その31 〜跨線橋の上で〜
ヤットール・デイホンムーア将軍。
デイホンムーア男爵家の次男。三十三歳。
幼少の頃には、年の離れた兄がすでに爵位を継いでいたため、立身の場を軍と定め、以来、武芸修練に精を出してきた。
貴族社会での実家は、せいぜい中ほどの勢力であるものの、何代か前に”捨て王族”の血筋を取り込んでおり、表看板だけは立派だった。軍部で出世するのに、そういう分かりやすいフレーズも、けっこう馬鹿にならない。
「八方丸く、万事ぬかりなく」
亡き父の遺言を、ヤットールは人生訓としていた。
人は、どこまでいっても感情の生き物だ。
たとえそれがどんな小物であれ、いたずらに心を逆撫でてはいけない。
部下を労い、上司を労い──
”へつらい”ではない。
そこは、注意しなくてはならない。
謙るのは、違う。
貴族、王族がとかくメンツにこだわるのは、何もくだらない虚栄心からだけではない。誇りとも関係ない。舐められたら仕舞いだからだ。
それは、貧農であろうと王であろうと変わらない。
犬の群れでも、おそらく魔族の集団でも変わらない。
自然界の"法則"──
ただの、それだけだ。
法則は、銀のそれのように絶対だ。
上司にただゴマをするのは違う。
部下へやたらと下手に出て、陰で嘲笑されるのも違う。
ただ、労う。
功績を称賛するのは易いが、苦労を適切にねぎらうのは、存外に難しい。
よくよく観察すれば、誰であっても日々の人生、何らかの苦労をしているものだ。必要なのは、その理解者となること。
ヤットールは、長い時間をかけて、彼のような出自の者に向かいがちな感情──嫉妬──を、一つ一つ溶かしていった。自分の苦労を理解してくれ、ねぎらってくれるような相手を、通り一遍の理由で憎み続けるのは難しい。
八方丸く、万事ぬかりなく。
血統の良さ。
恵まれた武才。
宮中でも話題の美男子。
これらの要素が、使いづらい諸刃の剣でなく、便利な片刃の剣となったのも、ひとえにヤットールの『努力』の賜物だ。誰も貶めない、誰も不幸にならない。後ろめたさなど微塵もない。正統、正道にての、堂々たる立身。
──あの御前試合までは。
***
「捨ておきなさい、ヤットール」
「しかし、殿下」
城内の華美な廊下を歩くのは、三人。
第二王妃ルベルベラ。
ヤットール将軍。
そして、王妃の腰巾着ゲゾス・ベンベン伯爵。
王妃がぴた、とその歩みを止めると、二人もそれに合わせた。
「小娘らしい、ただの好奇心に過ぎません。サーララとゴンドラゴンドが密会? ふん、絵にならぬこと夥しい。これが、あなたとあの娘であるなら、美男美女ということで、まだしもさまになりますが──」
「王妃殿下。そのような浮いた話であるならば、態々わたしも報告になど及びません。どうも王女殿下は、あの男をそそのかし、何やらお企てを」
万事ぬかりなく。
その訓示が、彼をして城内、王都内の隅々に情報網を築かせた。
下働き、王宮メイド、近衛兵、警備兵、下級貴族──そこかしこに、彼の目があり、耳がある。王城内第三庭園で、たまたま掃除していた下男の話は、ヤットールの本能に危険を囁いていた。
「ふむ、では今夜の宴席で、いたずらの一つも仕掛けるのかも分かりませんね。やれやれ、あの子も、自分が行き遅れている理由に、そろそろ気づいて貰わないと。美人が遅れるというのは、決して迷信ではないのです」
そういってルベルベラは片手をひらと上げ、一人で廊下を進んでいった。
手の仕草は『ついてくるな』ということだ。
ヤットールは音を殺してため息をつく。
(この頃の王妃は、サリオン殿下以外のことについては、すっかり気が抜けてしまっているな……)
しかし、それは無理もないことにも思われた。
彼女の実子であるレオライド王子が次代の王となることは、もはや鉄板。強いて言うならサリオンに、という展開もまったくのゼロではないだろうが──たとえ王がその気でも、まわりの貴族が許さない。
数年前より、レオライド『王』となる前提で、組織の根回しは進んでいた。
それが分からぬほど、愚昧な王ではない。
(……仮にそうだとすれば、レオライド殿下の”御出座”が早まるだけ)
これがサリオン王子でなく、サーララ王女なら、なお可能性はない。
そもそもゾークヴツォール三百年の歴史において、女王が誕生したのはただの一度。それも、適齢期の王族男子がたまたま見当たらなかった為、臨時で数年だけ、早逝した前王の妹が『代王』として就いたというもの。
歴史とは伝統。
伝統とは、既得権の別称だ。
貴き立場にある女性なら、『王の母』となり実権を握るのが、もっとも現実的である。ルベルベラ王妃が狙っているのはまさにそれで、定番ながらも堅実なやり口といえた。
そんな王妃の実子でもあるサーララ王女に対し、”その方面”で警戒せよ──などと、荒唐無稽な戯言と退けられても、仕方のない面はある。
が、それでも……
「ゲゾス伯。あなたは、どう思われますか?」
ゲゾスは、これまで沈黙を守ってきた。
腰巾着なりに分を弁えているのもあるし、余計な火種に手を突っ込んで火傷してもつまらない、という月並みな臆病さゆえでもある。
「あー……将軍。この際、王位云々から外して考えてみては如何でしょう」
ゲゾス伯が、腰巾着とは申せ、決して愚かな男ではないことをヤットールは知っていた。沈黙している間も、この件について相当に考えていたことが伺える。
「勇者パーティの一員たるゴンドラゴンド大隊長殿に、王家の貴人が接近する理由とは何か。先に王妃殿下も仰った通り、ヤットール将軍ではなく、なぜ? です。ハイ」
「わたしと、奴?」
ヤットールは訝しんだ。
「まぁ率直に申し上げて、今をときめく将軍閣下と引き較べ、かの大隊長殿にどんな取り柄があるかと申さば、これはもう唯の一つ」
「……勇者との接点ですか」
「そのとおり。勇者リアン・スーンは陛下にべったり。ミューラは扱いづらい女狐。政治に無頓着なパルテオンは論外。クルクルは──あはは、まぁ、あの子供はわたしの囲い者ですから。となると残るは、ということでハイ」
勇者パーティで、唯一”隙”のあるゴンドラゴンドに取り入った。
その事実が、指し示す先は──
(魔王討伐後? 達成されれば、やつは十中八九”将軍”……場合によっては総司令官にも。今の奴は、ただ腕が立つだけの野良犬。しかし、もしそこに適切な飼い主が現れたなら──)
推論。推論。また推論。
どこまでいっても、根拠がなければただの揣摩臆測だ。
(探らなければならない)
焦燥か、苛立ちか。
ヤットールは無意識のまま、右足をパタパタと踏みしめていた。
***
「ふーん。なかなか、ハッテンしとるじゃーないですか」
鈴木 甘太郎は、線路をまたぐ陸橋──跨線橋の上で、手すりに両肘をかけ、王都の街並みを眺めていた。
建築中の建物のわきに、木組みのクレーンが見える。
動力こそ人力だが、動物の筋を束ねた頑丈な牽引綱を用い、数トンほどもありそうな石材を、なかなか力強く吊るし上げていた。
(鎖じゃなく綱なのは、コスパの関係かな?)
マンホールのデザインはモダンで、現代のフランスあたりでもお目にかかれそうだ。
馬車鉄道があるのには、さしもの甘太郎も驚いた。
元の世界でも、その運用は十九世紀初頭から。
日本でも明治時代には普通に走っていたし、汽車、電車の時代に移ってからも、実に昭和に至ってさえ、ちらほらと使われていた。
(馬の糞尿の始末が大変だったって書いてあったけど──なるほど。この世界では、ああやってフォローしているのか)
貨車を曳く馬は、その尻付近に革製の袋──おむつ? のようなものを装備していた。必然的に馬から出るモノを、あれで一時的にキープ。線路上が、馬糞まみれになるのを防いでいるようだ。
(たぶん、駅に到着するたび、御者がソレを所定の処理場に運んだりするんだろう。うへー……大変そう。給料いくらだ。馬糞って、臭い以前に”熱い”って聞くしな)
──と、このように、甘太郎は異世界をおおむね満喫していた。
「見つけた」
声。
女の。
この王都に、甘太郎の知り合いは数えるほどしかいない。
その誰とも該当しない。
はじめて聴く、声。
背後から。
陸橋の上。人通りは、ちらほら。
甘太郎は、右手を後ろに隠しつつ半身を傾け、その声の主を見た。
「あれ? 前に見たことあるね。お姉さん」
この世界に来て三日目のこと。
ワフルの街。
山下正作や、勇者リアンとの初遭遇時。
とつぜん出てきて、とつぜん去った女。
服装は、この王都の風俗にあわせているらしい。今は。
白髪一歩手前の銀髪。
「一度だけなのに、よく覚えているなってハナシ」
「や、記憶力いいんで」
殺気はない。
しかし油断はできない。
この相手は、たぶん爆笑している最中でも人を殺せる。
「で、何の用ですか?」
甘太郎が尋ねた。
「君が、オレの部下を殺したな?」
こちらの質問を無視して、女は質問してくる。
「──あの、俺、人を殺すように見えます?」
「ヒトじゃない方はどうだ」
女が少し笑う。
(いや、笑うとこじゃねーだろ。今のは)
まずい、と甘太郎は思った。
この女は、甘太郎がこの世界に来た当初、たまたま森で遭遇し、即殺した魔族達のことを言っている……し、どういうわけだか”確実に”そのことを知っている。
『見つけた』……この言葉から察するに、正確な居場所(座標)を探る方法までは持っていないようだが、それでも”鈴木甘太郎が王都へ向かった”という情報を得るぐらいはできたようだ。
はじめに見た時は──シカトされたが──元の世界の服装をしていた。
わざと。見せるために。
誰に?
「山下さんに?」
「……会話が続いていないようだが?」
「いや、でも正作さんでしょ?」
相手のペースに飲まれてはいけない。
初遭遇時のことを思い出せ。
あの時、この女は甘太郎に無関心だった。
今、関心があるのは後に起こったことが原因。
パルテオンの一件。
勇者との知遇。
森で殺した魔族云々は”ついで”──イチャモンの材料。
要するに、これは脅迫ではなく交渉。
不気味さの演出も、交渉を有利に運ぶための圧力。
「くるくると、まぁ、よく頭の回るものだってハナシ」
女は、呆れたように肩をすくめた。
「それは、どうも。あらためて伺いますが、ご用件は?」
甘太郎が再度、たずねた。
数秒、間があく。
女の唇が開いた。
「山下正作は、魔王だ。鈴木甘太郎くん、君は人間だが……勇者の味方をして、同郷の仲間を殺せるか?」




