しく、甘太郎の反応が鈍い。
「──実家が、それなりに手広く商売していましたからね。こういう立食パーティみたいなのも、オヤジの命令で、わりと参加したりしてましたよ」
「え、命令?」
「山下さん、異世界、楽しいですか」
甘太郎は、いつも浮かべている笑みを消していた。
正作は、少しギョッとする。
「俺は、けっこう楽しいです。ネットもゲームもないですけど、それでも先の見えたレールに乗っかって、だらだらと生きているフリをするより、今の方がよっぽどいいですよ。勇者とか魔王とか、ふふっ、ありえなくないですか? ええ、勇者! 魔王! でそんな戯言を、疑うこともなくありのままに受け入れている原住民? これも”法則”ってやつの効果なんでしょうかね。多少不便でも、こっちのほうがバカバカしさが突き抜けてる分だけ、自分もバカができて、嫌いじゃないです。──魔王? ふふふっ、いいじゃないですか、魔王。どうせ”来る”なら、どうして魔王じゃなかったんでしょうね、俺」
「えっ……と、甘太郎くん?」
酔っているのだろうか。
正作は、なんだか怖くなってきた。
不意に、甘太郎が黙る。
つられて、正作もビクッとなる。
「……ちょっと、トイレいってきます」
「う、うん」
ひとしきり一方的に喋り倒した後、甘太郎はさっといなくなった。
(……ストレスたまってるのかな)
元の世界に帰れないことへの不満は、ガブリエラも都度都度述べていた。
表立って口にはしないが、甘太郎もまだ十七歳の少年。
あるいは、無自覚なところで無理がきているのかも知れない。
(こういうところでこそ、何か力になってあげられたらいいんだけどな。というか、なるべきなんだよな。一応年長者なんだし、ぼく)
やや気鬱げに、正作は、祝宴場から窓の外を見た。
大時計が、ちょうど十七時を示していた。
***
彼女は刺した。
伝わるのは、気色の悪い手応え。
二度、三度。確かに。
肋骨の下から、中の内臓に届く角度で。
震えはなかった。
後悔もなかった。
(これで、問題ない)
立ち去るまで、わずか十数秒。
その死体が発見されるのは、彼女が刺してから二十分後のことだった。




