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魔王おじさん50  作者: クリントン大西
--山下正作 魔王になる編--
2/93

その1 〜山下正作〜

 二〇十六年二月三日水曜日。神戸某所。

 午後四時二十七分。


 山下正作は、トラックに轢かれかけた子供を助けた。


 三車線道路。幅広の横断歩道。

 赤信号なのに突っ込んでくる大型トラック。

 たまたま子供、一人。

 狙いすましたように。

 ほかの大人たちは歩道に退き、正作だけ子供の方へ跳んだ。


「うっ」


 アスファルト。

 全身を強く打つ。擦れる。

 ここまで派手に転ぶのは、子供の頃以来だ。

 脳が瞬時に沸騰し、しびれる。


(歩道)


 それだけ考え、足が動く。手が子供に触れる。

 人のざわめき声。音。

 車のクラクション。

 後続の車にまきこまれることもなく、正作とその子は、歩道脇のガードレールにたどり着いた。


「あ、あの、大丈夫?」


 子供──十歳ほどの──は、肩を震わせるや、乱暴に正作の手を振りほどき、通行人の間を駆けて行ってしまった。


 正作は、駆け去る子供の背を、無言でぼんやり眺めていた。


「ちょ、待てよ」

「きゃ」


 などといった声が遠い。


(怪我、なかったのかな。心配だけど、まぁ、走れるぐらいだから大丈夫かな)


 落ち着くや、身体の端々に鈍い痛みがあるのに気づく。

 ズボンの左膝が、薄くやぶれて血が出ていた。

 背中と左腕にも、鈍痛。


「大丈夫ですか。救急車とか……」

 背広の若者が、右手にスマホを持ったまま訊ねる。


「あ、はい。はい。大丈夫です大丈夫です、ありがとう」

 正作は弱々しく小声で何度も頭を下げ、人だかりの中からそそくさと退散した。


(ズボン買い換えなきゃ。また、お金がかかるなぁ)


 人生の落伍者というと、様々の基準があるだろうが、とりあえず自分がかなりそれに近い状態であることを、正作は自覚していた。


   ***


 山下正作、男。


 昭和四十一年一月七日──(ウマ)年生まれの五十歳。

 奈良育ちの一人っ子。


 なにをどうということもない中流家庭に育ち、高校時代は、アマチュア無線とファミコンにはまった。当時は、今より不良とよばれる人種がずっと凶悪で、正作も幾度かターゲットにされたが、幸い、自殺するほどは追い込まれなかった。キーワードは、焼きそばパン。


 友達は、あまりいなかった。


 これまた当時流行っていた漫画、ハイスクール奇面組などを読み、「自分もこういうふうに学校生活が送れればいいなぁ」と憧れてはいたが、それは夢想の彼方であった。カノジョなどに至っては、「この世のどこかに、いるという」ほとんど天竺のような扱い。


 高校卒業後は、大阪の米飯製造工場へ就職。


 どこかの大企業勤めの人が引退してから興した会社だそうで、中小企業ながら、それなりにしっかりとしたところだった。後になるほど、そう痛感した。


 頭まですっぽりとおさまる白衣を着てマスクをつけ、夏場など汗だくになりながらも、パートのおばさん達にまぎれて、大釜で炊かれた白米、豆ごはん、酢飯、赤飯などを小学校の給食用容器につめたり、スーパー・コンビニ用のおにぎりをパッケージングしたり、資材搬入を手伝ったりした。


 お酒は好きだったが、会社の忘年会は嫌いだった。


 社長は、社内で孤立気味な正作を気遣って、都度都度(つどつど)声をかけてくれるわけだけれど、


(いい人なのは分かるし、こんなこと考えるのは恩知らずなんだろうけど……なんというか、負担だなぁ。いっそ放っておいてくれた方が、惨めじゃない分マシだ)


 と、当人は思っていた。


 人恋しさがないわけではないが、集団でいるよりは一人でいるほうが安らいだ。

 奮発して買ったPC98のパソコンをちょこちょこいじったり、VHSビデオで留守録したアニメを週末楽しんだり、たまにガンプラなどを買ってきて組み立て、


(最近のガンプラは、指まで動いてすごいなぁ)


 などと感心したり──要するに、そういう人間であった。


 安月給ながらも、生活は安定。

 孤独ながらも居場所はあり、世間も好景気。

 思い返すに、この頃が正作の人生中、もっとも幸せな期間だったのかも知れない。


 転機が訪れたのは、一九九八年。正作、三十二歳。


 父が倒れた、と報があった。

 末期の前立腺ガン。骨転移。下半身麻痺。


 三十年ローンで建てた家は、地価高騰時に買ったもので、売っても返済額とは相殺しない。団体信用生命保険には入っていなかったので、父の死後は、母親にその負担がのしかかる。


「で、返済は残り、いくらあるの?」

「二千万円ぐらい」

 病院の待合室で、力なく、母が答えた。


 父は、生来の保険嫌いで、がん保険はおろか、生命保険にも加入していなかった。会社人でなければ、天引きされる年金や健康保険すら払わなかったに違いない。戦前生まれの、奇妙な頑固さを持つ人だった。


 翌年、父は亡くなり、正作は母を引き取った。

 家を売ったときには、父が倒れたときから更に安くなっていた。


 悪いことは重なるというが、一九九九年。


 ノストラダムスの大予言と同期するかのように、天災が正作に降り注いだ。

 当世はやりのリストラである。


 人の良い社長は、世の不景気にも負けずギリギリまで雇用を守り続けたが、やはり限界はある。社内での和になじめず、さりとてさほどの実務能力もない正作は、客観的にいって、実に切りやすい人材だった。


「退職金、色をつけておいたから。本当にごめんね」


 母親は、レジ打ちのパートをはじめた。

 正作は、しばし打ちひしがれた後──どうやって生きていこうか考えた末、独学で基本情報技術者資格を取ることに決めた。


 世は空前のITバブル。趣味でいじっていたパソコンでなら、もしかしたら職にありつけるかも知れない、という判断だ。


 四度目の試験で、ようやく合格。


 二〇〇一年。何十ものお祈りを受けたのち、正作は小さなベンチャー企業になんとか就職した。契約社員として。


 発電施設に絡む、ある端末の制御ソフト外注。

 工場で使っているシステムのUI改善。

 企業用ホームページの新規作成。

 ちょっとしたブラウザゲームの保守管理など、言語も方向も雑多な仕事を、のべつまくなし処理していった。たいていは、別会社への派遣だ。


 毎度変わる職場、そのたびに勝手の違うやり方。空気。

 固定残業制だとかで、いくら残業しても給料が増えることはない。

 職場に寝袋を持ち込むほどに働いても、血尿が出ても、それは変わらない。


 やがて母も倒れ、寝たきりになっても変わらない。


 ローンは返済しなければならない。仕事は、たとえいずれもが手間仕事で、スキルアップに繋がらないとしても止められない。

(生きるって、大変だなぁ)

 二徹後の真夜中、帰途につく正作は、夜空を見上げて少し泣いた。


 そしてリーマンショック。

 正作は再び職を失い、別会社で派遣社員となる。


 仕事がないわけだから残業もないが、給料はさらに下がり、やっていけなくなった。母親の医療費、自分が借りたわけでもない住宅ローン。


 昼の仕事に続け、夜はコンビニのバイトをすることになった。

 午後七時から入って、十一時まで。

 バイトは若い子が多く、四十男の正作は、それだけで浮いていた。元来、社交的な性格でもない。いつしかバイトの間で、あだ名が「キモじい」となった。


 二〇十五年の暮れ、とうとう戦力外通知が来た。


 解雇されたわけではないが、実質は同じことである。

 何しろ、いくら面談という名の面接を受けても、次の派遣先が決まらない。決まらなければ、給料もない。スマホアプリ制作もおぼつかない、オブジェクト指向の真価もいまだによく分からない、といって人付き合いも満足にできない──言われた作業を、ただこなすしかできないアラフィフ男には、むしろ遅すぎの判決だったか知れない。


 昨年母が死に、遺産放棄で医療費やローンの負担はなくなった。

 が、仕事もなくなった。


 雇用保険受給目当てでコンビニのバイトも辞めてしまったが、先の展望もない。

 仕事の関係で住居を神戸に移していた正作は、日々目的もなく、三宮あたりをうろついた。五年前に患った腰椎ヘルニアの再発を気遣いながら、ただ、人混みの中を歩く。とぼとぼと。


 いっとき、わざと安物の背広姿で外食し、孤独のグルメごっこをやってみたりもしたが、虚しくなってすぐやめた。あれは、もっとまっとうな……充実した大人がやる遊びなのだろう。

(何のために、生きるのか)

 若者が戯れにやる思考遊びが、今の正作には重すぎた。


   ***


 二〇十六年二月三日、夜。


 自宅のマンション(1DK)に戻った正作は、かんたんに傷の手当をした後、コンビニで買ってきた発泡酒の缶をあけ、チーカマの束をコタツの上に転がした。ささやかな酒宴のはじまりだ。


 23インチの液晶テレビが、どこか外国の事件を報じている。


(……さっき(・・・)のって、もしかしたら異世界転生フラグだったのかも)

 などと、益体もないことを考えつつ、むいたチーカマを齧る正作。


 誰かを助けようとしてトラックに轢かれたり、刺されたり、爆発したりすると、なぜか知らん、異世界へ行けることになっていた。誰が最初に思いついたのやら、ちょっと気の利いた導入だ。


「ま、お手軽な現実逃避だよなぁ」


 ビールの味など、とうに忘れた。発泡酒こそ、我がビール。相変わらず先の視えない人生ではあるけれど、今夜はほどほどに気分が良かった。


 自分のような人間でも、世の役に立つ機会があったのだ。


 何しろ、先の子供──性別すらよく分からなかったが──の死ぬ運命が回避されたのだ。少なくとも、少子化社会にとっては善いことであろう。

 あるいは将来、あの子は国を救う大政治家やら大企業家になるのかも知れない。

 そう妄想することは、慰めとしても悪くない。


 ひっそりとほくそ笑み、次のチーカマをむいたところで、玄関の扉がバンと乱暴に開かれた。


「え」


 特殊部隊、そんな単語が正作の脳裏によぎる。

 その連想にふさわしく物々しいコスチュームに、名前は知らないがとにかく小銃のようなものを構えた数名が、たちまちコタツに座ったままの彼を囲い込んだ。


「え」

 もう一度、正作。


「こいつか」

「面倒なことをしてくれた」

「なに? 善行をつんで天国へでも行くつもりのヒトなの?」


 集う銃口が目先につきつけられる様は、どこまでも非現実的だ。


「え」

 三度目。


「……拍子抜けだな。もっと仲間がいるかと思ったが」

「単に、巻き込まれただけか」

「処理班は?」

「五分後」

「あっそう。んじゃ、行方不明ってことで」

「じゃあな、オッサン」


 誰かが、正作のコメカミに何かを押し当てた。


「え」


 カヒュッ

 それが、彼の聴いた最後の音だった。

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