その32 〜王子〜
山下 正作が魔王。
そう告げて、女は、甘太郎の前から立ち去った。
(……)
彼にしては珍しく、数分ほど、空白の思考が続いた。
跨線橋の下を、二頭だての馬車鉄道がゆっくりと通過していく。
(遅っそ。西表島の水牛車じゃないんだから……)
どうでもよいことを考える。
あの女は、おそらく”魔族”なのだろう。
前後の話の流れから、その公算は大。
こちらの心──というか思考を読んでいた、ような節もある。
しかし具体的に、どう読むのか。
人間の思考それ自体は、言語的でも映像的でもない。
甘太郎のイメージでは、無数の火花が脳内で錯綜する感じ。
彼自身でさえ、”自分の隅々”が何を考えているのか、リアルタイムで完全に把握していない。疑問があればテーマを設定し、それについていきなり答えだけ出る。”どこかの自分”が出したのだろうが、どう出したのか、俄には判断できない。
そこで数秒かけて考え、「たぶん、こういう筋道で自分はこの答えを出した」──となるのが、甘太郎の発想パターン……の一つだ。例えば。
心を読む、思考を読むとして、このプロセスのどこを拾うのか。
逐一すべて拾っているのだとすれば大した処理能力だが、たぶんそれはないと甘太郎は感じる。特に、戦闘中にそんなことをしていたら、とんでもない隙になるだろう。
結論部分だけ拾って、『翻訳』していると考えるのが妥当そうだ。
(仮にそういうことなら、裏をかくのはそう難しくないな)
魔王。勇者。
実は、山下正作が魔王とすれば、これまで甘太郎が彼にいだいていた、幾つかの謎はサッパリ解けて消える。拠点、仲間。資金源。情報源。
あの女の目的は、今のところ不明。
正直、甘太郎に正作の正体を告げることに、それほどの意味があるとは思えない。単に状況を引っ掻き回して遊んでいる、という風に見える。
そういえば、言動や仕草がいちいち芝居がかりだった。
現実社会でも、まま目にすることがある。
永遠の中学二年生か。──もっとも、創作に出てくるような悪役は、むしろ厨ニムーブをしてなんぼ、そんな気もしなくはない。
(山下正作は、少なくとも戦闘においては無能)
魔王だろうとなんだろうと、この結論は変わらない。
甘太郎がその気になれば、すぐにでも魔王討伐完了だ。
(でも、それは恐らく、無意味)
それは、あの女も、正作の無力を知っているから。
殺さないのは、惜しいからというより、殺す意味がないから。
逆にいえば、殺されても構わないから、甘太郎に告げた──真相を。
前に聞いた、先代魔王の逸話を思い出す。
魔王アルガスヴェルドは、二人の勇者を殺し、三人目と相討ちになった。
魔王も勇者も、代替わりする。
かわりのランナーが、いくらでも湧いて出る。だから無意味。
そういう”法則”なのか、何なのか。
悪質な冗談のような世界だ。
(そうなると、勇者"一味"に参入ってのも、面倒だな)
いや、そうか。
そういう結論になることを、あの女は狙ったのか。
魔王側ではないにせよ、アレはおそらく魔族。
その通りに動くのも、なんとなく癪に障る。
「──あのアメリカ人には、教えておいてやろうか」
今のところ、ガブリエラは完全に巻き込まれ枠。
幸い、山下正作自身は基本的に善良なので、彼女が即、差し迫った危機下にあるわけでもないけれど……魔王の部下達については、また別だ。
今までの経緯を眺めるに、魔族が、人間を友好的に処遇する──という期待は、持たない方が良さそうだ。早晩、ガブリエラは危地に陥るだろう。
(でも俺、ちょっと彼女に避けられてるフシあるしなぁ〜……どうしたもんかな)
***
陽が赤く沈み、厚い雲が、妙に白々しい夜となった。
王城内で開催される祝宴は、だいたい月に一度ほどのペースで行われている。
ハラニーチ四世の名で開かれる催しに参加できることは、それだけで絶大なステータス。たとえ貴族であろうと、そこに年に一度でも顔を出せたなら、かなりの上位権力者だ。田舎出の小領主の場合、爵位継承のとき一度呼ばれてそれっきり、ということも珍しくない。
軍人なら、将軍以上。
商人なら、王都でも屈指の豪商。
たとえ王族であろうとも、本流から外れた”捨て王族”に参加枠はない。捨て王族に期待されるのは、万が一に備えての血統保存機能、それだけだ。
つまり、勇者パーティ、山下正作、鈴木甘太郎が”そこ”に参加できるのは、相当の高待遇ということだった。
***
「僕より先に兄上が、その……ヤマシタ? たちのところに行って激賞するようにって、ルベルベラ王妃に言われたんでしょ? そうしたら、いいじゃない」
宴席会場近くの、待合室。
レオライドは、裾飾りがどうも合わなかったので別のものに替えていたところ、弟──腹違いの──第二王子サリオンが入ってきた。
数言、挨拶をかわし、それで終わるかと思いきや、唐突に先の発言。
「なぜ、それを」
「なぜって、言いそうじゃない? 王妃。そういうこと」
あっけらかんとした顔でサリオン。
一見、年齢相応に少年らしい仕草だ。
「……いつも思うが、どうしてお前は、わたしにいちいち塩を送るような真似をする」
サリオンに王への野心はない。
それはレオライドも承知していた。
しかし一方、サリオンがレオライドに肩入れする理由も特にない。
要するに、敵ではないが、味方でもない。
「どうしてって。さっさと兄上が王位継承してくれた方が、僕にとってありがたいからに決まってるじゃない。陛下は不満だろうけれど、宮廷雀──烏? 達は満足だろうし、ルベルベラ王妃も、兄上も満足。そして僕も満足。どう考えても、これが最善だよ」
(あえてサーララの名を外したな)
弟の、こういうところがいちいち不安になる。
己の凡庸さへの自覚が、より強くなるためか。単なる嫉妬か。
レオライドが王を目指すのは、それが責務だからだ。
生まれながらにして運命づけられた義務であり、責任。
そこから逃げることはできない。逃げる気もない。
率直にいって弟サリオンの方が自分より賢明であるし、支配者としての貫禄も備わるが、残念ながら”生まれ”が悪かった。
レオライドより遅く生まれ、レオライドとは違う母を持った。
しかし、それが不幸なこととは限らない。
サリオンは、いずれ来たるレオライド王朝においては、能吏・能臣として生きればよい。
(恐らくそれが、本人にとっても、民にとっても最善のはず)
***
祝宴。
王の挨拶、宰相の言葉を経て、いつも通りの開幕。
城内の第二大食堂を使った、立食式の──サリオンからすれば、飽き飽きとしたルーティンワーク。セレモニーに顔を出すたび、王族も貴族も、楽な商売ではないと思う。
(こういうものに出たがる人間の、気が知れない)
向こうでは、ヤマシタ、カンタローに対する、レオライド王子の”激賞”が終わったようだ。人混みの先で、ルベルベラ王妃が満足そうに微笑んでいる。王は、見て見ぬふり。サーララは……
(そろそろ、行っていいかな)
サリオンは、先の兄の言葉を思い返した。
まだ王にもなっていないのに、猜疑の塊か。
こと、これについては完全に言葉通りなのに。
兄に王になって貰ったほうが、サリオンにとって都合がいい。
兄は鈍いが実直。その母や妹のように歪んでいない。
父王の言う通り、先々の不安は残るだろうが、そこは自分や皆が補佐すれば足りる。
(第一、僕のリアンが魔王に負けるわけはない)
王の身分など、余計だ。
リアンを娶ることが、更に難しくなるだけ。
自分に、何の得もない。
臣籍降下しても良いが、リアンと結ばれた後──子の立場云々を考えると、”王弟”の地位を保持したままの方が、いざという時の選択肢が増える。
王家の中に勇者の血統を交えることは、政略的にもプラス……そんな理屈で、反対する者も叩き伏せ易い。これに反対する者は、ゾークヴツォールの盤石を案じぬ不忠者、というわけだ。
勇者リアン・スーンが、サリオンの姿に気づいた。
笑って、手を振っている。
王子は駆け出し、その胸に飛び込んだ。
その狭間に顔を埋め、やや強めにぐりぐりする。
「おっ、王子。だめですよ」
「久しぶりだから、いいじゃない」
顔を上げ、サリオンは無邪気に笑ってみせた。




