ベルとララの主人自慢
『くちびる同盟』後日談後
カロリナの里帰りでシトロニエ家に同行したララは、主人の部屋の準備等を終えて、使用人の控え室でひとりゆっくりしていた。
カロリナは母である伯爵夫人と話が長引いている。どうやら、しばらくは申し付けられる用もなさそうだった。
「おつかれさま」
部屋の入り口から、穏やかな声がした。
ララが顔を上げると、その声の主ベルナールが、流れるような所作で入室する。そして、彼女の前に、湯気が立つ紅茶を置いた。
「あら、ありがとうベル」
「ついでだよ」
自分の前にも置いた紅茶を指差して、ベルナールは軽く笑う。そして、ララの向かいに座った。
ベルナールは、ララの同期である。昔からシトロニエ家に仕え、共にカロリナとデジレを見守ってきた。それぞれ明確に主人が決まった後も、その主人のために粉骨砕身する、同志でもあった。
「そうだわ、まだはっきり言っていなかったけれど。デジレ様のご婚約、心からお喜び申し上げます」
「ありがとう。カロリナ様も無事にご出産されたと聞いたよ。慶事が続いて喜ばしいことだね」
「ええ、本当に」
ララは頰に手を添えて、目を細める。
「あのデジレ様が、結婚されるのね……」
「あのカロリナ様が、母親になったのか……」
同時に呟かれた言葉に、お互い顔を見合わせる。
「あの、女性はとにかく近寄らせない、来たら逃げていたデジレ様が、結婚相手を見つけられるなんて。嫡男でいらっしゃるのに、女性が苦手なんて大問題を抱えていたデジレ様をこうも変えるなんて、私にはできないわ」
「いや、あの、外面だけは完璧で、本当は自由奔放で我慢がきかないカロリナ様が、結婚して御子まで授かるなんて。結婚はできるだろうとは思っていたけれど、カロリナ様の素を受け入れてくれる方と合わせるなんて、私にはできない」
一瞬、静寂が場を包み込んだ。
ベルナールが、わざとらしく咳払いして沈黙を破る。
「たしかに、私は精一杯応援はしたよ。しかし、今回のご婚約においてはデジレ様ご本人の努力と、お相手のマリー様の御心があったからこそなんだ。おふたりを見ていて、デジレ様のお相手はこの方しかいないと思ったから、マリー様が想いを向けてくださって本当によかった」
「私も応援は絶えずしたわ。事故の出会いをしたおふたりだけれど、明らかにお互い惹かれ合っているのを見て、どうかうまくいきますようにと。すれ違って、悲しむカロリナ様に心がちぎれそうなほどだったけれど、おふたりとも頑張られて、なんとか結婚されて、本当によかった」
紅茶で口を潤し、ララがにっこりと笑う。それは自分のことのように嬉しそうで、ベルナールもつられて笑う。
「カロリナ様の旦那様、ノワゼット侯爵様は本当に素晴らしいお方なのよ。お仕事も完璧で、性格もしっかりしていらっしゃって穏やか、なによりカロリナ様を心から愛してくださっているの。こんなにすばらしい方は他にいらっしゃらないわ!」
「たしかに侯爵様は、素晴らしいお方だ。話したことはないけれど、言動を見ればわかる」
「さすがはカロリナ様、あんな非の打ち所がない方を旦那様にされるなんて!」
ララは熱い息をこぼす。目が、うっすら潤んでいる。
「デジレ様の婚約者になられた、マリー様だって素晴らしい。優しく、気遣いができて、王妃教育を受けていらっしゃるので、気品や教養がどんどんとあがっている。なによりもデジレ様を受け止め支えようとするあの姿勢!」
「ええ、マリー様も、今まで目にしてきたご令嬢で屈指の素敵な方だわ」
「さすがはデジレ様、あれほど未来の伯爵夫人にふさわしい方をお選びになるとは!」
ベルナールが頰を紅潮させる。机の上に置かれた手が、強く握られ震えていた。
ふたりは目を合わせ、ふふっと笑う。
「デジレ様がお幸せそうで良かったわ」
「カロリナ様もお幸せそうで、なによりだよ」
満足そうに笑顔を浮かべ、頷く。
しかし、途端にララが真顔になり、カップをソーサーに置く。
「ええ、カロリナ様が幸せなら、私はそれでよいのよ。でも、最近カロリナ様が、この方はどうって、私にも結婚相手を探してくださるの」
ベルナールも、表情を硬くした。
「ララも? 私もデジレ様から、マリー様のご友人を紹介されたよ。私もデジレ様の幸せがなによりの願いであるのに、私まで気にかけていただかなくても……」
「そうなの! お気遣いは嬉しいのだけれど、カロリナ様にはよりいっそうご自身の幸せを追い求めてほしいのよ! それに、結婚してしまったらもしかするとカロリナ様にお仕えできなくなるかもしれないし!」
「ああ、そうなんだ、もっとデジレ様には幸せになってほしい。デジレ様の幸せこそが私の幸せでもあるのに、私の結婚なんてどうだっていいんだ!」
ベルナールが乱暴に、拳で机を叩く。ララが同意するように、その拳を手で包み込んだ。
「一字一句すべて同意よ。これからも、我が主人のために頑張っていきましょう」
「もちろんだよ。我が主人とシトロニエ家のために、身を捧げる思いは昔から変わっていない」
見つめ合うふたり。
だが決して甘い空気などない。それぞれの瞳に強い光が宿り、燃えていた。
そうすることしばし、遠くから声が聞こえ、ベルナールがはっとして立ち上がった。
また部屋の扉が開く音も聞こえ、ララが素早く席を立つ。
「デジレ様がお呼びだ。それじゃあ、また」
「カロリナ様のお話が終わったわ。ええ、また」
そう言ってふたりは、音も立てずに速やかに部屋から離れていく。
彼らの顔はどこか、嬉しそうにほころんでいた。