その29 〜王都動静〜
ゾークヴツォール王国。
建国三百年を誇る、大陸一の大国である。
かつて七百年前、当時の”勇者”の後援者となり、先代魔王アルガスヴェルドと戦ったギュジール帝国の皇帝シファイシタール。その後裔を自称する始祖王──の血に連なる王家が、代々治めている国家だ。
現在の王は、ハラニーチ四世こと、ハラニーチ・レィイム・ゾークヴツォール。
その治世や、魔族対策の巧みさ──ことに、”勇者”の迅速な確保と育成・管理の手管など、おしなべて高く評価されている。
ハラニーチ四世には、三人の子があった。
単純に「子」というだけなら二十を軽く超えるが、『正統な』となると、この三名。
レオライド・メソ・ゾークヴツォール。二十三歳。第一王子。
サーララ・メソ・ゾークヴツォール。十九歳。第一王女。
この二人は、ともに第二王妃ルベラベラの子。
サリオン・ドーマ・ゾークヴツォール。十二歳。第二王子。
この末子のみ、今は亡き第三王妃の子である。
第一王妃は早くに亡くなり、第二王妃ルベルベラは健在。
生まれた順、実母の権勢──
長子たるレオライド王子が次期国王となるのは、大半の貴族たちにとって既定路線であった。
***
「王はいやか、サリオン」
ハラニーチ四世は、談話室で専用の長椅子に横臥し、蜂蜜で割った果実酒を片手に、目の前に立つ子供──第二王子サリオンを見た。
「兄上ではいけないのですか、陛下」
利発そうな声。
面差しは、亡き第三王妃の生き写しだ。
「いけなくはない。レオライドは、優れてはいないが愚かでもない。戴冠後は、ごく普通の王として、ごく普通に民草を治めるであろう」
「では、それでいいのでは」
「平時であるならな。今は、違う。”魔王”があらわれた」
壮年の、威厳ある表情。
厳しい現実に、長年向き合ってきた顔だ。
「七百年前、魔王アルガスヴェルドの時代には、二人の勇者が斃れた。後世には、ただ『勇者に魔王が倒されました、めでたし』と呑気に終わっているが、現実はそう易くはなかったろう。シファイシタール帝の優れた差配なくば、あるいは既に、世界は魔族の手に落ちていたやも知れぬ」
「陛下は、リアンが負けると?」
小さな王子が、不満そうに口端をさげた。
「常に最悪を想定し、先手を打てぬなら、そんな王は不要だ。わたしとて、手塩にかけて磨き上げた勇者リアン・スーンが討たれた先のことなど、考えただけで身の裂かれる想いよ。しかし、考えねばならぬ。万が一を。そして、いざ、そうとなった折──」
「兄上では、足りぬと」
サリオンが、つけ足した。
王は長椅子から起き上がり、空になった酒盃を手近な小卓に置いた。
「まだ決めずともよい、サリオン。まだな。ただ、いずれ決めねばならぬ。そしてそれは、明日かも知れぬのだ」
***
「兄様! パルテオンが右腕をなくしたって、本当?!」
甲高い声が、王城回廊内に響いた。
「叫ばなくても、聴こえてるよサーララ。そうだ。ワフルの街に滞在中、”四強”のヤマトだかいう魔族に不意打ちされて、やられたらしい」
片耳を手でおさえ、第一王子レオライドが云う。
「それは奇妙よ、兄様。魔族って、基本的に脳筋で、力押しの連中だったでしょう。それが人間の街に来て──つまり隠密行動をして──こちらの油断をついてくるだなんて、まるで人間みたい」
二人は、豪勢な装飾の入った両開きの扉の前にきた。
前には、小奇麗な宮廷メイドが三人ばかり控えている。
「まぁな──あ、母上はご在室か? 取次を頼む」
「はい殿下。かしこまりました」
メイド達は一礼し、一人がするりと扉の中へ。
もう二人はそれぞれ扉の取手を持ち、合図を待つ。
しばらくして、中からノックが三回鳴った。
二人のメイドが改めて扉を開き、そこでようやく王子と王女は入室する。
「ごきげんよう、凛々しいレオライド。今日も美しいわね、サーララ」
銀装飾が施されたテーブルに腰掛け、二人を迎えたのは妙齢の婦人だった。
ルベルベラ第二王妃。
生存する唯一の王妃にして、彼らの実母である。
その傍には、傅くように佇む中年紳士の姿が。
ルベルベラ王妃の腰巾着、ゲゾス・ベンベン伯爵だ。
彼は王子たちの姿を認め、深々と一礼する。
「パルテオンの話は聞きました。良いですか、あなた達。王族たる者が、いちいちとこの程度のことで一喜一憂するものではありません。戦は水物。かの”竜殺し”とて、時には不覚を取るもの。そうと承知すれば、回廊中に響くような高声をあげるまでもないのです」
指摘され、サーララ王女は少し下を見た。
「それよりも、パルテオンの危機を救った市井の者を賞する、という話。こちらの方がずっと重要です。陛下は謁見の際、金一封と賞状を下賜されると仰っておられましたけれど、その後の宴席で、あなた達──特にレオライドは、必ずサリオンよりも先に、その者達に声をかけるのですよ」
「母様──」
レオライドは、なかばうんざりしたような声を出す。
「”見せるため”にそれを行うとして、一体誰に”見せる”のです? サリオンに? あいつは王になる気なんてありません。ほかの貴族たちに? 継承順位に劣り、若年で、後ろ盾もない弟とわたし、どちらに着くかなど、利に聡い連中はとっくに決めてしまっていますよ。あるいは、”勇者”たちに?」
王子はそこで腕組みし、一呼吸おいた。
「それは、確かに多少は意味のある行いかも知れません。我が王家は、勇者の後援者。魔王打倒後のことまで考えるなら、良き味方としての顔を印象づけておくのは、一つの布石となるでしょう」
「陛下です」
ルベルベラは、ぴしゃりと断言した。
「”見せる相手”がいるとすれば、それはハラニーチ四世陛下、ただの御一人です。正統な後継者たるあなたが、サリオンに先んじて、王が賞したその者を賞する。それを周囲の貴族たちが見て、状況を追認する──その様子を、見せるのです。他ならぬ陛下に」
「レオライド殿下。陛下はきわめて英邁な御方でありますが──」
これまで黙していたゲゾス・ベンベン伯が、口を挟む。
「こと後継者については、どうにも逡巡されているご様子。蟻の一穴、天下の破れ──のたとえもございます。当たり前のことを、ただ当たり前に……その素朴なる民衆の総意を、殿下の立ち居振る舞いによって王にお示し戴けたなら、と……ハイ」
***
ゲゾス・ベンベン。四十五歳。
ベンベン領の領主にして、ゾークヴツォール始祖王の代より仕える、由緒正しい伯爵家の当主。生まれた時は三男。本来、爵位継承など夢のまた夢だったが、彼は『努力』によって今の地位についた。
障害は、乗り越えるか、排除するしかない。
乗り越えるには、器量がいる。
ゲゾスは、自分にそんな器量はない──と理解するだけの知恵はあったので、排除することにした。あとは、その方法だ。これが難しい。
どう排除するにせよ、怪しまれてはいけない。
暗殺、毒殺、病殺……すべてにリスクがあった。
ゲゾスとの関係が露見しにくく、かつ誰も疑わないやり方。
ゲゾスは思いつき、実行した。
だから爵位を継承できた。
レオライド王子、サーララ王女が退室するにあわせ、ゲゾスもまた王妃の室より暇を願った。
王城を出て、貴族区画の片隅にある己の屋敷に戻ると、もう陽が落ちていた。邸内に入ると、そこかしこの燭台に火が灯されている。
薄明かりの中で、彼は満足げにため息をついた。
そこは、彼の小さな王国だ。
気まぐれに下男を足蹴にしても、使用人の小娘の尻や胸をなでても、誰も何も言わない。これが貴族、これが特権階級。ゲゾスの『努力』の賜物だった。
(しかし、俺はこんなところで止まらない。だから、もっと『努力』する)
自分が治めるベンベン領内の、ある村──
裏からゲゾスが手を回し、経済的に困窮させた──
それを救済するという自作自演と引き換えに、年若いながらも伝説的な弓の腕を持つ小娘を、勇者パーティにねじこんだ努力。
自尊心をすり減らし、第二王妃の腰巾着に徹する努力。
しかし、最大の努力は──
「勇者の一団が、王都に戻ったようですね」
ゲゾスの書斎、その暗がりにひっそりと立つ女。
黒いローブに身を包み、顔も陰になって見えない。
「うむ。さっそく王妃のやつに呼ばれて、あれこれ探りを入れさせられたよ。まぁそれだけ買われているということなので、俺としても痛し痒しだが。パルテオンがやられた時の詳細を、事前にお前から聞けていたのは大きいぞ。これでまた、俺の値打ちが上がった」
そういって、下品に尖らせた鼻髭を、ピンと指ではじく。
「何か、こちらでやっておいて貰いたいことは、あるかね」
「……いえ。今のところは何も」
(こいつと知り合えたのは、まさに幸運だ)
素顔は一度しか──言語を絶するほど醜悪だ──見ていないが、ゲゾスとこの魔族の女は、十年来の知遇だった。
人間の集団が一枚岩でないのと同様、魔族──魔王軍とて一枚岩ではない。
その好例が、今、彼の目の前にいる。
長兄は、野良魔族の襲撃に巻き込まれて死亡。
次兄は、魔王軍との戦闘に箔付けのため参加し、後ろの陣を急襲され死亡。
暗殺でも、毒殺でも、病殺でもない。
まさか誰も、人類の天敵と手を組んで殺したとは思うまい。
いや、仮に思ったとしても気狂い扱いされるのがオチだ。
それほどに、人間と魔族の溝は深い。
(第一王妃、第三王妃を消してやれたのも、こいつのお陰だ。かわりに、王国のちょっとした情報を横流ししたり、聖女ラヴィリアの弱みを教えてやったりしたが──なァに、大した事ではないだろう。大勢はさして変わらず、ただお互いの組織内で、俺とこいつが多少出世するだけだ)
こういうのも、共存共栄というのか。
最初の方こそなにかの罠と疑い、いろいろ策を巡らせたり、気を揉んだりしたものだが──それは向こうも同じだったようだが──数々の取引を通じて、少なくとも仕事の上では信頼関係が築かれつつあった。
(俺にとってもそうであるように、今こいつが俺を消しても、こいつの得になるようなことはないだろう。失われるものの方が、ずっと大きい)
損得のきく相手は、その意味で信用できる。
”裏切るかも”というリスクを、利害の鎖で縛るのだ。
「では伯爵。また次の会合で──」
そういって、魔族の女は闇に溶けるようにして消えた。
幻影か、あるいはもっと別の魔術か。
(いっそ、サリオン殿下も消してもらおうか)
埒も無いことを考え、ゲゾスは低く笑った。
***
王都の夜。
多くの灯りが、闇の隅々までを照ら出している。
ゲゾス・ベンベン伯爵屋敷、その屋根の上から、彼女は無数の光点を見下ろしていた。
「お前の値打ちは、そろそろ弾けてお仕舞いです。クズ人間」
身にまとっていた黒布が砕け散り、中から赤髪、赤ドレス、三本角の女性が現れた。
「最期にわたくしの役に立つその時、その瞬間、せいぜい豚のように鳴きなさい」
真紅の大翼を広げ、エクステリアは王都の夜空へ舞い上がった。




