出会い <デジレとマリー>③
「ほら、な。あの子、まだデビューしてないし、保護者が必死になって探してただろ。なんで今日ここにいたか知らないけど」
カストルが、デジレを抑える手を離した。解放されたデジレは、音もなく立ち上がる。
心が、周りの静かな空気のように澄んで、同時に居ても立っても居られないとざわめいていた。
「……泣き止んだか、見ていない」
「は?」
「カストルは、そちらから探してくれ!」
デジレは、急に走り出した。
彼女がいた場所で一旦足を止め、消えた方に再度全力で駆けていく。
頭の中は彼女、マリーのことでいっぱいだった。
網膜に焼き付けた、ブルネット。青い瞳。淡い青のドレス。それらを常に思い浮かべ、会場となっている邸をあちらこちらを見て回った。そのデジレの勢いに、人々は驚きながらも道を開けていく。
いない。いない。見て回っていても、どこにも見つからず、デジレの額に汗が滲む。不安から浮かぶ嫌な思考を振り払って、がむしゃらに探し回った。
邸を一周して、またマリーがいた場所まで戻る。足を止めると、胸がばくばくとうるさい。
戻ってきても、その場所には彼女はいなかった。空を仰げば、月だけが同じ場所にある。
「デジレ!」
カストルが走ってきた。彼は平静そうに見えるが、よく見れば息が上がり、こめかみにきらりと汗が光る。デジレと同じような様子だった。
「探したけど、見つからなかったぞ」
いない。ぞわりと、身の毛がよだつ。
無意識に短くなっていく呼吸を繰り返し、デジレはカストルの肩を掴んだ。
「ここに彼女がいたのは、カストルも見たな。夢じゃないよな!」
「はあ? 見たよ。見た見た! 名前まで教えただろ」
カストルを掴んだまま、デジレは俯いて深く息をはき切った。
夢ではない、夢ではないと心の中で繰り返せば、少しは落ち着いてくる。一体どの影響で興奮しているのか、耳に響く激しい鼓動は収まらない。
カストルは、デジレの手を外しながら眉をひそめる。
「お前、あの子を見てからおかしいぞ。もしかして、一目惚れか?」
「え?」
一瞬、鼓動が止まった。目をだんだん見開いていくとともにまた胸の中心が動き出す。冷えた指先が一気に温まり、じりじりと震えた。
「そんなことは……。たしかに綺麗な子だとは思ったけれど」
「あー、女の子にこんなこと言うの良くないけどさ、俺からみたら、普通の子だったぞ」
「は」
デジレの額から、汗が頰を伝う。何に焦っているのかと、自分を落ち着かせようと息を吸う。
普通に見えた? 綺麗と思ったのは自分だけ?
そう思えばほんの一瞬、安堵するような気持ちが生じ、デジレは訳がわからなかった。
カストルはそんな彼に対し、肩をすくめて困ったという顔をする。
「名前聞いてきたし、もう一度会おうとした。今まで女の子を嫌がってたデジレにはありえない行動だ。だから、俺も探してやったのに」
「いや、話したこともないのに。一目見ただけで一体何がわかるんだ」
「直感じゃないの? 一目惚れって、そういうもんだろ」
一目惚れの意味も知っている。カストルにも聞いた。要するに、一目見て好きになったということ。
デジレは、ただ彼女が月の精のように綺麗だと思って、もう一度会いたいと思っただけだった。泣いていても綺麗だったから、もし泣き止んでデジレを見てくれたら、どんな感じだろうと興味が湧いただけ。
好きとは違う。デジレは手を握る。
「違う。ただ、泣き止ませられなくて、その後が気になったんだ」
男は女性を泣かせてはいけないとも、女性が泣いていれば涙を拭えともデジレは教えられてきた。それができなかったから、責任を感じたのだとデジレは思う。
「だいたい私は、何も知らないのに一方的に好意を寄せられるのが苦手だ。だから、相手にもそんなことはしない」
相手もよく知らずに、好きになるなんて不誠実だ。
しっかりとカストルの目を見て、デジレは言う。
カストルは呆れた顔を見せ、すぐに興味無さげにそっぽを向いた。
「まあ、一目惚れじゃないとお前が言うなら、それでいいんじゃないか」
そう言って、彼は疲れたように肩を回して、邸の方へと進んでいく。途中、あ、と零したカストルは、デジレに面倒臭げな顔を向ける。
「探し回ってた時、もう舞踏会は最後の曲になってたぞ。そろそろ、姉ちゃんを迎えに行かなきゃいけないんじゃないの」
「あ!」
カロリナのことを完全に忘れていた。
デジレは早口で礼を言うと、慌てて会場に向かって走っていった。
帰りの馬車の中のカロリナは、ずっとふわふわして時折笑い声を零していた。ほんのり赤い頰と、うっすら潤んでいる瞳は、熱に浮かされているようだ。デジレはそんな姉をぼうっと見つめる。
最後に踊れたらしい、カロリナとフェルナンは本当に幸せそうに寄り添っていて、迎えに行けばお互い寂しそうな顔を見せたので、デジレは申し訳ない気持ちになった。
しかし、帰る馬車の中でも彼女は思い出しているのか、本当に幸せそうに頰を緩めている。
好きという顔は、こういう顔だ。デジレはそんな顔をしていない。
「ねえ、デジレ」
「はい」
「私、今日を一生忘れないわ」
目の前の姉は、今まで見てきた中でも特に輝いている。外見だけではない、中身から絶えず光っているようだ。
なぜか直視していられず、デジレは窓の外に目を向ける。空には月がはっきりと浮かんでいる。あの時の少女の姿が、被って見える。
一目惚れでないなら、一体この気持ちはなんだろう。恋とは自分で気付くものだという言葉が、なぜか頭の中に浮かぶ。
静かな夜に、馬車が進む音だけが響く。白い光が小窓から差し込み、顔を照らす。
なにかはわからないが、デジレも今日を一生忘れる気がしなかった。