ベルナールが見たはじまり④
ベルナールはすぐに主人の傍に膝をつく。
輝かしいはずの白の金髪は、くたりとして煌めきを失っていた。
「デジレ様、体調はどうですか」
「ベル……」
デジレが弱り切った声を漏らす。
ベルナールも、デジレ本人も何があったのかわからない。彼に掛ける良い言葉が思い浮かばず、ベルナールはほぞを噛む。
「女性に、最低なことをしてしまった。記憶がないなんて、言い訳にしかならない……。あんな人前で、無理矢理……」
ベルナールは否定ができなかった。そんな彼を見て、デジレは改めて事実だと認識したのか、身体から力を抜く。
「どうすれば……」
「デジレ様」
「一体どうしたらいいんだ」
「責任を取ってきなさい」
先ほど姿を消したはずのカロリナが、息を荒く扉の前にいた。彼女は急ぎデジレに近付くと、がっしりと彼の腕を掴んだ。そして、覗き込んで目を合わせる。
「人前でキスしたのでしょう。だったら、責任を取ってきなさい。ぐずぐずしていないで、早く会いに行きなさい!」
「責任……でも姉上、今はもう深夜です。会いに行っても」
「関係ないわ! こういう時はすぐに相手に会うに限るのよ! 駄目でも約束を取り付けてきなさい!」
カロリナがそう叫びながら、デジレを無理矢理立たせようとする。力が足りず全く効果がなかったが、デジレがのろのろと立ち上がった。
「いい? デジレは絶対に謝っては駄目よ。とにかく責任を取ることに集中しなさい」
「謝ってはだめ……」
「そう、キスしたことも含めて、絶対に謝らないこと。ほら、さっさといきなさい! こんなところでずっと後悔しているより、よっぽどましでしょう!」
デジレがふらふらと、カロリナに言われる通り動き始める。あまりにも不安で、ベルナールもすぐに従おうと彼に近付けば、急に腕を取られた。
カロリナだった。
「ベルはこっちよ」
え、と言うまでもなく引っ張られる。覚束ない足取りのデジレの姿が遠退く。抵抗しようとすればできるのだが、カロリナはどこか真剣でベルナールは彼女に従った。
「カロリナ様、なぜデジレ様にあのような事を」
「ああ、だって、そうしないと上手くいかないもの。それに、デジレはなにも悪いことはしていないし」
悪いことはしていない?
ベルナールが疑問に思っていれば、カロリナが勢いよく扉を開けた。その場所は彼もよく知っている、伯爵の執務室だ。
執務机に、手を組んでいる伯爵の姿がある。
「お父様、連れてきました」
伯爵の前に放り出され、ベルナールは目を白黒とする。しかし、すぐに背筋が伸びる。
この流れなら、今回のことに関してだ。主人の暴走を止められなかったことで、咎められるのかもしれない。
それでデジレへの叱責が少しでも減るのなら、いくらでもお願いしたいくらいだ。
「ベル、お父様に今日の夜会からの出来事、すべて話して」
言い訳することは何もない。ベルナールは息を呑んで、表情が読み取れない伯爵を見返す。
一瞬だけ震えそうな唇を奮い立たせ、ベルナールは一礼をした。
「報告させていただきます」
一通り、ベルナールが見たことをすべて話した。話し終わるまで、カロリナも伯爵もずっと黙って聞いていた。
以上です、と終わりを告げると、伯爵が腕を組み唸った。
全て正直に客観的に話した。嘘を話したところで、あれだけ目撃者がいればばれてしまうだろう。ただ、伯爵の反応にやはり汗が滲む。
「ね、お父様。間違いないでしょう」
「全く、発破をかけて候補でも見つけてこいと押し出したはずが、ここまでの結果がでるとは」
呆れた声だ。いや、それでも笑いが篭っている。
「顔と名前が一致していて、瞬間に頭に靄がかかって記憶がない。あのデジレがキスしたって言うのだから、間違いないですよね」
「まあ、あのデジレだからね。まさか人前で、か。これは大変だ。とりあえず先程話した通り、デジレには伝えない」
「デジレの性格からして、それが良いと私も思います。既に知っている者には連絡をしますか?」
「私がやっておく。なるべく過剰に手を出さないように、とも伝えておこう。わかったかな、カロリナ」
「……わかりました」
カロリナが不服そうに了承した。
ベルナールは、置いてけぼりで話される内容が全く理解できない。しかし彼らはどうやら、デジレのあの行動の理由を知っているようだった。
ベルナールは心がはやった。邸の主人とその娘が話していても、礼儀などそっちのけで無理矢理頭を突っ込んだ。
「デジレ様の行動の理由をご存知ですか!」
伯爵とカロリナが、ベルナールを見る。
彼らだって、気付いているに違いない。
あのデジレの行動は、彼がするとは到底思えないものだった。付き合いの長いものほど、そうはっきりとわかる。人前で女性の意思なく口付けるなんて、馬鹿真面目な彼にできるはずがないのだ。
「立場を弁えまず申し訳ございませんが、理由を教えていただけませんか!」
知りたい。あんなにデジレが苦しむことになった理由。少しでも、彼の助けになれるように。
「まさか、呪いかなにか……」
「呪いじゃないな」
伯爵が、笑って否定した。デジレと同じエメラルドの瞳がしっかりとベルナールを捉える。
「呪いじゃない祝福だ。そうだね、カロリナ」
「そうですね」
間髪入れず答えたカロリナも、ベルナールの方に身体を向けた。
恐ろしいほど美しい二人から注目されると、ベルナールはにわかに緊張する。
「それで、お父様。お話しした通り、彼でいいですね?」
「本人には伝えないから、身近に知っている者がいた方が良いだろう」
「わかりました」
何か、言われるのか。
ベルナールが身構える。カロリナが口を開く。
「ベル。運命の人って、信じる?」
「……は?」
耳を疑う内容だった。
***
「ベルナールさん」
名前を呼ばれ、ベルナールは身体を揺らした。
どうやら少し前の思い出にふけていたらしい。
声を掛けた少女は、青い目をぱちぱちと瞬いて、首を傾げてくる。緩く結ってある、ブルネットがさらりと揺れた。
「大丈夫ですか? もしかして、お疲れなんじゃ」
「いいえ、ご心配なく」
ベルナールは微笑んだ。
目の前で心配そうな顔をする彼女は、気絶していた時の印象よりも可愛らしい。
はじめてマリーを迎えに行った時のことを、ベルナールは忘れない。
明らかにデジレと夜会に行きたくないといった顔をした彼女に、行きたくなければそれでも良いと言った時。はっきりと、行くといった。逃げるものかと。デジレと同じ、まっすぐな目だった。
そんな彼女は、困ったようにちらちらと彼を見ている。
「あの、前に聞きましたけど、ベルナールさんって伯爵家の出なんですよね。私の方が格下なのに、丁寧な話し方しなくていいですよ」
「ああ、それはお気にせず」
マリーなら大丈夫だと、ベルナールは感じた。
彼らの様子を窺うたびに、彼女こそ、デジレと一緒にいてもらいたいと思うようになった。彼女を逃しては、デジレは間違いなく後がない。
応援してくれという命令ではなく、自らの意思で、彼らを見守り手助けしたい。
「マリー様は、我が主人の――ですから」
マリーが聞き取れなかったのか、小首を傾げたが、すぐに笑顔になって嬉しそうに言う。
「あ、もう行きますか?」
ベルナールがつられて笑う。玄関の扉を開ければ、マリーが心持ち早足で外に向かう。
外は大分暗くなっている。そんなことは気にする様子もなく、マリーはまっすぐに迷わず歩いていく。その先に待つデジレが顔を上げて、今日は疲れていたはずなのに、自然と零れ出る笑顔を見せた。
玄関の傍で、ベルナールは楽しそうに嬉しそうに話す二人を見て、微笑んだ。
まだ、見る限り互いにようやく気持ちが芽吹いた程度に過ぎない。まだまだこれからだ。じれったいが、彼らのペースがあるだろう。
こうやって、二人の架け橋役となるのも悪くない。
幸せな二人の未来を想像しながら、ベルナールは馬車に向かってゆっくりと歩を進めた。