その26 〜尻尾〜
ワフルの街、最大の公衆浴場。
その入口に、正作は立っていた──ほかの皆と一緒に。
(どうして、こんなことに……)
そう、先程の”青竜のさえずり亭”酒場での、ある会話がきっかけだった。
「んー、カンタロー。お前さん、まだこの街の浴場に行ったことないのか」
「ええ、まぁ。部屋でお湯を借りて、身体拭いてしのいでました。どうもこう、故郷と勝手が違うといいますか、変に作法破りして悪目立ちすると、良くないかなって──」
「ああ、なる。文化が違ァ〜うッて、あるよなぁ」
ジョッシュがうんうん頷く。
うまい言い訳だ。
自分もその線でいこう、と正作は思った。
「東方連合のどっかの国ではさ、いまだに男女混浴なんだって聞いたことあるもんね」
「本当?」
クルクルの言葉に、リアンが眼を丸くする。
「何いってるのぉ、昔のゾークヴツォール王国だって、本来は男女混浴だったのよ。四代前のハラニーチ三世陛下が、公序良俗の乱れを憂いて、五十年前、男女の入浴時間を分けるように定めたの」
「我が子供の頃は、まだ男女共用であった」
意外と、雑談にも結構入ってくるパルテオン。
「時間帯で分ける今より、合理的に思えたがな。分別、不理、区別、不利」
(ああ、男風呂、女風呂と二つあるわけじゃないのか──)
その辺は、リソースの問題もあるのだろう。
この世界の『時間』は二十四時間制で、元の世界と同じ。
腕時計や懐中時計など小型の時計はないものの、時計台のような巨大機械によるそれはすでに存在する。日に一度、人力で重りを引き上げ(滑車を利用したハンドルを使う)、その位置エネルギーで歯車を回転させ、時計針を機能させていた。
朝六時から夜八時までは、二時間ごとにその時間数分の鐘が鳴る仕掛け。こうした時計台が街の要所要所に点在し、人々はそれを聴いて、太陽が見えない曇り空の日であっても、わりあい正確に時を知ることができた。
なお、日の出=朝六時と定義されている為、時計針は週ごとに微調整される。これにより、自然とサマータイム的なことにもなっていた。
「この世界も、二十四時間制なんだ。不思議なもんだねぇ」
二人だけの時、正作は甘太郎に言ったことがある。
「基本、こっちの世界は元の世界の類比っぽいです。こっちも月の満ち欠けが三十日、十二ヶ月で一年みたいですから、日中十二分割、夜間十二分割で、一日二十四進数──みたいな発想は、わりと自然な気もします。数学的にも、まぁまぁ面白い数字ですからね。十二って」
正作は、とりあえず「なるほど」と頷いておいた。
「類比って何?」とは、ちょっと聞けない空気である。
「よっしゃ、ンじゃあいっちょ! 今から夜風呂と洒落込むかい? カンタロー。この俺ジョッシュが、ワフル流の入浴作法を伝授してやろう。さっき二十時の鐘が鳴ったから、今は男の入浴時間だ。──ほら。旦那も行こうぜ」
ゴンドラゴンドが、赤ら顔で腕組みする。
「んー……昼も入ったんだがな……まぁいいか。付き合おう。パルテオンは?」
「我はまだ傷がな。しばらく入浴は控える」
「よし、じゃあヤマシタさんを入れて四人だな。行こう行こう!」
「え」
(なんかナチュラルに混ぜられてるゥ!)
しかも甘太郎と正作には、是非を問わないスタイル。
「タオルとか石鹸は、持参ですか?」
甘太郎は、わりと乗り気なようだ。
「向こうでも買えるし、俺や旦那はめんどくさいから買うつもりだが──自前のがあるなら、持っていった方が安上がりだな。おっと、入浴料は一人小銅貨三枚だ。これは誘った手前、俺がおごるぜ」
(小銅貨── 一枚百円として、三百円か。安いなぁ)
昔の銭湯でも、もう少し高かった。
政府、王国から補助金が出ていたりするのだろうか。公衆衛生を保つことは、疫病などの予防にも繋がり、公益にかなうとか何とか。
(いや、そんな場合じゃない。風呂はまずい、風呂は)
正作の背中に、ちょこんと付属している一対の羽。
このごろ常時服の下なので、そろそろ露出して湯につけてやりたい気もしたが、それをすると確実に死ぬ。殺されてしまう。
下手をするとその辺の一般人より無力だが、正作はたぶん魔族であり、たぶん魔王である。
ああ、痛い。
ストレスで、急激に胃が痛くなってきた。
(あ、腹痛?)
これだ。
腹痛で行けないなら、仕方がない。
「あ、その、ぼく。ちょっとお腹が──」
「なんだなんだぁ、いい歳して食べ過ぎですぜ、ヤマシタさん。ゆっくり湯につかって、血を巡らせりゃ消化も良くなるって!」
「いってらっしゃーい。リアン達は、さきに寝とくね」
「残りのお酒は、全部飲んでおいてあげるから安心してぇ」
「んー、よし。じゃ、遅くなる前にサッと行ってくるか」
そういうことになった。
***
正作の戦いは、今のところ、崖際でギリギリ踏みとどまっているような風情だ。
(とにかく常時、背中を皆の死角に置く。これしかない)
背中を見られたら、死ぬ。
どこかで聞いたことがあるような話だが、今の場合、まったくそのままの事実なだけに笑えない。先頭にゴンドラゴンドとジョッシュ。その後に甘太郎、正作。
先頭の二人はプロレスラー顔負けの肉厚な筋肉を搭載し、おまけに全身古傷だらけ。いかにも歴戦の勇士といった佇まい。
意外なのは甘太郎。
さすがに傷だらけではないものの──細マッチョというのか、マラソン選手や軽量級ボクサーのような、引き締まった身体をしていた。
「んー、ほぅ? 坊主、けっこう鍛えてるな。武道の心得が?」
とゴンドラゴンド。
「あ、鈴木家は文武両道がモットーなので。子供の頃から日本拳法の道場に通わされていました」
おそらくゴンドラゴンドとジョッシュには、ニッケンという名の武道家のもとで修行した、そんなような話に聴こえているのだろう。
「それに比べて、ヤマシタさんは──またこれ堂々とした麦芽酒腹だねぇ。中年は多少贅肉をたくわえた方が病になりにくい、とは言うものの……」
ジョッシュに指摘され、正作は赤くなった。
典型的おっさん体型。
持参したタオルは右肩にかけ、さりげなく背中の羽を隠すようにしていた。
大浴場は──夜にしては、思ったよりも明るい。
これまでの道のりが薄暗かったせいで、余計そう感じる。
それもその筈。
湯気が立ち込める空間、そのドーム状の天井には、光の玉が一つ、煌々と輝いていた。魔王城の浴場に比べ二つ足りないが、それでもランプなどによらない魔法の光源。
さすが異世界、さすがファンタジーである。
「あれ、照明の呪文って、何日ぐらいもつんですか?」
正作の疑問を、何段階かすっ飛ばして甘太郎が尋ねた。
「術者によるが……まぁ、ごく一般的な魔術師で一ヶ月ぐらい持続するって聞いたことがあるぜ」
ジョッシュが答えた。
(照明の呪文は一回で銀貨五枚。五万円。それで三十日として、つまり……えーっと……あー……三七、二十一だから……そう、一日あたり千七百円弱の照明コストかぁ)
一般家庭で常用するには高すぎるが、こういう施設ならほどほどに回収可能そうな価格帯といえる。
こんな時間帯でも、わりと客入りがあるようだ。
多くの人──もちろん全員男性──は赤ら顔で、アルコール摂取済。
血圧的に大丈夫か、という発想は、この世界にはないらしい。
それを言い出せば、今の正作もかなり危ないが……
もっと圧倒的に危ない状況下なので、その程度は些事と言い切れた。
「最初に軽く身体を洗い、流してから湯船につかる。で、温まったら──昼ならあっちのスペースで運動したりするが、もう夜なのでやらんほうがいい。おなじく昼間なら、マッサージ師や菓子売り、ワイン売りなんかもいるな。そういうのや、あとボードゲームを楽しむのはあっちの、椅子とかある一角で」
ジョッシュが、簡単に公衆浴場のガイドを行った。
身体は、立ったまま洗うらしい。
それぞれてきとうに間をあけて立ち、湯桶を足元においてタオルでごしごしやる。
(『テルマエ・ロマエ』だと、ストリジルとかいう金属棒で垢をこすったりしてたけど、ここでは普通にタオルなんだね)
麻で編まれた、ごわごわのタオル。
石鹸をつけてこすると、結構満足感がある。
正作は壁際に立ち、可能な限り背中をガードした。
一通りこすり終え、桶の湯でざばぁっと流して、いざ入浴。
(いける。問題ない)
一足先に洗い終えたゴンドラゴンド、ジョッシュ、甘太郎は、すでに湯につかっている。もちろん、意図してワンテンポ遅らせたのだ。
湯気で、ほどほどに視界がぼやけているのもいい感じ。
すべて世は、事も無し。
正作が、湯船へと足を踏み出した。
「あれ、あんた、ヤッポの雇い主の──そうそう、ヤマシタさん、だっけ?」
背後から、声がした。
(門番の人だ)
「あ、あ、はい」
「やっぱりそうだ。奇遇だねェ」
「おや? あんた、なんか──背中に、ゴミみたいなんついてね?」
思わず鼻汁が出た。
振り向く勇気が出ない。
心音が、後ろの声より大きくなった気がする。
「いや、汚れかな。インクがついたとか……」
(もう、あかん──)
盛大な水音がした。
正作が、ビクンとその場で微ジャンプする。
「うぉっ」
「なんだ? 誰だ」
「酔っぱらいか」
ゴンドラゴンド達が、湯から立ち上がっている。
その付近で、盛大に水柱が上がったようだ。
誰かが高いところから飛び込まなければ、ああはならない。
「なんだぁ、今の」
背後の門番が気を逸らした隙に、正作は素早くタオル再起動。
背中をさりげなく隠した。
「な、ななななな、なんで、しょうね?」
なんとなく怖い気もしたが、今は門番から距離を取る方が大事だ。
正作は、意を決して湯につかり、水柱が立ったあたりに近づいてみる。
ざぱぁ、と水面から人が出てきた。
それを正面から直視したゴンドラゴンド達の眼が、点になる。
「え」
「お?」
「あ」
三者三様。
突然、男湯のただ中に、全裸の女性が出てきたら、おおむねそのような反応になるのだろう。
しかし、それを後ろから見た正作は、ある意味、その三人より驚いていた。
後ろ、つまり彼が見たのは彼女の臀部。
(──魔族だ)
尾てい骨のあたりに、小さな爬虫類系の尻尾が生えていた。
その直後、その彼女、ガブリエラ・ジーン・ニューマンが絶叫をあげた。




