その15 〜ラガービール〜
ワフル小神殿。
大理石の壁で覆われた殿内は、素朴ながらも優美な装飾が施されていた。
段々に並んだ長椅子には、祈日、多くの信者で集い来る。
高い天井の中央には、円形のガラス窓がはめ殺してあり、そこから昼下がりの外光がおぼろ降り注ぐ。ただそこにいるだけで清浄な心持ちになってくるのは、管理者の聖徳ゆえか、建築家の計算ゆえか。
中央の祭壇で祈りを捧げていた僧衣の若い女性が、その気配に振り返った。
「高司祭様」
「ラヴィリア」
パルテオンは矍鑠とした風情で、入り口扉から中央へ進んでいく。
ラヴィリアと呼ばれた女性は、頭部をすっぽりヴェールで覆っており、顔の前半分も鼻のあたりまで薄布で隠れていた。 服裾は長く、手は袖に隠れて見えない。
パルテオンの直弟子、ラヴィリア。
別称、エクステリアの刑に処された聖女。
「お久しぶりでございます」
「健勝そうでなにより。明後日の祝祭には顔を出そう。手伝えることがあれば言ってほしい。誠意、顕彰、聖意、健尚」
「信徒の皆様も、高司祭様にお会いできるのを楽しみにしているようです」
ラヴィリアの口が、笑んだように動いた。
「魔王が現れたという噂が、この街でも広がっています。人心の憂いを掃う為にも、今こそ信仰の力が求められているかと存じます」
パンテオンは、老いた顔をゆっくりと頷かせる。
神への信仰。
この老人を動かす理由は、言ってしまえば、それがすべてだった。
パルテオンは、世に”竜殺しの聖者”と呼ばれる。
信心深い完徳者。
王に忠義を尽くし、ひろく民草に安心をもたらす稀有人。
たしかに、外から観察した限り、その評は正しいように思われる。
しかし実際のところ、パルテオンに王への忠誠などないし、勇者リアン・スーンに対してどうという感情も抱いていない。信徒、民衆のことさえ──語弊を招くようだが──何とも思っていない。
彼にとっては、神への信仰がすべてだ。
その信仰、その教えに殉じるため、王に膝をつき、魔を滅する使命を神より与えられた勇者にも仕え、そして信徒、民衆にとっての聖者を演じている。
そんな上っ面の演技で、多く皆が騙されるものなのか。
騙されるものなのか。
パルテオンの聖者の仮面は、私心……
顕示欲、名声欲、権力欲、あるいは物欲……
それらすべてから隔絶していた。
信仰心──ただそれゆえの仮面である。
内から湧き上がり、内側で完結する感情ゆえに、聖者の貌は、上っ面ではない、筋金入りの面となって全身全霊に癒着していた。
ある意味、彼は、本物の聖人よりも本物だった。
「我、神の使徒として、あまねく魔の者を滅ぼさん。滅私、奉公、烈士、咆哮」
その強く輝く双眸には、歴史上の偉人、あるいは狂人と同じ色を宿していた。
***
とうとう、この日がやってきた。
正作の右手には木製コップ。
なみなみと注がれているのは、ほのかに泡立つ黄金の液体。
異世界ラガービール、初お目見え。
感謝、感激、感動、感涙の瞬間。
──思いのほか、泡が少ない。
(なんか……缶をあけて数時間放置しちゃった後の、気抜けビールっぽい?)
少し、いやな予感がした。
念のため、やや異世界ラガーへの期待値を下げることにする。正作のような人間は、無意識のうちに幸福の閾値を下げ、自己防衛する術に長けているのだ。
「では、かんぱーい!」
リアンが元気よく声をあげ、自分のコップを正作のそれにうちつける。
(苦──いや、辛い?)
ホップの苦味を予想していたところ、なぜか中華料理を思い出す系の辛味がきたので、正作は驚いた。いや、苦味もある。
苦味に混じる、複雑な辛さ。
飲み終えると、爽やかな後味が残った。
(海外のビールって、もしかしてこんな感じだったりして)
まだ夕方には時があるのに、少し腹が減ったような気がする。
辛味が、食欲を刺激したのだろうか。
予想とはかなり違うが、これはこれで悪くない、と正作は思った。
「ぷふー、どうですかヤマシタさん。ワフル名産の麦芽酒は」
コップの中身を一気に飲み干したらしいリアンが、口元に少し泡を残して微笑んだ。
「いやぁ、おいしいです。独特の辛味があるよね。何か、特別なものでも入ってるのかな」
明らかに未成年のリアンが普通に飲酒していることには、とりあえずつっこまないことに決める。きっと異世界なので、法も違うのだろう。
「え。麦芽酒にハーブが入るのは、普通じゃないですか?」
そういうものなのか。
正作はあいまいに納得した。
目線さえ合わせなければ、この勇者の少女から伝わる、得体の知れない恐怖感がかなり和らぐことに気づいた。つけて酒精の力も借り、ほんのり余裕が出てくる。
ここは、リアンに連れられなんとなく入った街角の酒場。
こんな真っ昼間から──というのは、現代人の感性なのか。
夕食時でもないのに、そこそこ客が入っている。
「チアーズラガーとか、そうですよね。タイのビールですけど」
テーブルの向かいでそう言う鈴木 甘太郎は、ひとり林檎ジュースである。
「カンタローさんは、飲まないんですか、お酒」
「あー……宗教上の理由で、ちょっと」
リアンの問いに、甘太郎は少し考えてから返答した。
(『未成年だから』って言いそうになったのかな)
正作は想像する。
ラガービール。
この炭酸感、本当に久しぶり。
魔王城でもシャンパン──スパークリングワイン? は飲んだが、同じシュワシュワでも、また違うシュワシュワである。本当は冷えたビールが個人的に最高だが、さすがにそれはないだろう。
定番の異世界ものだと、貴族や豪商相手に氷を作る魔術師がいたりするものだが──この世界ではどうなのだろう。そもそも、冷やして飲むとうまい、みたいな発想自体ない可能性もある。
その辺の事情を逆手にとって、異世界知識チートとか……
少しふわふわした気分で、先程の「元の世界の衣服を着た女性」について思い返してみた。
(あれは、魔法だったのかな)
あの時の『声』は、正作にだけ聞こえたらしい。
まがいもの。
確かに自分は、魔王の紛い物だ。
顔は異世界人風だったが、この世界の魔術師は、幻術で姿を変えられると聞いた。
(自分とは別の、異世界来訪者?)
鈴木 甘太郎がいるのだ。もっといても不思議ではない。
正作の正体を知っているとして、先程の行動の意図はなんだろう。
声をかけた理由は。
あれだけいって、すぐ去っていった理由は。
単なる気まぐれか。
それとも、何か──
「魔族がせめてきたぞッ!」
みだれた叫び声に、正作の思索は遮られた。
すばやくリアンが立ち上がる。
客の視線が、入り口の乱入男に集中。
「駐屯兵には?」
「もう伝えた、というか戦ってる! こっちに来る、早く逃げろッ」
「じょ、冗談じゃねぇ」
「魔王軍か?」
「ま、魔王が──」
「どっちにいるの」
きれいな、しかし恐ろしく落ち着いた声。
パニック寸前だった店内が一気に静まる。
リアンの顔を正面から見た──見てしまった──魔族襲来を知らせに来た男は、ここへ来た時よりも青ざめた表情で「こっちだ」と方角を示す。
「そう。じゃあ……あ、ヤマシタさん、カンタローさん、案内途中でごめんだけど、リアンは行かないとなので」
「あ、ちょ、あの──」
正作は、少女に手を向けかけた。
何と言ったらよいか、分からない。
リアンは、出口で振り返り、少しはにかんだ。
「これでも勇者なので」
***
「おやや、アイゼンバーグじゃないッスか」
声をかけられた若者──人間のように見える──は、びくりとなった。
彼は振り返り、その人物を見据えた。
「メッチャ久しぶりッスね」
「──もしかして、ヤマトか?」
自信なさげに、アイゼンバーグ。
「お? 俺の隠形を見破るなんて、やるッスね。どんな術を使ったんスか」
「いや、喋り方喋り方。わたしを知っている者で、そんな喋り方するやつお前しかいないから。……そちらこそ、よく分かったな。二重がけの幻術を見破れる者は、そうそういないぞ」
「や、俺が鼻の利くことも、忘れたんスか」
人間に化けたヤマトの言をうけ、アイゼンバーグが苦い顔をした。
(匂いも誤魔化しているのだが)
「お前が人間の街にいるとか、超めずらしいッス。もう、あのBBAの下で遊ぶのはやめたんスか?」
「……ビビアン様も、今この近くにお越しになっている。ヤマト、昔のよしみで一つ忠告してやるが、今、このワフルに勇者どもが来ているぞ。早く立ち去ったほうがいい」
「ま、マジッスか!」
さすがにヤマトも、驚いたようだ。
アイゼンバーグが、ひっそりと溜飲を下げる。
「──え? ということはビビアンの奴、勇者達がいると承知の上で、来てるっつーんスか。……え、自殺? マッシュマロンより弱いくせに、いったいどういう……いや、いやいや……」
ヤマトは、顎に拳をあて、しばし考えるような素振りをした後、相手を半目で睨みつけた。
「アイゼンバーグ。ビビリのお前が、危険を冒して人間の街に来るとか、不自然すぎッス。搦め手で、なんかやるつもりッスね。ビビアンに何か指示されて、イヤイヤここにいるんスね」
「……だったら、なんだ」
不快げに眉をしかめ、アイゼンバーグ。
ヤマトの口が、笑みの形に曲がった。
「昔のよしみで、ちょいと点数稼ぎに協力して貰うッス」




